もんぷ

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もしも過去へと行けるなら

 仲の良かった同僚たちとの飲み会。安い大衆居酒屋で、一列になった細長いテーブルに10人くらいがぎゅうぎゅうと詰めて座っている。職場を離れた今でも集まりに呼んでもらえるのはありがたいし、例えお酒は得意でなくとも、飲み会というこの雰囲気は好きだ。一杯目だけみんなに合わせて、あとは合コンで女子が頼みそうなほとんどジュースみたいなものをちびちび飲む。もう十年以上の付き合いだし、ほどほどのお酒で顔を赤くしてしまう自分をよく理解されているからか食べる方に専念していても特に何も言われない。遠慮なく、大皿に積み上がったからあげの一番上の大きいやつをもらう。というか、みんな酔って楽しくなってくだらないことで大盛り上がりしてるから誰も自分のドリンクなんて特に気にしていない。今は仕事の話も終わり、誰かが買ったという宝くじが当たるかどうかという話になり、三億円当たったらどうかるかという話題もほどほどに他愛もないもしも話が続いている。
「じゃあさ、もしも過去に行けるならどうする?」
なんて目の前の座席に座る奴が呟いた時、自分の視線が無意識に一番遠くに座るあの人へと吸い込まれていった。会った時と変わらない綺麗な顔はこちらを見ていて、視線がぶつかるとふと微笑んだ。別に気まずいことなんてないのに、なぜかその人の方にあったからあげに手を伸ばして、「からあげが食べたかっただけで、あなたを見たんじゃありませんよ」感を出して、本当は食べるつもりも無かったそれを口に放り込んだ。うまいけど。自分がそんな変な挙動をしているうちに話は盛り上がりを見せていて、自分の右隣に座る奴はなんとか記念に全財産をかけて…みたいなあまり夢のない話をしていた。度数が弱くても、量が少なくても、日本人男性の平均身長よりもちょびっと、ほんのちょびっとだけ低い自分は酒のまわりも早く、体質的にも得意でないからみんなと同じ時間は楽しめない。いつもは早めにストップをかけて介抱にまわることが多かったのだが、久しぶりの飲み会にリミッターが馬鹿になっていたらしく、とてつもない眠気に襲われてしまった。あくびが止まらずに机に突っ伏そうとする自分を目の前に座る奴が茶化す。
「おい、そろそろ時間も遅いし帰ったら?誰かー、こいつ送れるやついない?」
ふわふわした意識の中、何かを言うのも億劫で話の流れに任せて目を閉じようとする。
「ん、じゃあ自分一緒に帰るわ」
少しハスキーなその声が響いて思わず顔を上げた。空にしたジョッキを置いた奥のあの人が飄々と手をあげているのが見える。まじか。眠気も酔いも一気に冷めたけど、何か言葉を紡ぐほどの思考力は戻ってきてなくて目の前の光景をぼーっと見ることしかできない。
「お前も結構飲んでたくね?いける?」
「うん。帰れなくなる前に一緒にタクシーで帰らせてもらおっかなって。」
「あ、そう?じゃあ頼むわ。任せた。」
待って待って任せないで。
「おっけ。はい、これ2人分。」
自分がもたもた財布を探している間に2人分の飲み代を幹事に渡して「タクシー着いたみたいだから行こ?」なんて笑う目の前の人についていくしか無かった。
「肩貸そうか?」
「あ、歩けるし…」
頭はちょっと働かないし、アルコールで気持ち悪いけど歩くことができないほどではない。それに、自分の何倍も細いその腕や肩につかまると折れてしまいそうだしとてもできない。微妙に距離をとって歩く中、居酒屋の喧騒に紛れる沈黙が流れる。
「…確かに肩貸せないか。自分の方が背高いしもたれづらいよねー。」
「はぁ?!違うし!…その靴高さあるからだろ。」
わざとらしく悪態をついてきたから、こちらも反射的に返す。当時と変わらない距離感で言葉を並べてきたことにちょっとだけホッとした。待ち構えていたタクシーに乗り込み、ふぅと息を吐く。あっちがタクシー降りるまで寝てやろうと思って目を瞑ったところで目的地を聞かれた。
「とりあえず〇〇駅の方まで行ってください。」
「えっ、なんで?」
澱みなく告げられた自分の最寄駅に疑問が止まらず、思わず体を起こして聞いた。
「送迎係任されたから先にそっちの方行くの当然でしょ。」
話を聞いていなかったのか?と言うように眉を顰めて言うからこっちがおかしいのかという気にさせられる。自分が聞きたいのはそんなことではない。
「じゃなくてなんで知ってんの…」
今日の幹事である目の前に座っていたあいつは自分の家を知らないはずだし、記憶の限りではそんな会話もしていなかったはずだ。じゃあなんで…
「めっちゃ飲んでたし、一人で帰れなそうだなと思ってたから聞いておいた。」
「誰に?」と聞けば、答えられたのは自分の右隣に座っていたギャンブラーの名前。たまたま引っ越した先が近かったから二人でご飯に行くことも多かったあいつ。明るくてユーモアのある良いやつだけど口が軽いのだけは難点だった。
