大好き
「大好きだよ」
画面越しに囁かれた愛の言葉に思わずため息が漏れる。それは言葉の意味をそのまま受け取った恍惚の意味のため息ではなく、現実とのギャップに対する辟易の意味。
大好きなあのアイドルからの愛の言葉、嬉しいはずなのに素直に受け取れなくなったのはいつからだろう。ライブに行ったら他のファンと同じように甲高い悲鳴を挙げる以外の選択肢は無いが、ここがとっ散らかったアパートの一室ならそうは行かない。さっき食べたカップラーメンのゴミだとか、干しっぱなしの毛玉だらけのアウターだとかがやけに現実に引き戻してくる。明日もまた仕事かー、とか、来週の友達の結婚式の出費が地味に痛いなー、とか。考えたくないことばかりが頭を埋め尽くして素直に画面越しのライブを楽しめない。彼は汗さえもキラキラしてるのに私はメイクもほとんど落ちてボロボロ。彼は一つずつ夢を叶えてたくさんのステージに立って皆に愛の言葉を伝えるが、私は一つの仕事をこなすのにもたくさん時間がかかるし、口を開けば謝罪の言葉ばかり。学生の頃はたくさん訪れていたライブも今やオンラインばかり。平日になんて行けやしない。彼のためにと気合を入れていた化粧も服も髪も爪も、オフィスカジュアルを提唱する職場には一つもそぐわない。何年前かのあのライブツアー、最前列で、あれは絶対に私を見て彼が言った「大好きだよ」の言葉。彼が今、私の目の前に現れても、同じ顔で、同じ温度感で、「大好きだよ」と囁けるだろうか。いや、無理だろう。きっと引き攣ってるだろう。いや、やっぱプロだから言えるのかな。なんて悶々と考えては、まだキラキラとした画面が広がる中、ソファの上で重たくなった瞼を閉じた。
叶わぬ夢
女子高生の夢。それは彼氏が欲しいということ。
「ねぇ、彼氏欲しいー!」
「香奈は高望みしなきゃできるでしょ。」
高望み。その言葉は、私が今好きな人と結ばれるのは難しいということを暗に示していた。恨めしさを込めて睨みつけるも、楓は気にしていないようにトイレの鏡で前髪を直していた。
「じゃあ楓は愛しの山本くんとどうなのよ?前委員会終わりに話してたじゃん」
「ちょ、こんなとこで辞めてよ。誰か今トイレ来たら聞かれるじゃん。てか本当やめてよ?あの下駄箱で待ってた時もずっとニヤニヤしちゃってさー、バレたらどうしてくれんの。」
「あはは、ごめんって!」
さっきの楓の言葉に思わず腹がたったが、意外とそれは的を得ている。なぜなら、私は、割とモテるから。こんなことを言っちゃなんだが、昔から顔だけは褒められることが多かったし、自分がかわいいと自覚してからそれをより追求するために色々努力をしている。もちろん女優やアイドルのような突出したかわいさではないことは分かっているが、クラスや学校の中ではまあまあかわいいのではないかと密かに思っている。対して、私の好きな人は、本物のイケメンだ。本当に芸能人レベル。最近人気のアイドルに似てる。幼少期の頃から一緒なのに、未だにこんなかっこいい人間はいるのかと度々驚かされる。彼に似たアイドルを好きになってしまうぐらい彼に恋焦がれているのだが、いまいち進展はない。仲の良い女友達兼幼馴染どまり。はー、辛。まあ幸いなことに彼は他に彼女を作るような気配も無いのでそこは安心だが。長期戦だなー。てか、もうかれこれ5歳?とかから好きだから…12年の片思い?長い長い。どんなスポーツでもこんな長期戦無いでしょ。だるっ。もうこんな希望のない人にうつつを抜かさず、私を好きだと言ってくれる人に素直になれたらどれほど良いことか。そんなのとっくにわかってるのに。でも無理。もう、貴重なキラキラJKライフを彼氏なしで棒に振るんだから責任取って結婚してくれよー。無駄な通知ばかり来る携帯画面を見てはぁーと長いため息を吐いた。
心のざわめき
風鈴も揺れないくらいの小さな心のざわざわが次第に大きくなり、その奥底にめきめきと立派な根を成した。
たいして仲良くもない彼女を目で追ってしまうのは、彼女がただ単純にかわいらしくてその一挙一動に癒されるからだと思っていた。仲良くなってからもそれは一緒で、彼女に親友だと位置付けられるほど近い距離になってもそのかわいらしいという最初の感情は消えなかった。むしろ色々な一面を知るにつれ、その全てを愛おしいと感じるようになった。明らかに他のどんな友達とは違う感情を持っていると気づいた時には、もうしっかりとした根が張られていたからどうしようもなかった。
