微睡 空子

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12/16/2024, 12:08:25 PM

16

「へぇっっっくしょぅぅううううい!!!!!!!」


獣の咆哮とさえ思う程のくしゃみは部屋中に響き渡り、それどころか少しばかり壁を振動させた。
「昨夜の散歩が効いたか。寒かったからな」
俺は掛け終わった掃除機を片付けながらベッドに向かい声を掛ける。
「いや、最近結構残業してたから…ぶええっくしょうううい!!!…そのせいじゃねえかなあ」
東城翔(とうじょう かける)はそう言うとずず、と鼻を啜った。

今朝俺が起きた時には既にこのような状態になっていた。
正直、このような野生児でも風邪を引くのかと少しばかり、いや相当驚いたものだ。だが普段どおり気丈に振る舞う傍ら、時折だるそうな表情を浮かべている辺りやはり辛いのであろう。

(昨日、俺がイルミネーションを見たいと言ってしまったからだな)

原因の一因は己のせいであると思うと心が痛んだ。

(―――そうだ)

俺はふと思い立ち翔のほうへと近づく。
「お?何だよいきなり」
翔はベッドから半身を少し起こしこちらを見た。
「あー…そ、その、だな」
俺は目を逸らし少し吃った後、翔の目を見、口を開く。

「…今日は好きなだけ俺に甘えて良い」

「―――??」

翔は驚きの表情を浮かべこちらを凝視している。
俺は途端に恥ずかしくなり顔を背け、そのまま言葉を続けた。

「翔が風邪を引いたのは昨日散歩に付き合わせた俺の責任でもある。だから今日は何でも言うといい。俺が出来る事であれば、何でもしてあげるよ」

「………何でも、か?」

「ああ、勿論俺が出来る範囲ではあるが―――ッ!??」

そう言いかけた時、突如腕をぐい、と引っ張られ俺はベッドへ転がり込んだ。
目の前には服越しにも分かる厚い胸板。俺はそのまま目線を上に移した。
煤竹色の瞳が、俺をじっと見下ろしている。

「―――おい、七星(ななせ)」
そう口を開きながら翔はぐっと顔を近付けた。


「他の奴にはぜってえそれ言うなよ。お前からその言葉を聞けるのは、俺だけだ」


目を少し細めこちらを見つめる翔は、風邪のせいなのか少し熱っぽい。
俺は自分でも驚く程のか細い声でああ、と答えると、煩い心臓の鼓動を抑えるようにぎゅっと目を閉じた。
「―――七星」
手首を握られたまま、もう片方の手が頬から顎をなぞる。
閉じた瞼越しに、翔の息遣いが近付くのを感じた―――。


「………っ!ぶええええっくしょおおおいいい!!!」


鼓膜が破れるかのようなくしゃみの咆哮。

俺は目を開け起き上がると、サイドテーブルに置いてあったティッシュの箱を掴み、目の前の男めがけて思い切り投げつけた。

12/15/2024, 4:37:34 PM

15


吐いた息が白煙となって夜空へ吸い込まれていく。

凍てつく夜。遠くに眺める電車の走行音が、また一つ遠ざかるのを聞いていた。


―――


「くそっ!仕事がっ!!終わらねえっっ!!!」

東城翔(とうじょう かける)は唸るようにそう叫びながらダンダンとキーボードを叩いている。
余りの勢いで東城が座る机や椅子までもが揺れており、その様はデスクワークをしているのか格闘技をしているのか分からぬ程であった。
獅子戸雷生(ししど らいせい)は横目でその様を見ながらフン、と鼻で嗤う。

「情けねえな、これしきの事でギャーギャー抜かしやがって」
「ああ!?」

打つ手を止めぬままこちらを見、東城が唸った。

「お前だって終わってねーじゃんか!」
「うるせえゴリラは黙ってろ!」
「ゴリラはお前だろ!このゴリラ!!」

十二畳ほどのオフィス内に二人の大男の怒鳴り声が響き渡る。

「全く―――いい加減にせんか、大の大人が子供じみた喧嘩なんぞしおって」

ピンと空気を静かに切り裂くような、はっきりとしたその声に二人は瞬時にピタリと口を閉ざした。
前方に座り、もはや塔と化した書類の山に囲まれたその男は、鋭い目を少しばかり細めながら二人を凝視している。

―――銀の髪に至極の瞳、覇たるその力を以って狼将と称す。
かつてそう称えられたこの男は、今なおその威厳は衰えていない。
八雲弦狼(やくも げんろう)。二人の上司である。

「八雲隊長ーーー」
「隊長は止せと言っているであろう。今は只の科長だ。…にしても東城」
八雲は東城を見遣る。
「さっきから何をそんなに苛立っておるのだ。毎月この時期はいつもこれくらいの忙しさだろう?」
東城はそれを聞くと「あー…」とやや恥ずかし気に目を逸らした。

