『あ、女の子先帰ってていいよ〜!あとは男子でやっとくから!』
『じゃあ、今日は持久走やるぞ。女子は1000mで男子は1500な。』
思い返せば、こんなことばかりだ。
女の子になりたいとか、女の子だけずるいとか、男子も同じように扱うべきだとか、そういうわけではない。
もちろん、生物学的に見て、男という性よりもある意味弱く作られている女性は、労り、大切にすべきなのだろう。
男性を軽んじるわけでもないが、世の中の風潮にはそんなものがうっすら漂っている。
男子なんだから耐えられる、大丈夫だろう、やるべきだ。
けれど、僕はただの一度だって姉に勝てたことはない。
運動会のかけっこも、テストの成績も、大好きなおやつの最後の1個を賭けたじゃんけんだってそうだ。
「弱いから」女性を丁重に扱わなければならないとして、女性より弱い男性がいたら、その人はどうなるのだろうか。
僕のような、どちらの性にもいまいち馴染めない半端物は、この世界でどうやって生きていたらいいんだろうか。
今日も、無意味な問いばかりが頭を巡る。
僕だって、片付けをやらずに帰りたい。1500メートルも走りたくない。
今世で女の子になりたいわけじゃないけど、来世の性別を選べるなら女の子がいい。
有り体に言ってしまえば、幼稚な嫉妬である。
自分にとって都合がいいから、こんなことを言うのだ。自分は、女性の苦労も、努力も、これっぽっちも知らないのだから。
でも、今日は少しだけ、世界が僕に優しかった。
いつも男子に片付けをやらせる先生が、不平等だからたまには、と女子に片付けをやらせた。男子は珍しく先に帰れた。
模擬試験の結果で、初めて姉に勝てた。
小さなことである。生物学的な違いが埋まったわけでも、根本的な解決でもない。
それでも、僕は嬉しかった。たまには、僕だって大切に見られるんだと、そう思えたから。
本当は、男女なんてどうでもいい。たまには、たまにでいいから、僕も、誰かに大切に思われて、丁重に扱われてみたい。
それだけの、話だったのだ。
テーマ:たまには
ある日、僕のもとに天使がやってきた。
天使と言っても、比喩的なものだ。綺麗な羽根も、ピカピカ光る輪も無い。
色素の薄い、ミルクティー色の髪。長めの前髪に遮られて、ぼんやりとした光を湛える翳った瞳。
片田舎の入院病棟に舞い降りた、きれいでかわいい、僕の天使。ふわふわの髪も、寝起きの潤んだ瞳も、全部、僕だけが知っている。
同じ病室に入院しているから、僕は彼について色々なことを知っていった。
両親は彼に無関心なこと、祖母に預けられていること。そして、きっともう長くないこと。
彼は、いくつかの内臓がダメになっているらしい。いつも、たくさんの管に繋がれて、僕には分からない難しそうな機械で何かしている。
ずっとここにいる僕は、学校にも行ったことがなくて頭が悪いから、難しいことは分からない。彼の病気のことも、僕の病気のことも。
彼は時々、僕を見てすごく寂しそうな目をする。そういう時はいつも、彼の痩せた手が静かに頭を僕の撫でて、冷たい指先が頬の骨をなぞるのだ。
その意味は僕には分からない。けれど、撫でてくれる彼の手は優しくて、ひんやりしていて、好きだった。
毎晩、彼は苦しそうに咳をしている。肺がダメになってきていると、彼を診ていた先生が言っていたのが聞こえた。
同時に、僕の具合も悪くなっていった。段々ご飯が食べられなくなって、少しずつ体も動かしにくくなっていた。でも、きっと彼も辛いから、余計な心配をかけなくなくて、いつも彼が寝てからトイレでこっそり吐いていた。
