Werewolf

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3/8/2026, 8:41:09 AM

【月夜】ロクなことがない日

 今日はロクなことがなかったなぁと、ぼんやりと歩く。本当にロクなことがなかった。単純にレポートの提出が重なっていて寝不足気味だったこともあるが、階段で転ぶわ、教科書を教室に置きっぱなしにするわ、昼の学食では食べたいものが売り切れるわ、電車が遅延して帰宅の頃にはすっかり日が暮れてしまうわと、なかなか散々だった。
 どうも、妙に目がギラつくというか、夜あまりよく眠れなかったし、背中はそわつくし、イライラしそうになってよくない。怒ったっていいことはないのに。
 日が暮れて人のいなくなった公園で、寒空に浮かぶ満月をなんとなく恨めしい気持ちで睨んでから、コーンスープのプルタブを上げる。電車を降りて自販機で買ったそれを飲みかけて……あ、とまたため息が出た。薄暗くてよくみていなかったのもあるが、今手の中にある缶の表面を見る。それはどうみても「ココア」と書いてあったし、甘い香りが漂っていた。隣を押したか? いやそんなことはないはずだ。よくある話だ、隣の商品が出てきた、といやつだ。もう開けてしまった。
「あ〜……」
 思い切り項垂れる。誰に見られてても構わないとさえ思っていた。なんなら少し聞いてほしいまである。なんだってこんなに悪いことばかり続くのか。
 ふと、その項垂れた視線の先にスニーカーが転がってるのが見えた。片足分だけだ。サイズが今自分が履いているものと変わらないな、と思いながらそれを手にする。
「あー!」
 と、公園の茂みの中から声がした。
「あの、ええとそれ、こっちに投げてくれません?」
 もごもごと少しこもった声、若い男のようだったが、怪しかった。
「……」
 返答せずに近付いていくと「あ、ダメダメダメ、なんで来んの!?」と小さな悲鳴じみた声が上がる。
 がさり、と茂みの中に分け入ってみると、奇妙なものがいた。大枠で見れば人っぽい。髪の毛が生えていて、眼鏡をかけていて、パーカーを着ていて、ズボンを履いていて、靴を片方だけ履いている。ただ、その靴下は破けてしまっていた。鋭い爪を生やしたつま先、奇妙な形に曲がっているのが浮かび上がるズボン、両腕も鋭い爪を生やした手を持っていた。手だ。そして太くて長い首の先に、犬によく似た形の顔があった。髪の毛と、いくらかあるすね毛や指毛以外は無毛だ。
 脳裏に、「狼男のなり損ない」という言葉が浮かんできた。
 彼はひどく狼狽えていたが、やがてこてん、と首を傾げた。
「あれ……君も、狼なんじゃないか」
「は?」
 その生き物は、頬を歪めた。おそらく笑ったのだろうが、口の形が違うので、その笑みの示すところまでは読み取れない。
「人の形のままだとイライラっていうかムカムカっていうか、しんどいのに。よく我慢していられるね」
「いや、何言ってるかわからん……ていうかお前何者だよ」
 狼なわけないだろ、と言い返すと、その狼男モドキは何か納得したように頷いた。
「そうか、隔世遺伝とかもあるからね、知らないのも無理ないか」
 頭が追いつかない。何を言われているか分からない。そうしている間に、目の前のなりそこないに毛が生えてきていた。ああ、なりそこないじゃなくて、これは。
「はぁ、落ち着いた……家帰る前に始まっちゃってびっくりしちゃったよ。ねえ」
 ふわふわとした塊がふさふさと揺れている。尻尾だ、と思う前に、目の前に明るいオレンジ色の目が飛び込んでくる。灰色の毛をした中に、キラキラと輝いたそれが見下ろしてくる。
「あんよは上手、からかな。ほら」
 逃げるとか、抵抗するとか、そういう暇がなかったというより、そういう気が起きなかった。手を繋がれて、柔らかに握りしめられる。そうすると急に全身を覆っていた緊張感がばっと溶けてしまった。解けたのではない、まるで皮膚の表面を滑り落ちていくような不思議な感覚。
「うわっ」
 不可解なそれに驚いていると、握られていた手が大きくふしくれだったものに変わっていくところだった。足元がふらつく。踏みしめようとして片足が浮いてしまうと、ちょうど靴が脱げて飛んでいってしまった。ぽーん、と弧を描いたそれが人のいない公園に落ちる。靴下がビッと小さな悲鳴をあげて裂けた。

