揺れる木陰
あつい。駅から地上に出てきて、自分を取り巻く空気が一気に変わってくらくらした。今日の最高気温は何度だっけ。照りつける日差しの中、わざわざ立ち止まって天気を調べる気はさらさら無い。適当に34℃かな、なんて無意味な予想をする。あとで調べよっと。気温と体感温度は違うみたいなことを前に誰かが言ってたような気がする。難しいことはよく分かんない。勉強は苦手だ。どの教科も別に得意じゃなかった。あ、体育は好き。けど、特に化学だとか数学だとかそういう理系と言われる分野の授業は特に瞼が重かった。テスト前になると勉強会だって家に集まる割に課題は進まずにくだらない話でずっとゲラゲラしてたっけ。そんな思い出を思い返しながら公園のコンクリートに腰掛ける。ちょうど木陰になっていてひやっとした感覚が気持ち良い。まだ集合時間より五分も早いけど俺の方が先に着くなんて珍しいなー、なんて考えながら携帯を見ていた。すると、不意に自分の前に大きな傘の影が止まり。明るい声がした。
「なぁ、おにーさんかっこいい。今からお祭り一緒に行こーや?」
その聞き慣れた声に顔を挙げると、さっきまで「すぐ行くわー」なんてLINEを交わしていた相手が、その整った顔をニヤニヤ歪めながら佇んでいた。
「…なに、そのノリ。」
暑さか何か知らないがぶっきらぼうにしか返せない自分。そんなこと気にしないように楽しそうに続けるその人に相変わらずだなって笑みが漏れた。
「ドキッてした?ナンパされたって思った?」
「思わねーよ!てか声で一発で分かったし!」
「えー、久しぶりやのにすぐ気づくとかめっちゃ愛深いやん。」
「ちげーから!」
「そんな怒らんといてやー。ほら、これあげるから。待たせてごめんな?」
そう言いながら渡してきたのはレモン味の炭酸水。高校の時いつも飲んでたやつ。思わぬプレゼントにちょっとだけ勢いを無くして、小さい声でありがとうと受け取るとまた笑われた。水滴がつたうそのボトルを受け取って喉を潤した後、「よし、行こ。」とコンクリートから離れて隣に立つ。すると目の前の人はまた笑った。
「あんま日傘で相合傘見たことないねんけど。」
「別に良いじゃん、暑いし。」
照れを隠すようにぶつぶつ言いながら早く行こうと急かす。神社の前の通りにはもう出店が出ているだろうし、駅の西口からすぐのこの公園から人通りの多いその通りに出るまでは五分もかからない。だから、少しだけ、甘えてみたのだ。
「今日は最高気温35℃らしいしな。」
思わぬタイミングで今日の最高気温を知ったけど、さっきの予想は忘れてしまったから意味がない。うん、分かんないけど正解ということにしておこう。そんなことよりも今は、からかいながらも一人分のスペースを空けてくれるこいつの顔を見つめるのに必死だから。高校一年の夏、この綺麗な顔をした関西人が転校してきた。最初は明るすぎて仲良くなれなそーなんて思ってたのに、いつの間にか隣にいることが多くなった。「さっきの化学も寝てたやろ」とくすくす笑いながらノートを見せてきたり、あれだけ勉強しない勉強会を2人で開催してたくせにちゃっかり高得点取ってきちゃうこいつに何度レモンの炭酸水を奢ってきたことか。当たり前に横にいて、その当たり前の延長線で付き合って、ずっとくだらない話をして笑う楽しい日が続くと思ってた。
「大学は地元帰ろうと思うねん」
いつも笑っているくせに泣き出しそうな顔をしていたから何も言えなかった。そもそも学力が違うから大学は別になるなんて分かってたはずなのに、まさか遠距離になるとは考えたこともなかった。あの言葉を聞いた夏の日からちょうど一年ぐらいだろうか。新しい環境にも慣れて、電話もLINEも毎日していて意外と楽しくやれてると思っていた。でもやっぱり会えたら、会えた分だけ感情が溢れる。人の少ない道を通って近くの神社を目指す。
「なぁ、自分から入ってきたのに照れるんやめて?顔真っ赤やで。こっちが恥ずかしいやん。」
「うるせー。暑いからだし!」
暑いからと身を寄せ合って入る日傘の中で、またくだらない話をして2人で笑い合った。
7/18/2025, 1:03:49 PM