それがよくなかったみたいだ。ある夜中、僕は急に立てなくなった。その時先生に色々並べ立てられて知ったけど、僕のダメになっていたものは脳らしい。もう声を出すのも大変だったけど、どうしても、どうしても言いたいことがあった。
あの、すりガラスみたいな瞳がまぶたの裏に隠されてしまうのは、きっと惜しいことだから。だから、僕は先生にお願いした。
僕がダメになったら、僕の中身を彼にあげて、と。僕と彼は背格好も似ていたし、大丈夫だと思った。本当にあげられるかは、知らないけど。それでも、もしダメな僕の中身が使えるのなら。大好きな君に、全部あげたいと、そう願って。僕は、目を閉じた。
テーマ:大好きな君に
町中が、桃·淡緑·白の如何にもな春色に染まっている。
そこら中の店で流れるのは、三味線やらで演奏された、曲名も知らない和風の曲。
これらの要素により構成されていたのが、雛祭であった。
古そうな店の前に置かれた立派な七段雛は、誰も彼もが澄まし顔をして、凛とその場に佇んでいた。
桃の節句。女の子の健やかな成長を願う日。それが雛祭である。
けれど、僕は、男である僕は、それが妬ましくて妬ましくて、仕方なかった。
色とりどりと吊るし雛も、豪華絢爛とした雛人形達も、全部僕の頭に焼き付いて離れない。
端午の節句の兜より、やわらかい布を纏った雛人形が好きだった。
硬く無骨な柏の葉に包まれた柏餅よりも、可愛らしい色合いで飾られている菱餅の方が好きだった。
生まれる性別を間違えたような僕は、今日も中途半端なまま生きている。
家に帰ると、仏間に雛人形は飾られていなかった。
当然だ。家は男ばかりの家で、祖母や母といった外部の女性を除けば、生まれる子供は皆して男児だった。
憧れを見ることさえままならない現実が、嫌になってくる。だから、家を抜け出した。もう補導されるような時間だったけれど、それでもよかった。やっぱり、もう一目でいいから、あの可愛らしい人形達を見たかった。
真っ暗な中を静かに歩いて、昼間歩いたあの町へ下りる。町はしんと静まり返っていて、和風チックな曲の欠片一つさえ聞こえない。聞こえるのは、古めかしいデザインのネオンを光らせるスナックから漏れる、酔っぱらいが歌うふにゃふにゃのラブソングばかり。
町中にあったはずの雛人形は、誰一人として残される事なく仕舞われてしまっていた。
雛人形を仕舞い忘れると婚期を逃す、なんて言われているせいが大きいのだろうか。
その気持ちも理解できない僕は、根本的に女の子にはなれない。抜け出してきた町の中、すっかり終わった雛祭に取り残された僕は、胸の中に引っかかる黒く淀んだ澱に満たされて、あの可愛らしい春色とは正反対の色に自分が染まっていく、そんな幻覚を見た。
テーマ:ひなまつり
あの子は、僕にとっていつだって希望だった。
幼馴染で、保育園から高校までずっと一緒。クラスが別になったって、自由時間の度に会いに行って、いつも2人で、セットみたいに過ごしていた。
彼の家はお金が無いみたいで、服はいつもボロボロ、お風呂にもあまり入れないのか、髪は束になってぺったりと潰れていた。
そんなだから、彼はよく虐められる。それは大抵僕の見ていない時で、殴られて、蹴られて、物を捨てられて、よく泣いていた。
そんな彼を、僕はいつも慰める。傷を丁寧に手当てして、捨てられた教科書の皺を一緒に、丁寧に伸ばした。時には、僕の服をお下がりとして彼にあげたり、一緒にお風呂に入ったりもした。
彼も、きっと僕を特別に思っていた。だって、貧乏で、汚くて、勉強も運動もダメ、話すのも下手。そんな彼とずっと一緒に居てあげたのなんて、僕くらいなんだから。
