自己肯定感の低さは元からだろうか、それともどこかのタイミングで撒かれた種が芽吹いてしまったのだろうか。
どちらにせよ除草剤も効かぬ疾患ならば仕方が無いのだと思った。
遠くの席で静かに虚空を見つめている不細工な横顔を見た。
その毛量の多く乱れた髪が覆う後頭部めがけて誰かが消しゴムを投げつけた。
また始まった、続いて筆箱やらノートやらが当たり、彼女のメガネがずれた、やがて落ちる。
途端に、やはり、好きなのだと悟る。
だがそれは純愛でもなんでもない吐き気を催しかねないような愛憎混じりの執着でしかない。
きっと、口に出さぬ方が良い愛もあるのだろう。
救世主シンドローム。若しくはメサイアコンプレックス。
彼女を愛しく思うのはこれの所為だろう。
自分は苦しむ他人を救うことによって満足感を得て自己を肯定する、どうしようもない屑なわけで、彼女への愛は本物でもなんでもない。
他人を利用することしか考えない自分が、きっと世界一救えない。
彼女の席に駆け寄り、虐める輩を追い払ってやった。
クラス内で真面目な学級委員長役をしていたおかげか、彼らはあまり反抗してこないような気もする。
単に面倒臭がられているだけかもしれないが。
「ありがとう」と言われた。
掠れたか細い声は、とてもじゃないが耳障りで厭な気持ちになった。
だが同時に、その甘美な五音の響きに恍惚を誘われる。
感謝を述べられる度に、自分は生きてても良いのだと思う。
こんな自分でも存在価値はあるのだと、誰かに求められているのだと、あの一言だけが希死念慮を制御してくれるから
三十六作目「secret love」
毟り取った雑草はビニール袋を満たした。
空虚な一戸建てをぐるりと囲むような泥の帷に咲く夏草を、ひとつ残らず始末した。
この頃は雨なども降らず、猛暑の日々が続いている。
早く秋という季節が訪れれば、ちょっとはこの鬱屈とした心も癒されるだろうか。
修学旅行で見た京都の寺を思い出す。紅葉が散ったらきっと綺麗だ。
数日経った。或いは数週間が経った。
夏草は伸び切っていた。
相変わらず外は炎天下で、蝉の鳴き声が耳を劈く。
ふと、この緑達は、どこまで根を張っているのだろうと思った。
きっと自分の想像を遥かに超える地下深くまで、生命活動を絶やすことのないよう埋まっている。
だから自分のこの閉塞感や卑屈な感情も、いくら毟り取っても消えないのだろう。
もし今度外に出て、長い距離を歩くことができたら、除草剤を買おうと思った。
三十五作目「夏草」
もう一歩だけ、この脚を踏み出すことができれなばな。
あなたに近付きたくて、触れたくて、身体を動かそうとするけれど、
あなたはそれを拒んでしまう。
もう一歩だけ、おねがい。
もう一歩だけ、進ませて。
私は動けず硬直を保つしかない。
タイミングを見計らって動こうとしても、あなたはすぐに私の動きを制する。
もう私のことが嫌いなのかと疑うレベルだ。
でも、ようやっと、時は来た。
じりじりと砂とスニーカーの擦れる音が鳴る。
あなたの背中がまだ見える。
行ける、と確信した。
僅かに私の手があなたに触れたのが速かった。
負けてしまったと照れるあなたの顔を、直視できなかった。
初夏晴天の下、少年の日の恋の記憶。
三十四作目「もう一歩だけ、」
私も少女時代には何度かやりました。あんまりルール分かってなかったけど
今日、僕は君と飛び立つ。
白い翼も何も無い僕と君は、この古びた校舎のてっぺんから飛び降りる。学ランは着たままで、靴は脱いでおく。
もう決めたことだ。今更後悔などない。寧ろ今日遂行しなければ、
どうせ明日また後悔をしてしまう。
今日しかない。
風は強い。昨日は雨がふっていたから、地面は滑りやすくなっている。絶好の機会だった。逃す訳にはいかなかった。
思えば、僕と君は1秒たりとも離れたことはなかった。
心はいつも近くにあり、つながっている。誰にも断つことのできない強固なものでありながら、常にそよ風に揺られて切れかけている脆い赤い糸。
遂に、遂に終わる。
この無意味で無価値な生が、自分の身体は弾け飛ぶ。
積雪に大きな岩を落としたような音が響いて、僕と君はようやく一つになれる。
屋上の鍵は閉めた。意気地なしの君が逃げ出さないように。
内臓みたいな色をした空を見た。
僕の身体は投げ出され、君を道連れに落ちていく。
スローモーションみたいだった。ようやく、死を理解した。
生きることにも死ぬことにも、そこに意味など無かったのだろう。
それでも、もしもあの日の君の目にうつったのが僕じゃなかったのなら、いつか見た空が黒くなかったら、たぶん、僕はまだ生きていた。
三十二作目「君と飛び立つ」
はじめての体験に、僕は気が付いた。
日常とは、活動写真のようなものだったのだ。
僕を中心に廻る世界と見せかけ、別に僕を中心としている訳では無かったが、たしかに生涯主人公は僕である。
人々が地動説を信じ、反する思想の者を殺すように、人はときに正しさを歪める。
いつでも自分や、多数派だけが正しいことのだと思い上がっている。
それを見下しもしたし、なんて醜悪たる争いだろうとも感じた。
それを打ち明けたらあなたは笑うかもしれないけど、本当だった。
自然の風景はいつだって本物で、誇張も無ければ謙遜もしない。
その優雅さに見惚れる心があるのなら、人間の体も捨てたものではないのだろう。
いや、寧ろ僕は妙な居心地の良さに溺れている気がする。
鏡を覗く度うつる己の姿を、なぜか気に入った。
重瞳と不揃いな臓器ごとあなたが愛してくれるなら悪くないのかもしれない。
はじめ、僕は何処にも存在しなかった。
自分自身に生きている感覚があり、人々も僕が居ると思っていたけれど、僕自身は何処にも居なかった。
僕は祀られていた。それが崇拝か畏怖かはさておいて、僕は所謂“かみさま”という扱いをされていた。
実際人間ではなく、今だってヒトの形を象った化け物であることに変わりはない。
だが、この白く脆い皮膚の中に自分を閉じ込めてからというもの、当たり前に佇む自然の営みが無性に愛おしくなる。
あなたはそれを感情の芽生えと宣った。
あの瞬間、僕はあなたと出逢い、あなたと話し、あなたと咲った。
うまれて初めて、僕は望みを持って、明確に生への渇望を感じた。
だからこの活動写真も、喉の奥の変な乾湿も、きっと忘れない。
もし僕が忘れてしまったら、あなたが思い出させてくださいね。
三十一作目「きっと忘れない」
人間と人外のブロマンスに囚われて幾星霜