何が勇者だ。何が正義だ。
どれだけお綺麗な甘言を並べ立てたところで、1日を凌ぐ日銭にさえなりはしない。
甘ったれた言葉を垂れている奴から死んでいく。
頭の中に花畑でも詰まったような夢見がちな人間は、圧倒的強者に骨の髄まで喰らい尽くされて当然なのだ。
昼の世界がどうなのかは知らない。
日の高いうちは、ひょっとしたら人を傷付けることは罪で、助け合うのが基本で、困難は多数で乗り越えていくのが普通なのかもしれない。
けれど、日が沈んだら、薄汚いネオンが灯ったら、俺のよく知った姿へと世界は変貌する。
弱肉強食、適者生存。
弱い者は生き残れない。人を傷付けなければその日の飯も手に入らない。助け合おうとすれば一方的に利用され、骨までしゃぶられ殺される。困難な高い壁が立ちはだかるのなら、先に死んだ他人を踏み台に、同じく壁をよじ登ろうとする弱者を踏みつけて登ればいい。
それが、この街のルールであり秩序だ。
俺達を途轍もない巨悪だと、救いようのない悪魔のような下賤な民だと嘲る者たちもいる。
それは大抵が昼間を生きる人間であり、俺達にとっては反吐が出る程に嫌いな人間でもあった。
生き残った強者が善で、淘汰される弱者は悪。
単純明快でなんとも分かりやすい、素晴らしい規則である。
俺等なりの秩序に、甘ったれたお坊っちゃん方の規則を持ち込めば、たちまち俺達の世界は崩壊し、きっともっと多くの者が死ぬ。
ここは、そういう場所なのだ。
人間社会から弾かれ、あぶれた社会不適合者共が、ヒビ命を取り合いながら、薬と酒と、煙草と女に浸りながら違法賭博に耽る。
賭博で有り金を使い果たした愚図は借金取りに喰われ、その後ろで愉悦の笑みを浮かべる勝者は大量のチップを前に女を侍らせている。
世界一みっともなくて、世界一醜い桃源郷。
ここには、善も悪もありはしない。
強者が正しく、強者が言うのなら規則だってねじ曲がる。
俺からしてみれば、昼を駆ける人間が、ちまちま作った下らない決まり事に縛られて自ら命を絶つのが、あまりに馬鹿らしくて仕方ないのだ。
規則で死ぬくらいなら、規則を殺してしまえばいい。
善悪に囚われて死んでいく哀れな人影を、穴の空いたトタン屋根の下から、目を細めて見つめていた。
テーマ:善悪
残酷なくらいに美しい空だった。
もう随分長いこと歩いたような気がする。
肺の奥底から血液特有の鉄錆の匂いがこみ上げて、口内を支配している。
胸骨の真下がズキズキと痛んで、知らぬ間に息を詰めている。
それでも、歩き続けなければいけなかった。
背にかかる体重が重くて、しかし僕も必死だった。
少しでも、ほんの少しだけでも、あの炎から逃れたい。
あの戦火から少しでも離れた場所で、今晩くらいは越したかった。
目指すのは、背中に負ぶさる彼と、いつか星を見に来た小高い丘の上。
あそこならきっと、まだ戦火は及んでいない。
子供の足には些か遠かったが、そんなのも分からないくらいには必死で、酸素が足りていなかった。
ひゅうひゅうと隙間風のような嫌な音が喉から鳴って、その度激しく噎せて背に乗せた彼を落としてしまいそうになる。
子供の身体で大人の男一人を背負うのは、バランス的にも、筋力的にも辛かった。
日がとっぷり沈みきり、背後の街から聞こえていた破壊音すら一旦止むような深夜になって、ようやく僕らは丘に着いた。
彼の身体をどさりと隣に降ろして、そのまま地面にへたり込む。
戦火が見えなくなった途端、周囲は真っ暗で、星々が放つ頼りない明かりが微かに彼の輪郭だけを照らし出していた。
敵国の軍服に身を包んだ彼は、酷く青白い顔をして、胸と腹に風穴をこさえて倒れていた。
僕がそれを見つけたのはたまたまのことだったが、どうしても、どうしても棄てていくことはできなかった。
御国にとっては憎き敵国の一兵とて、僕にとっては一緒に星を数え、夜空を教えてくれた気のいい兄さんなのだ。
