秘密の手紙
人には言えない秘密が増えていくたびに、小学校から使い続けた勉強机の中で、唯一鍵をかけることのできる引き出しが悲鳴をあげた。主にその引き出しの大部分を占める紙類にため息をつきつつ捨ててしまうこともできずに軋む音を無視して無理やり鍵をかけた。
このデジタル化が進む時代になんで手書きなのかとあの子に問うと、「LINEなら送るのも消してしまうのも一瞬だけど、手紙なら書くのも捨てるのにも躊躇ってくれるでしょう」と綺麗な笑顔を見せた。確かに、自分の引き出しに溜まる愛の言葉を見るたびにどこかむず痒くなりつつも、捨てることはできずに今日も溜まり続けるのだった。
会う度にお互いに渡すと取り決めた手紙に今日は何を書こうかと思案する。前に会ったのから、1ヶ月。特に大学の方も変わりはなく、バイトもぼちぼちといったところ。ぼーっと頬杖をついて窓を眺めて何も無いふりをしていても、頭の中はあの子でいっぱいだ。きっとこうなるのを見越して手紙の約束をしてきたのだろう。してやったりと悪く笑う顔を想像してはまたため息をついた。いつもあの子の手のひらの上で踊るしかない自分は腹いせにペンを手中で遊ばせた。
「好き!!!!」「愛してる!!!!!」
勢いの良いあの子は!マークの分だけ気持ちを軽くしているということを自分は知っている。なんだかんだ長い付き合いなのだから。そんな躊躇いのない愛情表現に対して苛立ちが募った。なぁ、なんでそんなこと書けんだよ。この引き出しだけ見た人は仲の良いカップルだなぁと思ってくれるだろうか。いや、誰にも見せないために鍵をかけているのだけれど。
「本当に好きなら、愛してるなら、あいつと別れてから俺のとこに来てよ」
いつも渡せずにいたその文字を書き殴っては、また便箋をぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨てる。いつもそうだ。自分の感情を掻き乱して、楽しそうにして帰っていくあの子はただ遊んでいるだけだ。自分の気持ちを知りながら、共犯にしておいて、甘い言葉と態度を見せて決して離してはくれない。きっとこの紙を本当に渡したとしても、笑いながらゴミ箱に突っ込まれるだけだろうから、昨日食べた夕飯の内容だけを書いて渡す。何の意味があるんだろう。いつ終わってしまうんだろう。あの子には帰る場所があって、愛を持って迎えてくれる人がいて、その家に帰る道中で平気で自分の手紙を捨てて帰ってるのだろう。どうせ、届かないのなら何を書いても一緒だ。シャー芯と自分の心だけすり減らす手紙交換は、今日もいつもの部屋で内密に行われた。
冬へ
さむっ。頭の大半を占めるその言葉をひとりでに呟きながらクローゼットを開ける。目についた一番分厚いパーカーを羽織って、風を通さないジャンパー、頭も寒いからキャップでいっか、あとはマ……あれ?どっかに紛れたかと思って服が入った棚やらなんやらひっくり返したけど見つからない。今季は初めて使うから無くしたとしたら2月あたり?もう既に半年以上経過しているその前回を思い出せる訳もなく、時間もなかったからとりあえず急いで外に出た。さむい…思わず首を無くすように体を縮こませる。まだ息は白まないけど全然寒い。去年の今頃はもうちょい暖かかったはずなんだけど…とか思いながら遅れ気味なので少し早歩きで場所に向かう。人混みの中をかきわけ、いつもの駅の隣のコンビニの前に着くと、待たせていたその人が立っていた。自分が遅くなった原因であり、道中で恋焦がれていた探し物を巻いて。
「ねぇー!朝からそれ探して遅くなったんだけど。」
「それより遅くなったら言うことあるやろ?」
「…ごめんなさい。でもそれあったらもっと早く着いてたんだよ?!」
「だって前家出る時言ったって。借りるでって。寝ぼけてたんちゃうん?」
言われてみれば、前にあっちが先に家を出る時、何かクローゼットを漁って物を借りると言われた気がする。いつも上着やらなんやら借りて行ったり残していったりと気ままに過ごすのを咎めてはいなかったがこんなところで仇になるとは。マフラー借りてくのはずるいじゃん。こっから寒くなるのに。しかし、許可してしまった手前悪いのは全て自分だ。不服だが受け入れてデートに戻ろうとすると、首に急に優しい感覚。
