微睡 空子

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ゴリゴリゴリゴリ―――――

部屋中に響き渡る聞き慣れたはずのその音が、何故か今日はいつもよりも相当に煩く感じる。

「おかしいな。自分で珈琲豆を挽く時よりも音が大きく感じるのだが―――」
「えー?何だってー!?」
音が煩すぎて聞こえないらしい。
もう夏はとうに過ぎ去ったというのに、男はタンクトップ一枚でミルを力の限り回している。

―――そんなに力を入れたら壊れるんじゃないか…?

そんな一抹の不安を抱えながら男の姿をソファに座りながら眺めていたが、不意にパンツのポケットに振動を感じ、俺はスマホを取り出し通知を確認した。

仕事のメールである。俺は暫くそれを眺めた後、ひとつ溜息を吐くとそのままスマホをポケットの中へと戻した。

「仕事のメールか?」
「ああ。―――全く、緊急性も無いのだからこういう事は休み明けにしてほしいものだ」

休暇中に仕事の事を考えるのは無駄であると思っている。何故なら、そこに給料は存在しないからだ。
しかも疲れる。休暇まで仕事の事を考えたくない。

「あっはっはっ…!でもそうだよなあ。休みを仕事に邪魔された気するもんな」

男はそう言いながらマグカップを二つ乗せたトレーをこちらへ運んで来た。
珈琲の良い香りが広がる。
「ほら、飲んでみろよ。どうだこの俺のグレートな腕前は」
俺は取手を持ち、ひとくち口に含んだ。苦味の中に華やかな酸味が広がる。
「…腕を上げたな」
「だろ!?一緒に住み始めて半年間、お前から散々あーでもないこーでもないって叩き込まれたからな!」
男はそう言うと高らかに笑った。

―――そうか。もう半年経つのだな。

この半年は日々の忙しさの中で、とても穏やかに過ぎていったように感じる。
まるで現の中で見る夢のように。

「…それと、な。さっきの仕事に休みを邪魔されるって話だけどよ」

突如男は己のマグカップをテーブルに置くと、俺のすぐ隣に座り直し、ぐいとこちらへ顔を近づけた。


「お前との時間を何かに邪魔されんのは嫌で嫌で仕方がねえ」


「―――!!!」


何か言わなければ、と口を開いたが頭の中が煩すぎて声が出ない。
俺は思わず目線を下へ落とした。

「おい、目、逸らすなよ。こっち見ろ」

「……っ!」

男は俺の顎をくい、と上げると、煤竹色の深い目で俺の視線を捕らえた。


時計の針の音が部屋に響く。
遠くで街の喧騒が聞こえる。けれど部屋を染める夕焼けはどこか非現実的だ。



今、この瞬間。夢と現実の境目は存在しない。

12/4/2024, 2:08:45 PM