「いや…実は今日、ツレと約束がありまして」
「はあ?」

今がその時と言わんばかりに、獅子戸はすかさず東城に向かい唸った。
「ふざけてやがるな貴様………この時期だからってさてはイルミネーションでも見に行くつもりか…!?あれだろ、どうせ今日から始まった駅の通りのすげぇやつでも見に行くつもりなんだろうな?くそが…仕方ねえから祝福しといてやる、感謝するんだな!!」
「うるせーな!情緒どうなってんだよお前!!…まあイルミネーションってのは半分当たってるんだけどな。遠くから少しだけ見るんだ」
ほう、と八雲は顎に手を当てた。
「そうか、お相手に合わせて…という訳か」
「はい!…なので早いとこ終わらせねえと待たせちまうんですっ!!」
そうして東城は再び轟音を鳴らしながらキーボードを打ち始めた。
(八雲隊長は東城のツレをご存知なのか。にしても"お相手に合わせて"ってどういう事だ…?)
獅子戸はふとそう思ったが、己も仕事がまだまだ山積みである事を思い出し再び仕事に戻った。



「終わったあああ!!!お疲れ様でしたああまた来週!!!!!!」
暫く経過した後、そう叫びながら走り去っていった東城の背を眺めながら獅子戸は伸びをした。

「ったく騒がしいやつだ……八雲隊長、お疲れ様でした。ようやく今日も終わりましたね」
「隊長は止せと言っているだろう。…然し全くだ。獅子戸も疲れたろう」
「いえ……あ、そういえば八雲隊長。隊長は東城のツレが誰がご存知なんですか?」
ああ、と八雲は帰り支度をしながら答える。

「覚えているか。以前うちの会社の研究開発部に稀代の天才と呼ばれていた社員がおっただろう」
「稀代の天才……」

勿論知っている。社内ではかなりの有名人で、この会社に三人で異動になったその日に見かけ、周りの社員達が噂しているのが記憶に残っている。
「覚えていますよ。頭脳明晰、明察秋毫、仕事スゴ出来。しかも滅茶苦茶キレイな顔の男ですよね?」
「そうだ。あまり人の名を覚えない獅子戸でもさすがに覚えておったか!」
そう言って八雲は大きく笑った。
本当に、天は二物を与えるものなのかと当時は思ったものだ。
あのように全てを持った男は後にも先にも見たことがない。


「……え?まさかそいつじゃないですよね?」


―――

「七星!!」
よく馴染みのある声で己の名を呼ばれ、四ノ宮七星(しのみや ななせ)はゆっくりと振り返った。
「翔」
「すまん!遅くなった…!」
翔はそう言って両手を合わせる。
「別に構わない。元々遅くなるのは予め予測していた」
いつも翔は毎月この時期には忙しくなるのだ。

二人は繁華街から少し離れた、人通りの無い橋を並んで歩いていく。
「お!!良く見えるじゃねーか」
翔は繁華街の方角を指差しなから言った。
色とりどりの眩しい光。遠く離れた場所から見る其れは、まるで星の瞬きのように美しい。
「…これであとは、雪が降れば何も言うことは無いな」
七星はぽそり、とそう呟いた。
「雪か。今日そういえば降る予定だったな」
喧騒から離れた暗闇の中。遠く眺める光に白い結晶が降り注いだら、其れはどんなに美しいだろう。
「…少し、お前には似合わないかも知れないがな」
「なんだと!?俺だってこう見えて繊細な美しさの分かるエモーショナル男なんだぜ!?」


二人並ぶ帰り道、自然と頬は綻んだ。

凍てつく夜空、雪を待つ日。

12/12/2024, 4:14:28 PM

14

薄暗闇の中で見るその寝顔が好きだ。

普段は言動がとにかく煩すぎるのも相まってそこまで気持ちが行き届かない事も多いのだが、そもそもこの男は客観的視点で言えば結構な男前の分類である。

はっきりとした男らしい顔立ちで、すっとした目は所謂大人の色気がある。それでいて、これは本人には言いたくないのだが、笑った顔は見ているこちらまで明るい気分にさせる魅力がある。

だが、この男は何も考えていないように見え、実は寸分の隙も無い聡い男である。

それはかつての仕事がそうさせるのか―――

時折ごく稀に、この男はその煤竹色の瞳に鋭い眼光を宿す。
その瞬間は、いつもうるさく叫び笑っているこの男とは全くの別人かの如く、冷徹な顔を覗かせる。

俺は、それが大嫌いだ。

俺の知らない世界を視ているから。
突然遠くに突き放されたような感覚を覚えるから。

カーテンから差し込む月光を背に眠る男の顔をそっと覗き込む。
柔らかな表情。普段の笑顔ともあの冷たい顔とも違う、とても穏やかで優しい顔。


数々の表情、与えられた言葉、何気ない仕草―――それら無数の乗法から人間は、互いに想い合っているという確証を得る為の"心と心の証明"を得たがる。


心と心の証明。不安定且つ限りなく不明瞭なものである。だが、そんなものに安心感と幸福を覚え縋り付く俺は、己が思っているよりもこの男に依存しているのかもしれなかった。

