わたあめ

Open App
11/14/2024, 2:16:20 AM

 駅前から少し離れた細い路地にその喫茶店はある。5段ほどの階段を降りると、『おひとり様に限ります』という貼り紙が入り口にある。扉を開けると芳しいコーヒーの香りとほのかな木の香りが出迎えてくれる。ブックカフェと言うのだろうか。入り口横と奥に大きな本棚があり、席と席の間の仕切りも背の低い本棚になっている。
 席はゆったりとしたソファやかちっとした椅子、ハンモックなど自分の好みで選べる。他の人が視界に入らないような座席の向きになっている。
 大小の観葉植物が配置されており、森の中で過ごしているような錯覚に陥る。

 入り口で飲み物を注文し、窓際のお気に入りのソファを見つけ腰を下ろす。店主が淹れるコーヒーの音や他の客がカップをソーサーに戻す音などが聞こえる位の静かな空間だ。皆思い思いに一人の時間を過ごしている。
 私はかばんから読みかけの本を取り出す。残り数十ページ、あと少しが電車で読み切れなかった。家に帰るまでの時間がもどかしくてこの喫茶店に来てしまった。本の世界に入り込み読了。ソファのサイドテーブルに注文したコーヒーが置かれている。店主がそっとおいてくれてのだろう。少し冷めたコーヒーを飲む。

 本のカバーを外し、カバーの内側を見る。前に読んだ人の感想やお薦めの本などが書いてある。
 本棚の本は店主が集めたものと、店の客が置いていった本が納められている。『持出禁止』と書かれていない本以外は自由に持って良いことになっている。
 誰がはじめたか知らないが本のカバーの内側に感想を書きあう事が通例になっていた。

 私も隙間を見つけて感想を書く。
『本編では語られなかった登場人物の生い立ちや生き様が描かれていて、一気に読んでしまいました。常に冷静な先生の若かりし頃の情熱的な有り様が新鮮であり、人間味を感じ、もっと好きになりました』

 他の人の感想も読んでみる。前に読んだ本にもあった文字だ。見ず知らずの読友。先ほど書いた感想の後ろに一言付け足した。
 『また会いましょう』
 
———————————
お題:また会いましょう

11/13/2024, 5:01:18 AM

 怖がりの私にとって、遊園地のアトラクションはあまり楽しめるものではない。
 ジェットコースターのようなハイスピードの乗り物はなんとかしがみついて時間が過ぎるのを待っているだけだし、お化け屋敷なんて外の看板だけで気持ち悪くなる。若い頃は周りに流されて何度か挑戦したものだが、「きゃー」と言う悲鳴なんて出せない。ひたすら無言で耐え忍ぶ。

 歳を重ねるにつれ遊園地に行く機会も減り、わざわざ恐怖を感じに行く必要もなくなった。しかし、平和な時代も長くは続かなかった。終わりを告げたのは子どもが小学生になった頃。お友達の影響だろう。「遊園地に行きたい」と言い出した。
 仕方がない。意を決してチケットを購入し、久しぶりの遊園地に足を踏み入れる。私の記憶よりずっと洗練された場所になっていた。懐かしさと目新しさでテンションが上がる。
 さて、怯えていたアトラクション。幸か不幸か私の子どもも怖がりで、ジェットコースターでは他の人の奇声に怖気付いた。お化け屋敷も「ここは行かない」なんて言う。メリーゴーランドなんかで楽しんでくれる。いたって平和だ。

 そんな子どもが選んだアトラクションが観覧車。怖がりの私、もちろん高所恐怖症でもある。しかし、ここまで来て乗せないと言う選択肢はない。嬉しそうな子どもと共に列に並ぶ。といっても、そこまで人気のアトラクションではないため、すぐに順番がまわってきた。
 