この気持ちを伝えることは一生無いと思っていたし、伝えたからって自分が夢見た将来にはならないと分かっていた。そんなのとっくに分かっていたはずなのに、彼女がパートナーと幸せになると聞いた時は全てを投げ出したくなるくらい狂いそうだった。立っていることもままならなくて、涙も怒りも全ての感情がぐわんぐわんと揺れ動いて、頭がおかしくなりそうだった。心に張った根はめきめきと大きな木になり、自力で切り倒すのには難しくなるくらいまで育っていたのに、彼女の一声で天変地異が起きたかのようにざわざわと荒れた。葉が落ち、花が枯れてもなお、その根はびっしりと地に張り付いたままで自分が持つ彼女への執着心に呆れさへ覚えた。あー、これからどうしよ。
君を探して
中学校に上がる前の年の夏、受験勉強の息抜きにと父と母が隣町の市役所の近くで行われるイベントに連れて行ってくれた。フリーマーケット、地域の物産展などでそこそこ賑わっていたがどうしても楽しむ気になれなくて出店から外れた場所にあるベンチに腰掛けて単語帳を読んでいた。すると、ちょうどそのベンチの近くの小さいステージみたいなので催しが始まった。なんてことのない、ゆるい町内の出し物。よく知らない民謡だとか、伝統楽器の演奏、町内会の漫才など。ステージ前のベンチはおおよそ身内で固められているのか一つのイベントが終わるごとに人の入れ替えが激しかった。たまに舞台に目をやってはまた単語帳に目を移す。ぶつぶつと一人で単語を暗誦している最中、ママさんクラブのハンドベル演奏が終わり、若い男の子が1人つかつかと出て来た。私と同い年ぐらいに見えるが中学校らしい制服を着ているので年上らしい。その人がステージの中央に立つと音楽が流れ始めた。知らない曲だがさっきまでの音楽とは打って変わって最近の曲っぽいなと感じた。そして、その音楽に合わせて彼は踊りだした。ブレイクダンスのようなアクションがすごい訳ではないが手や足を大きく使ってしなやかに動きをこなす。かなり激しい動きなのに無表情をしているのがアンバランスなのが印象的だった。特別イケメンとかいう訳ではないし、特段背が高い訳でもないし、目を引くような派手な風貌もしていない。ごくごく普通の男子中学生。なのにどうしても目が離せなくなった。その動き一つ一つに心を奪われ、単語帳に戻れなくなってしまった。やがて音楽は止み、その人は深々とお辞儀をして照れたように笑った。さっきの無表情からは想像もつかない柔らかい笑みを浮かべたその人がいつまで経っても頭から離れなかった。それが私の初恋。
「ふーん。そっからその人に会えたの?」
「いや、名前とかわかんなかったんで…」
「残念だね。」
「…ていうか私のことはいいんですよ。先輩の初恋も教えてください。」
「え、やだよ。」
そう言って照れたように柔らかく笑う、君を探していた。
透明
机に向かうよりも外に出て運動することが好きで、正義感と自己主張が強く、背が高くてショートカットだった幼い頃の自分。当時好きだった男子に好きと伝えると「男みたいで無理!誰がおまえなんか好きになるかよ」とぼろくそに言われ、クラスの男子中に馬鹿にされてから男性不信に陥った。一時期は兄さえ口をきくのも怖く、中学からは逃げるように女子校に通い始めた。男子のいない学校は平和で、思春期の影響で少し性格も大人しくなったが、今度は周りから女子校の王子様だと囃し立てられた。ちやほやされるのは嬉しいとも思わなくはないが自分が忌み嫌う男に仕立て上げられるのは吐き気がしそうだった。女性らしく見られたくて伸ばした髪も少しずつ覚え出したメイクも無視して、自分の骨格の男らしさや背の高さばかり重宝されているのが嫌だった。女なのに、女になりたいと願うのに、周りはそれをよしとしない。私と同世代の女子には透明の壁があるようだった。クラスの子に告白されることも数回あった。小学校のトラウマから男性と付き合うよりも抵抗は少ないとは薄々思っていたが全て断った。告白は、どれも私自身ではなく女子校の王子様である私を好きであり、男役をしてくれる人を好きなだけだと分かってたから。関わる全ての人と私の間には透明の壁があるようだった。男性不信、加えて男を押し付けてくる女性不信。誰かこの壁をすり抜けて、ありのままの女でいたいと思う私を受け入れてくれる人はいないのか。救いのない日々にまた透明の壁を厚くしながらそう願った。