微睡 空子

Open App
12/18/2024, 10:46:48 PM

18

「寒いッッッ!!!!!!」

大きく山のように丸く膨らんだ毛布から渾身の一声が聞こえた。
「おい、そろそろ起きろ。せっかくの休日が台無しになるぞ」
ゆらゆらと湯気が立ち昇る珈琲を一口飲みながらそう声を掛けてみるものの、毛布山はモソモソと動いたのみで、一向に中身が出てくる気配は無い。
俺はマグカップをテーブルの上に置くと、一度小さく溜息を吐きながら毛布の山へと近付いた。
「―――ほう。俺を無視するとは良い度胸だ」
俺は一言そう言うと、毛布山めがけて思い切り回し蹴りをお見舞いした。
山の奥から「ぐえっ」という奇声が発せられる。
「痛ェじゃねーか!何すんだよ!!」
そう叫びながらようやく出てきた大男は、肩程まである黒髪を掻き上げながら俺を仰ぎ見た。
俺は「ふん」と小さく毒づき、男の額に人差し指を立てる。

「翔(かける)がいつまでも起きないからだろう。先週は風邪のせいで何もできなかったからな。今日こそはやるぞ」
「やるぞ…って、まさか……七星(ななせ)お前…」

翔がゴクリ、と喉を鳴らしながら毛布を退かし立ち上がる。
俺は縦に頷き、腰に手を当てた。

「そうだ。今日こそはやるぞ―――年末最後の禊…大掃除を!!!!」


―――


「嫌だ…やりたくねーよう…なんで大掃除と冬はセットみたいになってんだよ…寒いんだから冬と一緒にじゃなくてもいいじゃねーか…春秋くらいが丁度いいのに…」
「文句を言うな。やらなければ終わらないだろう。念の為言っておくが大掃除が終わらなければ他の全てはお預けだからな」

二人で掃除を分担しながらも、この期に及んでまだ及び腰の翔に俺はちくりと一言刺しておく。
「何だと…!?全部、お預け……!?」
其れは困ると言わんばかりに翔は窓を必死に拭き始めた。
「…それにしても」
俺は塵取りに溜まった埃を見、溜息を吐いた。
「一年でこんなに汚れが溜まるんだな」
「そう、だな」
キュッキュッと心地良い音を立てながら翔は答えた。

「ま、でもそれだけこの家で俺と七星が過ごした色んな想い出も沢山あるって事だな!!」
「…っ!」
俺は己の顔が熱くなるのを感じて思わず下を向いた。
「お?七星、お前照れてるのか?」
「…っ!煩い!さっさと終わらせるぞ」

今年の冬は、君と一緒に。

12/17/2024, 4:44:57 PM

17

「おかえりなさい、今日もお仕事お疲れ様でした。翔珸(ひゅうご)達には先に休んで貰いました。今朝も早かったですから」


八雲翠(やくも すい)は普段と変わらず柔らかな声でそう言いながら夫を出迎えた。

「ただいま。遅くなってすまなかったな」

申し訳なさ気に八雲弦狼(やくも げんろう)がそう言うと、翠は穏やかな笑みを浮かべ「いいえ」と首を振った。

「毎月この頃はいつも大変ですものね。本当に遅くまでお疲れ様でございました―――ご飯は獅子戸(ししど)さんと東城(とうじょう)さんと食べていらしたのですよね」
「いや、獅子戸だけだ。東城はツレと約束があったようでな」

退勤後、凄まじい速さで帰っていった東城を見送った後、八雲は獅子戸を連れ行きつけの和食屋へと赴いた。
その後、電車に乗り帰宅の途に着いた獅子戸と別れ、八雲は家まで歩いて帰ってきたのである。

「東城さんのツレ……四ノ宮くんですね。本当に仲睦まじい」
「そうだな―――でも負けてないだろう?」
弦狼はそう言って妻の頭を撫でる。
翠はくすぐったそうに照れた笑いを見せた。

弦狼と翠は一回り以上離れている。
念願叶って二人が婚姻出来たのはつい五年程前の事であるが、この数年で二人の環境は其々とてつもなく大きく変わった為、まさに激動の年月を過ごしたといえる。
その間、二人は互いに相手をよく支えていた。

