『あなたにとって1番大切なものはなんですか?』
画面の中で街中インタビューの様子が流れている。
「えー?やっぱり家族?替えがきかないので」
「この時計!おじいちゃんがくれたものなんです」
「妻かな、、恥ずかしいですね笑」
妻はとても家庭的な女性だった。料理は上手く、家事も完璧。性格は穏やかで笑顔が似合う。話上手で楽しそうに話す内容も面白かった。俺は妻の話が1番好きだった。喧嘩する時も多少はあったが大体は俺のせいだった。でも結局妻は毎回笑って許してくれた。俺は妻を愛していた。だから俺は妻にはできる限り裕福な暮らしをして笑顔でいて欲しいと仕事に勤しんだ。俺たち夫婦は嘘偽りなく完璧な夫婦だった。
妻は料理にはすごく拘っていた。俺は妻の手料理の中でも特に1年に数回出る肉料理が好きだった。俺にフレンチの知識はないから、カタカナの長い料理名は覚えきれなかった。でも妻は毎度どこの部位を使ったのか説明してくれた。やっぱり俺にはよく分からなかったが、美味しいことはわかった。独特な部位を使った、初めて聞く料理もハズレたことは無い。妻はよく「生き物ってすごいわよね。だって上手に料理すれば脳みそまで食べられちゃうのよ!」と言っていた。
俺の大切なものは間違いなく妻である。そんな妻は結婚生活を初めてすぐくらいに足を怪我した。正確に言えばアキレス腱を損傷してしまい、歩くのが不自由だった。それでも俺が支えて休日は一緒にたくさん出かけた。それに加え妻は時々入院したりすることもあった。でも妻は薬を飲みたがらなかった。「料理の味が落ちるから」らしい。有名なシェフなんかは味が濃いものなどは食べないらしい。舌が鈍って料理の味が落ちるから。妻はプロじゃなかったが、俺のためにと言って料理はどんな時でも最高のものを出してくれた。俺は心配だったが、優先順位は「妻がやりたいこと」だった。妻が嫌がるなら、と薬を無理に飲ませはしなかった。
そんな妻はだんだん弱っていった。でも料理は欠かさずつくってくれた。俺が横から手を出そうとすると逆に「やめて」と頼まれた。だから俺は「料理以外の家事はやらせてくれ」と言った。最初は慣れず、妻に教えてもらったり失敗もしたが最近は「なかなか板に付いてきたわね」と妻も褒めてくれるようになった。妻はよく「ごめんね」と言ってきたが、俺のために頑張ってくれてるんだからこちらが謝りたい気持ちでいっぱいだった。
ある日妻はまた入院した。帰ってきた時には妻はもう喋れなくなっていた。俺は大好きな妻の話が聞けないことに寂しいと感じたが、その分表情は弱々しくだがころころ変わった。喋れなくても会話は二人の間で成り立っていた。妻は帰ってきてから揺れる字で筆談をしていたが、「今日はラング・ド・ブッフ・ブレゼ」と紙に書いて嬉しそうに見せてくれた。この料理は今までの肉料理の中で1番好きだと感じた。この特別感は、紙に書いてくれたおかげで名前を覚えているからかもしれない。
妻は床から起き上がることが難しくなった。この頃から表情ももう変わることはなくなった。料理は妻自身が「きっと動けなくなってしまうから」と冷凍しておいてくれた。俺の好きな肉料理も作り方をメモして、具材を冷凍しておいてくれた。
数日して妻は動かなくなった。
手元で鍋の中身がぐつぐつと言う。
メモには「テッド・ド・ウォーの作り方」
テレビの中でインタビュアーが質問する。
『大切なものを失った時どう思いましたか?』
「絶望、ですかね、笑」
「何時間も泣きました」
「1週間ぐらい動けなかったかな笑笑」
「でも今も私の中で生き続けてる、と信じたい」
妻の最後の料理をどんどん口に運ぶ。
最後の一口。
これが妻の最期。
俺も信じよう。
妻は俺の中で生き続ける。
口を開く。
----------------最後の妻を口に運ぶ。
『大切なもの』
濡れた教科書。
じくじくと痛む痣。
汚れた机とロッカー。
いつもの風景。いつもの風景だ。
「なぜ俺?」とか「俺なんかした?」とかそういうことを考えるのをやめたのはいつだろう。
元々諦めが早い方だったから結構初期かも。
教師や親は毎日更新される俺の痣を見ないことに決めたらしかった。彼らに俺の声は届かないらしい。いつものこと。いつものことだ。でも壊れた物を見えるところに置いておけば、数日後には俺の部屋に替えの新しい物が置かれている。だから何も問題ない。あと1年。あと1年でこの地獄から脱出できる。
