「今日で俺ら会ってから15年らしいよ。」
「…………おう。」
だいぶ反応に困ることを突然言われたものだから、それしか言えることが無かった。1年目のカップルだとか、10年目の夫婦だとかならまだ分かる。そんな関係なら当然祝いたいだろうし、節目もつけたくなる。しかし、俺らはただの幼馴染、しかも同性。祝う気にもならないし、祝う必要性も感じない。
「感心薄くなーい?」
「ダル絡みうざ……」
肩に纏わりついてくる彼を押しのけ、だらりと姿勢を崩してソファに深く沈み込む。一応ここは彼の家だが、数えたらキリがないほど通ったせいでもはや第二の我が家である。我が物顔で携帯ゲーム機を独占しつつちらりと顔を上げると、不貞腐れたような彼の顔が見える。コイツは俺に何を期待していたんだ。甚だ疑問には思うものの、聞いても碌な答えは返ってこないだろう。そう思ってあえて無視していると、さっきより明らかに拗ねた様子の彼が口を開いた。
「どーせ俺のことなんてどうでもいいんだー……15年も一緒にいるのにどうでもいいんだー……」
放っておくと余計面倒なことになりそうな気配を感じ、俺は適当に機嫌を取る方向へ舵を切る。
「あー……いや、ほら……悪かったって。今お前と何しようか考えてたとこだから……」
さすがにこの程度じゃ騙されてもくれないと思っていたが、奴はこちらが呆れるほどチョロかった。母親の買い物についていく子供のような目で見られた俺は後に引けなくなって、結局少し高めのケーキを奢ってやろうと彼の手を引いて立ち上がり、そのまま玄関へ向かう。
コイツと手を繋ぐなんていつぶりだろうか、なんて考えながら歩いていると、ふとずっと昔の記憶が蘇った。俺達がまだ出会って間もないような頃、親の手違いで家を閉め出された俺の手を、彼がこうして引いてくれた。
左手に伝わる、記憶の中と少しも変わらない体温がどうにもおかしくて、俺はきょとんとする彼を半ば引きずるようにして洋菓子店まで駆けていった。
テーマ:ぬくもりの記憶
周囲を見回すと、自分と似たような姿をした哀れな同胞達が、一見無表情に見えるその表情筋のまま戦火をごうごうと燃やし続けていた。
家族が居るんだと命乞いされようと、目の前の相手が何も知らない、何の罪もない赤子であろうと、敵国の人間である以上「敵」と判断し冷酷に切り捨てる。それが、普通の人間ではできないような鬼畜の所業を熟す、死に損ないな俺達の仕事だった。
戦場で両手足を吹き飛ばされた者。あるいは、脳髄の半分が露出して血の泡を吹いている者。そういった類の兵士を集め、脆弱な人間の身体を捨てさせる。意思も思考も残っているのに、それが自らの体に反映できないようにされた機械である。裏切ることもなく、躊躇って敵兵を生かすことも無い、優秀な兵士たちである俺達は、それでも心は人間のままだった。
小さく柔い赤子の額を撃ち抜く度、家族の写真が入ったロケットのかかっている胸を撃つ度、俺達はどんどん人間からかけ離れていく。鋼鉄製の指先も、壊れた同胞の物を引き継いだ脚も、血を被って汚れている。
誰も俺達に目を向けない。ほとんど死んでいるような状態で勝手に改造され、意思と体を切断されても、所詮俺達は実行犯。恨まれるのも、蔑まれるのも、罵声を吐かれるのも全て俺達。鉄鋼で固められたこの表情はぴくりとも変わらないが、酷い孤独感と後悔、理不尽への怒りと希死念慮に満たされて頭がおかしくなりそうだ。
長きに渡っている戦争は、まだまだ鎮火の気配を見せない。そろそろ、その下らない争いが始まって3度目の冬が来る。作戦終了時に詰め込まれるトラックの荷台も、初めはぎゅうぎゅうに押し込まれて狭かったのに、今では両足を伸ばしたって楽に座れる。そのうちまた追加が来るのだろうが。
