15
吐いた息が白煙となって夜空へ吸い込まれていく。
凍てつく夜。遠くに眺める電車の走行音が、また一つ遠ざかるのを聞いていた。
―――
「くそっ!仕事がっ!!終わらねえっっ!!!」
東城翔(とうじょう かける)は唸るようにそう叫びながらダンダンとキーボードを叩いている。
余りの勢いで東城が座る机や椅子までもが揺れており、その様はデスクワークをしているのか格闘技をしているのか分からぬ程であった。
獅子戸雷生(ししど らいせい)は横目でその様を見ながらフン、と鼻で嗤う。
「情けねえな、これしきの事でギャーギャー抜かしやがって」
「ああ!?」
打つ手を止めぬままこちらを見、東城が唸った。
「お前だって終わってねーじゃんか!」
「うるせえゴリラは黙ってろ!」
「ゴリラはお前だろ!このゴリラ!!」
十二畳ほどのオフィス内に二人の大男の怒鳴り声が響き渡る。
「全く―――いい加減にせんか、大の大人が子供じみた喧嘩なんぞしおって」
ピンと空気を静かに切り裂くような、はっきりとしたその声に二人は瞬時にピタリと口を閉ざした。
前方に座り、もはや塔と化した書類の山に囲まれたその男は、鋭い目を少しばかり細めながら二人を凝視している。
―――銀の髪に至極の瞳、覇たるその力を以って狼将と称す。
かつてそう称えられたこの男は、今なおその威厳は衰えていない。
八雲弦狼(やくも げんろう)。二人の上司である。
「八雲隊長ーーー」
「隊長は止せと言っているであろう。今は只の科長だ。…にしても東城」
八雲は東城を見遣る。
「さっきから何をそんなに苛立っておるのだ。毎月この時期はいつもこれくらいの忙しさだろう?」
東城はそれを聞くと「あー…」とやや恥ずかし気に目を逸らした。
「いや…実は今日、ツレと約束がありまして」
「はあ?」
今がその時と言わんばかりに、獅子戸はすかさず東城に向かい唸った。
「ふざけてやがるな貴様………この時期だからってさてはイルミネーションでも見に行くつもりか…!?あれだろ、どうせ今日から始まった駅の通りのすげぇやつでも見に行くつもりなんだろうな?くそが…仕方ねえから祝福しといてやる、感謝するんだな!!」
「うるせーな!情緒どうなってんだよお前!!…まあイルミネーションってのは半分当たってるんだけどな。遠くから少しだけ見るんだ」
ほう、と八雲は顎に手を当てた。
「そうか、お相手に合わせて…という訳か」
「はい!…なので早いとこ終わらせねえと待たせちまうんですっ!!」
そうして東城は再び轟音を鳴らしながらキーボードを打ち始めた。
(八雲隊長は東城のツレをご存知なのか。にしても"お相手に合わせて"ってどういう事だ…?)
獅子戸はふとそう思ったが、己も仕事がまだまだ山積みである事を思い出し再び仕事に戻った。
「終わったあああ!!!お疲れ様でしたああまた来週!!!!!!」
暫く経過した後、そう叫びながら走り去っていった東城の背を眺めながら獅子戸は伸びをした。
「ったく騒がしいやつだ……八雲隊長、お疲れ様でした。ようやく今日も終わりましたね」
「隊長は止せと言っているだろう。…然し全くだ。獅子戸も疲れたろう」
「いえ……あ、そういえば八雲隊長。隊長は東城のツレが誰がご存知なんですか?」
ああ、と八雲は帰り支度をしながら答える。
「覚えているか。以前うちの会社の研究開発部に稀代の天才と呼ばれていた社員がおっただろう」
「稀代の天才……」
勿論知っている。社内ではかなりの有名人で、この会社に三人で異動になったその日に見かけ、周りの社員達が噂しているのが記憶に残っている。
「覚えていますよ。頭脳明晰、明察秋毫、仕事スゴ出来。しかも滅茶苦茶キレイな顔の男ですよね?」
「そうだ。あまり人の名を覚えない獅子戸でもさすがに覚えておったか!」
そう言って八雲は大きく笑った。
本当に、天は二物を与えるものなのかと当時は思ったものだ。
あのように全てを持った男は後にも先にも見たことがない。
「……え?まさかそいつじゃないですよね?」
―――
「七星!!」
よく馴染みのある声で己の名を呼ばれ、四ノ宮七星(しのみや ななせ)はゆっくりと振り返った。
「翔」
「すまん!遅くなった…!」
翔はそう言って両手を合わせる。
「別に構わない。元々遅くなるのは予め予測していた」
いつも翔は毎月この時期には忙しくなるのだ。
二人は繁華街から少し離れた、人通りの無い橋を並んで歩いていく。
「お!!良く見えるじゃねーか」
翔は繁華街の方角を指差しなから言った。
色とりどりの眩しい光。遠く離れた場所から見る其れは、まるで星の瞬きのように美しい。
「…これであとは、雪が降れば何も言うことは無いな」
七星はぽそり、とそう呟いた。
「雪か。今日そういえば降る予定だったな」
喧騒から離れた暗闇の中。遠く眺める光に白い結晶が降り注いだら、其れはどんなに美しいだろう。
「…少し、お前には似合わないかも知れないがな」
「なんだと!?俺だってこう見えて繊細な美しさの分かるエモーショナル男なんだぜ!?」
二人並ぶ帰り道、自然と頬は綻んだ。
凍てつく夜空、雪を待つ日。
12/15/2024, 4:37:34 PM