作家志望の高校生

Open App
5/2/2026, 8:49:40 AM

デッサンばかりを描いてきた。
物事において最も美しいのは、存在でも、大きさでも、色でもない。形だ。
余計な要素は要らない。
ただ、物によって異なる陰影を、歪むことのない他者との境界を、描きたい。
だから、デッサンが好きだった。
影の中から輪郭を浮かび上がらせて、光を加えて、段々と、画面の中にその形ができていく。
あまりに美しいではないか。
無骨な黒鉛で引かれた線がまた、美しかった。
僅かにぼやけ、紙の表面に柔らかな黒を残していく鉛筆の音が好きなのだ。
線を描く度に丸くなる筆先も、削り直す時の木を削る感触も、微かに匂う確かな木の匂いも。
デッサンというのは、絵画において最も完成された美しさだと、私は思っている。
そんな私には、気に食わない男がいた。
美大受験のための予備校で、いつも隣に座る男。能天気で、煩くて、とことん私とは趣味が違う。
奴はどうやら「天才」らしい。
筆運び、構図、正確性、独創性。どれを取っても飛び抜けていて、美大への現役合格も夢でないなんて持て囃されている。
ああ、嫌いだ。
物の形しか愛せない私は、もう何年浪人しているか分からないのに。
どうして、そんなに楽しそうに全てをこなせるのだ。
どうして、一枚の絵にそんな多様な色を使うのだ。
色は嫌いだ。私の、私だけの世界が、踏み壊されるような気がする。奴らはいとも容易く境界を滲ませ、私の愛する明確な形を曖昧にぼかしてしまう。
色を付けた絵は私には煩すぎる。派手で、眩しくて、吐き気さえ催す。
だから、デッサンばかりを描いてきたのに。
「ねぇねぇ、君の絵、僕が塗ってみてもいい?」
なんて、あまりに無垢に聞いてくるものだから、呆然としたまま頷いてしまった。
翌日渡された風景画は、やっぱり美しかった。
丁寧に水彩で塗り重ねられた色は、写真とは確実に違う独自の世界を描いていて、しかし見るものを惹きつける光がある。私には、到底描けない。
やっぱり、色は嫌いなのだ。
こんなにカラフルな色は、私には似合わない。私には、美しすぎて。
その日、私は筆を折った。彼には何も言わず、予備校を辞めた。
随分遅れた就活だったが、どこも人手不足の世界だ。少しまともぶっていれば、こんな年齢からだって就職先は決まった。
私の世界は、これでいい。デッサンと同じ、無機質な他者との境界だけがある白黒の世界。
彼の見たカラフルな世界は、どう足掻いたって私には見られないものだった。私には、到底届かない世界だ。
空だけが、ただ青く澄んでいた。

テーマ:カラフル

5/1/2026, 8:45:42 AM

僕は人生において、なるべく余計な苦労はしたくないし、何もしなくていいならそのまま生きていたい。
毎日決まった時間にギチギチの電車に詰め込まれて、夜まで働いて寝に帰るような生活は、絶対ごめんだった。
だから、今の生活は何より都合がいい。
世間は必死に僕を探しているようだけれど、僕はここから出てやる気なんて一切無かった。
きっかけは大学の帰り道だった。
もうそろそろ卒業を目前に控えめ、周りからは就活の話がよく聞こえるようになっていた。
そんな中、一人就活もせずフラフラしていた僕は、就職かか嫌だというただ一点で留年を検討していた。
無駄に単位だけは取ってあったから、あとは卒論さえ書けば卒業することができる。
けれど、就職して人生の何十年という時間を会社に奪われるくらいなら、もう一年、むしろギリギリまで留年し続けて大学生を続けたい。
しかし現実はそう甘くなく、親に、余裕があるわけではないのだからさっさと働け、とのお叱りを受けてしまった。
そんなこんなで、重たい溜息を零しながら歩いていた、そんな帰り道だった。
ふと、細い路地に通りがかったところで、僕の横に車が止まった。
ぽかんとしている間に車内へ引きずり込まれ、両手足をテープでぐるぐる巻きにされた。
途中で犯人が何か言っていた気はするが、大して覚えていない。
彼の家らしき場所に連れてこられて、呆然とした。
広い。下手したら、僕の実家の2倍くらいありそうだった。
彼が言うには、彼はある日見かけた僕に一目惚れし、誘拐を決意したらしい。
わざわざそのためだけに給料のいいホワイト企業へ入って、僕との時間も最大限取れるようみっちり備えてから決行したという。
鉄の鎖片手にザ·ヤンデレという笑顔を浮かべている彼を見て、僕の中に最初に浮かんだのは――歓喜だった。
誘拐されているのだ。合法的に、働けない。
それどころか、3食昼寝付きの広い家で自由にしていていいというのだ。
外に出てはダメらしいが、元々僕はインドア派。何も困らない。
こうして、僕の世界一歪な楽園生活が幕を明けた。
彼も僕があまりに嬉々として監禁されるのでびっくりはしていたが、誘拐成功の喜びが勝ったらしい。ここまで利害が一致すると、もはや健全にも思えてくる。
僕と彼は、互いに抱く感情に名前も付けられないまま、生温い、けれど何より心地良い楽園で、ずっとずっとすごしていた。
ニュースキャスターのお姉さんが読み上げる僕の情報も、もう誰の耳にも入っていなかった。

