あの頃は俺も莫迦だった。今となってはもう黒歴史として消化されつつある恋。もっとできたことはあったんじゃないのか?「好き」の一言ぐらい言えたら良かった。そうしたら、あいつは今も隣に居てくれただろうか。
先日、歯ブラシを一本捨てた。俺の好みじゃない、甘ったるい菓子を胃袋に詰め込んだりもした。ゲーセンでとった大量のメルヘンなぬいぐるみを押し入れに詰め込んだ。ついでにネトフリも解約した。当たり前のようにあったものが、ついに邪魔になり始めた。
「綺麗だ」そう口に出した。他人に興味は無かった。ひとりで生きていくと決めていた。はずなのに、柄にもなく添い遂げたいとなど思った。それすらも烏滸がましかったのだろうか。いや、俺のせいか。確かに最初は顔が好みだったから近づいた。だが、段々距離を縮めると、知らなかった一面が見えて、その度に脈が速くなって、心臓のうるささにまた俺は恋を知っていった。
この世の何よりも苦い味のした恋。しなければよかったと後悔している恋。そんな二人だけの恋。
なあ、最低だったよな、俺。
十四作目「二人だけの。」
いつかの日に書いた「空恋」と対になる物語。
蝉の声がする。茹だるような暑さに、滝のように噴きでて顔や服や地を濡らす汗。気が遠くなりそうだ。じめじめとした空気が余計気持ち悪い。こんな気象、いつまで続くのだろう。7月の中旬にも関わらず、僕はうんざりしていた。
赤い夕陽に向かって歩むのも、そろそろやめにしないか。熱中症になって死んでしまいそうだ。それに、夜は間近。休憩する頃合いだ。
「疲れたな…」
こんな旅、早く終わればいいのに。
悪態をつきながら公園のベンチに横たわる。居場所を求め、猛暑を泳ぐ日々への疲労は、この固い木では癒せない。
古びた灯に小さな羽虫が群がっている。蝉の煩い声が鼓膜を震わす。星は見えない。ただ飛行機の光を見つけた。日が落ちても涼しくはなく、汗は滲む。今日は新月のようだ。こんなに晴れているのに月光さえも浴びられないとは。誰かの騒ぐ声。酒瓶の割れる音。なにかの破裂音。叫び声、うめき声。こちらに、近付いてくる足音。
果たしてそんな夏を、望んだだろうか。
十三作目「夏」
曖昧は夏はさほど好きではない。暑いのが嫌いだ。かと言って、寒いのも嫌い。最近は温度差で風邪を引いて、声が満足に出せないのが辛かった。皆様も、体調には気をつけてください。
「犯人は、あなただ!」
探偵の声がホールに響き渡る。指を差された男は動揺しながら探偵に抗議を始めた。あぁ、なんて滑稽だ。彼の推理は完璧であり、今まで一度たりとも外れた事は無い。正に世紀の大天才と呼ぶべきだろう。間違っている筈無いのに、どいつもこいつも自分の悪事を認めずに足掻き続ける。どうしてそんな恥知らずな事が出来るのか不思議でならないな。俺は連れて行かれる男の背中を、心の中で嘲笑いながら見送った。まことに清々しい気分である。
「今回の事件も、お疲れ様」
優雅に珈琲を啜る探偵と向かい合うと、妙な緊張感がある。睫毛の長い三白眼に見つめられると、腹の底の底まで見透かされている感覚になって背筋が凍るのだ。
茶封筒には約二十万円。事件に立ち会って与えられた脚本を覚えて演じるだけでこんな大金が貰えるなんて、美味しい話がすぎる。身の危険に遭う事も一度も無く、無職で取り柄もない俺はこんな仕事とも言えない馬鹿げた遊びに縋っていた。
「君の演技力はやはり良いね。いつも僕を素晴らしい探偵に仕立ててくれる……ありがとう」
推理力?洞察力?そんなもの、コイツは持ち得ない。あるのは人を欺く力。そしてシナリオを描き、それ通りに傀儡共を動かす人心掌握力である。まるで、嘗てドイツを率いた彼のようだ。求められるのは気分が良い。