「ま、詳しい場所は知らないし、近くなったら運転手さんに案内して。それまで寝ないように話付き合ってあげるから。」
「はぁ…?寝ようと思ってたのに…」
「自分にはなんも言わずに引っ越した仕返し。」
怒っているようには見えなかったが、いつもの冗談にしては芯の食った理由と真顔に何も言えなくなってしまった。暗い中、ぼんやりと浮かぶ目の前のこの人の顔はいつもに増して綺麗だった。作り物だと疑ってしまうほどに。
「…なんてね。いつも送ってもらってたから、今日くらいは送らせてよ。」
その細い体のどこに入るのだと問いたくなるほど、自分とは対照的によく飲むこいつを毎回家に送り届けるのは、確かに自分の役目だった。毎回酔って前後の記憶を無くし、体の力も入らないほど飲んでは自分の名前を呼ぶから仕方なく毎回肩を貸していた。「お前ら付き合ってるの?」の言葉は幾度となく聞かれた。その度に否定してきたけど、自分の送別会のその日まで、送り届ける役目は変わりたくなかった。
「きて…?寂しい。」
酔うと、ベットに勢いよく倒れ込んではいつも同じこの言葉を呟いてくる。目を潤ませて、精一杯手を伸ばしてくるこいつの姿を誰にも見せたくなかった。その手をゆっくり下させて「早く寝ろ」と布団をかけさせる役目を自分以外の誰かに明け渡したくなかった。付き合ってるだろとからかわれて、「さぁ、どうだろうね?」肩を組んでくるこいつの隣に違う人が立つのが嫌だった。
「ねぇ、早く。」
ああ、本当に嫌。こいつ嫌い。どうせこんな言葉を言ったのは忘れるくせに、決定権と責任だけこちらに渡すのはずるいだろ。こっちは、何度、何度我慢したと思ってるんだ。もし理性を捨てて目の前の綺麗な人に飛びついた夜があったとしても、もちろん二人とも大人だし、何も無かったなんていうふりをして友達を続けている人はこの世にごまんといるのだろう。だけど自分はできない。そんなことできるほど器用じゃないし、今まで通りなんてできるわけがない。それに、こいつは、同僚である前に友達で、友達である以上に、一緒にいると居心地が良かった。好きだったと言ってもいいかもしれない。でも俺は日和った。寂しいを真に受けて寄り添って一夜を超えた先、この綺麗な顔をした人は何と言葉を紡ぐのか?責め立てられたとしたらこっちも返す言葉はあるけど、本気で絶望していたらどうする?心を許して軽口を叩いて笑い合ってきた友人が、いつもは無視するようなそこらへんの言い寄ってくる奴らと同じ人間の欲を露わにしていたら?その綺麗な顔と見た目に寄ってくる人間が多いというなんとも羨ましい愚痴をこぼしていた相手もその寄ってきた人間の一人に成り下がってしまったら?働かない思考をぐるぐると動かしているうちに悩ませている本人と目が合った。暗いからか、真顔だからか、その感情は読み取れない。
「もしも、過去に戻ったら何する?」
「…は?」
「あの質問、答えてなかったでしょ?気になるじゃん。」
遠くにいたから聞いていないと思っていた。今日も元気で、隣にいた後輩と仲良さそうにお酒を飲んで、肩なんか抱いちゃって。ああ、今はあの子が自分のポジションですかなんて、拗ねて、いつもよりお酒を煽って。この職場を離れると決めたのも、壁を作ったのも、自分なのに。一番遠い場所に座ってるくせに、そっちなんて気にしていないですよなんてふりをしているくせに、過去を変えれると仮定したら真っ先に浮かんだ顔が目の前のこいつなんて、マジでだせぇ。
「で、どうなの?」
「……会社離れなかったら、今でも俺が、お前のこと送ってた?」
予想外の自分の言葉に目を丸くした後、優しく笑った。
「……うん、そうだろうね。てか、わざわざ戻らなくたって今でもそうじゃん。そっちがめっちゃ飲んだからこっちがセーブしたんじゃん?いつも通りにしてくれたらもっと飲めたのにさー。」
「え…?」
「本当ちゃんとペース考えて。次奢り確定ね?」
「…あ、飲み代、今日の、ごめん出すわ。」
「だから良いって。次奢りっつってんじゃん。」
「……ありがと。ここ、タクシー代は出すから。」
「それも良い。いらない。いつも出してもらってるし今日はこっちが送迎係だから。」
なんて会話をしているうちに駅に近づいていて、運転手さんに道を指示するように言われて会話は途切れた。うちのマンションの前に停まって、あっちに払ってもらう場面を見届ける。ドアが開くのはあっちだから支払いが終わるまではこちらも降りれない。カードの決済音が鳴ってからドアが開く。
「…ありがとう。」
「ん。全然。」
なんかどこかやり切れないような複雑な感情が溢れる。そんな微妙な表情をしている自分に笑いかけながら、先に降りたその人が手を差し伸べる。
「じゃ、行こ?寂しかったんでしょ?」
その綺麗な人の手を初めて取った日だった。

7/25/2025, 2:08:43 PM