「……よし。」
今日も感情カートリッジを胸部ユニットに差し込んで、朝の支度を終えた。
ある時、人類は考えたのだ。世の中を、もっと合理的に回そう、と。
そのために開発されたのが、感情カートリッジ制度だった。
暗い感情は街の治安を乱し、争いの火種となる。
そこで、毎月政府から支給される、正の感情だけが詰まったカートリッジを、改造された人々の肉体に装着するようにしたのだ。
人々はたちまち幸福、悦楽、歓喜だけを感じるようになり、憤怒や悲哀なんかの辛い感情は全て忘れ去った。
街は明るく笑顔に満ちて、争いも無く、順調に世界が回る――そんなはずがなかった。
街には作りものじみた笑みばかりが並び、親族が死のうと皆笑っている。
けれど、誰もそれに疑問を抱かない。
当然だ。我々はもう、正の感情しか感じられなくなったのだから。それ以外を奪われた、と言ってもいい。
僕は確かにカートリッジも装着しているし、正の感情しか感じていない。
けれど、この世界に心底疑問を抱いている。
僕は、この世界を疑い、批判することを心底楽しんでいるからだろう。
何故皆、この紛い物の幸せを何も考えず傍受できるのか。
そもそも、こんなふうに管理されて生きている我々は真に生きていると言えるのか。
そんな、捻くれて、誰もが失笑して唾棄するような問いを、いつまでもいつまでも大切に抱き続けている。
どれだけ人々を管理して感情を縛り付けたって、僕のような人類がいる以上、絶対に争いはなくならない。
争いを楽しむ人がいる限り、あの政府達は僕達を縛れない。
胸部のユニットがまた、ぎしりと音を立てた。
本来の制御用途を果たせていないこのポンコツは、きっと今に駄目になる。
けれど、僕が僕の心を取り戻したって、結局今の僕と大差ない、そんな気がした。
無為なことを嬉々として考えながら、僕は笑顔で満ちた街の中へと歩みを進めた。
テーマ:My Heart
僕は、兄が羨ましくて仕方なかった。
なんでもないような顔をして、やることなすこと全て卒なくそれなりの結果を出して終わらせる。
人との付き合いだって程々で、深入りしすぎず、浅すぎない。
器用に生きられる兄が、羨ましかった。
僕は兄の出涸らしのような、そんな才しか持っていなかったから。
兄と違って、何時間もかけてコツコツ努力して、ようやく兄に並べる。
友人だって、親しい何人かを作るので精一杯だった。
ある日、兄が彼女を家に連れてきた。
可愛い人だった。明るそうで、兄によく似合う。
だが、すぐに振られたらしい。ある日の食卓で、兄がそう笑っていた。
兄のこういう所も、少しだけ羨ましかった。
嫌なことがあっても、すぐに切り替えて笑える。
僕ならもっと引きずって、そんなすぐには立ち直れない。
でも、ある日。兄とおつかいに出かけた夕方、ぽつりと兄に言われた。
「俺、お前のこと羨ましいんだよね。」
意味が分からなくて、少し語気を強くして聞き返した。
兄は困ったように笑って、それから続けた。
「いやさ、お前、どんだけ無理だって言われても、めちゃくちゃに努力して、頑張って、そこそこの結果出すじゃん。俺、そういうできないからさ。」
兄は、努力しなくてもできるだけだと思っていた。
けれど、違ったらしい。兄は、努力の才能が無かったのだと。兄はそう言った。
「あとさ〜、俺、親友ってできないから。なんつーか、広く浅く、って。彼女にもそれで振られたし。」
広く、浅く。確かに、僕はどちらかと言えば狭く深くの人間だった。
友人の数こそ片手で足りる程しかいないが、その全員が、親友と胸を張って言えるほど親しい。
「……ま、薄いんだよ、俺の人生。全部中途半端。……俺が全部どうでもいいと思ってるからなんだろうけど。アイツに振られてもさ、全然どうでもよくて。まぁいっかくらいしか思わなかったんだ。薄情だろ?」