彼を見ていると、僕は酷く安心できた。最低なことかもしれない。けれど、彼の周りにいる、綺麗事ばっかりで彼の側に居ない偽善者達より、僕の方がずっと上だと、そう思うのだ。
僕は最底辺じゃない。彼よりはマシだ、彼よりはできるんだ。
そんな最低な考えが、僕が彼と過ごす理由だった。上を見てしまったら、首が絞まって息もできなくなってしまうから。だから、下を見て、まだ大丈夫だと、そう思っていたかった。
だけど、僕は失念していた。彼は勉強こそできなかったけれど、バカではなかったことを。彼が、僕のこの愚かな考えに気付かないはずがなかったと。
僕らは結局、どっちもどっちで、お互い様だった。彼を下に見て安堵している僕と、上に居たはずの僕が、彼を見続けたことで堕落してダメになっていくのを静かに見守った彼。歪んで、汚れた、醜い共依存だ。
それでもやっぱり、彼は僕の希望だった。どれだけ塾に連れて行かれたって、ママに私物を捨てられたって、彼がいれば平気だった。
彼は僕より下なのだ。そして、勉強を押し付けられて泣いている僕を塾から連れ出して、公園でサボらせたのも、捨てられた私物をゴミ捨て場まで探しに行ってくれたのも、彼だった。
互いを唯一の希望とした僕らは、お互い様の最底辺。彼を上に上らせない僕と、僕を下に引きずり落とす彼。
歪に光る希望は、それでも僕らにとっての唯一無二だった。
テーマ:たった一つの希望
夜の街。そこは、毒を持った美しい蝶たちが飛び交い、萎びた花から蜜を吸い尽くして枯らしてしまう。そんな場所。
ギラギラと喧しい光を放つネオンの看板の間を抜けて、薄汚い落書き塗れの路地を進む。目的の店は、男女の醜い欲で汚れた街の中心部、足下に埋もれた地下にあった。
生ゴミと吐瀉物の混じった臭気をくぐり抜けて階段を下りきると、街の雰囲気にそぐわない、清廉潔白とした、趣味のいいアンティーク調の扉がそびえている。中から、微かな甘い匂いが漂っていた。
店の中は死屍累々としていて、深く深く眠っているのか、或いは気絶しているのかいまいち区別のつかない老若男女が無造作に転がっている。その中心で、一人佇む男。この店のオーナーであり、俺の旧友だ。
「相変わらず陰気臭ぇ趣味しやがって。」
「はいはい、いらっしゃい。」
パイプの吸い口を丁寧に磨いていた奴が、顔を上げた。生っ白い肌に、透けるような血色、柔和そうな垂れた目元にぽつりと置かれた涙ぼくろが、得も言えぬ色気を醸し出す。俗に言う優男だ。
「で、今日は何しに来たの?まさか、冷やかしに来たんじゃないでしょ。」
俺が無言でカウンターの奥をしゃくると、彼は一拍置いて小さく笑い、にまりと笑ってゆったりと歩いていった。
カウンターの奥の倉庫に戻って、手にしてきたのは如何にもなビニール袋。子供っぽい、ビビッドカラーの錠剤が包まれた、違法のヤツ。
「ん……サンキュ。」
「ほんとだよ。昔馴染みじゃなきゃタダでなんてあげないからね?」
店の中に転がったクズ共を、睨めつけるように言った彼の口元は、しかし確かに笑っていた。
「よく言うぜ……シャブ漬けにして常連にしたのお前のクセに。」
薄汚れた欲望に狂い、この先の未来の全てを捧げて一時の快楽を得る馬鹿共。俺も含めて、この街の連中は皆、欲望に呑まれて狂った人の形をした化け物なのである。
見かけだけを取り繕った夜の蝶は、今宵もふらりと飛んでいく。その下に何輪の花が枯れ落ちようと、この街で気に留める者はない。甘い蜜に狂わされた者がマトモに生きていられないのは自明の理。それを食い物にしたって、誰も文句は言わない。
「やだなぁ……僕はおすすめしただけだよ。皆、自分の意思で吸ったんだ。」
目の前で笑う彼も、この街に舞う欲望で汚れた蝶の一匹に過ぎない。
テーマ:欲望