「―――でも本当に意外ですわ。あの四ノ宮くんがまさか誰かと付き合って同棲しているなんて―――」

翠は顎に手を当て眉間に皺を寄せながら訝しげにそう言った。
「確かに意外ではあるな…」
弦狼は上着を脱ぎながら、以前ちらりと見た四ノ宮七星(しのみや ななせ)を思い出す。
木蘭の髪、氷の如き冷たい翡翠の眼。どこか中性的な美しい顔立ち。
あのような者は己も周りも相当な苦労があるだろう、と当時思ったものだ。

「四ノ宮七星が翠のところで働いておった時は、とても誰かと付き合うようなタイプには見えなかった―――しかも言ってはアレだが、あのような正反対のタイプと…」
弦狼の頭の中に東城翔(とうじょう かける)がドン、と浮かぶ。

とにかく威勢が良い、ガタイが良い、元気の塊、自信の擬人化。
勿論かなりの良い奴であって、人に優しく、自ら進んで人を助けに行くような奴である。それでいて、つい本人の勢いで忘れそうになるのだが、黙っていればかなりの色男である。漆黒の髪に煤竹色の瞳。男らしいはっきりとした顔立ちで、目は切れ長で色気がある。

(…尤も、以前の奴はあんな風ではなかったがな。環境が奴を変えたか、それとも―――)


弦狼の眼がスッと細まる。


鼻を覆っても溢れ出す血の匂い。
幾重にも重なる、空気を切り裂く断末魔。
最期の瞬間、こちらを視るあの眼―――


「―――旦那様」
腕に温かな感覚がして弦狼はハッと我に返った。 
すぐ横で翠が腕に縋り付き、心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫でございますか…?」

弦狼はゆっくりの微笑みながら翠の頬を撫でた。
「すまぬな―――大丈夫だ。少し、昔の事を思い出しただけだからな」
「旦那様―――」

あの頃に比べれば、今の日々の何と穏やかな事か。
このように己を慕ってくれる妻と、こうしてとりとめのない話をして、穏やかな時間を共有して。

(―――そうだ。あれはもう過去の話だ。儂も東城も獅子戸も、光の中で生きていける)

弦狼は瞼を閉じると、妻の額にそっと口付けをした。


外では、雪の音が静かに夜を覆っている。

12/16/2024, 12:08:25 PM

16

「へぇっっっくしょぅぅううううい!!!!!!!」


獣の咆哮とさえ思う程のくしゃみは部屋中に響き渡り、それどころか少しばかり壁を振動させた。
「昨夜の散歩が効いたか。寒かったからな」
俺は掛け終わった掃除機を片付けながらベッドに向かい声を掛ける。
「いや、最近結構残業してたから…ぶええっくしょうううい!!!…そのせいじゃねえかなあ」
東城翔(とうじょう かける)はそう言うとずず、と鼻を啜った。

今朝俺が起きた時には既にこのような状態になっていた。
正直、このような野生児でも風邪を引くのかと少しばかり、いや相当驚いたものだ。だが普段どおり気丈に振る舞う傍ら、時折だるそうな表情を浮かべている辺りやはり辛いのであろう。

(昨日、俺がイルミネーションを見たいと言ってしまったからだな)

原因の一因は己のせいであると思うと心が痛んだ。

(―――そうだ)

俺はふと思い立ち翔のほうへと近づく。
「お?何だよいきなり」
翔はベッドから半身を少し起こしこちらを見た。
「あー…そ、その、だな」
俺は目を逸らし少し吃った後、翔の目を見、口を開く。

「…今日は好きなだけ俺に甘えて良い」

「―――??」

翔は驚きの表情を浮かべこちらを凝視している。
俺は途端に恥ずかしくなり顔を背け、そのまま言葉を続けた。

「翔が風邪を引いたのは昨日散歩に付き合わせた俺の責任でもある。だから今日は何でも言うといい。俺が出来る事であれば、何でもしてあげるよ」

「………何でも、か?」

「ああ、勿論俺が出来る範囲ではあるが―――ッ!??」

そう言いかけた時、突如腕をぐい、と引っ張られ俺はベッドへ転がり込んだ。
目の前には服越しにも分かる厚い胸板。俺はそのまま目線を上に移した。
煤竹色の瞳が、俺をじっと見下ろしている。