夕日に照らされた兄の顔は、逆光になってよく見えなかった。
隣の芝生は青いのだ。
僕が羨んだ兄の人生は、兄にとって酷く無味乾燥なものらしい。
それなら、兄は僕の人生を羨んでいるのだろうか。
僕は、僕の人生を誇ってもいいのだろうか。憧れの人に羨まれるほどの人生を歩んでいる、と。
テーマ:ないものねだり
「はい。夕飯、作ってみたんだ。良かったら食べてよ。」
目の前に並べられたのは、お洒落で彩りよく盛り付けられたイタリアン。
手の込んだ料理ばかりで、きっと昼間から手間暇かけて作ってくれたのだろう。
「ほんと?ありがと!」
にぱ、と何も知らない風を装って、僕は無邪気そうに笑った。
目の前で笑う親友は、心底幸せそうな、でもどこか虚ろでやつれたような顔をしている。
1年前のあの日、事故のあった日から、彼は変わってしまった。
彼には可愛い恋人がいた。ミルクティーみたいな色に染められた茶髪に、くりくりした可愛い垂れ目。小柄で、甘い匂いがする女の子。
僕に彼女を紹介してくれた時、彼はすごくすごく嬉しそうだった。
そんな彼女が、1年前に事故で亡くなった。あまりに突然のことで、彼はもちろん、ほとんど関わりの無かった僕でさえ理解が追いつかなかった。
あの日から、彼は僕のことが見えなくなってしまった。
あの日の事故で死んだのは、彼の幼馴染で親友だった僕。彼女はなんとか生き延びて、2人で僕の死を悼んだことになっている。彼の中では。
彼のためなら、僕は僕を殺すことだってできた。髪を伸ばして、女の子らしい仕草を覚えて、声だって、喉が痛くなるまで練習して高い声を出せるようになった。
好きでもない甘い物を好むふりをして、甘ったるくてしょうがない香水を振って、彼の心を繋ぎ止めた。
今年、彼の中での僕の墓に、本来の彼女の眠る場所に行ってきた。
僕の好きな、綺麗な向日葵。墓にはおおよそ似合わないような明るい花が手向けられたのを、僕はどんな目で見たらいいのか分からなかった。
後で、彼女の好きだったヒヤシンスと勿忘草を手向けた。僕宛ての向日葵は、そのまま焼却炉に突っ込んだ。
好きでもないイタリアンを微笑んで口に詰め込みながら、味のない砂のようなそれを飲み下した。
彼の中で、僕より彼女の方が大切だった。それだけの話だ。
和食の方が好き、だなんて言えなくて、僕は今日も、僕でない僕を見つめる彼を見つめていた。
テーマ:好きじゃないのに
特に予定の無い休日の半分を、何もせず寝て過ごした。
今日は雨の上、することもない。何も予定は無かったはずなのに、何故か少し損した気分になる。
多少何かした感が欲しくて、唸りながら布団から這い出た。そのまま、充電器に刺さったスマホを回収し、のそのそと布団に潜り込む。
意味もなくネットニュースを眺めて、名前だけ知っている芸能人の結婚速報を冷めた目で流し見た。
他人の結婚情報なんて、よくそこまで本気になれるな。そんな俯瞰したような、冷笑する考えが頭に浮かんでいた。
ダラダラとスマホを眺めているこの時間、ぴったりと狙ったかのようにチャットアプリの通知が来た。
『どうせ暇だろ、付き合え。』
あまりに乱暴で、要件さえ分からない。こちらを暇だと団でしているのも腹が断つ。
しかし悲しいかな、面倒事だったら嫌だと思うが、暇なのは事実なのだ。
仕方がないので付き合ってやることにした。
その旨を伝えると、冷たいほど簡潔な文で集合場所と時間だけが送られてきた。
渋々立ち上がって、ようやくパジャマから着替える。雨降りで肌寒い気温を思ってばさりと1枚上着を羽織った。
集合場所のカフェに向かうと、既に見覚えのある顔がそこにいる。予定時刻よりずっと早いはずなのだが、もう既にそこにいた。