俺の弟はかわいい。7歳下でまだ小学生。純粋。俺なんかが兄でかわいそう。でも学校であいつは上手くやってるらしい。安心。いつも楽しそうに友達との話を聞かせてくれる。新しい痣を隠すのは大変だけど、あいつを不安にさせるよりは全然苦じゃない。嘘をつけば良い兄でいられるなら、弟のためなら嘘つき上等。何かあれば俺が絶対守る。そう思ってた。
濡れた教科書もなくなった上履きも、破れた体操着も特に俺の中に悲しいといった感情や怒りを生まなかった。『ああ、壊れた』それだけだった。抜き取られるお小遣いも身体中に走る衝撃と痛みも俺の感情を揺さぶらなかった。授業中の嘲笑も一瞬で学年に広まった動画も俺の感情にショックを与えなかった。バットで殴られて俺の頭から大量の血が出てきたのを見て彼らは「あー、まあ冗談だって。そんな怒んなよ」と言った。教師はさすがに驚いて彼らを呼び出した。でも彼らは「遊んでただけ」いじめっ子の常套句。教師も「そうだったのか」と安心した笑顔。それでも俺は特になんとも思わなかった。と、心に少し嘘をついた。
新学期。新しいクラスで仲のいい友達と同じクラスになれたからって朝早く家を出ていった弟が目の前で蹴られて大声で泣いている。
ランドセルの中身は道端に散乱している。
心拍数があがる。
「いいおもちゃはっけーん」
彼らの笑い声が聞こえる。
一気に湧き上がる心の熱。
怒り。
いつからかあった心のストッパー。
弟の前で演じた良い兄。
平気だと自分に信じ込ませた嘘。
『ああ、壊れた』
手がじんじんして生暖かい。
指に誰かの抜けた髪。
久々に動かした筋肉の熱。
足元に転がる数人。
遠巻きにこちらを見たり、撮影する野次馬。
怯えた表情の弟。
「まあまあ、冗談じゃん。そんな怒んなって笑
今日、エイプリルフールだろ?」
-------------------壊れた嘘と冗談。
『エイプリルフール』
花が羨ましい。「幸せ」に花は必須。
蕾の時は生まれてくることを楽しみに待っていてくれる人がいる。大切に育てられて、毎日欠かさずお世話してもらえる。道端に咲いていても、束になっていても、なんなら枯れていても綺麗と言われて、そこに存在意義を見出してもらえる。そこにただ存在するだけでみんなの視界にはいれる。
私の横には必ずいつも花がいる。その花は男の子からも女の子からも、私の親含めた大人たちからも愛でられている。主役はいつも私の隣の花。にこりと笑うだけで周りの人達はすぐに虜になってしまう。その魔法、私にもちょうだい?私は光と影なら影。もしかしたら影になれた方が楽だったのかも。私は影という闇に隠された雑草。誰の視界にも入らない雑草。入ったとしてもきっと次の瞬間にはみんなの記憶から消去されるただの風景。
両親は私に「笑顔でいなさい」と言う。笑顔でいないと近寄り難いんだって。睨んでいるように見えるんだって。友達はSNSに私との写真をあげたがらない。トイレでそう言っているのを聞いたの。きっと私がいるとレベルが下がっちゃうから。だからほら、友達が稀にあげた私との写真は写りの悪い私の顔に加工はない。でもその子の顔には華やかな加工がいっぱい。ハートもいっぱい。クラスの男の子たちは私に順位をつけなかった。きっと私の顔は平凡だから順位付けは難しいんだ。そして1位はやっぱりあの子。あの綺麗な花。羨ましい。ひまわりみたいなあの花が羨ましい。あの花は賞賛という肥料をもらってさらに綺麗に輝く。
綺麗な花は自信もある。だって「余計なことをするな!」なんて怒られたことないもの。自分がやった行動は全て相手が喜んでくれるとわかっている。相手が喜んでくれる行動を知っている。だからみんなに愛される。でもそこで傲慢にならない綺麗な花は、さらにみんなに愛される。他人を見下さない、でも下手に出るわけではない。完璧な綺麗な花。
綺麗な花は私にも微笑む。その笑顔はまるで大きく花弁を開いたひまわりみたい。あの子に言わせれば、
『「雑草」なんて植物はないのよ。みんなそれぞれに名前がついていて、それぞれに特技があるの。例えばドクダミは日当たりが悪い所でも育つから雑草としていろいろな所にいるわ。でも実は薬草としていろんな用途で使えるの。だから花言葉は「自己犠牲」かっこいいでしょ?』
その花は振り返って私にまた笑顔を向けた。
「でも私はドクダミよりひまわりになりたい。だって王道で綺麗で、いつも太陽と仲良し。例え役に立たなかったとしてもきっと綺麗だと褒め称えられるんだもの。」