「―――おい、七星(ななせ)」
そう口を開きながら翔はぐっと顔を近付けた。


「他の奴にはぜってえそれ言うなよ。お前からその言葉を聞けるのは、俺だけだ」


目を少し細めこちらを見つめる翔は、風邪のせいなのか少し熱っぽい。
俺は自分でも驚く程のか細い声でああ、と答えると、煩い心臓の鼓動を抑えるようにぎゅっと目を閉じた。
「―――七星」
手首を握られたまま、もう片方の手が頬から顎をなぞる。
閉じた瞼越しに、翔の息遣いが近付くのを感じた―――。


「………っ!ぶええええっくしょおおおいいい!!!」


鼓膜が破れるかのようなくしゃみの咆哮。

俺は目を開け起き上がると、サイドテーブルに置いてあったティッシュの箱を掴み、目の前の男めがけて思い切り投げつけた。

12/15/2024, 4:37:34 PM

15


吐いた息が白煙となって夜空へ吸い込まれていく。

凍てつく夜。遠くに眺める電車の走行音が、また一つ遠ざかるのを聞いていた。


―――


「くそっ!仕事がっ!!終わらねえっっ!!!」

東城翔(とうじょう かける)は唸るようにそう叫びながらダンダンとキーボードを叩いている。
余りの勢いで東城が座る机や椅子までもが揺れており、その様はデスクワークをしているのか格闘技をしているのか分からぬ程であった。
獅子戸雷生(ししど らいせい)は横目でその様を見ながらフン、と鼻で嗤う。

「情けねえな、これしきの事でギャーギャー抜かしやがって」
「ああ!?」

打つ手を止めぬままこちらを見、東城が唸った。

「お前だって終わってねーじゃんか!」
「うるせえゴリラは黙ってろ!」
「ゴリラはお前だろ!このゴリラ!!」

十二畳ほどのオフィス内に二人の大男の怒鳴り声が響き渡る。

「全く―――いい加減にせんか、大の大人が子供じみた喧嘩なんぞしおって」

ピンと空気を静かに切り裂くような、はっきりとしたその声に二人は瞬時にピタリと口を閉ざした。
前方に座り、もはや塔と化した書類の山に囲まれたその男は、鋭い目を少しばかり細めながら二人を凝視している。

―――銀の髪に至極の瞳、覇たるその力を以って狼将と称す。
かつてそう称えられたこの男は、今なおその威厳は衰えていない。
八雲弦狼(やくも げんろう)。二人の上司である。

「八雲隊長ーーー」
「隊長は止せと言っているであろう。今は只の科長だ。…にしても東城」
八雲は東城を見遣る。
「さっきから何をそんなに苛立っておるのだ。毎月この時期はいつもこれくらいの忙しさだろう?」
東城はそれを聞くと「あー…」とやや恥ずかし気に目を逸らした。

「いや…実は今日、ツレと約束がありまして」
「はあ?」

今がその時と言わんばかりに、獅子戸はすかさず東城に向かい唸った。
「ふざけてやがるな貴様………この時期だからってさてはイルミネーションでも見に行くつもりか…!?あれだろ、どうせ今日から始まった駅の通りのすげぇやつでも見に行くつもりなんだろうな?くそが…仕方ねえから祝福しといてやる、感謝するんだな!!」
「うるせーな!情緒どうなってんだよお前!!…まあイルミネーションってのは半分当たってるんだけどな。遠くから少しだけ見るんだ」
ほう、と八雲は顎に手を当てた。
「そうか、お相手に合わせて…という訳か」
「はい!…なので早いとこ終わらせねえと待たせちまうんですっ!!」
そうして東城は再び轟音を鳴らしながらキーボードを打ち始めた。
(八雲隊長は東城のツレをご存知なのか。にしても"お相手に合わせて"ってどういう事だ…?)
獅子戸はふとそう思ったが、己も仕事がまだまだ山積みである事を思い出し再び仕事に戻った。