テーマ:楽園

4/30/2026, 8:50:42 AM

小さい頃、海は桜を知らないのだと思っていた。
あの、青く澄んで、雄大で、どこまでも広く見えた海に、淡いピンク色をしたちっぽけな花弁が浮かんでいる様が、どうしても想像できなかった。
海はあまりに雄大で、桜があまりに儚くて、大きすぎる海は、小さなあの花を知らないと、そう思った。
勿論、大人になってからは海沿いの桜並木だって、多くはなくとも存在していることは知っている。
それでもやっぱり、桜は海には似合わなくて、もっと地味な、川か、池が、湖のあの静けさがよく似合う。
そよそよと枝を揺らす潮風なんて、到底桜には似つかわしくないだろう。
子供の頃の誤解が解けても、イメージまでは解けなかった。
桜は海に似合わない。海は、桜を知らない。
腕のあるミロのヴィーナスのように、思想のない哲学書のように、それが異質で、私にとっては受け入れ難い違和感を生んでいる。
だが、生涯でたった一度だけ、友人に連れ出されて海に程近い桜を見に行った事がある。
青い空と、澄んだ海。一面の青を背景にした桜は、確かに美しかった。
並木ではなかったけれど、一本だけ強かに生えた巨木は、何より高い空へ枝を茂らせている。
桜は潮風に弱いと思っていたが、案外強かったのかもしれない。
桜の似合うような手弱女も、ひょっとすれば、潮風にだって耐えられるような強さを孕んでいたのかもしれない。
そんな、どうだっていい考え事をするくらいには、私は集中できていなかった。
目が覚めるほどの青に、白い花弁が僅かに照れたような色の桜は、確かによく映えて美しい。
けれど、私の偏見を払拭するには至らない。
興醒め、とまではいかないが、内心落胆したのは事実だ。
ぼんやりと、桜も海も見ずに空を見つめていた私の視界に、ふと、散った桜の花びらが映った。
潮風に流されるその1枚は、吸い寄せられるように海へ辿り着き、赤みの白をしたその身体を青に浸していく。
気が付けば、私の足は砂浜を踏んでいた。
靴の中に細かく煌めく砂が入るのも厭わず、海面へ散っていく花を見つめる。
舞って、落ちて、浮いて、沈む。
その一幕を見て、ようやく私は理解した。
海は桜を知っている。
その美しさを知った海が、花弁の色を呑み込んでしまうほど、愛している。
潮風に散らされる花を見上げながら、波の音に掻き消される花の散る音を、微かにでも聞こうと耳を澄ませていた。

