曖昧よもぎ(あまいよもぎ)

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7/7/2025, 1:43:37 PM

「また虐められた?」
僕はユウくんと視線を合わせるようにしゃがんだ。涙でぐしゃぐしゃの顔を、優しくハンカチで拭いてあげる。それは彼が誕生日にくれた、白くて、紅い薔薇の刺繍が施されたもの。小学生のお小遣いで買えるものは限られているのに、自分の為に使いたいだろうに、僕を想ってくれた贈り物。
「そう、なの…痛かったよぉ、ライ兄ちゃん…っ!」
酷く震えているユウくんを抱きしめる。泣きじゃくる彼の背中をとんとんと軽く叩いて落ち着かせる。
あーあ。君を苦しめる世界なんて無くなればいいのに。何度そう願ったことか。僕の願い事はただ、それだけ。

ユウくんは僕の隣の家に住む、小学5年生の男の子だ。小さい頃から、僕をライ兄ちゃんと呼んで慕ってくれている。それは僕が大学生になった今でも変わらなかった。でも、ユウくんの周りの環境は大きく変わっていた。彼は帰り道に、意地悪な男子中学生達からいじめられるようになってしまった。クラスの傲慢な男に目をつけられた結果、そいつの兄からも嫌われてしまったらしい。年下の幼気な男の子に手を出すなんて最低だ。僕も何度か注意をしたけれど、隙を見て奴らは暴力を振るってくる。どんどんエスカレートしていく虐めに、僕は心底うんざりしていた。

インターホンが鳴ったから、作業を一度中断してユウくんに会いに行った。でも、ほんの少しだけ、無視しようかとも思った。僕は、君を、助けてあげられない。

「たすけて、兄ちゃん…!」
助けたいに決まってるだろう。弟みたいに可愛がってきたユウくんを見捨てたくなんてない。でも、どうすれば良い?僕には何が出来る?
「ぼく、ライ兄ちゃんといたい…外に出るの、怖いよ……」
「……っ、わかった…」



ライ兄ちゃんはぼくの手を引いて、家に入った。手を洗うように促されたから、言う通りにする。久々の兄ちゃんの家。兄ちゃんの匂いがする。心地良い、ぼくの大好きなお家。
ぼくはそこで、何日も過ごした。

ごめんね。ぼく、ライ兄ちゃんのことが好きで好きで堪らないんだ。美人で、まつげが長くって、優しくて、賢くて、自慢のお兄ちゃん。世界でたったひとりだけ、ぼくを愛してくれるひと。

家にすらぼくに居場所が無いことを、兄ちゃんは知っていた。お母さんとお父さんが訪ねてきたとき、今までに見たことないぐらい語気を荒げて追い返してくれたよね。ぼくの辛い思い、分かってくれてありがとう。
ぼくね、ライ兄ちゃんに謝らなくちゃいけないことがあるんだ。本当は虐められてなんかないの。ぼくが頼んで、殴ってもらってたの。だって兄ちゃんにもっと愛されたいから。兄ちゃんなら、ぼくが虐められてるって知ったら絶対に助けようとしてくれるもんね。
ぼくのお願い事は、ずーっと兄ちゃんと一緒にいること。それ以外は要らないよ。だから、離れないで、側にいて、どこにも行くな


六作目「願い事」
曖昧は狂気滲む純愛を抱く少年と、それに気付かないでいるお兄さんを主食としています。

7/6/2025, 1:06:13 PM

あの頃は僕も莫迦だった。「ねぇ、僕のどこが好き?」なんて期待して聞いてしまったりして。恥知らずにデートに誘って、その度に君を冷めさせて、萎えさせて。君は一度も僕に好きだと言ってくれなかったのにね。どうして両想いだなんて思ったんだろう。
「んー、顔」
「そ、それ以外で」「じゃあ無い」
きっと夢見がちな奴だと思われた。元から少女趣味だった僕は、お姫様扱いしてくれそうな男の人が好きだった。君なら、僕の望む恋人になってくれるって本気で思ってた。
僕の取り柄が顔だけなのは分かってた。美人な自覚はあったし、おどおどしていて暗い僕なんかを、君が好きになるなんてあり得ない。

でも、やっぱり、今でも忘れられないんだ。
「綺麗だな」
「うん…夜景とか月とか、僕も好き」
「ばか、お前のことだっての」
そうやって、頬を撫でられて、そっと唇を重ね合わせた。ギラついたピンクの記憶が、今でも海馬に焼き付いている。僕を今でもドキドキさせる。もう一度あんな夜を、過ごしてみたいとも思う。


僕は、君に恋をするのをやめた。空恋。からこい。空っぽの恋。何度噛んでも味がしなかった恋。それでも甘い香りを漂わせていた恋。
ねえ。本当に、最低な奴だったな。僕も君も。


五作目「空恋」

7/5/2025, 1:43:27 PM

寒い。夏の夜だが、思いの外体が震える。薄手のパーカーだけで出てきてしまったことを後悔した。
辺りは暗く、波の音が聞こえる。それと風の音。蝉の声。喘ぐような自分の声。全部が鼓膜をつんざいて止まない。高鳴る心臓は内側から苦痛を与えてくる。すべてを終わらせてしまいたくて、私はここに来た。


