9
『裏表のない』とよく云われる。
確かに我ながら性格は捻くれてはいないと思う。何故なら常に己の肉体を鍛えてきたからだ。肉体の強さは内面の強さ、やはり筋肉こそが総てを支配し凌駕するのである。
ただ、裏表がないというのとは少し違う。
確かに俺は大概の事に対して寛容である。
だが―――
こいつの事となるとそうもいかない。
好きな事をして自由に生きて欲しいと思う反面、嫉妬もするし、独占したくもなる。
否、そんな生易しいものではなく、もっと汚く暗い感情を持つことさえある。
俺以外の奴の事を考えないで欲しい。
どうかその声を、目線を、他のやつに与えないで欲しい。どうか俺以外の事で悩まないでくれ。もしもお前でも泣くことが有るのならば、その涙の理由は俺だけであってほしい。
こいつの総てを俺だけにしてしまいたい。
けれど其れは望みであって望みでは無い。そんな風に俺だけに染まったあいつは俺の愛するこいつではない。
―――悩ましいぜ、全く。
俺はその細身ながら筋肉の程よくついた背中をそっとなぞった。
寝息が乱れ、少しぴくりと痙攣する。
罪悪感と優越感に心が満たされてゆく。
―――俺はこの先もずっとこうして生きていくのだ。
二つの相反する感情。
光と闇の狭間で。
8
「よ……よお………ひ…久しぶり……だな…」
肩で息をしながら苦しそうに男が言う。
冬だというのに額には汗が滲んている。相当急いで来たのであろう。
「いや、一昨日会ったばかりだろう」
俺はそう言いながら玄関の中に男を招いた。
「しかもその前日も会っているじゃないか」
「分かってねえな……別れた瞬間から久しぶりへのカウントダウンは始まってんだよ」
男は黒のレザージャケットを脱ぎながらそう言った。
白のタンクトップが姿を現す。もう冬だというのにその格好は無いだろう―――俺はそう一瞬思ったが、よくよく考えてみればこの男、真夏でも今とほぼ同じような格好である。
「とはいえ―――」
俺が男のジャケットをハンガーに掛けながら口を開いた。
「さすがにほぼ毎日往復50キロの距離を駆け足で行き来するのは大変すぎやしないか…?」
男はソファにどかりと座りながら「でもよ」と話し始める。
「仕方ねえじゃねーか。お前は仕事変えたばっかで今こっちに来る余裕ねーだろ。そうしたらこの俺が行くしかねーよ。その……文章だけじゃなくてちゃんと話したい事だってあるだろ」
「いや、電話は毎日してるだろ」
「そういう問題ではなーーーーーい!!!!!」
男は立ち上がり叫んだ。
「いいか?人間ってのはな、顔と顔を合わせて対話するっつーのが一番分かり合えんだよ。物理的距離は心の距離!!覚えとけ!!!」
俺は珈琲の入ったマグカップを男と自分の前に置いた。
なるほど、確かに言わんとしている事は正しい。対話において、言葉よりも意味を持つのは目線や表情だ。
そういったものを互いに観察し、相手の真意を理解し合う事こそ互いの存在そのものへの理解を深める。
―――本当にいつも柄にもなく物事の本質を良く捉えている男だ。
俺は珈琲を口に含む。そうして、マグカップ越しに男の姿を改めて観察した。
この男はとても真摯だ。優しく、全てを包みこみ、常に真っ直ぐで人を疑う事をしない。
だが、決して盲目的という訳でもなく、世の中の事象を正しく捉えており、それに対する己の意見もしっかり持っている。
それに何より―――
男は再度座り、珈琲を飲みながらも片手でパタパタと顔を仰いでいる。未だ暑いのだろう。何せ、この距離を走ってきたのだから―――
「―――であるならば」
俺は暫く考えた後ゆっくりと口を開いた。
「この家に住めば良いじゃないか」
男の口から含んだ珈琲が飛び出すのを、俺は静かに見ていた。
泣かないで なんて言わないで
ただ今は 私の全てを抱きしめていて
桜の花散る狭間 目と目奪われ
陽射し降り注ぐヒマワリ畑 手と手取り合い駆け回った
長くなる影二つ 木枯らしの冷たさが切り裂いても
凍てつく寒夜 長き闇路 駆け出して
互いを篝火に 雪空に堕ちる
想い馳せ爆ぜ巡り会い
冬のはじまり
仄かに残る温もりの残渣を騙って
無数の記憶が散らばる電脳世界
都合の良い貴方だけを集めたら
脳髄で組み立てる 私だけの貴方
記憶をも溶かす甘い微熱が
その笑顔も 言葉も
貴方の全てを真実にしてゆくから