光の差さない荷台の中、一人の男の哀れな呻きが響いている。もちろん俺達に発声機構なんて高尚なものは無いので、砂埃やら何やらで壊れた、定型文を収録してあるスピーカーから漏れるノイズなのだろう。アイツは明日には居なくなっているだろうなと予想を付けて、そっと意識を逸らす。同胞が処理されるのにこんな反応しかしないのだから、俺も大概、人でなしに染まってしまったなと自嘲して、体温の通わない、冷え切った金属の指先を目だけで見下ろしていた。
テーマ:凍える指先
わぁわぁとはしゃぐ、小学校停学家くらいの子供たちの声が、結露で曇った病室の窓に響いた。病院の向かいに広がる野原は、すっかり雪に覆われて、今ではこの病室と大差ないような白さが日光を反射している。
そんな子供たちを微笑ましく思う一方で、底痴れない嫉妬と羨望が胸の奥を焦がしていた。俺は高校生にもなって、今だ点滴のチューブと頼りない針一本でもってこの味気ない病室のつまらないベッドに縫い付けられているのに。雪の冷たさも、悴む指先を友達の首筋で温めて笑い合うことも、全部窓越しにしか知らない。
ずるい。俺が何をした?なぜ俺だけがそこに混ざれない?理不尽な問いばかりが喉元に詰まって、言葉を吐くことも、息を吸うこともできない。誰も悪くない、俺も何もしてない。ただ、運が悪かっただけ。そんなのは、分かりきっていた。けれど、どうしても恨まずにはいられなかった。あの雪原を自分の足で踏んでみたい。看護師が気を使って持ってくる、溶けかかったみぞれに近いようなのじゃない雪に触れたい。そんな小さな願いさえ、世界は許してくれない。
それで、どうしても羨ましくて、俺は出来心で病室の窓をほんの少しだけ開けた。換気の為、この時間は病室の窓の鍵が外されたのを見た。それでも、開けられたのは俺に直前風が当たらない側の窓。それに苛立って、思い切って自分に風が当たる方の窓を開けてみた。きっと、長さにして3センチ程度。
外から吹き込む雪交じりの風が顔に当たって、空調で整えられた室温で温んでいた頬がみるみるうちに冷えていく。時折瞼や額に触れる雪は風よりさらに冷たくて、熱で魘される俺には天からの贈り物のように思えた。
なのに、俺の体はあまりにも弱くて、どうしようもなかった。窓を開けて数分、冬の乾いた空気は俺の肺には相当酷だったらしい。咳が止まらなくなって、呼吸さえ怪しくなって、それで必死でナースコールを連打した。
バタバタと駆け込んできた看護師の手によってすぐに窓は閉められ、俺はしこたま怒られた。こんなことさえ耐えられない自分の体が嫌になって、体に連動して弱った心はいよいよ決壊した。
過呼吸になるくらい泣いて、もう嫌だと暴れた。それも結局、背も低く華奢な女性看護師に押さえつけられて、ますます自分が嫌になっていく。自分と同じ身長の男子高校生で、もしも健康ならば。この女性看護師では押さえつけられなかったはずなのに。時代に合わないような差別的思考なのも分かっているが、それでも、生物としての性質さえマトモに機能していない気がして腹が立った。
ひとしきり暴れて体力の尽きた俺は、電池の切れたおもちゃのように眠りについた。夢に落ちる寸前、散々泣いた涙が睫毛に纏わりついて、それが光を反射するのが雪のようで、俺はまた、あの雪原の先を夢に見た。
テーマ:雪原の先へ
はぁ、と長く長く溜息をついてみる。真冬の寒さに満たされた外気の中では、それはすぐに真っ白になった。
そうやって何度か遊んでいると、幼い頃誰もがしただろう遊びがふとしたくなった。
そのままの足で近くのコンビニへ寄って、迷わず菓子売り場へ突き進む。手に取ったのは、タバコを模したラムネ菓子。
