怖がりの私にとって、遊園地のアトラクションはあまり楽しめるものではない。
ジェットコースターのようなハイスピードの乗り物はなんとかしがみついて時間が過ぎるのを待っているだけだし、お化け屋敷なんて外の看板だけで気持ち悪くなる。若い頃は周りに流されて何度か挑戦したものだが、「きゃー」と言う悲鳴なんて出せない。ひたすら無言で耐え忍ぶ。
歳を重ねるにつれ遊園地に行く機会も減り、わざわざ恐怖を感じに行く必要もなくなった。しかし、平和な時代も長くは続かなかった。終わりを告げたのは子どもが小学生になった頃。お友達の影響だろう。「遊園地に行きたい」と言い出した。
仕方がない。意を決してチケットを購入し、久しぶりの遊園地に足を踏み入れる。私の記憶よりずっと洗練された場所になっていた。懐かしさと目新しさでテンションが上がる。
さて、怯えていたアトラクション。幸か不幸か私の子どもも怖がりで、ジェットコースターでは他の人の奇声に怖気付いた。お化け屋敷も「ここは行かない」なんて言う。メリーゴーランドなんかで楽しんでくれる。いたって平和だ。
そんな子どもが選んだアトラクションが観覧車。怖がりの私、もちろん高所恐怖症でもある。しかし、ここまで来て乗せないと言う選択肢はない。嬉しそうな子どもと共に列に並ぶ。といっても、そこまで人気のアトラクションではないため、すぐに順番がまわってきた。
ゴンドラの扉が閉まる。子どものワクワクしている感じが伝わる。ゴンドラもそんなに揺れないし、意外と楽勝かもしれない。言うても年齢制限もない遊園地のアトラクション、そんなに怖いはずもない。
「メリーゴーランドが見えるね」「あっちが入り口だね」
なんて子どもと話しながら観覧車を楽しんでいた。
事態が急転したのはゴンドラが90度を回った辺り。斜め上見えていた前のゴンドラが視界から消える。急に心細くなる。さらに何を血迷ったかシースルーのゴンドラなるものを選んでしまっていた。つまり、床面も透明なガラス貼りのゴンドラだ。「怖い。落ちそう。ここで観覧車が止まったらどうしよう」
そんな考えで頭がいっぱいになる。
子どもは相変わらずはしゃいでいる。ゴンドラの中を歩きまわっていろんな方向から地上を眺めようとしている。
「ちゃんと座ってて」
大人気ないと思いつつ、子どもに注意する。
180度回ったところまできた。緊張で頭がクラクラしてくる。遊園地の一番高台に設置されている観覧車。観覧車のサイズ以上に高さを感じる。「あと半分。ここまで大丈夫だったんだから大丈夫」自分自身に言い聞かせる。
ゆっくり動くゴンドラがだんだんと地面が近づいてくる。ゴンドラの扉が開き、言葉通り「地に足がつく」状態になる。無事に戻って来られた。緊張が解れてくる。
そんな私に満面の笑みで子どもが話しかける。
『もう一回乗ろう❤︎』
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お題:スリル
眩しい陽射しが降り注ぐ中、今年産まれた3羽の息子たちは無邪気に飛び回っている。
片翼が小さく産まれたミカキも上手に空を飛べるようになった。兄弟との競争にも負けていないようだ。そんな子どもたちを見て父親のバトは嬉しく思う。ただ、それは平坦なこの地だからである。
渡りの時には一日中飛び続けなければならない。それも何日も。さらにその後には最大の難所であるヒマラヤ越えが待ち構えている。
ミカキに山を越えらるのか。それができなければ、ミカキとふたりでこの地で冬を越すか。ここの冬は過酷であると聞く。食べ物もなくなり、凍てつくような寒さの中数ヶ月を過ごさなくてはいけない。
自分一人では結論が出せないと判断したバトは群れのリーダーであるタングに相談に行った。
タングも同じようにミカキの事を心配していたようだ。タングは参謀の一人であるナムゲルを呼んだ。ナムゲルの飛行には力強さがある。ナムゲルの元で飛行術を学んではどうかとタングは提案した。