テーマ:風に乗って

4/29/2026, 8:43:35 AM

一瞬とは美しいものだと思う。
私の友人にも、一瞬の魅力に取り憑かれた者がいた。
彼は確か、水滴の美しさに魅入らていたはずだ。
最期は、水と同じになりたかったなんて遺して死んだ。
類は友を呼ぶ、とは言うが、よく言ったものだ。
私も、似たようなものなのだ。
流れ続ける時の中、秒針さえ動かぬうちに起こる、ほんの一瞬の出来事。
水滴が落ちる、風船が割れる、火花が爆ぜる。
そのどれもが、確かに美しかった。
刹那というのは、破滅的な美しさを孕んでいる。
一瞬の間に現れる事象は、大抵がその一瞬でしか見られない。
その一瞬を逃してしまえば、全く同じものを見ることは二度とできない。
その一過性が、私は好きだ。
かの友人は水に偏愛を向けていたが、私は刹那という時間的概念そのものを愛している。
それは人がどこかへ向かう足取りのほんの一瞬であったり、あるいは生まれたての赤子が産声を上げるために息を吸う間であったりする。
懐で静かに時を刻み続ける秒針が鳴る間に起きる出来事があまりに儚くて、その時間に囚われていた。
全ての事象は、極めて短い時間の連続で組み上がった、自然的で複雑なものなのだ。
世に起きている活動の全ては、私の愛する刹那の集合体とも言える。
だから、私はこの世界自体を愛していた。
一瞬の間に生まれ、そこから一瞬を積み重ね続けてきた世界は、なんとも複雑で、刹那同士が絡み合ってできている。
そんな考えだから、私は享楽的であり、虚無的に生きていた。
この一瞬の、次の一瞬があるとは限らない。
世界の終わりは、ひょっとしたら一弾指の間に起きるものかもしれない。
そう思うと、今その場にある刹那でしたかったことを目一杯しないと損な気がして、けれどそんな営みも無意味なものに思えるのだ。
刹那を、一瞬を、永劫に、悠久に重ねて積み上がってきたこの歴史が崩れる一瞬を、いつか私は目にできるだろうか。
そんなあるかもわからない刹那を待って、私は今日も、秒針の動く八万六千四百秒のその隙間を、じっと眺め続けている。

テーマ:刹那

4/28/2026, 8:52:19 AM

私たちは皆、死ぬために生きている。
どれだけ偉大な功績を残しても、どれだけ多くの人を救っても、我々はいずれ天寿を迎え土に還る。
ならば、その道中である今の時間は、何の意味もないものなのではないか。
我々がぼんやりと過ごす1分と、1秒と、大差ないものなのではないか。
そんな問いがずっと頭を塞いで、重要なところでいつも足踏みをしてしまう。
ずっと、失敗を恐れる子供だった。
他の子供のように、無鉄砲にやりたいことへ突き進むことができなかった。
その結果生まれたのは、失敗したことのない、挑戦を知らない疲れ切った大人だけだった。
欠陥品のような私は、いよいよ生きている意味を見失いつつある。
私を慕ってくれる子供も、慕情を寄せてくる女性も、友人だと肩を叩いてくれる男だっていた。
私はそれらを深く愛している。愛しているのに、踏み込めないのだ。
子供を撫で、たしなめることはできたとて、抱き上げ、愛を伝えて育てることは決してない。
女性の手をそっと取り、恭しく跪くことはできたとて、その女性を愛し、生涯を添い遂げることはできない。
男と共に肩を組み、酒をどれだけ飲み交わしたって、こんな鬱屈とした、どうしようもない日々の不安を打ち明けることはできない。
私は結局、誰も一番にできず、誰の一番にもなれない中途半端な人間なのだ。
優れた才も、圧倒的な欠点さえない、可も無く不可もなく、無味乾燥として味気ない人生。
随分普遍的で、誰だって経験したことのある事象で作り上げられたこれに、価値はあるのだろうか。
私は、こんなものを大切に抱えておく意味を見失った。
何かに突出していれば、それか、いっそ振り切って何かに酷く欠けておけば、もっと人と違う、自分としての人生が歩めたのかもしれない。
そんな思いだけを抱きながら、私はまた、安牌な策ばかりを採る。
多くの物語に擦られ尽くし、見飽きて味もしないような、面白味に欠ける、他の誰かとお揃いの死因だった。
そんな、最期さえ普遍的だった私はいっそ、普遍的であることが、普遍的すぎたことこそが、私らしさだったのかもしれない。
今となっては、もう知れぬことだ。

テーマ:生きる意味

Next