絵画は良い。
言葉にならないような心の内の内まで、よく表れる。
筆を運ぶ線の一つ一つに、色の選び方に、その色をどこに、何も混ぜて、どう置くかに。
全部にその人の人生が出る。
私の友人に、酷く心を病んでしまった、やさしい人がいた。
少しでも気分転換をさせようと、私は彼をよく連れ出して、季節の花を一緒に見つめたり、虫たちのささやかな営みを見物したりした。
そんな彼に、一度だけ筆を握らせたことがある。
何でもいいから、描いてみろと。
やさしい彼は、言葉にするのが下手なのだ。
その点、絵画は素晴らしい。
言葉になんかしなくたって、色が、形が、線が、全て伝えてくれる。
彼はしばし躊躇って、何度も私に確認を取って、ようやく筆を手にした。
いちばん細い筆で、繊細に、薄い色を少しずつ重ねて、淡く淡く、影の中を柔らかく照らすような光をぼんやり描いていた。
彼の神経によく似た、細い線だった。今にも切れて消えてしまいそうで、けれど優しく、温かい。
実に彼らしい絵だった。
あまり無粋なことは聞きたくなかったが、彼にはもう少し言葉にするというのも覚えてほしい。
だから、私は敢えて問うた。何を描いたのか、と。
彼はまた口籠って、絵筆を指先でくるりと回し、絵を眺め、窓の外を見て、ようやく言葉を吐き出した。
「……きみを、描いたんだ。」
流石の私も少し面食らって、言葉に詰まってしまった。
彼は照れたようにはにかんで、セピア色の絵の具が付いた指先で頬に軽く触れる。
「ぼくが困っていると、きみはいつもヒントをくれる。……そこにランプがあるだろう?きみによく似合うと思ったんだ。」
アトリエの片隅に置かれた、古ぼけたオイルランプを指して彼は笑った。
随分久しぶりの笑顔だった。
その日の晩、私はいつもの通りにキャンバスに向き合った。
太く、けれどしなやかで柔らかな筆先が、ランプに照らされた、控えめながら艶やかで美しい、一輪挿しの高嶺の花を、ゆっくり少しずつ、描き出している。
これは、私から彼に贈る絵なのだ。
今日、彼が魅せてくれた私に対する、返答画。
真っ白な、無垢なキャンバスの上、今日のランプの残り火を、まだ静かに燃やしていたかった。
テーマ:今日の心模様
4/24/2026, 8:48:19 AM