濡れた教科書。
じくじくと痛む痣。
汚れた机とロッカー。
いつもの風景。いつもの風景だ。
「なぜ俺?」とか「俺なんかした?」とかそういうことを考えるのをやめたのはいつだろう。
元々諦めが早い方だったから結構初期かも。
教師や親は毎日更新される俺の痣を見ないことに決めたらしかった。彼らに俺の声は届かないらしい。いつものこと。いつものことだ。でも壊れた物を見えるところに置いておけば、数日後には俺の部屋に替えの新しい物が置かれている。だから何も問題ない。あと1年。あと1年でこの地獄から脱出できる。
俺の弟はかわいい。7歳下でまだ小学生。純粋。俺なんかが兄でかわいそう。でも学校であいつは上手くやってるらしい。安心。いつも楽しそうに友達との話を聞かせてくれる。新しい痣を隠すのは大変だけど、あいつを不安にさせるよりは全然苦じゃない。嘘をつけば良い兄でいられるなら、弟のためなら嘘つき上等。何かあれば俺が絶対守る。そう思ってた。
濡れた教科書もなくなった上履きも、破れた体操着も特に俺の中に悲しいといった感情や怒りを生まなかった。『ああ、壊れた』それだけだった。抜き取られるお小遣いも身体中に走る衝撃と痛みも俺の感情を揺さぶらなかった。授業中の嘲笑も一瞬で学年に広まった動画も俺の感情にショックを与えなかった。バットで殴られて俺の頭から大量の血が出てきたのを見て彼らは「あー、まあ冗談だって。そんな怒んなよ」と言った。教師はさすがに驚いて彼らを呼び出した。でも彼らは「遊んでただけ」いじめっ子の常套句。教師も「そうだったのか」と安心した笑顔。それでも俺は特になんとも思わなかった。と、心に少し嘘をついた。
新学期。新しいクラスで仲のいい友達と同じクラスになれたからって朝早く家を出ていった弟が目の前で蹴られて大声で泣いている。
ランドセルの中身は道端に散乱している。
心拍数があがる。
「いいおもちゃはっけーん」
彼らの笑い声が聞こえる。
一気に湧き上がる心の熱。
怒り。
いつからかあった心のストッパー。
弟の前で演じた良い兄。
平気だと自分に信じ込ませた嘘。
『ああ、壊れた』
手がじんじんして生暖かい。
指に誰かの抜けた髪。
久々に動かした筋肉の熱。
足元に転がる数人。
遠巻きにこちらを見たり、撮影する野次馬。
怯えた表情の弟。
「まあまあ、冗談じゃん。そんな怒んなって笑
今日、エイプリルフールだろ?」
-------------------壊れた嘘と冗談。
『エイプリルフール』
4/1/2024, 12:09:02 PM