「遅ぇ。」
予定より早く来たのにこれである。むっとしながら、彼の方へダラダラ歩いた。
「うるせぇな……早く来てやっただろうが。」
もっと文句をつけたかったが、その前にさっさと彼は歩き出してしまった。
不完全燃焼のまま、むすっとして後ろをついていく。何をするのか、どこへ行くのか。全く分からない。
電車を乗り継ぎ、レンタカーに乗り、思いの外遠くへ連れてこられた。
「ちょ、まだ行くの……?どこまで行くんだよ……」
少し暑くなってきて、羽織った上着を脱ぎ捨てる。
「もう着いた。」
目の前にあったのは、山に程近い、ぽつんと建った神社だった。
静かで、手水の音が遠くに聞こえる。
彼は俺の手を引いて、境内の隅、見晴らしのいい、社の縁に腰を下ろした。
「……最近ずっと疲れた顔してただろ。」
不器用な彼なりの、励ましだったらしい。
確かに、最近は理不尽で古い考えの上司と、自由奔放で現代らしい後輩に板挟みにされて、忙殺されていた。
周りを見る余裕も無かったかもしれない。
改めて見下ろした町並みは、俺がいなくとも穏やかに回っている。それが、酷く安心できた。
雨はもう、降っていない。あの雨は、俺の住む地区の周辺で降った局地的なものだったようだ。
隣に座る友人の、無愛想な肩の上、俺はそっと近付いて体重を預けた。
テーマ:ところにより雨
市場からの帰り道、買った野菜やパンがぎっしり詰まった紙袋を両手で抱えながら、ゆったりと街道を歩いていた。
何もない閑静な町並みが続いていた中、領主の城壁の方がやけに騒がしいのが耳に入って、俺の野次馬精神がくすぐられる。
そんなこんなで、つい寄り道をしてしまった。
どうやら、定期開催の聖女祭の知らせが届いたようだった。
華やかな絵柄の張り紙が、城壁にぺたりと張り付けられている。
小さな子供たちは祭りという言葉に飛び跳ねて喜び、年頃の少女は聖女となることを夢見て頬を赤らめている。
まぁ、俺には縁のない話だ。
くるりと喧騒に背を向けて、買い物袋を抱え直した。
年に一度開催される、聖女祭。王都で開かれる大規模な祭りのことだ。
大抵は屋台で飲み食いし、歌って踊って楽しむだけなのだが、メインとなる余興が少し変わっている。
「聖女の制定」と呼ばれるそれは、年頃の少女なら誰もが憧れてしまうようなおとぎ話。
聖女祭の夜、希望する者が一人ずつ順に精霊の泉に手をくぐらせる。もしその者が聖女だったならば、たちまち泉から祝福の光が舞い上がり、その者に永遠の安寧を与える、なんてものだ。
ちなみに、「聖女」とは名付くものの、制定自体には男も参加できる。それくらい、誰も本気にはしていない。
聖女が選ばれた話なんて、文献に残っているのは数千年前が最後。この祭りが始まった頃の記録からはただの一度たりとも聖女は出ていない。
騒がしいのは得意でない俺は、祭りにそこまで興味をそそられない。だから、毎年不参加で、僻地の領地に引き篭もり生活をしていた。
下級貴族なんて、そのくらいの生活が身の丈に合う。そう思っているのだ。
聖女祭の日は、街が随分静かだった。家々の光が無い分、星の瞬きがよく見える。
ほんの少しだけ興が乗って、領地内の小さな湖に足を運んだ。
花々に囲まれた、小さくも美しい湖だ。精霊の泉なんて大層なものでなくとも、身近な美しさがある。
ぱしゃ、と水面に手をかざす。
なんとなく、水面で揺らめく月が掴めそうに見えてしまった。
それで、手を軽く水に触れた瞬間だった。
夜を昼に塗り替えるほどの光が湖から舞い上がり、ふわりと光る雪のような何かが振り注いだ。
俺は呆然としつつ、未来への歯車が大きくズレて狂った音を、初めて耳にした。
テーマ:特別な存在