微睡 空子

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12/11/2024, 3:46:53 PM

13

「ただいまー!戻ったぜ」
そう言って元気良く扉を開けたものの、部屋は暗く物音の一つもしなかった。

俺は一先ず玄関の明かりを付けると、ポケットに入れていたスマホを取り出し、時間を確認する。
19時32分。普段この時間にはあいつはもう帰っているはずである。
そのままメッセージを確認したが、何の通知もない。
俺はそのまま目線を下に落とした。茶色の革靴がきっちりと揃えられ置いてある。

―――という事は―――。

俺は目線を廊下の奥にあるリビングへと移す。
開け放しのカーテンからは藍色の空が覗いている。部屋は暗く、ほとんど何も見えなかった。
俺は暫くその場で考えたのち、普段よりもなるべく静かに靴を脱ぐと、そのまま廊下をそっと進む。
そうして出来る限り静かにリビングへと入ると、俺は部屋の隅へ視線を移した。

頭から毛布を掛け、一人うずくまっている影。
俺は部屋の電気を暗くしたまま、そちらへとゆっくり近付いた。

「―――帰ったのか」

毛布の隙間から顔を覗かせ、そいつはぽそりと口を開いた。 

「ああ、今帰ったぜ。遅くなってすまねえな」
「―――別に。いつもこれくらいだろう」

俺はそいつの前まで来ると、なるべく物音を立てぬようにゆっくりと近くに鞄を置き、その場に屈んだ。
すぐ近くにあるそいつの綺麗な顔は毛布に半分ほど隠れていたが、長い睫毛に囲まれた翡翠の瞳は普段よりも弱弱しい光を湛えていた。
毛布を握るその手は変わらず白かったが、指先は少し赤かった。

「今日は寒ぃな。もっと厚いコートでも着ていけば良かったぜ」
「年がら年中同じ格好でいるくせに。―――ココアでも淹れる。待っていろ」

そいつはそう言うと、被る毛布を取ろうと頭に手を伸ばした。
白く細い指が僅かに震えている。
俺はその手をそっと掴み、ゆっくりと下へ降ろした。

「良い。そんな事は後で俺がやる」

そいつは一瞬息を詰まらせた後、俺の手をぱっと振りほどいた。 

「余計な気を遣うな。俺は大丈夫だ」

そいつがそう気丈に言い放って立ち上がろうとした瞬間、外から突如車のクラクションが鳴り響いた。
びくり、とその細身の身体が揺れる。両耳を手で塞ぎ、その美しい顔面を苦しみで歪めている。

「―――こんな日、今までだって何回も乗り越えてきた。大丈夫だ、何ともない」

己に言い聞かせるようにそいつはそう言うと、震えるその手を耳から離した。

瞳が揺れている。
こんなにも辛いであろうに、己の内から来る苦しみに懸命に耐えるのか―――

俺は一歩そいつに歩み寄る。
そうして己の手でそいつの両耳をそっと塞ぐと、その翡翠の瞳をじっと見つめた。

「おい―――」
「なあ、今日は寒いんだ。もう少し、お前にくっつかせてくれよ」

そう言って俺はそいつの後ろにそのまま回り込み、毛布を再び頭に被せ震えるその背中をそっと抱きしめた。

「やっぱあったけえな、くっついてると」

「………ばか」


冬の澄んだ星空が、窓の外で輝いていた。

12/7/2024, 3:46:03 PM

12

物心ついた頃から"苦手な音"というものが存在する。


例えば身近な音であれば『ハンドドライヤーの音』『人混みの喧騒』等がそれにあたる。
レアなケースでいえば『神社に初詣に行った際に流れている笙の音』であろう。

それらの音が鼓膜を震わすと、途端に身体の内側から何かにかき混ぜられているかのような得体の知れぬ気持ち悪さ―――不安感がぶわり、と湧き上がってくる。

頭の中はその音を一刻も早く遮断したいという思考でキャパオーバーを起こし、何にも手がつかなくなる。


いい大人になった今では、さすがにその場にうずくまり何もできなくなるといった事はなくなった。予防策も、例えば外出時は耳栓代わりにイヤホンを付けていく等、自分をコントロールするべく様々な策を講じている。
だが、それらの音を聞いた際の不安感は変わらず有り、部屋に戻った後は暫く気持ちを元に切り替えられない。


今日は図らずとも、イヤホンの電源が途中で切れてしまった。


人混みから急いでマンションの部屋に逃げてきたのだが、それでも気持ちは切り替えられない。
俺は部屋の片隅に一人うずくまった。

―――あの男が、早く帰ってきたら良いのに。

12/5/2024, 11:38:13 AM

其れは恐ろしい夢である。

覚醒めようとしても覚醒められぬ。
夢の中で何度も覚醒めようとするのだが、その度に夢の中へと引き戻されてしまう。
一生このまま覚醒められぬのではないか―――
そのような恐怖が脳髄を支配するのだ。

毎夜毎夜、眠れぬほどに夢を視る。

もしかすると、この現実こそが夢であるのかも知れない。

もしくは、夢と現の境目なんて存在せず、すべては只の妄想なのかも知れない。

いずれにしても
この
夢を止める 方法を

見つけなくては。


夢に囚われ、今度こそ二度と眠れなくなってしまうその前に。

12/4/2024, 2:08:45 PM

11

ゴリゴリゴリゴリ―――――

部屋中に響き渡る聞き慣れたはずのその音が、何故か今日はいつもよりも相当に煩く感じる。

「おかしいな。自分で珈琲豆を挽く時よりも音が大きく感じるのだが―――」
「えー?何だってー!?」
音が煩すぎて聞こえないらしい。
もう夏はとうに過ぎ去ったというのに、男はタンクトップ一枚でミルを力の限り回している。

―――そんなに力を入れたら壊れるんじゃないか…?

