クラスメイトが鳥になった。
よく晴れた、高校3年の春の話だった。
そんなに話した奴でもないし、彼の友達もぱっと思いつかない。端的に言って、彼は目立たない一匹狼タイプだったのだ。
だから、好き勝手噂が流れた。
『進路のことで親と揉めた』、『実はいじめられていた』、果てには、『誰かにそう言われた』なんて陰謀論じみたものまで。
誰も、彼が飛んだ本当の理由を知らない。俺だって、知らないはずだった。
彼が屋上から飛んだ日の、3日前。俺は彼に呼び出されていた。
話したことはほとんどない。文化祭の準備の時に2,3言話したかどうか程度だ。
「ああ、来てくれたんだ。ありがとう。」
梅の蕾を綻ばせる春の穏やかな日差しの下、彼はそう言った。
思えば、彼の顔を真正面から見たのはあれが最初で最後だった。
泣きそうに歪んで、目尻に溜まった涙が日差しを受けてきらきらと宝石のように光っていた。
なのに口元だけが不器用に吊り上がっていて、道化師の化粧のような、バラバラでおかしな顔だった。
結局、俺と彼はその日、くだらない話をして終わった。
どうして俺が呼び出されたのかは分からなかった。
ただ、好きなゲームの話をして、学校の愚痴で若干盛り上がって、彼の目尻の涙が引いたことに安堵していた。
なんとなく、彼がもうすぐいなくなるだろうことは肌で感じていた。
溶けていく道路の雪や、海に落ちていく茜色の夕日、色を失っていく紅葉に、散り始めの桜。
そんなような空気を、彼は纏っていた。
3日後、彼が鳥になった時、俺は泣かなかった。
周囲の奴らも、ショックは受けていたが、そのショックはあくまで、一時的な面白い話題程度で終わった。
俺だけが、あの日の屋上に囚われている。
本当は、泣きたかった。あの日、あんなに穏やかに笑う彼の横顔を知ってしまったから。
彼の左袖に隠された包帯も、長めの前髪が隠していた隈も、無垢な子供のような光を含んだ瞳も、熟れた苺のような唇も、全部、全部、もう俺しか知らない。
そのことが嬉しいような、悔しいような、独占欲と拡散欲がぐちゃぐちゃになった、泣きそうな笑顔を浮かべていたと思う。
けれど、泣かない。俺は、彼が飛んだ本当の理由を知らない。その鱗片に触れただけだ。
きっと、彼は俺に他人でいてほしかった。だから、俺は絶対、彼の話では泣いてやらないのだ。
テーマ:泣かないよ
僕は怖がりな人間だった。
選択に責任を持つのが怖くて。何も選べない人間になった。
選択肢を出されても、誰かが先に選ぶまで、何もできない。
人生に責任を持ちたくなくて、常に誰か、責任を持ってくれる存在が欲しかった。
そんな時、彼と出会った。
常に誰かの主導権を握りたくて、誰かの人生が欲しくて仕方ない彼。
彼と僕は、奇跡的なまでに相性が良かった。
何も選べない僕の選択肢を、彼が選んでくれる。
自分で責任を負わなくていい人生というのは楽なもので、失敗しても何も気負わなくていい。誰にも責められない。
彼は僕を支配したいらしい。
僕がいい子にできたら、たくさん褒めてくれる。
歪んだ関係なのは分かっている。でも、あまりに心地よかった。
人生が怖い僕は、誰かの犬として生きる方が楽だった。
飼い主のくれる甘い甘い餌だけを食べて、温かい部屋でぬくぬく過ごしているだけでいい。
なんと甘美で、楽で、素晴らしいのだろう。
彼も楽しいみたいだ。
僕という、意志のある一人の人間の人生の選択権を握ることに、ただならぬ快楽を得ている、
彼も、怖いのだ。
自分で何も選べず、他人にとって薄味な人生を送るのが。
だから、他人の人生を支配して、覚えてもらおうとしている。
僕らは正反対なようで、よく似ているのだ。
