「進路希望調査 あなたの将来の夢そのための進路について書いてください。」
プリントの記入欄は凸凹になってしまった。
「あなたが行きたいところに行けばいいのよ。」
「お前ならどこにだって行ける。先生は応援するぞ。」
親も先生もそんなこと言うけど、きっとあの人たちは医者になりたいとか弁護士になりたいとか言う私しか頭にないのだろう。無理もない。私は勉強ができて頼りがいのある優等生になってしまったのだから。ただ怒られないで心配もされない、傷つかない選択肢ばかり選んでいたら真面目な学生Aになってしまった。そんな学生Aには夢がない。いや、夢を隠している。だってそれは学生Aには似合わない夢なのだから。
いつの間にか日は落ちて外は暗くなっていた。
学生Aは深いため息を着くとスマホをもってベッドに倒れた。慣れた手つきでアプリを開く。それは今人気の冒険ゲー厶だった。どうやら学生Aは現実逃避をするために始めたこのゲームにハマってしまったらしい。1人で笑ったかと思ったら泣き出し傍から見たらおかしい限りだ。学生Aはスマホ画面をじっと見つめて言った。
「シナリオライターってやっぱりすごいな」
そう、勉強ができて頼りがいのある真面目な学生Aは似合わない夢を持ってしまったのだ。現実逃避のために始めたゲームにハマった挙句、似合わない夢を持ってしまうなんて皮肉な話だ。それもうんと現実からかけ離れた夢に。学生Aは賢いから知っている。賢いからこそ知っている。これは自分が言ってはいけない夢だと。自分は現実的だけど夢のある夢を持たなければならないということを。そんなことを考え続けているせいでプリントも心も埋まらない状況になっているところだ。
「弁護士、youtuber、医者、漫画家、教師、シナリオライター…」
そう唱えると笑ってしまった。夢のある夢ほど現実を考えなければいけないんだ。そう考えたら現実逃避なんて困難じゃん。実際夢持った日から現実を見すぎている。
大人は現実を見ろと言ったかと思ったら次の日には希望を語って夢を持つことを強要する。どっちつかずで子供は分からなくなる。そんな大人たちに夢を言ったら言ったで違うって言うに決まっている。
「ご飯できたよー」
下から母の声が聞こえる。
「はーーーい」
いつものような返事だっただろうか。そんなことを考えながら階段を降りる。
夢なんて不確定に決まっているのにそこに確実を、安定を求める。夢を語る時に現実なんて見たらいけないのに現実はそういう時にこそ出しゃばってくる。私が夢を持つ日は来るのだろうか。
この世を生きる人間みんなオタクなんです。
大事なことなので沢山言います。
この世を生きる人間みんなオタクなんです。
「え待ってそれ新ビジュのグッズじゃん!」
「そうなの!昨日買ったの!」
「いいなぁー!そうだ!これ頼まれてた絵!」
「待ってました!これほんとにお気に入りのビジュなんだー!ありがとうまじ尊い!」
これは私と友達の何の変哲もない会話。
だけどクラスの人間はニヤニヤしながらこっちを見てくる。
「やば笑笑」
「無理死ぬ笑笑」
あの人たちには私たちがオタクに見えているのだろう。もちろんそうだ。否定はしない。私は自他ともに認めるオタク。だけど別に恥ずかしくともなんともない。だって好きな物を好きだって言うことの何がおかしいの?もちろんTPOとかは弁えてるし、なんならあちらの方が普段周りに迷惑をかけているのでは?だからと言って別になにかアクションを起こすつもりはない。
だってあの人たちもオタクですもの。
人間生きてれば感情は自然と形成されるもの。その感情は種々雑多で自分だけにしかないものとか他の人と共有できるものまで色々。だからそこに「好き」という感情があるのは不自然ではない。そしてその「好き」こそがオタクの種だと私は思う。換言すると「好き=オタク」なのだ。
人間大なり小なり好きなものがある。私たちを笑っていたあの人たちもメイクとかファッションとかに敏感じゃん。毎日のように新しいコスメ買って見せあってるじゃん。それはもうオタクと言わずなんと言えばいいのですか?
