腹有詩書氣自華

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3/6/2025, 10:58:05 AM

花風は、何を運んでくるのだろうか。

花の香り?
木々のざわめき?
それとも、どこかの誰かの小さなつぶやき?

三月、学校が早く終わった午後、少し足を伸ばして川辺の土手に向かった。春の陽気に包まれながら、本を開く。ふと、やわらかな風が吹き抜けた。

遠くから誰かの笑い声が届いた。
ランドセルを背負ったこどもたちがいる。傷一つない鮮やかなそれを嬉嬉として自慢しあっている。

また、少し離れたところからは、少し大人び始めた声色が微かながらに聞こえた。つよい風がその続きをさらっていく。その後は全くとして聞こえなかった。でも、お互いが向き合いながら手を握っている制服の影がちらりと見えた。

もう一度風が吹くと、桜の花びらがふわりと本のページに舞い落ちる。指でそっと拾い上げると、ふわりとした温もりが指先に残った。あたたかくなった空気が、変わり目を静かに教えてくれるようだった。


風は、目に見えないけれど、確かにそこにあるものを運んでくる。

子どもたちの無邪気な笑い声
勇気を振り絞った愛しい人への言葉
頬をかすめる新たな出逢いの香り

手のひらで受け止めた花びらの感触も、ページの隅に落ちた影も、全部、風が運んできたささやかな贈り物なのかもしれない。

そして、ふと思う。
自分の言葉も、こんな風に誰かに届くだろうか。
ふわりと風に乗って、そっと誰かの心をくすぐるような、そんな文章が書けたらいいな。

今日も風は、どこかから何かを運んでくる。
その中に、少しだけ幸せが混じっていたら嬉しいな。


───────題.風が運ぶもの────

3/5/2025, 11:47:08 AM

夕餉の後、ふと茶を啜りながら尋ねた。


「ねえ、世界で一番答えの出ない問いって、なんだと思う?」


向かいに座る人は、少し考えて、笑いながら言った。

「そんなの簡単さ、『夕飯は何がいい?』に決まってる」

なるほど、確かに難問だ。
日々繰り返され、幾度となく問われるのに、決して決まることがない。

貴方は「なんでもおいしいから」って言ってくれるけれど、その返答は困るからやめてほしいもの。


「では、世界で最も人を惑わせる問いは?」


「『どっちが似合う?』かな」

ご名答だ。
下手な答えを返せば、翌日の空気が氷点下になる危険を孕んでいる。

貴方は「なんでも素敵だから」って言ってくれるけれど、その返答は困るからやめてほしいもの。


「ならば、世界で最も答えが変わりやすい問いは?」


「『私のこと、好き?』……なんてね」


つい笑みが綻ぶ。貴方らしい。

「因みに今日はどうです?」

「そうだな……今朝は好きだったが、昼にはちょっと嫌いになって、今はもっと好きになっているところだ」

「ふふ、忙しいこと」

「まあな、ずっと一緒にいるから、日々変化があるのも仕方あるまい」


少し意地悪をしてみよう。

「じゃあ、明日は?」


「明日のことは明日にならねばわからん。だが——

たぶん、明日も君を愛おしいと思うだろうよ」


「絶対とは言わないのね」

「絶対と言ってしまえば、それはただの決まりごとになってしまう。好きでいることは、毎日新しく積み重なるものだろう?」

あぁ、やっぱり敵わない。
貴方の言葉に一日、一日と幾度も惚れていく。

確約される「好き」より、今日の「好き」、明日の「好き」と積み重なっていくほうが、
きっと、ずっと、尊い。


湯呑の中で、ほのやかに揺れる湯気。
その向こうで、ふっと柔らかな目をした貴方がいる。


——問いとは、答えを求めるためにあるものだけではないのかもしれない。
ただ問うことで、相手の存在を確かめたり、温もりを分かち合ったり。
答えそのものよりも、問いかける行為にこそ、意味があるのかもしれない。

さて、私もいつものように問うてみようか。


おかわりはいる?

──────題.𝑄𝑢𝑒𝑠𝑡𝑖𝑜𝑛.──────

3/4/2025, 11:22:22 AM

翡翠のごとき肌、湿り気を帯びた瞳。
春日燈篭の中段にて鎮まり、じっとこちらを伺っていた。

おや、久しい

声をかけても、ひくりとも動く気配はない。
ただ、薄く瞬きをするのみで。

眼前に広がるこの庭園には、古から同じようなものが棲みついている。
雨の香を運ぶ頃に現れ、秋冷とともに姿を消す。
行く先は知らず、また訪れることも定められず


——さて、そなたは、あの子かな?


否、違うのであろう。
されど、こうして再び相見えたのだ。
それを“約束”と呼んでも、差し支えあるまい。

わたしが待つがゆえに、そなたが来るのではない。
そなたが誓うがゆえに、わたしがここに在るのでもない。

ただ、
───また会えた

その事実こそ世の理を超えて
繋がるものの証なのでしょう。

おかえり

そう言うと、翡翠の影はひとつ鳴き、青苔の陰へと、謐に消えた。




──────題.約束───

3/3/2025, 2:42:11 PM

ひらり、と舞ったのは、銀の糸であった。


朝露を含んだ細き絹糸が、朝ぼらけの光を受けて燦然と輝く。

風の戯れに誘われ、ゆるやかに宙をさまよう。
さながら路地で蝶により彷徨える少女の袖のごとし。

されど、糸の端には、かそけき命が結ばれている。
八つの足を持つ小さき魔女は、雫に濡れた千切れた羽衣を揺らしながら、しずしずと緑玉を磨き上げたような地に降り立つ。今にも滑ってしまわぬかと思われるが、ちゃんとそこに在る。

――風は、嫋やか。
――風は、益荒。

いかに細工を凝らそうとも、荒ぶった一陣の風に、砂上の楼閣のかのように掻き消されることもあろう。

それでもなお、糸を張る。
それでもなお、風に託す。

嗚呼、それはまるで、夜毎紡がれる夢の織物ではないか。

一夜のうちに生まれることも。一夜のうちに消えることも。
その果敢さを、愛おしさを、知っているがゆえに。

ひらり ──────

しめやかに揺曳する銀は舞い、どこかへと運ばれる。
それを見送るかの姿は魔女、いや、まるで運命を編む巫女。静かで、寂しく、美しい。


――さて、私も筆を執るとしよう。
この世に繋ぎ留めるために。
夢の糸を、言葉にして。



____________ 題.ひらり ____

3/2/2025, 1:11:55 PM

ほのやかに日が霧に光さす朝、庭の方から小さな足音が聞こえた。すたすた、ぴょん。すたすた、ぴょん。何かが石畳の上を跳ねているらしい。

────── 誰かしら?


縁側からそっと覗いてみると、小さな雀が一羽、ちょんちょん、と歩いていた。どうやら落ちていた米粒を見つけたようだ。すぐに飛び立つかと思ったけれど、こちらに気づいても逃げる様子はない。ふくふくと丸いその姿が、なんとも愛らしい。

しばらく見ていたら、不意に足元が冷えていることに気づいた。春が近いとはいえ、まだ朝はひんやりしている。

かすかな風が吹いた。軒先の梅がそよぎ、いちまいの花弁がひらりと舞う。やがて、雀は小さく囀ると、ふわりと空へと飛び立った。



さて、お茶でも淹れようか。

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