その夜、バトはミカキにその話をした。
「ボク、ひとりで?」
ミカキは不安そうにバトに聞く。
「ミカキが行くなら、僕も行くよ」
そばで聞いていたリグジンが大きな声で言う。
「僕も修行したい!」
ジグメも負けずに言う。
「お前たちは食べ物を集めたりする必要がある」
なんと優しい息子たちだろう。
「わかった。じゃあ、ジグメと僕は交代でいこう。ミカキとジグメが修行している日は、僕がみんなの食べ物を集めてくるよ。次の日はミカキと僕が修行するから、ジグメが食べ物を集めておいてよ」
バトはその事をナムゲルに話に行った。ナムゲルは
「おやおや、弟子がいっぱいになるな」
と嬉しそうに言った。
「ただ、ひとりでふたりを見るのは少し大変なので、バトもきてくれるかい?」
ナムゲルは数年前、息子を山越えの時に亡くしていた。そのため、ナムゲルにとって若鳥を無事に山を越えさせると言う事は息子への弔いであり、宿命のように感じていた。
翌日からナムゲルによる飛行訓練が始まった。
訓練は2つ。長距離の飛行と高度の飛行だ。
初日はジグメとミカキが参加する。
まずは平坦な地で長距離飛行の訓練からだ。
「ゆっくりでいい。出来るだけ長く飛んでみよう」
ナムゲルに続いてミカキ、ジグメ、最後にバトが飛ぶ。ゆっくりと湖の周りを何周もする。
「もう疲れたよ」
先に音をあげたのは、ジグメだった。
「ははは、じゃあ少し休憩だ」
ナムゲルは笑いながら高度を下げ、草地に降りる。
「ミカキは上手く力を抜いて風に乗れている。同じ速度で飛べるのも体力を温存するのに素晴らしい。ジグメは速度が一定ではないから、加速するのに余計な力がかかって疲れてしまうんだと思うよ」
〈中途〉
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お題:飛べない翼
「ススキの穂はキツネのしっぽ♪」
こぎつねたちが楽しそうに歌いながら、ススキ野原にやってきた。
「何して遊ぶ?」
「おにごっこ!」
こぎつねのソウタは誰よりも素速い。誰もソウタに追いつけない。おにごっこしてもソウタはいつまでもつかまらない。
「ススキの穂はウサギのお耳♪」
こうさぎたちも楽しそうに歌いながら、ススキ野原にやってきた。
「何して遊ぶ?」
「かくれんぼ!」
こうさぎのフワリは誰よりも隠れるのが上手。誰もフワリを探し出せない。かくれんぼしてもフワリはいつまでもみつからない。
今日もソウタはひとりで駆ける。ひとりで駆けて風になる。
その時、ソウタはみつけた。一匹のこうさぎを。
「ウサギだ!みつけたらみんなに教えるんだった。でも、みんな僕を追いかけてこないしな…そうだ。ススキの穂を耳につけよう。しっぽは出来るだけ小さくして…。僕はウサギ!」
一方、フワリはひとりで隠れる。ひとりで隠れて風になる。
その時、フワリはみつけた。一匹のこぎつねを。
「キツネだ!みつけたらみんなに教えなくてはいけない。でも、みんな私を探し出せない。そうだ、ススキの穂をお尻につけよう。耳は出来るだけ小さくして…。私はキツネ」
ソウタはフワリに声をかける。
「何しているの?」
フワリはドキドキしながら答える。
「かくれんぼ。でも、誰もみつけてくるないの」
ソウタはフワリが答えてくれたので、自分がウサギに見えるんだと自信をもった。
「あなたは何をしているの?」
フワリもソウタが話かけてくれたので、自分がキツネに見えるのだと自信をもった。
「おにごっこ。でも、誰も捕まえてくれないんだ。一緒に遊ぼうよ」
「何して遊ぶ?」
「風遊び!」
ソウタとフワリは風になる。
風になってススキの野原を駆け回る。
ふたりで遊ぶのが楽しくて、時間を忘れて駆け回る。
「ソウタ〜、どこにいるの?帰るよ〜」
こぎつね達が呼んでいる。
「フワリ〜、どこにいるの?帰るよ〜」