 ゴンドラの扉が閉まる。子どものワクワクしている感じが伝わる。ゴンドラもそんなに揺れないし、意外と楽勝かもしれない。言うても年齢制限もない遊園地のアトラクション、そんなに怖いはずもない。
 「メリーゴーランドが見えるね」「あっちが入り口だね」
なんて子どもと話しながら観覧車を楽しんでいた。
 事態が急転したのはゴンドラが90度を回った辺り。斜め上見えていた前のゴンドラが視界から消える。急に心細くなる。さらに何を血迷ったかシースルーのゴンドラなるものを選んでしまっていた。つまり、床面も透明なガラス貼りのゴンドラだ。「怖い。落ちそう。ここで観覧車が止まったらどうしよう」
そんな考えで頭がいっぱいになる。
 子どもは相変わらずはしゃいでいる。ゴンドラの中を歩きまわっていろんな方向から地上を眺めようとしている。
「ちゃんと座ってて」
大人気ないと思いつつ、子どもに注意する。
 180度回ったところまできた。緊張で頭がクラクラしてくる。遊園地の一番高台に設置されている観覧車。観覧車のサイズ以上に高さを感じる。「あと半分。ここまで大丈夫だったんだから大丈夫」自分自身に言い聞かせる。
 ゆっくり動くゴンドラがだんだんと地面が近づいてくる。ゴンドラの扉が開き、言葉通り「地に足がつく」状態になる。無事に戻って来られた。緊張が解れてくる。
 そんな私に満面の笑みで子どもが話しかける。

『もう一回乗ろう❤︎』

——————
お題:スリル

11/12/2024, 12:41:35 AM

眩しい陽射しが降り注ぐ中、今年産まれた3羽の息子たちは無邪気に飛び回っている。
片翼が小さく産まれたミカキも上手に空を飛べるようになった。兄弟との競争にも負けていないようだ。そんな子どもたちを見て父親のバトは嬉しく思う。ただ、それは平坦なこの地だからである。
渡りの時には一日中飛び続けなければならない。それも何日も。さらにその後には最大の難所であるヒマラヤ越えが待ち構えている。
ミカキに山を越えらるのか。それができなければ、ミカキとふたりでこの地で冬を越すか。ここの冬は過酷であると聞く。食べ物もなくなり、凍てつくような寒さの中数ヶ月を過ごさなくてはいけない。

自分一人では結論が出せないと判断したバトは群れのリーダーであるタングに相談に行った。
タングも同じようにミカキの事を心配していたようだ。タングは参謀の一人であるナムゲルを呼んだ。ナムゲルの飛行には力強さがある。ナムゲルの元で飛行術を学んではどうかとタングは提案した。

その夜、バトはミカキにその話をした。
「ボク、ひとりで?」
ミカキは不安そうにバトに聞く。
「ミカキが行くなら、僕も行くよ」
そばで聞いていたリグジンが大きな声で言う。
「僕も修行したい!」
ジグメも負けずに言う。
「お前たちは食べ物を集めたりする必要がある」
なんと優しい息子たちだろう。
「わかった。じゃあ、ジグメと僕は交代でいこう。ミカキとジグメが修行している日は、僕がみんなの食べ物を集めてくるよ。次の日はミカキと僕が修行するから、ジグメが食べ物を集めておいてよ」

バトはその事をナムゲルに話に行った。ナムゲルは
「おやおや、弟子がいっぱいになるな」
と嬉しそうに言った。
「ただ、ひとりでふたりを見るのは少し大変なので、バトもきてくれるかい?」
ナムゲルは数年前、息子を山越えの時に亡くしていた。そのため、ナムゲルにとって若鳥を無事に山を越えさせると言う事は息子への弔いであり、宿命のように感じていた。

翌日からナムゲルによる飛行訓練が始まった。
訓練は2つ。長距離の飛行と高度の飛行だ。
初日はジグメとミカキが参加する。
まずは平坦な地で長距離飛行の訓練からだ。
「ゆっくりでいい。出来るだけ長く飛んでみよう」
ナムゲルに続いてミカキ、ジグメ、最後にバトが飛ぶ。ゆっくりと湖の周りを何周もする。
「もう疲れたよ」
先に音をあげたのは、ジグメだった。
「ははは、じゃあ少し休憩だ」
ナムゲルは笑いながら高度を下げ、草地に降りる。
「ミカキは上手く力を抜いて風に乗れている。同じ速度で飛べるのも体力を温存するのに素晴らしい。ジグメは速度が一定ではないから、加速するのに余計な力がかかって疲れてしまうんだと思うよ」

〈中途〉

————————
お題:飛べない翼

11/11/2024, 8:31:45 AM

「ススキの穂はキツネのしっぽ♪」
こぎつねたちが楽しそうに歌いながら、ススキ野原にやってきた。
「何して遊ぶ?」
「おにごっこ!」
こぎつねのソウタは誰よりも素速い。誰もソウタに追いつけない。おにごっこしてもソウタはいつまでもつかまらない。