12/11/2024, 3:46:53 PM

13

「ただいまー!戻ったぜ」
そう言って元気良く扉を開けたものの、部屋は暗く物音の一つもしなかった。

俺は一先ず玄関の明かりを付けると、ポケットに入れていたスマホを取り出し、時間を確認する。
19時32分。普段この時間にはあいつはもう帰っているはずである。
そのままメッセージを確認したが、何の通知もない。
俺はそのまま目線を下に落とした。茶色の革靴がきっちりと揃えられ置いてある。

―――という事は―――。

俺は目線を廊下の奥にあるリビングへと移す。
開け放しのカーテンからは藍色の空が覗いている。部屋は暗く、ほとんど何も見えなかった。
俺は暫くその場で考えたのち、普段よりもなるべく静かに靴を脱ぐと、そのまま廊下をそっと進む。
そうして出来る限り静かにリビングへと入ると、俺は部屋の隅へ視線を移した。

頭から毛布を掛け、一人うずくまっている影。
俺は部屋の電気を暗くしたまま、そちらへとゆっくり近付いた。

「―――帰ったのか」

毛布の隙間から顔を覗かせ、そいつはぽそりと口を開いた。 

「ああ、今帰ったぜ。遅くなってすまねえな」
「―――別に。いつもこれくらいだろう」

俺はそいつの前まで来ると、なるべく物音を立てぬようにゆっくりと近くに鞄を置き、その場に屈んだ。
すぐ近くにあるそいつの綺麗な顔は毛布に半分ほど隠れていたが、長い睫毛に囲まれた翡翠の瞳は普段よりも弱弱しい光を湛えていた。
毛布を握るその手は変わらず白かったが、指先は少し赤かった。

「今日は寒ぃな。もっと厚いコートでも着ていけば良かったぜ」
「年がら年中同じ格好でいるくせに。―――ココアでも淹れる。待っていろ」

そいつはそう言うと、被る毛布を取ろうと頭に手を伸ばした。
白く細い指が僅かに震えている。
俺はその手をそっと掴み、ゆっくりと下へ降ろした。

「良い。そんな事は後で俺がやる」

そいつは一瞬息を詰まらせた後、俺の手をぱっと振りほどいた。 

「余計な気を遣うな。俺は大丈夫だ」

そいつがそう気丈に言い放って立ち上がろうとした瞬間、外から突如車のクラクションが鳴り響いた。
びくり、とその細身の身体が揺れる。両耳を手で塞ぎ、その美しい顔面を苦しみで歪めている。

「―――こんな日、今までだって何回も乗り越えてきた。大丈夫だ、何ともない」

己に言い聞かせるようにそいつはそう言うと、震えるその手を耳から離した。

瞳が揺れている。
こんなにも辛いであろうに、己の内から来る苦しみに懸命に耐えるのか―――

俺は一歩そいつに歩み寄る。
そうして己の手でそいつの両耳をそっと塞ぐと、その翡翠の瞳をじっと見つめた。

「おい―――」
「なあ、今日は寒いんだ。もう少し、お前にくっつかせてくれよ」

そう言って俺はそいつの後ろにそのまま回り込み、毛布を再び頭に被せ震えるその背中をそっと抱きしめた。

「やっぱあったけえな、くっついてると」

「………ばか」


冬の澄んだ星空が、窓の外で輝いていた。

12/7/2024, 3:46:03 PM

12

物心ついた頃から"苦手な音"というものが存在する。


例えば身近な音であれば『ハンドドライヤーの音』『人混みの喧騒』等がそれにあたる。
レアなケースでいえば『神社に初詣に行った際に流れている笙の音』であろう。

それらの音が鼓膜を震わすと、途端に身体の内側から何かにかき混ぜられているかのような得体の知れぬ気持ち悪さ―――不安感がぶわり、と湧き上がってくる。

頭の中はその音を一刻も早く遮断したいという思考でキャパオーバーを起こし、何にも手がつかなくなる。


いい大人になった今では、さすがにその場にうずくまり何もできなくなるといった事はなくなった。予防策も、例えば外出時は耳栓代わりにイヤホンを付けていく等、自分をコントロールするべく様々な策を講じている。
だが、それらの音を聞いた際の不安感は変わらず有り、部屋に戻った後は暫く気持ちを元に切り替えられない。


今日は図らずとも、イヤホンの電源が途中で切れてしまった。


人混みから急いでマンションの部屋に逃げてきたのだが、それでも気持ちは切り替えられない。
俺は部屋の片隅に一人うずくまった。

―――あの男が、早く帰ってきたら良いのに。

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