消えた星図
星図が消えた。自分自身星に興味は無かったし、そんなものが消えたとしてもどうでもいいけど、授業で使うはずだったのにと涙目になった先生を見かねて手伝った。理科準備室をくまなく探したが見つからず。肩を落とす先生に気まぐれにもならない慰めの言葉をかける。想定よりも遅くに校舎を出たら、皮肉なことにも星がいつもより輝いていた。
愛−恋=?
成長することを見越されて大きめにされたが卒業までブカブカのままだったブレザーを着ることはなくなり、働いて社会人として認められるようになった。そんなこの歳で新たな式を解くことになるとは思わなかった。生活を共にしているその人から聞いたその式に対して、「なにそれ、なぞなぞ?」と答えたら違うと首を振って真面目に考えてと怒られた。またテレビかなんかで情報を仕入れてきたんだろう。いつもそういう問題を出したりいたずらをしてきたりしてこちらの反応を伺っているその人のことだから真面目に考えたとて碌なことは無いんだろうけど。それでも最近一緒に住み始めてからというものの恋人よりも家族のような安心感の方が勝っていたから、付き合いたての頃のような距離感でそういう質問を投げかけられるのはどこか懐かしくて嬉しかった。こちらも初心に戻ってちゃんと考えてやろう。えーと、愛−恋=?だっけ……やばい、全然わかんない。ヒント少なくない?愛?恋?あいひくこいわ…どういうこと?てかこれ決まった答えあんの?いや、まさか。なんか試されてる?答え次第で冷めたとか言われる可能性がなくもない。えっと、どうしよ…どうしよ……
「…あの、この前のさ。考えててやっと答え出たから聞いて。」
「この前の…?…うん。なに?」
「あのさ、やっぱりさ、今の状態って愛だと思うんだよね。付き合ってから結構経って、同棲もして、恋人っていうより人として好きっていうか。それで、付き合う前とか付き合いたてぐらいのあたりの状態が恋だと思うわけ。じゃあ今の状態から恋の部分引いたときに残ったのがさ、これから先長い時間一緒に過ごして、もっとときめかなくなったとしてもずっと一緒にいたいなって…だからさ、結婚しよ。」
「……うん、正解!!!」
梨
いつも通学する道にあるケーキ屋さん。毎月違う種類のケーキが出てて今は梨のタルトが期間限定らしい。平日は毎朝と毎夕通るけど、その割には一度も足を踏み入れたことがない。別に甘いものに興味がない訳じゃない。むしろ逆、甘いものには目がないしリュックの中にはチョコやらグミやら常にお菓子は常備してる。だけど入ることができない。せめて、カフェならコーヒーと一緒にケーキとか食べても普通なんだろうけど、明らかに内装やら客層やらが女性寄りというか。甘いものが好きってだけで単身でその空間に飛び込んでくのも難しいんだよな。いつもテラスやイートインスペースには同じ大学らしき綺麗な人たちがケーキを頬張っていて羨ましい。あぁ、いいな、俺も行きたい…食べたい…
そんなことをポロッと一番仲の良い友達に話すと、「え、何をそんなに気にしてんの?別に行けば良いやん。」ときょとんとした顔で返された。そんな簡単に言うなよ、入学してからずっと踏み切れてないんだよ…と言うと仕方がないなと言う顔で「今から行こーや。どうせ課題やらへんやろ?」と宣った。確かに課題をやるようなモードに入らず、文字数の埋まらないレポートを前にして、急激に甘いもの欲が止まらなくなって言い出したんだけども。彼の迷いのない歩みはケーキ屋まで一直線で、清々しいほど簡単にその扉を開けた。昼休みが終わったけどまだケーキという時間帯でも無いから微妙に店内は空いていた。そのことにちょっとだけホッとした。
「なぁ、何にすんの?」
「…これ!梨のタルト。」
「ん。じゃあ梨のタルト一つと、モンブラン一つ。」