靴底はとうに擦り切れ、足は火傷の痕と食い込んだ小石でぐずぐずになっている。もう、明日からは移動もきっとままならない。
食料も、水も、長いこと摂っていなかった。ここが自分の終わりだと、漠然と信じられるくらいには。
彼の横に倒れ込んで、そうすると目の前にはもう、深い深い藍色をした夜空だけが広がった。
ちかちか星が瞬いて、その隙間を縫うように、流れ星が尾を引いて駆けていった。
段々霞んでいく視界の中、冷たくなって血でぬるつく彼の手をそっと握った。もう、移してやれる体温さえ僕には残っていない。
どうか、どうか願うなら、あの流れ星が叶えてくれるのなら、次は、どうか、もっと平和で、温かくて、彼と笑っていられる国に生まれたい。
流れ星が最期に瞬いて、僕はそっと瞼を閉じた。
テーマ:流れ星に願いを
少し、昔話に付き合っていただけますか。
私は、昔から社会のルールに懐疑的な子供でありました。
どうして人のものを取ってはならないのか、どうして人の家に入ってはならないのかが理解できなくて、よく人様のものを盗って、人様の家に入り込んで、その度両親から酷く叱責を受けました。
だって、どうしたって理解できなかったのです。
野生に生きる動物たちは、いつだって生殺与奪の権を己で握っていて、弱い者が淘汰されるのは当然で、弱ければ奪われるのだって当然。
強い者は全てを手に入れ、長となり、やがては群れを率いる。
強い者が弱い者のものを奪い、領域に入り込むのは当然のこと。
それが自然の摂理であるというのに、何故人間だけがそこから外れるのでしょう。
いつから人間は、己が自然の輪から外れた例外であると勘違いしたのでしょう。
そんな人間の作った決まり事が、私は心底嫌いだったのです。
幼い頃から、私は生命の内側に興味がありました。
骨の無い、柔らかな腹の内側が、堅牢な骨の寝台に横たわる、とろりとした脳の髄が、あまりに愛しく思えたのです。
人々が美しい宝石を欲しがるように、私もそれらに触れたかった。
命を繋いでいるその肉片たちがどう動いて、どう生きて、どう死んでいくのかを、この目に収めてみたかった。
そんな幼稚な探究心を、捨てきることができませんでした。
……ええ、ええ。そうです。この探究心こそが私の罪なのです。
人間は本来、他者との境界線がもっとはっきりしていて、他は他、己は己だと線引きができているのでしょう。
だから、他のものであるものは取らないし、他者の領域は侵さない。
そんな決まりが、私には分からなかったのですよ。
侮蔑されますか。それなら、貴方はきっと、堅実に人間として生きてこられたのでしょう。
……おや、もう行ってしまうのですか。
また明日を待っていますよ。どうせ、時間は有り余っておりますから。
なんせ、私は百人を殺して、百人の中身をこの身に収めた殺人犯ですから。
そう心配されなくとも、私のための部屋で大人しくしておりますとも。
……それでは、また。私の看守さん。貴方の中身も、私は気になるのですがね。
テーマ:ルール
絵画は良い。
言葉にならないような心の内の内まで、よく表れる。
筆を運ぶ線の一つ一つに、色の選び方に、その色をどこに、何も混ぜて、どう置くかに。
全部にその人の人生が出る。
私の友人に、酷く心を病んでしまった、やさしい人がいた。
少しでも気分転換をさせようと、私は彼をよく連れ出して、季節の花を一緒に見つめたり、虫たちのささやかな営みを見物したりした。
そんな彼に、一度だけ筆を握らせたことがある。
何でもいいから、描いてみろと。
やさしい彼は、言葉にするのが下手なのだ。
その点、絵画は素晴らしい。
言葉になんかしなくたって、色が、形が、線が、全て伝えてくれる。
彼はしばし躊躇って、何度も私に確認を取って、ようやく筆を手にした。
いちばん細い筆で、繊細に、薄い色を少しずつ重ねて、淡く淡く、影の中を柔らかく照らすような光をぼんやり描いていた。