こうさぎ達が呼んでいる。
「じゃあ、またね」
ふたりは声をかけあって、手を振りあって別れる。
「誰と遊んでいたの?」
こぎつね達がソウタにたずねる。
「知らないキツネの子」とソウタ。
「誰と遊んでいたの?」
こうさぎ達がフワリにたずねる。
「知らないウサギの子」とフワリ。
秘密の友達。秘密の遊び。
ソウタもフワリも秘密がちょっと嬉しくて、にこにこしながら帰っていった。
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お題:ススキ
私は22世紀のアーティストだ。
21世紀の前半までは筆や絵の具などを使っていたと聞いてる。
その後デジタル機器で作品を作るようになった。最初はペンやタブなどを使っていたらしい。自分が描きたいものを『描く』という表現力が不可欠な時代だった。
それが徐々に考えたものをAIに描かせるようになる。『描く』技術は不要になり、何を表現したいか、それがどれ程人々を惹きつけるのかということが重要になった。
作る作品についても変わった。現実と忠実に表現するようなものは芸術品としては認識されなくなった。ちょうど19世紀に写真が広まって肖像画が描かれなくなったように。
誰も見たことのないもの、誰も想像できないようなものに価値を見出されるようになった。
私は今まさに傑作を産み出さんとしている。
22世紀の今では脳波を読み取り、自分の考えたことが直接作品として出力されるようになっている。
どこに何色をおくか、どのようなタッチなのか、私は作品の細部まではっきりとイメージをしなくてはならない。私の作品の持ち味は幾何学的で豊かな色彩に彩られた曼荼羅のようなものだ。目には見えない世界を描きだしたいと考えている。
私が考えたことがそのまま作品になるため、絵を描く時はそれだけに集中しなくてはならない。目の前を猫が通れば猫のイメージが描かれる。やっているゲームの続きが気になれば、ゲームのキャラクターが現れる。お腹が空いたと思ってラーメンのことなんか考えたら、作品にラーメンが描かれる。そんな作品、誰も見たくない。
私は作品に集中できるように、ゲームをクリアし、部屋の物をを取払い、カーテンを締め切った。空腹を満たし完璧な状態にした。
それなのに、こうして余計な考えが次から次へと湧いてくる。
私の脳内で完成した作品は最高傑作だ。
ただ、私に足りないのは集中力だ。
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お題:脳裏
床に伏せて外を見ていると寒空に枯葉が舞っている
間も無く閉ざされた冬がやってくる
外を出歩くことすらままならないこの身体
自分の命が永くないことを悟っている
山の中にひっそりと佇むこの家には、旅人や商人が宿を求めて我が家へ顔を出すことがあった
彼らの語る煌びやかな都の様子や珍しい土地や生き物たち、そんな話を聞くのが大好きだった
その後、彼らはどの様な人生を歩んだのだろう
彼らもすでにこの世を去っているのだろうか
チテチテとかわいらしい足音が響く
孫娘の寧音だ
手にもった紅葉や銀杏の葉を、私の枕元に並べる
「とてもきれいね」というと、にかっと小さな歯を見せて笑う
ひとりでこの世にやってきて、ひとりでこの世を去る
孫や子どもが産まれた時、どんなに嬉しかったことか。どんな気持ちで赤子を迎え入れたことか。
私がこの世を旅立った後、先に旅立った家族たちが笑顔で迎えてくれるのではないだろうか
『誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに』
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お題:意味がないこと
「意味があること」「意味がないこと」、それを分けること自体が無意味なのかもしれない