2人とも怖がりで、歪で、どうしようもない。
世界を怖がる僕たちは、今日も互いの欠けたところを、歪に出っ張った部分で埋め合って生きている。
怖がりに厳しいこの世界で出会えた僕らは、きっと曲がりなりにも運命なのだろう。
テーマ:怖がり
彼は、昔から泣かない子だった。
転んでも、叱られても、一度も泣いた姿を見たことがない。
だから、そういうものだと思っていた。彼は強くて、格好良くて、泣かないんだと。
中学を卒業した彼は、僕が中学校に入るタイミングで、都会の高校に進学して引っ越した。
当時はスマホなんて持っていなかったから、もうそれっきり、この9年間、顔すら見ていなかった。大好きだったはずの彼の声は、とうに忘れている。
22になった僕は、それなりの大学でそれなりの成績をキープしていた。
もう卒業も間近で、就職の話もちらほら出てくるようになっている。
僕も、いい加減真面目に就職について考えなければ、と思っていた。
漠然と夢はあった。だが、あまりにぼんやりとしていて輪郭のないその夢は、僕には到底手の届かない存在に見えて、どこか当たり前のように、叶わないものとして捉えていた。
作家に、なりたかった。けれど、そう簡単なものでも、すぐに大成するものでも、安定する職でもない。
22年間で染み付いた常識が、作家としての僕を殺していた。
そんな折だった。就職について考えなければということで、大学に入ってできた浅い友人と、企業の説明会を転々と見て回っていた。
そこで、彼とばったり再会したのだ。
彼は随分大人びていて、紫煙とアルコールを含んだ、都会に呑まれた大人の匂いがした。
会話は無かった。目が合って、それきり。ただ、その後にまだチャンスがあった。
友人と別れた帰り道、駅のホーム。彼とまた遭遇した。
今度は無視するわけにもいかなくて、必然的に会話が生まれた。
ぽつぽつと近況を話して、なんとなく流れで彼の家に上がって。
そして、何故か僕は、諦めたはずの筆を執っていた。
画家になりたかった彼は、僕と同じようにぼんやり生きて、そして筆を折ったらしい。
もうあの頃の絵は描けないと、描きたくないと、薄っすら隈の刻まれた目元が物語っていた。
彼の濁った瞳の中で星が爆ぜて、きらきらした破片になって溢れ出る。
それがあんまりに悲しくて、綺麗で、僕はそれを書きたかった。
テーマ:星が溢れる
ある日、俺の下に猛犬がやってきた。
猛犬とは言っても、比喩だ。来たのは、俺より20センチは背が高く、細身ながら無駄のない筋肉のついた大柄な体付きの男。
組織の中で誰も制御できず、半ば島流しのように、俺の部隊へ送られてきた。
俺達の部隊は、いわば終着地点。使えない、制御できないと判断された問題児達が集められた、どうしようもなく、けれど暴力的な強さを秘めた部隊。
元々爆弾のような部隊だ。今更猛犬の一匹や二匹増えたところで、何の変化もない。
今だって、先にこの部隊に送られていた問題児にちょっかいをかけられている。
「お、新入り〜?どっから飛ばされてきたの?罪状は?」
「……また増えんのかよ……使えねぇなら殺すからな。俺の邪魔すんな。」
よりによって、ウチの中でも特に面倒なのに絡まれているようだ。
組織の風俗を乱すとして送られてきた軟派な男と、誰にでも突っかかるのでどうしようもないと判断された男。別方向に面倒で、何故か2人一緒に居がちなのがまた面倒だ。
「……うるせー……来て早々説教かよ。つーか、こんな終わってる部隊派遣されるくらいならさっさとここ辞めりゃ良かったわ。」
既にバチバチと火花が散っている。いい加減、止めに入ったほうがいいだろう。