綺麗な花は『たしかにあなたはひまわりっぽくはないかも』と笑った。
「うるさいなぁ。綺麗な花が似合わないなんてわかってるよ」
『ふふ、そういう意味じゃないけどね。私もひまわりになりたいなぁ』
「えー?もう既にあなたはひまわりよ。だってかわいくて、みんなに愛されていていつも存在感があってかっこいい。みんなあなたのことが好き」
そう言ったら綺麗な花はちょっと困ったように笑った。なんでだろう?褒められ慣れてるはずなのに。お世辞じゃないよ。
綺麗な花はある日私に聞いてきた。
『ねえ、ひまわりの花言葉を知ってる?』
「んー知らないなぁ。『明るい』とか?」
『ふふふ、単純』
「だって知らないんだもん。教えて?」
『んーやっぱり内緒!知りたいなら自分で調べなさ〜い』
「ええ〜そこまで言ったのにー?」
前を歩く綺麗な花はこちらを振り返って楽しそうに笑った。
綺麗な花は今日は私に突拍子もないことを言ってきた。
『あなたはひまわりというより太陽ね』
「からかってるの?私が太陽なわけないじゃん。別にみんなに好かれてるわけじゃないし」
『あら?太陽だからってみんなに好かれるわけじゃないでしょ?だって夏場、あなただって太陽に「余計なことするな!」って怒ってたじゃない』
「えー辛辣〜。私褒められる流れじゃなかった?」
『ふふふ、ごめんなさい。悪い意味じゃなくて、本当に思ってることよ。あなたは太陽だわ』
「あなたは相変わらずひまわりよ」
綺麗な花はこちらに照れくさそうに笑顔を向けた。
最近の綺麗な花はよく分からない。突然花言葉を聞いてきたり、からかってきたり、そうかと思えば褒めて?きたり。
綺麗な花に次の日「ひまわりの花言葉調べたよ」と伝えた。
綺麗な花は照れたように笑う。
『由来も調べた?』
「うん。ずっと太陽を見てるからって。」
『やっぱり私はひまわりになりたいわ』
「だからもうあなたはひまわりじゃん」
綺麗な花は赤い顔で黙ったまま。
伏せた睫毛がきらきらしてる。
綺麗な花とさっきから目が合わない。
合わせようと思っても綺麗な花は目を逸らしてしまう。
「私だけを、見つめてくれるんでしょ?」
細くて白い手から、指から体温が伝わる。
私のひまわりは結構体温が高いみたい。
やっぱり幸せに花は必須。
------------------私はあの子の太陽。
『幸せに』
列車が揺れる。がたことがたごと煩くて仕方ない。俺は車掌の方を見やった。見知った顔である。車掌は帽子を目深に被り、こちらを振り向こうともしない。その背中はまるで「私忙しいので。」とでも言いたげである。手元の参考書は先程から次のページに行こうとしない。赤い字で「間違い3回目!」と書いてある。そこを何度も何度も指でなぞる。その横には付箋が貼られている。「失敗は許されない」
「はあ」とつい大きめに空気を吐き出した。それに気づいたかのように、ちょうどそのタイミングで車掌がこちらを振り返った。俺はずっと見ていたことを知られたくなくて咄嗟に目を逸らして参考書を見た。車掌はもう前に向き直ったらしい。視界の端に車掌の黒い背中が映る。
車掌の背中に目がついているように感じる。だから俺は外を眺めることにした。しかし外はどこもじめっとしていて景色は良くない。いつまで進んでも一向に鮮やかな色は出てこない。つまらないな。がたごとがたごと煩いうえに人の目も楽しませてくれやしない。なんなんだまったく。
俺の母親はいわゆる毒親ってやつだった。よく言えば教育熱心。それも異常なまでに。母親自身はそこまで学歴が高くないため、コンプレックスを抱いているようだった。またそのおかげで給料もあまりいいものではなかった。だから俺に自分の第2の人生を預けた。というか押し付けた。塾は当たり前に毎日10時まであった。学校が終わったら塾の自習室で学校の宿題をやらなければ、寝る時間がなくなってしまう。宿題が終わると同時ぐらいに塾の授業が始まる。先生の顔はいつも新しかった。母親は何度も塾に文句を言いに行った。そして母親は毎夜俺をずっと叱っていた。「間違いは許されない」「ライバルは簡単に満点を取っている」「そんなんじゃ将来バカにされる」「職は安定が1番だ」
寝る時間はほとんどなかった。ましてや遊ぶ時間なんてゼロだった。それでも俺は塾を休んだことは無い。今日の面接さえ乗り切れば自分の人生を手に入れられると確信していたからだ。今日、俺はこの列車に乗って俺の人生のハンドルを奪い返しに行く。あと少しで今後の自由な俺の、俺だけの人生になる。失敗は許されない。俺は俺がなりたいものになる。母親が用意した道じゃなく。母親のように安定のために楽しみを捨てたりしない。