爽やかな午後、5限目までのゆったりとした空きコマをこんなにも優雅に過ごすとは思わなかった。自然と笑みを浮かべながらその梨のジューシーな甘みを味わい、栗のほのかな甘みも楽しんだ。これまで食べられなかった期間限定のケーキが悔やまれるけど、これから通うなら問題ない。太ることはほとんど確約されたけどもはやなんでもいい。週一の楽しみができたことに微笑みを隠せなかった。
LaLaLa Goodbye
ばいばい、なんて言いたくなくて、そうやって歌って別れるように、軽やかに別れを交わせば、寂しくないような気がしていたけど、やっぱり涙は出るらしい。泣いて掠れた声から心地良いリズムを何度も寝る前に鮮明に思い出しては鼻を赤くする。
どこまでも
巻きがとれたその少し硬い髪は、触れた時にまるで自分を拒むかのように刺さってくる。それ自体に痛みは無くとも、それが彼女の本当の気持ちを表す抵抗のように思えて、少しだけ胸が痛くなる。最初は何とも思っていなかったくせに、こんなにものめり込んでいるなんて考えられない。そもそも、人のものなんて興味が無かったのに。自分で言うのも何だけど、顔のおかげで小さい頃からそこそこにモテていた。人並みに遊んでもきたけど、根がヘタレてるからこそ、危ない橋は渡らずに平穏に、淡白に、過ごしてきたつもりだ。恋愛なんて自分を好きだと言ってくれる人をかわいがる娯楽。その程度の認識だった自分だからこそ、彼のためにと神経も身体もすり減らす彼女の気持ちを理解することはできなかった。アホやなぁ、そんなんしても何もええこと無いやん。あんなクズやめとき?そう正論を言ったとしても、決して涙を見せずに疲労を溜める彼女は決して聞き入れてはくれない。芯が強いのか、好きという見えないものに囚われているのか、どこにも行けずにただ流されているだけなのか。どうせ流されるなら、流されきってここまで来れば良いのに。少なくとも彼女のお金にしか興味がないあのギャンブラーよりはマシだと思うから。
その伏し目は何を考えているのだろうか。分かるはずもないのに、分かりたくて。その所作一つ一つを目で追っては、こんなに必死になっていると知られたくなくて目を逸らす。気持ちに気づいた時にはもう遅くて、頭では警鐘を鳴らしていても本能は止まらず彼女を求める。酒に浮かされたフリをして、今日も最低な男を演じて彼女を腕の中に閉じ込める。いつもの流れに彼女は俯いたままそっと自分の腕に手を添える。良いも悪いも言わず黙ったままでも目が合ったら、次に進む合図。多少強引でもいいから、彼女が迷いに揺れているうちに。夜と共に溶けていくように、そっと愛おしいその子の髪を撫でる。酒を飲んでも、弱音を吐いても涙は見せないのに、二人だけのこの時間に彼女は必ず涙を流す。罪悪感だろうか。今だけは考えてほしくないその顔も知らない男の存在を消すように、必死にこっちを見てほしくて力を強める。なぁ、明日のことなんて、未来のことなんて考えずに。このままいつまでも、どこまでも一緒にいてや。切実な自分の思いは声に出さずにその塩味を全て飲み込む。
徐に財布を開いて適当に掴んだ分のお札を押し付ける。今日も申し訳なさそうに首を振る彼女に強引に渡す。この関係もお金のためにと割り切ってくれたら楽やのに。使い道は聞かない。嘘をつけない彼女はきっとうろたえながらその名前を出すだろうから。彼女になら騙されてもいいのに。自分のためにと言ってくれれば喜んで全財産を差し出すのに。元が友人から始まってしまった自分たちは、ビジネスにもなりきれず、相手がいるから結ばれることもなく、それでもこの関係を手放したくなくて。自分は酒のせいにしてこの関係を続け、彼女には、お金のせいにできるように理由をあげる。そもそも付き合っているのかさえ不明だ、と悲しげに笑う彼女の傷を埋めるかのように、また傷つける。はぁ、早よあんな奴忘れてくれへんかな。あぁでもこんな酒を理由に手出してくるような軽い男選んでくれへんやろうな。どこへも行けない気持ちを、どこまでも続けて行きたくて、今日もその少し痛い髪を撫でる。