「返すわ。」
なんて軽い言い草で首にぐるぐる巻かれる。さっきまであんなに求めていたはずの温もりだけどなんだか恥ずかしくなった。自分では無い良い匂いに包まれて顔は真っ赤っか。そして、それを笑われるのがいつもの流れ。借りた服もなんだか着づらくて結局あっちの私物となってしまうのもいつものこと。いつもの冬が始まった。
君を照らす月
暖かいオレンジの光の活気付いた焼き鳥の匂いのするお店や色とりどりのネオン街に引き寄せられそうな彼の腕を引っ張ってアルコールの一切無い我が家へと歩く。あんな人工的な光よりも月の方が似合うのに。街頭の少ない暗い住宅街には二人分の足音しか響かない。前ほどお喋りでは無くなった彼の携帯を操作する手が、小刻みに震えているのを見てられずに強引に繋いだ。
こちらを見て嬉しそうに、寂しそうに、「強引やなぁ。」と笑う彼の笑顔はやっぱり綺麗だった。星はあまり見えない夜に、雲に隠されながら月が見え隠れする。左手は繋いだまま、右手だけポケットを探って家の鍵を取り出して回す。そこまでしなくても逃げないから、と笑う彼に返事は返さずにドアを開ける。
しんとした室内に二人分の物音が響く。靴を脱ぐために離した彼の手は、いつの間にか自分の肩を引き寄せてそのまま彼の腕に閉じ込めた。
「…まだ好き?」
自分のことを好きかと聞く彼のその問いは、今までなら単に甘いムードを作るための契機に過ぎなかったはずなのに、どこか重さを増していた。
「当たり前じゃん。」
なんでも無いようにそう返す自分の答えを聞くと、腕の力が強まった気がした。その腕が震えているのは、アルコールのせいか、いつものように涙脆いせいなのか。震えが止まるように手を添えて彼の言葉が続くのを待つ。
「もう今までの俺ちゃうのに?」
酒が入って調子良く話してくる彼よりも今の弱々しい彼の方が何倍も好きだ。
「自信無いねん。」
自分だって支えられるか不安だけど支えたいと思ってるよ。
玄関での押し問答は多分一時間を超えていた。お酒が趣味だと公言するほど好きだったのは、缶で溢れかえる冷蔵庫を整理していた自分が痛いほど知っている。その楽しみを無くした彼が、生きる意味を失わないように。震える手が、肩にかかる息が、無くならないように。アルコールの存在を忘れた彼の依存の矛先が自分に向きますように。そう願いながら、月を見ながら眠れない夜を過ごす彼の隣で、ただ彼の横顔を見ていた。
心の迷路
今日もまた、ぐるぐると囚われて同じ場所を繰り返す。この繰り返しに意味が無いことは分かっているのに、休まない夜に今日も縋り付く。
「うん。嫌いちゃうし、別にええよ。」
一世一代の告白をタバコの煙が燻る奥で了承されたことには微妙な気持ちを抱えたが、ギリギリ嬉しいが勝ってしまったのが問題だった。いつも通りの軽い受け答えがあった後、あれよあれよという間に家に居着くようになった。出掛けるのはギャンブルかコンビニだけ。直接言い出してはこないけど、やたらとスキンシップが増えて甘えてきたら金欠のサイン。
スタートは明白だったが、ゴールは一生見えない。まるで罠に自分からハマりに行った哀れな動物だ。いっそ、そのまま処分されてしまえば楽なのだけど。働くために生かされ、離れることは叶わず、また今日も迷路で一人彷徨う。こんなに悩んでいるのを露知らず、すやすやと息を立てるその綺麗な顔を見ながら過ごす夜を、あと何回過ごすのだろうか。一生日の光を浴びることなく彼と過ごす夜が続けば、嫌いじゃないが好きに変わる日が来るかもしれない。そう考えてしまっては今日もゴールを探すことを放棄する。
ティーカップ
この高そうなティーカップいくらなんだろ。じっと眺めていると彼女は可笑しそうに笑った。早く飲んだ方が良いと笑う彼女に促されてコーヒーを飲む。自分がいつも飲んでるやつよりも遥かに美味しい。濃い、というかコクがすごい。どこで買った豆なんだろ。怖くて聞くこともできないがとりあえず美味しいと感想を述べるとまた笑っていた。落ち着ける雰囲気ではない彼女の綺麗な部屋に温かな香りだけ広がっていた。