「終わったあああ!!!お疲れ様でしたああまた来週!!!!!!」
暫く経過した後、そう叫びながら走り去っていった東城の背を眺めながら獅子戸は伸びをした。

「ったく騒がしいやつだ……八雲隊長、お疲れ様でした。ようやく今日も終わりましたね」
「隊長は止せと言っているだろう。…然し全くだ。獅子戸も疲れたろう」
「いえ……あ、そういえば八雲隊長。隊長は東城のツレが誰がご存知なんですか?」
ああ、と八雲は帰り支度をしながら答える。

「覚えているか。以前うちの会社の研究開発部に稀代の天才と呼ばれていた社員がおっただろう」
「稀代の天才……」

勿論知っている。社内ではかなりの有名人で、この会社に三人で異動になったその日に見かけ、周りの社員達が噂しているのが記憶に残っている。
「覚えていますよ。頭脳明晰、明察秋毫、仕事スゴ出来。しかも滅茶苦茶キレイな顔の男ですよね?」
「そうだ。あまり人の名を覚えない獅子戸でもさすがに覚えておったか!」
そう言って八雲は大きく笑った。
本当に、天は二物を与えるものなのかと当時は思ったものだ。
あのように全てを持った男は後にも先にも見たことがない。


「……え?まさかそいつじゃないですよね?」


―――

「七星!!」
よく馴染みのある声で己の名を呼ばれ、四ノ宮七星(しのみや ななせ)はゆっくりと振り返った。
「翔」
「すまん!遅くなった…!」
翔はそう言って両手を合わせる。
「別に構わない。元々遅くなるのは予め予測していた」
いつも翔は毎月この時期には忙しくなるのだ。

二人は繁華街から少し離れた、人通りの無い橋を並んで歩いていく。
「お!!良く見えるじゃねーか」
翔は繁華街の方角を指差しなから言った。
色とりどりの眩しい光。遠く離れた場所から見る其れは、まるで星の瞬きのように美しい。
「…これであとは、雪が降れば何も言うことは無いな」
七星はぽそり、とそう呟いた。
「雪か。今日そういえば降る予定だったな」
喧騒から離れた暗闇の中。遠く眺める光に白い結晶が降り注いだら、其れはどんなに美しいだろう。
「…少し、お前には似合わないかも知れないがな」
「なんだと!?俺だってこう見えて繊細な美しさの分かるエモーショナル男なんだぜ!?」


二人並ぶ帰り道、自然と頬は綻んだ。

凍てつく夜空、雪を待つ日。

12/12/2024, 4:14:28 PM

14

薄暗闇の中で見るその寝顔が好きだ。

普段は言動がとにかく煩すぎるのも相まってそこまで気持ちが行き届かない事も多いのだが、そもそもこの男は客観的視点で言えば結構な男前の分類である。

はっきりとした男らしい顔立ちで、すっとした目は所謂大人の色気がある。それでいて、これは本人には言いたくないのだが、笑った顔は見ているこちらまで明るい気分にさせる魅力がある。

だが、この男は何も考えていないように見え、実は寸分の隙も無い聡い男である。

それはかつての仕事がそうさせるのか―――

時折ごく稀に、この男はその煤竹色の瞳に鋭い眼光を宿す。
その瞬間は、いつもうるさく叫び笑っているこの男とは全くの別人かの如く、冷徹な顔を覗かせる。

俺は、それが大嫌いだ。

俺の知らない世界を視ているから。
突然遠くに突き放されたような感覚を覚えるから。

カーテンから差し込む月光を背に眠る男の顔をそっと覗き込む。
柔らかな表情。普段の笑顔ともあの冷たい顔とも違う、とても穏やかで優しい顔。


数々の表情、与えられた言葉、何気ない仕草―――それら無数の乗法から人間は、互いに想い合っているという確証を得る為の"心と心の証明"を得たがる。


心と心の証明。不安定且つ限りなく不明瞭なものである。だが、そんなものに安心感と幸福を覚え縋り付く俺は、己が思っているよりもこの男に依存しているのかもしれなかった。

Next