夕餉の後、ふと茶を啜りながら尋ねた。
「ねえ、世界で一番答えの出ない問いって、なんだと思う?」
向かいに座る人は、少し考えて、笑いながら言った。
「そんなの簡単さ、『夕飯は何がいい?』に決まってる」
なるほど、確かに難問だ。
日々繰り返され、幾度となく問われるのに、決して決まることがない。
貴方は「なんでもおいしいから」って言ってくれるけれど、その返答は困るからやめてほしいもの。
「では、世界で最も人を惑わせる問いは?」
「『どっちが似合う?』かな」
ご名答だ。
下手な答えを返せば、翌日の空気が氷点下になる危険を孕んでいる。
貴方は「なんでも素敵だから」って言ってくれるけれど、その返答は困るからやめてほしいもの。
「ならば、世界で最も答えが変わりやすい問いは?」
「『私のこと、好き?』……なんてね」
つい笑みが綻ぶ。貴方らしい。
「因みに今日はどうです?」
「そうだな……今朝は好きだったが、昼にはちょっと嫌いになって、今はもっと好きになっているところだ」
「ふふ、忙しいこと」
「まあな、ずっと一緒にいるから、日々変化があるのも仕方あるまい」
少し意地悪をしてみよう。
「じゃあ、明日は?」
「明日のことは明日にならねばわからん。だが——
たぶん、明日も君を愛おしいと思うだろうよ」
「絶対とは言わないのね」
「絶対と言ってしまえば、それはただの決まりごとになってしまう。好きでいることは、毎日新しく積み重なるものだろう?」
あぁ、やっぱり敵わない。
貴方の言葉に一日、一日と幾度も惚れていく。
確約される「好き」より、今日の「好き」、明日の「好き」と積み重なっていくほうが、
きっと、ずっと、尊い。
湯呑の中で、ほのやかに揺れる湯気。
その向こうで、ふっと柔らかな目をした貴方がいる。
——問いとは、答えを求めるためにあるものだけではないのかもしれない。
ただ問うことで、相手の存在を確かめたり、温もりを分かち合ったり。
答えそのものよりも、問いかける行為にこそ、意味があるのかもしれない。
さて、私もいつものように問うてみようか。
おかわりはいる?
──────題.𝑄𝑢𝑒𝑠𝑡𝑖𝑜𝑛.──────
3/5/2025, 11:47:08 AM