昨日友人が死んだ。突然の訃報だった。特別仲が良かった訳じゃなかった。でも、すごく優しい子だった。
朝の放送で校長先生が淡々と、でも悲しそうに紡ぐ言葉が、私にはあまりにも辛すぎて。息をするのも忘れるほどに、脳が理解を拒むほどに、ただ苦しかった。彼女が死んだ?そんなの、嘘だと思いたかった。ふらふらとした足取りでトイレに向かって、気付いたら泣いていた。

持病があったらしかった。最後のおわかれに、彼女が生活していた家に行こうと思ったけれど、やめた。ただ、お互いが暇なとき少し話をするだけの仲。あの子のことを、私は何も知らなかった。彼女の家にあがる資格も、御両親と顔を合わせる資格も私には無い。


目を閉じると、あの子の笑った可愛い顔を自然と思い浮かべてしまう。別に、親友とかそういう関係になるまでじゃなかったはずなのに。それなのに、彼女がこの世を去ってしまった今、私は胸に穴が空いたみたいだ。どうして、今更後悔なんてしているんだろう。

揺れる波に足を突っ込んで、そのまま歩き続ける。どんどん深くなる海は、私を包み込むようだった。寒い。冷たい。凍えて今にも死にそうだ。目を閉じてそのまま眠りについてしまえれば、もう何も考えなくて済む。

報せを受けたあと、彼女が絵を好きだと言っていたことを思い出した。彼女の絵はきっと、美しくて、素敵なんだろう。それを直接自分の目で確かめられなかったことだけが、私の心残り。


四作目「波音に耳を澄ませて」

7/4/2025, 1:34:15 PM

学生時代など、もう何年も前のことだ。
当時の記憶はほとんど消え、思い出の品もこの前断捨離した。そのことをはっきりと自覚したのは今さっき。そういえば、と思って中学の部活Tシャツを求めてタンスを漁ったときだ。先週の土曜日にゴミ袋にぶちこんだときには、何も感じなかった癖に。どんなデザインだったのかすらおぼろげで思い出せない。あの頃、自分が何をしていたかもよく分からない。辛うじて健在な記憶と言えば、バスケットボール部だったことぐらいだろう。
がむしゃらにコートを駆け回った日々。厳しさに耐えかねて辞めた仲間も居た。大会で成果を上げる。そのためだけに、俺は…俺達はいつだって頑張っていた。ライバルに打ち勝つ瞬間が、進んでいく感触が好きだった。ところが引退後は受験勉強に追われ、気付けばバスケへの情熱は消えていた。強豪校に入学して、またやるつもりだったのに。結局帰宅部で、毎日家に帰ったら一人でゲームをしていた。たまにバスケを続けた友人が俺を訪ねてきて、その度に「バスケはやらないのか」と言った。「もういいよ」と笑ってみても、俺の心の靄は晴れない。
俺は、あそこで一体何を学んだんだろうか。かけがえのない学生時代をドブに捨てた気になった。もう少しだけ、あのやわらかい青い春風に吹かれていたかった。

友人を誘って、近くの公園に来た。急に呼び出したのに、まるで待ってましたというかのような笑顔でやってきたので、驚いてしまった。バスケットゴールのある場所。よくここで自主練をした。押し入れの奥からボールを引っ張り出してきたから、当然空気は抜けていて、それでもなんだか懐かしさで胸がいっぱいだった。
「久しぶりだな、バスケ」友人が口を開く。そんなことないだろ、と言うと、「お前がだよ」と軽く小突かれた。まるで学生時代に戻ったみたいだった。
それから何度か挑戦したが、前みたいに上手くはいかなかった。とにかくゴールに入らない。身体が重くて思うように動かなかった。ああでも。やっばり、俺はやめたくなかったんだな。
そして、何十回目かだった。
「入った!」思わず声が出た。
「見てた?」「うん、見てた。すごかった」
頬を撫でる青い風が気持ち良かった。青い、初夏の風だ。


三作目「青い風」

7/3/2025, 10:09:13 AM

「遠くへ?」

僕は思わず聞き返した。君が突拍子も無いことを言ったから。

「うん。どこでもいいから、遠く、遠くへ」

君は真剣な目をして僕を見つめる。つられて僕も真剣になって、見つめ返した。
遠く。具体的な場所は無く、遠くに?どのぐらい?市外?北海道や沖縄?それともアメリカ?はたまた宇宙?僕は脳内で、思いつく限りの遠い場所を、ぐるぐると巡っていた。

「まあ、どこでもいい訳じゃないけど」と君は付け足し、空を見上げた。オレンジだ。絵に描いたような夕焼け。ちょっと紫がかった天を暫く見ていると、首が痛くなってきてしまう。

「行こう、遠く」

僕は言った。僕達なら、どこにでも行ける気がした。なんとなくだけど、君もそう思ってくれているだろう。

「あ、雨」

ぽつり、と僕達の顔を濡らす雨。どうしよう、傘を持っていない。君の方を見ると、困ったように笑っていた。
お互いの顔を見合わせて、笑い声を上げて、僕達は走り出した。雨はだんだん強くなっていく。遠くへ行け。そう言うように。


二作目「遠くへ行きたい」

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