かつ、とわざと革靴の足音を鳴らして背後に歩み寄る。3人の喧騒がぴたりと止んで、三対の目がこちらを見つめた。
「あれ、たいちょーじゃん?何、新人の躾でもしに来た?」
その声を無視して、新入りの元へまた近寄る。
そして、全力で、壊しにかかるつもりで、拳を顔面に叩き込んだ。
「……うっっわ……分かってたけど……やっぱたいちょーえげつね〜……」
数メートル吹き飛んだ新人の腕を掴んで引き起こす。何が起きたか分かっていないようだったが、気絶はしていない。猛犬と言うだけあって、それなりに頑丈なようだ。
「いいか。これまでは叱るやつも居なかったんだろう。だが、ウチに来たからには徹底的に躾けてやる。お前だけ特別扱いは無しだ。」
かなり厳しく言ったつもりだった。だが、奴の反応は予想外だった。
どこか遠くを見つめて、恍惚としたような、心底嬉しいような気配を滲ませて、逆立っていた瞳の棘が消えた。
「……はい。」
穏やかな瞳は、新たな波乱を静かに広げていく。
俺は叱られて喜ぶ彼に若干引きつつ、黙ってとりあえず頷いておいた。
テーマ:安らかな瞳
「お隣、いいですか。」
ベロベロに酔い潰れだした俺のもとに、そんな声がかかった。
法も何もかもが崩壊し、何もかもが無秩序になったこの街にしては珍しい声掛けだ。
静かで、落ち着いていて、ずっと聴いていたくなるような、心地いい声。
程よく低いその声に、俺は可愛い女の子かもしれない、と若干の下心と期待を込め、重たくなった首の関節を持ち上げた。
目の前に映るのは、後ろで緩く一括りにされた髪と、柔らかく下がった目尻、頬骨の上にある、涙ぼくろ。
そして、俺より10センチは高そうな長身だった。
「…………男かよぉ……」
酔っ払いの口に、蓋はできない。中性的ではあったが、肩幅も、身長も、体つきも、どう見たって男だ。期待した俺を落胆させるには十分だった。
「……はぁ……まぁ、男ですけど……」
若干困惑したような、拗ねたような声。当然だ。ただ声をかけただけで、勝手に落胆されたのだから。
そんなことは分かっていても、酒やら何やらでぐちゃぐちゃになった情緒の自分は、失礼を止めることはできない。
「男が何の用だよ……はぁ……可愛い女の子なら……」
ぐちぐちと文句が止まらない俺を放って、優男の彼は隣の席に腰を下ろした。
薄暗いバーの照明に濡れる彼の髪は、やはり綺麗だ。酔っ払った頭に、女の子ならなぁ、と何度目かも分からない理不尽な落胆がよぎった。
「……お兄さん、なんでそんな酔ってるんですか。昼間から。」
散々に言われて流石に腹を立てたのか、ほんの少しの棘を含んだ言葉が降ってくる。
友人である店主のやや冷えた視線を感じながらも、酔った情緒はやっぱり止まらなかった。
「うるせぇ〜……傷心中なんだよふざけんなぁ……」
ぐず、とみっともなく鼻を啜る音がした。
5年付き合った彼女に振られたのだ。少しくらい許せ。
「ふーん……」
カラン、とグラスに氷のぶつかる涼やかな音色に合わせて、琥珀色の酒がやたら似合う形のいい唇がガラスに押し付けられていた。
「傷心中なんだ。お兄さん。」
傷をえぐられたようで、余計ぐずぐずとみっともなく泣き喚く。酔っ払いに感情の制御なんて難しい芸当はできない。
「じゃ、僕が貰って行っちゃおうかな。お兄さんのこと。」
す、と彼が何かを差し出してくる。見れば、権力を失った警察の代わりにこの街を取り仕切る、いわば裏社会の人間の証しであった。
これがきっかけで、俺の人生は歪んだ。
だが、後悔はしていない。彼の隣で、裏社会なりの秩序を以てこの街を仕切るのは、案外悪くない。
テーマ:ずっと隣で