13
「ただいまー!戻ったぜ」
そう言って元気良く扉を開けたものの、部屋は暗く物音の一つもしなかった。
俺は一先ず玄関の明かりを付けると、ポケットに入れていたスマホを取り出し、時間を確認する。
19時32分。普段この時間にはあいつはもう帰っているはずである。
そのままメッセージを確認したが、何の通知もない。
俺はそのまま目線を下に落とした。茶色の革靴がきっちりと揃えられ置いてある。
―――という事は―――。
俺は目線を廊下の奥にあるリビングへと移す。
開け放しのカーテンからは藍色の空が覗いている。部屋は暗く、ほとんど何も見えなかった。
俺は暫くその場で考えたのち、普段よりもなるべく静かに靴を脱ぐと、そのまま廊下をそっと進む。
そうして出来る限り静かにリビングへと入ると、俺は部屋の隅へ視線を移した。
頭から毛布を掛け、一人うずくまっている影。
俺は部屋の電気を暗くしたまま、そちらへとゆっくり近付いた。
「―――帰ったのか」
毛布の隙間から顔を覗かせ、そいつはぽそりと口を開いた。
「ああ、今帰ったぜ。遅くなってすまねえな」
「―――別に。いつもこれくらいだろう」
俺はそいつの前まで来ると、なるべく物音を立てぬようにゆっくりと近くに鞄を置き、その場に屈んだ。
すぐ近くにあるそいつの綺麗な顔は毛布に半分ほど隠れていたが、長い睫毛に囲まれた翡翠の瞳は普段よりも弱弱しい光を湛えていた。
毛布を握るその手は変わらず白かったが、指先は少し赤かった。
「今日は寒ぃな。もっと厚いコートでも着ていけば良かったぜ」
「年がら年中同じ格好でいるくせに。―――ココアでも淹れる。待っていろ」
そいつはそう言うと、被る毛布を取ろうと頭に手を伸ばした。
白く細い指が僅かに震えている。
俺はその手をそっと掴み、ゆっくりと下へ降ろした。
「良い。そんな事は後で俺がやる」
そいつは一瞬息を詰まらせた後、俺の手をぱっと振りほどいた。
「余計な気を遣うな。俺は大丈夫だ」
そいつがそう気丈に言い放って立ち上がろうとした瞬間、外から突如車のクラクションが鳴り響いた。
びくり、とその細身の身体が揺れる。両耳を手で塞ぎ、その美しい顔面を苦しみで歪めている。
「―――こんな日、今までだって何回も乗り越えてきた。大丈夫だ、何ともない」
己に言い聞かせるようにそいつはそう言うと、震えるその手を耳から離した。
瞳が揺れている。
こんなにも辛いであろうに、己の内から来る苦しみに懸命に耐えるのか―――
俺は一歩そいつに歩み寄る。
そうして己の手でそいつの両耳をそっと塞ぐと、その翡翠の瞳をじっと見つめた。
「おい―――」
「なあ、今日は寒いんだ。もう少し、お前にくっつかせてくれよ」
そう言って俺はそいつの後ろにそのまま回り込み、毛布を再び頭に被せ震えるその背中をそっと抱きしめた。
「やっぱあったけえな、くっついてると」
「………ばか」
冬の澄んだ星空が、窓の外で輝いていた。
12/11/2024, 3:46:53 PM