曖昧よもぎ(あまいよもぎ)

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7/12/2025, 1:37:29 PM

風鈴の音を聞く度に、消えたあなたを思い出してしまって、涙がとどめなく溢れてくるのです。私もいずれ、そちらに往きましょう。


ここは人の少ない簡素な村。独特な因習の根付く田舎です。あなたは、私の婚約者でございましたね。面白で、鼻筋の通った美男であると有名だったあなたが、真逆私のような小娘とだなんて、それはもう夢のようでした。遠い雲の上の存在とお近づきになると、逆に興奮などはせず、自分の浅ましさを嘆くものです。それでも、あなたは私に優しかった。無愛想ながらも、頭を撫でられると多幸感に包まれて、淡々とした低いけれど澄んだ声で囁かれる愛には、私は何度も救われていた。本当です。

神隠し、と言うべきでしょうか。縁側にふたり座っていた夏の日、あなたは姿を消した。それも、刹那のうち、風鈴の音がちりん、と鳴った瞬間に。はじめからそこに誰も存在していなかったかのように、私は世界にひとり取り残された。どんなことをしても、満たされない気分でございました。


あなたは今、どこに居るのでしょうか。もし孤独な娘を哀れむ心があるのならば、風鈴の音と共に、どこからか現れて頂けませんか。満月を見ましょうと申されましたのはそちらでしょうに。寂しさに枕を濡らす夜の、どれほど辛いことか……


十一作目「風鈴の音」
曖昧は柔らかな古風な語りがすき。漢語だらけの固い文章もすき。

7/11/2025, 2:11:35 PM

目を閉じて、殻に籠もって、現実の嫌な事から目を背け、自身の精神安定に全力を注ぐ。
体力も、供給の為の栄養剤も持ち得ず、全てを捨て去る覚悟も出来ず此処に留まり続けて、ただ、心だけ、逃避行。
体躯だけはいつも在るのに、幽体離脱の如く、中身だけがすうっと抜けていくように、肉体のみ淋しげに取り残される。
周りからの干渉も受ける事無く、騒がしい場所を孤独に過ごして、一日一日が鬱屈で、空虚で、一体何の意味があるか分からず、生きているから生きている。そんな馬鹿げた事を真顔で、いとも真剣にやり過ごして、己の首を絞める真似だけをして、あなたは縄の結び方も知らないでしょう。
否定の言葉を遮りたいのであれば、前に進むか後ろに下がるかしなくてはなりませんが。それとも圧倒的な防御力が、あなたにあるとお思いですか。いいえ。そうではありません。
心だけ、逃避行。そうやって自己防衛したつもりでも、害を成す相手には1ダメージも与えられないのです。そうしてまた咳き込むのです。呼吸も出来ずに苦しむのです。

そんなあなたの姿も、かみさまは見ているのでしょうか。そうでないで欲しいのは、傲慢でしょうか。



十作目「心だけ、逃避行」
自己嫌悪に塗れた気高く醜い人間の自白のようなものでした。最近の曖昧は詩や純文学、自由律に手を伸ばしつつある。たのしいです。

7/10/2025, 11:31:01 AM

いつも通る帰り道の、謎の分岐路の反対側を行くこと。

いつもなら買わない、高いチョコレートを買うこと。

子供の頃好きだった本を、もう一度読んでみること。

よく見る花の名前を知ること。

目を閉じて、周りの音を聴いてみること。

いつも通り過ぎている、おしゃれな服屋に入ること。

まだあまり仲良くない後ろの席の人に、話しかけてみること。

大雨の中で外に出て、びしょ濡れになること。

いつまでもあって欲しいと思うケーキ屋を見つけること。

なんとなく、母校を訪ねること。

布団の上に大の字になって、天井を見つめながら妄想すること。



それら全てが冒険であり、偉大なる冒険の一歩目である。


九作目「冒険」
子供の頃、児童小説をよく読んでいた。幼い曖昧にとって、それは冒険とも言えるほど、没頭できる美しい世界であったのです。『アルセーヌ・ルパン』シリーズがいちばんすき。小児陶酔する程の美青年。