スマホの画面の俳優を見せあってキャーキャーいうあの子たちも
授業が終わったのにも関わらず永遠とよく分からない横文字の法則について熱弁する化学の先生も
ホームルームが終わって光の速さで着替えて部活に向かうあの子も
分厚い本とばっかり顔を見合せているあの子も
いつも同じ時間に同じ道でランニングしているあの人も
みんなみんなオタクなんです。
みんな何がが好きで何かに熱中して生きているんです。だから生きられているんです。嫌なことがあっても次の日にはケロッとしてられるんです。
先程私たちのことを笑っていたあの人たちですがきっと自分たちがオタクだって認めたくないんでしょう。「オタク」っていう言葉に否定的なイメージしか抱いてないばかりにプライドが邪魔して認めることが出来なくなったんでしょう。まぁ、何も認めることが正解って訳でもないですよね。まず「好き=オタク」っていうのも持論でしかない訳ですから。
だけど、人の好きを価値観を嘲笑するのはまた話が違ってきます。なんにもわかってないならもっとです。無意識に自分を上げるために他人を下げているんだと思います。その原因はやっぱりプライドかなって。自分を大切にする、誇りに思うのは素晴らしいことです。だけどそれは時に足枷になってしまいます。自分も他人も傷つけてしまいます。
話が脱線してしまった感じですが私が言いたいことは
この世を生きる人間みんなオタクなんです。
みんな「好き」を持っているんです。
もしいない人がいるのなら私の元に来てください。
この世のありとあらゆるものを布教してあげます。
人間「好き」があれば生きる上でのちょっとしたエンジンになると思います。
みんなが「好き」を極めればきっと不景気なこの世の中もちょっとだけ明るくなるはずです。
あと、あなたの「好き」が馬鹿にされることがあるかもしれない。だけど簡単に折れないで。そいつらの前では強気でいて、誰もいない時に悲しんで、「好き」に励まされてまた明るく生きて下さい。
耳タコかもしれませんが最後に
この世を生きる人間みんなオタクなんです。
誰よりも考え続けたい
考え続けていれば きっと私は居なくならないから
誰よりも考え続けていたい
過去の私を裏切りたくないから
10年後の自分はきっと過去の自分にカッコつけて色々語り出して手紙書き終わらないと思うので私が逆に書いてあげようと思います。
「10年後の自分へ
まず生きていることを大前提にお願いします。
家族は元気ですか?仲良くやってくださいね。親友2人とも一緒にいて欲しいです。家族とあの2人さえいれば生きていけると思うので。
職については心配してないけど10年前に音楽の先生に言われたこと覚えてますか?「お前はもっと将来に貪欲になれ」って。私は今はどうすればいいか悩んでいます。だけど、ただ好きなことの1つや2つを持っていて欲しいなって思います。今の私はこれといった趣味とか将来の夢がなくて悩んでいるからせめて10年後にはあって欲しいんです。
10年後の自分なんて想像できないけど今の自分より賢くてあって欲しいです。この思春期特有の悩みとか考えを忘れないで欲しいです。そしてこれは絶対、人の気持ちを考えられる、人の考えを理解出来る人のままでいてください。これは今の私の考えでしかないけど人間が考えることを辞めたらもう人間じゃなくなると思うから。人間の見た目をした野生の怪獣になって欲しくないから。お願いだから色んなことを考え続けてください。そして今の私より少し前にいて今の私よりちょっと大人びた考えを持っててください。将来の自分が今より自分の正義とか倫理を持っていると思うと将来が楽しみになるので。
最後に
過去の自分から手紙がきたからって急いで書き終えようとしないでください。思う存分、自分のことについて書いてください。そしたらたぶんあなたの思いを整理できて今持ってる悩みが軽くなると思うから。あと、書き終えても私に送らないでくださいね。自分の人生のネタバレなんて聞きたくないから。
それでは10年前のあなたからでした。 」
「はいチョコ!」
「ありがと!私からも!」
朝イチから教室に聞こえる会話はこんなものばっかり。
そう今日はバレンタイン。私はそんなタイプじゃないから作って友達にあげるなんてことはしない。
「おはよ!はい!」
と言って友達は私にチョコを差し出した。友達も同類と思っていたのはどうやら間違いだったらしい。と言っても私は超甘党だからもらって喜ばないはずがない。
足早に家に帰りもらったチョコを机に出す。同級生から2個と先輩から3個。思っていなかった戦利品達に頬は緩むばかり。早速いただいたがすぐに私の手は止まった。生チョコの群れに勝てなかったのだ。甘党と豪語していたのに情けない。
「人間みたいだなー」
自然とそう思った。人と仲良くなればなるほどその人がわかってくる。それは良いところも悪いところもだ。そこからまた深入りしていけばいつか嫌いになる。
私がそうだ。
私がいつも通う学校。いつも話す友達。
みんなみんな優しい人。だけどそれだけじゃない。
話せば話すほど、一緒に過ごせば過ごすほどその子ことが嫌いになる。というかダメな部分しか見れなくなるのだ。このチョコをくれた仲の良い友達も他の子も。私はみんなみんな心のどこかで嫌っているんだ。だけど離れられないのだ。みんなそれだけの人間じゃないから。そして1人は辛いから。
「人間って面倒だな」
今年のバレンタインは今までよりちょっとビターな日になりました。