そんな一抹の不安を抱えながら男の姿をソファに座りながら眺めていたが、不意にパンツのポケットに振動を感じ、俺はスマホを取り出し通知を確認した。

仕事のメールである。俺は暫くそれを眺めた後、ひとつ溜息を吐くとそのままスマホをポケットの中へと戻した。

「仕事のメールか?」
「ああ。―――全く、緊急性も無いのだからこういう事は休み明けにしてほしいものだ」

休暇中に仕事の事を考えるのは無駄であると思っている。何故なら、そこに給料は存在しないからだ。
しかも疲れる。休暇まで仕事の事を考えたくない。

「あっはっはっ…!でもそうだよなあ。休みを仕事に邪魔された気するもんな」

男はそう言いながらマグカップを二つ乗せたトレーをこちらへ運んで来た。
珈琲の良い香りが広がる。
「ほら、飲んでみろよ。どうだこの俺のグレートな腕前は」
俺は取手を持ち、ひとくち口に含んだ。苦味の中に華やかな酸味が広がる。
「…腕を上げたな」
「だろ!?一緒に住み始めて半年間、お前から散々あーでもないこーでもないって叩き込まれたからな!」
男はそう言うと高らかに笑った。

―――そうか。もう半年経つのだな。

この半年は日々の忙しさの中で、とても穏やかに過ぎていったように感じる。
まるで現の中で見る夢のように。

「…それと、な。さっきの仕事に休みを邪魔されるって話だけどよ」

突如男は己のマグカップをテーブルに置くと、俺のすぐ隣に座り直し、ぐいとこちらへ顔を近づけた。


「お前との時間を何かに邪魔されんのは嫌で嫌で仕方がねえ」


「―――!!!」


何か言わなければ、と口を開いたが頭の中が煩すぎて声が出ない。
俺は思わず目線を下へ落とした。

「おい、目、逸らすなよ。こっち見ろ」

「……っ!」

男は俺の顎をくい、と上げると、煤竹色の深い目で俺の視線を捕らえた。


時計の針の音が部屋に響く。
遠くで街の喧騒が聞こえる。けれど部屋を染める夕焼けはどこか非現実的だ。



今、この瞬間。夢と現実の境目は存在しない。

12/3/2024, 5:06:15 PM

10

電話を切った後の部屋の静寂が嫌いだ。

毎日大体22:30頃から通話し始め、約1時間後に終える。
そうなると既に深夜とも言っていい時間帯となっており、住宅街の一角に建つこのマンション周辺はシンと静まり返る。

元々、俺は騒がしい場所は好きではない。
だが―――

「お前が騒がし過ぎるせいだな」

枕元に置いたスマホを眺めながら俺はぽつりとそう呟いた。
『あぁ?何だよいきなり』
スピーカーモードにしているせいか、男の騒がしい声もなお一層ボリュームを増している気がする。

「…何でもない。気にするな」
『気にするなって言われてもな………あっ!そうかそうか…分かったぜ…!!』

随分得意げな声で男は電話の向こう側からそう言った。

『さてはお前、俺と電話切るの寂しいんだろ。
そうだよな、分かるぜお前の気持ち…!!俺のボイスって太陽みたいなもんだもんな。太陽沈む時、寂しいもんな!!!』

そう言って男は深夜だというのに元気良く高笑いした。
本当に調子の良い男である。

「お前のその元気はいつもどこから来るんだ、全く」
『お、否定しねーのな。やっぱ寂しいって思ってくれてんのか?お??』
「煩い黙れ。調子に乗るな」
『ったく厳しいねえ。素直じゃねえんだから』

男は残念そうにそう言うと少し間を置き、軽く咳払いした。

『…俺の元気の元はな、勿論この毎日の電話に決まってるだろ』

言わせんなよ、と男は柄にもなく小さい声でそう呟く。


「………ふ」

『あっ!お前今笑ったろ!?くそ、せっかく人が気持ちを伝えたっつーのに…!』

「笑ってない。ただ…そうだな……うむ」

こそばゆい感じがして上手く言い表せない。
―――だが。

「………なあ」
『ん?どうした?』

俺はふう、と一呼吸置いてから口を開いた。


「今日は、もう少しこのままでいてくれないか。眠りにつくまで……もう少し……このままで」


まだ、今は、今日を、この時間を、終わらせたくないから。

だから今日はこのまま、一日を終わらせるさよならは言わないで。

『……お前、ほんとそういうところズルいよな』
「…煩い」

俺は口元を緩めながらそう言うとそっと目を閉じた。

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