外に出たら、ガードパイプに軽く座って、ちょっとカッコつけたようなアンニュイな表情と仕草でラムネを咥える。適当に二、三回舐めてから、ゆっくりと息を吐き出した。数回繰り返したところで、冷静になった心の片隅が羞恥に耐えきれなくなってラムネを噛み砕く。薬のトローチに似たような、少しだけ清涼感のあるココアの風味が鼻を抜けた。
まだ5本も残っている中身を見て、そもそもそこまでラムネが好きではない俺は処理に困った。明日適当な友人になすりつけることにして、箱を乱雑に制服のポケットに押し込む。
いつも紫煙の匂いを纏って、気怠げな瞳の中に確かな意志の色を宿した人。その人の真似事に過ぎなかった。まだ幼かった俺に外の世界を教え、光の下へ連れ出してくれた人。あまりに自由奔放な彼は、俺が中学一年生の時に突然異国の地へ飛び立ったまま音信不通。体調を崩していないか、何かに巻き込まれてはいないか、それ以前に生きているのかすら分からない。
はぁ、とまた長く息を吐く。彼の吐く煙草の煙と違って、所詮水でしかない俺の息はあっという間に霧散して消えてしまう。彼の煙草のように、匂いで記憶に染み付くことも、その場の空気を揺らめかせることもない。
なぜだかどうしようもなく寂しくなって、薄暗くなり始めた冬の空を見上げた。藍色の空に白い月が頼りなく浮かんでいて、それを薄い雲が暈している。
「……風邪引くぞ?」
動けなかった。あまりに聞き覚えのある声だった。そして、何より。
「んだよ。なんでそんな幽霊見たみてぇな顔してんの?」
あまりに馴染み深く、俺の記憶に染み付いて離れない、甘ったるいような煙草の匂い。
その場に放り出された白い吐息に、くゆる煙草の紫煙が絡みついた。
テーマ:白い吐息
ある山奥にある、古びた小さな一軒家。昔ながらの平屋建てに、古めかしい様相をそのまま残した造りの建物だ。
そこに、ある男が一人で住んでいた。もう随分と年老いた男で、子供どころか妻さえいない。しかし、寂しくないのかと多くの者が訪ねたが、男は柔和に笑って首を振る。
決まって、
「手間のかかるのがいるもんでねぇ。」
と、何もいない空間を見つめて言うものだから、そのうち不気味がってこの家に近付く者はいなくなっていった。
男がお決まりの台詞を口にする度、家の天井に吊られたランタンの火がゆらりと揺れる。その光に従って揺れる影が尚のこと不気味さに拍車をかけ、ますます男を孤立させた。
それなのに男は、全く寂しがり様子も無い。それどころか、揺らめく灯りを見る度に、己の影が振れる度に、天井のランタンを愛おしげに見つめるのである。
さて、そんなある日の暮方のことだった。もう人足の途絶えて久しい男の家の門を、誰かが叩いた。男が開けると、そこには濡鼠になって青白い顔をした若い男が一人、佇んでいた。
「……今晩、泊めてくれませんか。」
外は急な土砂降りに見舞われ、当面止む気配も無い。これを哀れに思った男は、彼を快く家に迎え、囲炉裏の火を強くして勧めた。彼の顔色にようやく赤みが差してきた頃、不意に彼が口を開いた。
「……妖狐、ですか。」
男は僅かに目を見開き、それから柔和そうな笑みを一層深めて頷いた。
「ええ、ええ、そうですとも。大事な大事な私の家族でしてね。」
初めてその存在に気付かれたことが余程嬉しかったのか、男は嬉々として、彼に妖狐と出会ってからの話をいくつも聞かせた。
若い男は天井のランタンをぼんやりと見上げ、うっすらと見える狐の影に小声で語りかけた。
「……その火、最期まで潰えさせてやるんじゃないぞ。」
返事をするように火が一度大きく揺らぎ、それから少しだけ火力が上がった。男の昔語りはまだまだ続くようで、若い男は惚気に近いそれに溜息を零しながらも、泊めてもらっている以上聞かぬのは失礼だろうと最後まで付き合ってやることにした。
テーマ:消えない灯り