3/6/2026, 2:00:37 AM

【たまには】月末夜の渚さんデザート

 よし、と渚は小さくガッツポーズを取る。今月の請求書は全部片付いた。不足の書類は昼過ぎに揃い、上長の印も早い時間につけてもらえている。駆け込みも許容範囲だ。定時から一時間で月末の書類が片付いたのは十分に及第伝である。本当ならそれは随分ダメなような気もするのだが、渚があれこれ決め事をするまで深夜までかかってたところから考えれば進歩である。
(呑気なだけなんだろうな、外堀埋めるとやってくれるし)
 そう思うことにしている。いつもギリギリで追徴課税にならないように必死にならなければいけない日々に比べたら随分楽になったものだ。先輩と一緒にルールの立て付けをやった甲斐もあると言える。
 今から帰れば駅前のスーパーがまだ開いている。華金でもある。今日くらいは贅沢をしよう、とそう心に決めた。

 渚は自宅最寄駅のスーパーに立ち寄ると、一パック三百円超えの苺と、比較的安価なカップアイスのミルクリッチ味を買って、製菓コーナーでチョコスプレーも買い込む。ホイップクリームは調子に乗って購入した絞り出しタイプのものがまだ残っていたはずだ。なかったとしても問題ない。最後に割引のシールがついたピザとサラダを買って会計に行く。
 帰る足取りも軽い。前回のボーナスで買った普段履きのパンプスも、その大理石に似た柄を踊らせているかのようだ。先ほどスマートフォンの電源は切ってしまった。たとえ友人であっても今晩のお楽しみを終えるまでは放っておいてほしい。
 単身者向けのアパートの玄関を開けて、靴を脱いで揃えて、ドアにはチェーンをして。鍵を靴箱の上のトレイに置いたら、買い物袋をキッチンに運び、デザートになるものを冷蔵庫へ。サラダはテーブルにおいて、ピザも常温でも大丈夫そうなのでその横に置いた。
 スーツをハンガーにかけて軽く髪の毛をくくり、メイクを落として顔を洗った。今日の風呂は後回し、と決めてキッチンに戻る。レンジでピザを温める間にサラダを食べた。ジェノベーゼと照り焼きチキンをそれぞれ楽しんで、お待ちかねの時間が来る。
 苺は洗ってヘタを取る。半分に切る手間は惜しんだ。アイスクリームはパッケージを軽く水にさらして外れやすくし、ワンパックを深めの皿に落とす。周りにホイップクリームを敷き詰めて、苺を乗せていく。その上にもホイップを少し乗せて、上からスプレーチョコをたっぷりかけた。
 平皿の女児パフェ、と渚はひっそりそう呼んでいる。月末かその前後に、これをやるのが密かな楽しみなのだ。普段は節約と節制を心がけて、過剰に甘いものも食べないし、本当は帰りが早ければジムに行くようにもしている。それでも、自分が「ああやりきったぞ」と思えた時にはちょっと甘えたい時もあるのだ。
 スプーンで救った一口分を、ぱくん、と唇の奥に受け止める。
「ん〜!」
 まだ未熟で酸っぱい苺と、甘くなめらかなアイスクリーム、優しいホイップと歯応えのあるチョコレートの楽しいハーモニーが、疲れを癒すようだった。

3/5/2026, 2:20:45 AM

【大好きな君に】式場からの逃走

 結婚が決まった、と寂しげに笑った君に、私はどうしていいかわからなかった。おめでとうの一言も言えないなんて、どうかしているだろうか。言葉に詰まる様子を見て、ただ労るように背中を撫でる手が、冷たいのがこんなにも苦しい。いつかこんな日が来るということはわかっていた。自分と君の間にある色々なものが、この色濃い感情を恋と呼ばせてこなかった。どうしたら、どうすれば、考えるほどに混乱する。冷静になどなれそうもなかった。
「大丈夫、分かっていたこと」
 そう告げる声だって震えているのに。背を撫でていただけの手が、包容に変わって、胸元に頭を寄せて泣いている君に、私は何もできないのだろうか。抱きしめ返すと、安心したように小さく溜息。
「相手が相手だから、緊張してるのかも」
 立場、地位、政略。何もかもを飲み込んで君は笑っている。その目の中にある潤みに気付けないほど、私は鈍感ではなかった。何も言えないまま、顔を上げた君の目尻を拭う。くすぐったいよ、と笑うのを、もどかしく見ていることしかできない。祝福などできようもない、したくもないと、分かってくれている。そう感じている。