7/9/2025, 1:34:10 PM

とある者は言った。人の死に美しさなど、兵器に美しさなど、必要ないのだと。その瞬間、僕は初めて他人に殺意を抱いた。


僕の研究はいつも、周りには受け入れられないものばかり。交友関係など持たずに、いつでもどこでもひたすらに研究。授業中でも構わない。食事中でさえ、そのことで頭がいっぱいになる。まさに四六時中と言った具合だ。そして実験、工作。そんな僕は、気味が悪いと蔑まれ、罵られることは日常茶飯事だった。“かみさま”だけが僕を肯定してくれた。

「君がつくったものが、いつか、誰かを救う」
「でも、それはいつだって君の知らないところで、君の知らない日で、君の知らないひとだ」かみさまは言った。

僕は、僕の作品達を、大切な子供達を、届けたい。苦しみ飢える人に。それを必要とする人に。それが叶うなら、命だってなんだってくれてやるさ。




――――後のインタビューにて、彼は語った。
『嫌だったんでしょう、自分がではなくて、誰かが莫迦にされたように感じて。どんなに悪趣味だと思えても、この世界に生きるたったひとりでも、僕の発明が必要であれば、それを肯定すべきだと思います。僕は、ただ、誰かの心の傷に寄り添っていたいだけですよ。名前も、顔も、住所も、年齢も、何もかもが分からない、けれども確かに存在している誰かを、救いたい』
我が社のインタビューの四日後、彼は自宅で亡くなった。遺書があったため、自殺と見て間違いないだろう。そこには“かみさま”という謎の人物に対する狂愛と嫉妬、はたまた羨望が綴られていたと言う…。


八作目「届いて.....」
僕のかみさまは、誰かのかみさま。僕だけのかまさまはどこ?
曖昧は無宗教ですが、美青年狂信者と言っても過言ではありません。

7/8/2025, 10:32:04 AM

走馬灯のエンドロールには、1週間も経たずに死んだ祭の金魚を挿し込んで欲しい。


金魚という生物の、美しさと、儚さ。生命の重さ、そして軽さ。

夏の陽の暑さ、冷房の効いたリビングの涼しさ、優しい父母の温かさ、疲れ果てたとき飛び込んだニトリのベッドシーツの冷たさ。

金魚の紅さ、空の青さ、水の白さ、汗の黒さ。

死の苦さ、涙のしょっぱさ、プリンの甘さ、世知辛さ。


『恥の多い生涯を送ってきました。』中学時代、初めてできた彼女が好きだった小説の一節だ。今の俺にぴったりの言葉だった。それでも当時は、「こんな変なもん勧めてくるなよ」なんて笑い飛ばしたものだ。どうしてこんな人生になっちゃったんだろう。俺はこんな形で消えるのか。嫌だなぁ。幸せになりたかったなぁ。


金魚の紅さは、血の紅さとはまるで異なり、どちらかと言えば甘美なりんごあめと同じ色をしていた。俺が死なせた金魚。俺を殺した金魚。優美に泳ぐ魚。食べられないおさかな。きらきらのおさかな。


幼さとは時に残酷であるが、大人もまた残酷である。世の中は残酷である。誰もが皆、加虐的なのである。俺も例外ではない。
残酷な大人と残酷な子供。それならば、俺は残酷な子供でありたい。もう、全ての罪を赦されたい。ねぇ神様、俺に免罪符をくれませんか。甘美な飴の色をした食べられない、美しい魚に会いたいです。

「えへへ、えへへ、えへへ」
「おさかなさん、おさかなさん、ほしいの、ねぇ、とって」
「まっかなのに、きんぎょっておかしいねぇ、ねぇ、かみさま」



七作目「あの日の景色」
祭も終盤にさしかかる頃、まだ金魚はたくさん泳いでいた。並んでいた人々に、おじさんが適当に網ですくって配ってくれた。当時はやけに金魚すくいがやりたかったけど、曖昧には藻だけでじゅうぶん。

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