「ススキの穂はウサギのお耳♪」
こうさぎたちも楽しそうに歌いながら、ススキ野原にやってきた。
「何して遊ぶ?」
「かくれんぼ!」
こうさぎのフワリは誰よりも隠れるのが上手。誰もフワリを探し出せない。かくれんぼしてもフワリはいつまでもみつからない。

今日もソウタはひとりで駆ける。ひとりで駆けて風になる。
その時、ソウタはみつけた。一匹のこうさぎを。
「ウサギだ!みつけたらみんなに教えるんだった。でも、みんな僕を追いかけてこないしな…そうだ。ススキの穂を耳につけよう。しっぽは出来るだけ小さくして…。僕はウサギ!」

一方、フワリはひとりで隠れる。ひとりで隠れて風になる。
その時、フワリはみつけた。一匹のこぎつねを。
「キツネだ!みつけたらみんなに教えなくてはいけない。でも、みんな私を探し出せない。そうだ、ススキの穂をお尻につけよう。耳は出来るだけ小さくして…。私はキツネ」

ソウタはフワリに声をかける。
「何しているの?」
フワリはドキドキしながら答える。
「かくれんぼ。でも、誰もみつけてくるないの」
ソウタはフワリが答えてくれたので、自分がウサギに見えるんだと自信をもった。
「あなたは何をしているの?」
フワリもソウタが話かけてくれたので、自分がキツネに見えるのだと自信をもった。
「おにごっこ。でも、誰も捕まえてくれないんだ。一緒に遊ぼうよ」
「何して遊ぶ?」
「風遊び!」

ソウタとフワリは風になる。
風になってススキの野原を駆け回る。
ふたりで遊ぶのが楽しくて、時間を忘れて駆け回る。

「ソウタ〜、どこにいるの?帰るよ〜」
こぎつね達が呼んでいる。
「フワリ〜、どこにいるの?帰るよ〜」
こうさぎ達が呼んでいる。

「じゃあ、またね」
ふたりは声をかけあって、手を振りあって別れる。

「誰と遊んでいたの?」
こぎつね達がソウタにたずねる。
「知らないキツネの子」とソウタ。

「誰と遊んでいたの?」
こうさぎ達がフワリにたずねる。
「知らないウサギの子」とフワリ。

秘密の友達。秘密の遊び。
ソウタもフワリも秘密がちょっと嬉しくて、にこにこしながら帰っていった。

——————
お題:ススキ

11/10/2024, 4:20:08 AM

私は22世紀のアーティストだ。
21世紀の前半までは筆や絵の具などを使っていたと聞いてる。
その後デジタル機器で作品を作るようになった。最初はペンやタブなどを使っていたらしい。自分が描きたいものを『描く』という表現力が不可欠な時代だった。
それが徐々に考えたものをAIに描かせるようになる。『描く』技術は不要になり、何を表現したいか、それがどれ程人々を惹きつけるのかということが重要になった。

作る作品についても変わった。現実と忠実に表現するようなものは芸術品としては認識されなくなった。ちょうど19世紀に写真が広まって肖像画が描かれなくなったように。
誰も見たことのないもの、誰も想像できないようなものに価値を見出されるようになった。

私は今まさに傑作を産み出さんとしている。
22世紀の今では脳波を読み取り、自分の考えたことが直接作品として出力されるようになっている。
どこに何色をおくか、どのようなタッチなのか、私は作品の細部まではっきりとイメージをしなくてはならない。私の作品の持ち味は幾何学的で豊かな色彩に彩られた曼荼羅のようなものだ。目には見えない世界を描きだしたいと考えている。

私が考えたことがそのまま作品になるため、絵を描く時はそれだけに集中しなくてはならない。目の前を猫が通れば猫のイメージが描かれる。やっているゲームの続きが気になれば、ゲームのキャラクターが現れる。お腹が空いたと思ってラーメンのことなんか考えたら、作品にラーメンが描かれる。そんな作品、誰も見たくない。

私は作品に集中できるように、ゲームをクリアし、部屋の物をを取払い、カーテンを締め切った。空腹を満たし完璧な状態にした。
それなのに、こうして余計な考えが次から次へと湧いてくる。

私の脳内で完成した作品は最高傑作だ。
ただ、私に足りないのは集中力だ。

—————
お題:脳裏

Next