 ついにその日が来た。白い衣装に身を包んで緊張する君が、隣に伴侶となる人を連れて式場に入ってくる。
 飛び出していた。君の手を引いて走り出していた。悲鳴が聞こえたがどうでもよかった。今君が入ってきたばかりの扉の方に駆け込んで、裏口を通って、従業員用の通用口を抜けて、とにかく走って走って走った。自分のめかし込んだ衣装も、君の白い衣装も、ボロボロになって、息が切れて、それでも走った。
 大好きな君にこんなことするなんて、ひどいだろうか。でも絶対嫌だ。
 ふと、振り返ると、君は泣き笑いを浮かべて「あー、おかしい」と楽しそうだった。

3/4/2026, 3:19:32 AM

【ひなまつり】*GL
「ゆっか〜、雛人形飾った?」
「あー、うん、ママがなんか張り切ってた」
 真里が「いーなぁ」とボヤく。彼女の家は母親が早くに亡くなったので父だけの片親家庭であり、子供も真里と兄と弟の男ばかりの家だ。高校生になるくらいまではお父さんの姉、おばに当たる人が一緒に住んでいたが、真里が高校生になった頃に別居してしまった。今でも同じ市内にいるので会うこともある。彼女は、不思議な人だったな、と思う。
 裕香の家はごく一般的な四人家庭だ。父母と弟の家庭で、両親は共働きながら、母の方がイベント好きなために、十二ヶ月間何もないということがほとんどない。六月の何もない初夏でさえ、何かしらやっている気がする。
 そんなことなので、母はひなまつりの時期は毎年、早めの雛人形を出して、あれこれと飾り付けている。お代理様とお雛様だけの略式のものだが、曽祖母の代から受け継がれているとかで、十二単のあたりは見てみると多少古びているが、最近デパートで見かけたようなプリント生地などは使われていない。真里は、それを見に来るのを楽しみにしている。覚えばそれは小学生の頃からだった。家が近所で、親同士に何かあって交流があるのも手伝い、ひなまつりの前後に一緒に食事をする日がある。
「そっか〜」
「またマリ呼びなって、ママが」
「毎年呼んでくれるのマジ嬉しいんだけど」
 へへへ、と照れ笑い。あとで何かちょっとしたいいお菓子を持ってくるところまで含めて定期イベント化している。
「ウチ男ばっかで、雛人形もどこにあるかわかんないしね、マジで嬉しいんだよね〜」
 真里いわく、「確かにあるはずなのに、何度押入れやクローゼットを探しても見つからない」らしい。真里が三歳の時の写真には写っているのは裕香も見たことがあった。
「まぁいいんだけどね、出したら出したで、すぐしまわないと婚期が遅れるとかいうしさー」
 ちょっとしたくだらない話でも話すように、彼女はそう笑った。それを、裕香は「だよねー」と笑って受け止めるが、ほんの少しだけ気持ちが沈む。母親はひなまつりが終わると、必ず翌日の夜には人形を片付ける。理由は先ほど真里が述べた通りだ。裕香の結婚遅れるの嫌だもんねー、と、彼女も朗らかにそう笑う。
 しかし裕香の結婚というのは、きっと二人が考えるようなものではないのだ。
 裕香は出て行った真里のおばさんが、同じくらいの年齢の別の女性と手を繋いで歩いているのを見たことがある。それも、数回。部活の帰り、寄り道で、少し遠回りして立ち寄るスーパーの横の暗い路地。相手の女性から頬にキスをされて、満更でもなさそうに微笑むおばさんを見て、裕香は自分もそっち側なのだなぁ、と自覚していた。
 結婚という言葉に期待されるものを想うたびに、ほんのわずかに、呼吸が苦しくなるのだった。

3/3/2026, 6:35:03 AM

【たった一つの希望】さぁ! 今日こそ婚約破棄をしよう!