彼の神経によく似た、細い線だった。今にも切れて消えてしまいそうで、けれど優しく、温かい。
実に彼らしい絵だった。
あまり無粋なことは聞きたくなかったが、彼にはもう少し言葉にするというのも覚えてほしい。
だから、私は敢えて問うた。何を描いたのか、と。
彼はまた口籠って、絵筆を指先でくるりと回し、絵を眺め、窓の外を見て、ようやく言葉を吐き出した。
「……きみを、描いたんだ。」
流石の私も少し面食らって、言葉に詰まってしまった。
彼は照れたようにはにかんで、セピア色の絵の具が付いた指先で頬に軽く触れる。
「ぼくが困っていると、きみはいつもヒントをくれる。……そこにランプがあるだろう?きみによく似合うと思ったんだ。」
アトリエの片隅に置かれた、古ぼけたオイルランプを指して彼は笑った。
随分久しぶりの笑顔だった。
その日の晩、私はいつもの通りにキャンバスに向き合った。
太く、けれどしなやかで柔らかな筆先が、ランプに照らされた、控えめながら艶やかで美しい、一輪挿しの高嶺の花を、ゆっくり少しずつ、描き出している。
これは、私から彼に贈る絵なのだ。
今日、彼が魅せてくれた私に対する、返答画。
真っ白な、無垢なキャンバスの上、今日のランプの残り火を、まだ静かに燃やしていたかった。
テーマ:今日の心模様
ほんの暇潰しのつもりで、クラスの隅でいつも縮こまっている陰気な男に声をかけることにした。
俺は所謂陽キャ、一軍と呼ばれるような人間で、明るく、友達だって数え切れない程にいる。
そんな俺にだって暇な時はあるし、その暇を潰したいとも思う。
人間として中々に最低な行為だとは思うが、そんな行為さえ黙認されるのが、同調圧力に満ちた現代社会のいいところだ。
そんなわけで、俺は奴を呼び出してみた。
放課後の夕暮れの中向かい合うと、中々にデカい。
俺だって小さくはないはずなのに、それでも首を持ち上げて見上げないと顔が見えない。
「……え、えと……その……は、話、って……?」
俯き気味で、見るからにもじもじとしながら話す目の前の男は、普段だったら気にも留めないタイプだろう。
「俺、お前のこと好きだわ。付き合ってくんね?」
半分笑いを含んだような、我ながらあまりに軽薄な告白。
流石にこんなのを信じるような馬鹿はいないだろうと、そう高を括っていた。
嘘告だとバレて最低だと言われようと、逆に本気で照れられようと、どちらに転んだってこの暇を潰すだけの面白みはあるだろう。
そんな、軽い気持ちだった。
「え……ほ、ほんと……?ほんとに……?」
大柄な体躯が、いつの間にか眼前まで迫っていた。
俺のより関節一つ分は大きい手に手首を押さえつけられて、そのまま校舎裏の壁と腕の間に閉じ込められた。
「は……?ちょ、離せ……冗談だって!間違い!嘘告!そんなんも分かんねぇのかよ!」
陰キャが調子乗りやがって、なんて強気に出たのが間違いだった。
そもそも、モテそうだからとバスケ部に入っただけで碌に練習にも出ないような俺が、体格で劣る相手に勝てるはずもないのだ。
「ふ、ふへへ……嬉しい……ま、まさか……君も同じ気持ちだったなんて……」
頬を染め、引きつりながら口角を上げる様は、いっそ悪魔のようですらあった。
本能的な嫌悪感と恐怖に包まれ、ぞわりと鳥肌が立つ。
「っ離せって!嘘だっつってんだろ!?」
半狂乱になって振り払おうとすれば、今度は腕が腰に回され、そのまま全力で抱きしめられた。
あまりに強いそれは胃を圧迫して、上記も相まって吐き気を誘発する。
「い、今更間違い、なんて……言わせない、よ……?……そ……それに……間違いでも、もう取り消したり……し、しない、よね……?」
長い前髪から覗いたその目があまりに恐ろしくて、俺は頷くことしかできなかった。
テーマ:たとえ間違いだったとしても