首に痛みを感じて1度上を向く。がたがたと外から音がした。窓の外を見ると、こんな荒廃した場所には似合わない鮮やかな色の列車が隣を走っていた。しかも中に乗る人々はみな近くの者と談笑しているようだ。けらけらと笑う仕草をしたり、うんうんと頷きあっている。しかし行先は違うらしく緩やかなカーブと共に少しずつ離れていく。灰色の景色のせっかくの彩りも瞬く間に小さくなった。名残惜しく思ってしばらく外を眺めていた。
「あ、花」そう思ったのも束の間。そこにいた人がその小さな花をブチッと摘んだ。雑草という名前がつけられた花だろう。それでもこの寂しすぎる景色には貴重な物だったのに。また花が現れた。よく見るとそこかしこに咲いているようだ。しかしそこにいる人がそれを端から摘んでいく。もったいないなぁ。まあでもどうせここから言ったって聞こえないだろう。しばらくするとまた味気のない景色に戻った。あーこちら側の花は摘みきってしまったのか。きっといっぱい咲いてたら綺麗だったろうに。
列車はどんどん進んでいく。がたごとがたごと。寂しい景色も同じスピードで更新されていく。ずっと味気ないまま。トンネルを通ったあともずっと景色は変わらない。俺はまた手元の参考書に目線を戻した。入室時の挨拶は完璧だ。後ろのページには質問例が載っている。「子供はすきですか」「子供が授業に集中していなかったらあなたはどのような工夫をしますか」全ての答えを準備した。完璧に覚えている。そろそろ会場に着く頃だろう。
列車が止まる。
車掌がこちらを見て口を開く。
「失敗は許さない」
------------------「はい。お母さん」
『列車に乗って』
苦しい。苦しい。
僕は物心が着いた頃から白い部屋にいる。ママは毎日僕に「大丈夫だよ」と笑顔を向ける。パパは「元気になったら、恐竜見に行こうか」って約束してくれた。すっっごい楽しみ。でも、僕には本当は元気になったら1番にやりたいことがある。それは野原を裸足で走ること。長い間ベッドの上にいなきゃだからってママが映画やアニメを観れるようにタブレットを買ってくれた。それで見た海外の映画で女の子が田舎の方の街の、広い野原の上を裸足で走るシーン。羨ましくて、僕も早く元気になってその街に行って真似するって決めた。全速力で走るんだ。草を踏むとどんな感じで、どんな音がするのかも分からないけど楽しそうだってことはわかる。
僕は物心が着いた頃から白い部屋にいる。1度だけ友達の男の子と追いかけっこをした。そしたら目の前がぼんやりして息が苦しくなって、ドキドキが止まらなくなった。気付いたら自分のベッドで寝てて、ママとパパは隣で泣いてた。だからそれ以来走ったことはない。しかもその後から友達には会えなくなっちゃった。どこを探してもいないし、先生やママに聞いても「今もきっと見守ってくれてるよ」ってしか言ってくれない。なんであの子が僕を見守るの?隠れて見守ってるくらいなら一緒に遊んでくれなきゃつまらないのに。
僕は物心が着いた頃からこの白い部屋にいる。この部屋からの景色は最高で、特に夜!街がキラキラしているのが見えて、ずっと眺めていられる。僕が裸足で走りたいって思うような野原はここにはないけど、でもあのキラキラも結構すき。赤い塔も立ってる。毎日17時に鳴る音楽もなんで鳴るかは分からないけど、きらいじゃない。だからこのキラキラな街も、それが見渡せるこの部屋も悪くないと思ってる。
僕は物心が着いた頃からこの白い部屋にいる。今日は先生がママとパパに大事な話があるって言ってた。どんな話かは分からないけど、ママとパパは先生のところから帰ってきた時笑顔だった。でも僕は知ってる。泣いたら目の周りが赤くなる。ママとパパは泣いたんだ。でも知らないふり。
僕は物心が着いた頃からこの白い部屋にいる。さいきんあまりお腹が空かない。でもママ達が心配するからいっぱい食べて早く元気にならなきゃ。
僕は物心が着いた頃からこの白い部屋にいる。さいきんは体が痛くて動けない。でも笑顔でいなきゃ。
僕は物心が着いた頃からこの白い部屋にいる。寒い。
髪に風を感じる。
大きく腕を振って走ろうか。
----------------------花瓶に花。
『遠くの街へ』