 アルファルドはうんざりしていた。自分の婚約者は真面目一辺倒で全く面白くない。茶会の席に呼んでやればやれ隣国タガフの飢饉がどうの、やれ山向こうの田舎の国バスロイがどうのと、つまらない話ばかりする。それだったら上級学院で知り合ったカドゥオン男爵の家の令嬢の方がよほど面白い。社交界の噂はもちろん、市井の間みや流行にも敏感で、話していて面白い。化粧も華やかだし自分に似合うドレスをわかっている。どうも婚約者のシェリーは地味なのだ。メガネでこの国では珍しいブルネット、化粧も見たところ最低限だ。そんな見た目なのに、話題の割に詩学の成績が中の下だった。まったく不出来な女だ。国王たる父がなぜこんな女を自分にあてがってきたのかわからない。

 ということで、アルファルドはその日の夜会でカドゥオン男爵令嬢フリジアを伴い、二階のバルコニーから宣言したのだ。
「シェリー、お前にはうんざりだ! 本日をもって婚約を破棄とする!」
 隣でフリジアが鈴のような声をあげて笑った。
 しーん、と夜会の会場が静まり返る。そして次の瞬間には、まるで会場が蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
「マジで言いやがったぞ!」
「おい国王よべ国王!」
「あああのシェリー様、一旦こちらに!」
 その中に顔を真っ青にしたフリジアの父、カドゥオン男爵もいた。しかし彼は何も言わず、近くにいた自分の側近を呼び寄せると、そのままその場を辞してしまった。
 一体何が起こっているのかわからない。学園で「お似合いですね」と声をかけてきた他の家の人間たちまでもが真っ青だ。アルファルドにしてみれば、さぞ華々しく迎えられると思っていたのだ。
 そして、その場に父が現れた。威厳のある顔の目が悲しげにアルファルドを見つめている。
「……そこまでバカだったか」
「いや、いきなり失礼ですよ父上」
 むっとして言い返すが、次の言葉を言う前に左右から衛兵に腕を掴まれてしまった。
「おっおい無礼者! 放せ! 父上、やめさせてください!」
「キャッ! なんなのよも〜!」
 フリジアもそれは同様だった。
「たった今をもってアルファルドを廃嫡、フリジアもそれに伴わせる」
 そう告げる声に、アルファルドは目を見開くしかできない。
「帝王学と社会学で散々教えたはずだぞ、アルファルド。我が国は肥沃であるが、他国との交渉が上手くいっていない。自給自足だけでは国は伸びないのだ」
 急な話題で、何を言われているかわからない。そんなこと、何か聞かされていただろうか。
「シェリー王女は海を隔てたイルドニから来ている。イルドニとの国交は我が国に大きな船や技術力をもたらしている」
 そうだっただろうか。婚約者として引き寄せられた頃にはフリジアと比べていた気がする。一体、だからなんだというのだろうか。アルファルドになんの関係があるのか。
「まだわからないのか」
 と、声が飛んできた。それはアルファルドの腹違いの兄、王位継承権のないシルビックだった。離れに住まう彼をいつ追い出すのだろうかと思っていたのに、まだいるのかと呆れる。ふと、その隣にいつも通り、つまらない顔をしたシェリーがいた。
「お前、自分の婚約の話を少しも聞いていなかったな」
 溜め息が聞こえる。
「いいか、嫡子として継承第一位のお前とシェリーの婚約は、国の約束だ。イルドニからは「最も位の高い男との婚姻を望む」と言われている。こちらはその条件を飲むことで、イルドニの国交を盤石とし、貿易状況を他国への交渉材料にして、隣国タガフの飢饉に食糧援助を申し出て、バスロイに陸路を開く工事の交渉に入れた」
 アルファルドは理解の追いつかない中で必死に考えていた。最も位の高い男とは自分だ。だがそんなことのために好きでもない女と。そこまで考えてから、「そんなこと」だろうかと、はたと立ち戻ってしまった。アルファルドの不幸はそこにあった、彼は底なしのバカではなかったのだ。
「アルファルド、お前を廃嫡としたことで、王位継承権はシルビックに移った。シェリーもそれで承諾してくれている」
 ようやく事態を理解したアルファルドが何か言おうとしたが、すっかり渇き上がった喉ではなんの言葉も出てこなかった。となりのフリジアも唇まで真っ青にしている。
「フリジアは王族を誘惑した罪で永年の地下幽閉、お前は国外追放……と言いたいが、外に出すとまた碌でもないことをしでかしかねん、離れの塔への幽閉とする」
 まぁ、お優しいという声があちこちから聞こえてきた。優しいわけがあるかと、反論するコマが手元にない。
「我が国は、たった一人でこの国へ来た、交渉材料となることを選んでくれた彼女を、無碍になどすることはできないのだよ」
 ずるずると引きずられながら、アルファルドは父王の後ろに控えていたシェリーを見た。無表情な女だ。今もじっとこちらを見ているだけだ。もしアルファルドにたった一つの希望があるとするならば……彼女が御子を授かり、その時の温情で減刑される時だろう。彼女がそれを許すかどうかは、これからの幽閉生活次第である。

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