「次は美術館に行こうか。あの“怪盗”使えそうなんだ」
探偵もどきは空になったカップを静かに机に置く。彼の持ち前の品の良さは、演技では到底表現できないものだ。
この男は探偵では無い。いや、正確には、無くなった。ある日を境に、自作自演の事件に犯人をでっちあげるようになった。協力者を雇い、何も知らない犯人役を孤立させ、警察さえも味方につける。おっかない奴だ。だがそれ以上に美しい。なめらかに紡がれる虚言が耳を孕ませ、頬を紅潮させるのだ。もはやオルガズムの域である。
何が彼を狂わせたのか、俺には分からない。分かったとしても、どうせ俺はただの道具であり駒なのだから、意味など無いのだけれど。
十二作目「隠された真実」
久々に小説らしいものを書いた。探偵と怪盗はロマン。
風鈴の音を聞く度に、消えたあなたを思い出してしまって、涙がとどめなく溢れてくるのです。私もいずれ、そちらに往きましょう。
ここは人の少ない簡素な村。独特な因習の根付く田舎です。あなたは、私の婚約者でございましたね。面白で、鼻筋の通った美男であると有名だったあなたが、真逆私のような小娘とだなんて、それはもう夢のようでした。遠い雲の上の存在とお近づきになると、逆に興奮などはせず、自分の浅ましさを嘆くものです。それでも、あなたは私に優しかった。無愛想ながらも、頭を撫でられると多幸感に包まれて、淡々とした低いけれど澄んだ声で囁かれる愛には、私は何度も救われていた。本当です。
神隠し、と言うべきでしょうか。縁側にふたり座っていた夏の日、あなたは姿を消した。それも、刹那のうち、風鈴の音がちりん、と鳴った瞬間に。はじめからそこに誰も存在していなかったかのように、私は世界にひとり取り残された。どんなことをしても、満たされない気分でございました。
あなたは今、どこに居るのでしょうか。もし孤独な娘を哀れむ心があるのならば、風鈴の音と共に、どこからか現れて頂けませんか。満月を見ましょうと申されましたのはそちらでしょうに。寂しさに枕を濡らす夜の、どれほど辛いことか……
十一作目「風鈴の音」
曖昧は柔らかな古風な語りがすき。漢語だらけの固い文章もすき。
目を閉じて、殻に籠もって、現実の嫌な事から目を背け、自身の精神安定に全力を注ぐ。
体力も、供給の為の栄養剤も持ち得ず、全てを捨て去る覚悟も出来ず此処に留まり続けて、ただ、心だけ、逃避行。
体躯だけはいつも在るのに、幽体離脱の如く、中身だけがすうっと抜けていくように、肉体のみ淋しげに取り残される。
周りからの干渉も受ける事無く、騒がしい場所を孤独に過ごして、一日一日が鬱屈で、空虚で、一体何の意味があるか分からず、生きているから生きている。そんな馬鹿げた事を真顔で、いとも真剣にやり過ごして、己の首を絞める真似だけをして、あなたは縄の結び方も知らないでしょう。
否定の言葉を遮りたいのであれば、前に進むか後ろに下がるかしなくてはなりませんが。それとも圧倒的な防御力が、あなたにあるとお思いですか。いいえ。そうではありません。
心だけ、逃避行。そうやって自己防衛したつもりでも、害を成す相手には1ダメージも与えられないのです。そうしてまた咳き込むのです。呼吸も出来ずに苦しむのです。
そんなあなたの姿も、かみさまは見ているのでしょうか。そうでないで欲しいのは、傲慢でしょうか。
十作目「心だけ、逃避行」
自己嫌悪に塗れた気高く醜い人間の自白のようなものでした。最近の曖昧は詩や純文学、自由律に手を伸ばしつつある。たのしいです。