作家志望の高校生

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3/3/2026, 8:45:11 AM

あの子は、僕にとっていつだって希望だった。
幼馴染で、保育園から高校までずっと一緒。クラスが別になったって、自由時間の度に会いに行って、いつも2人で、セットみたいに過ごしていた。
彼の家はお金が無いみたいで、服はいつもボロボロ、お風呂にもあまり入れないのか、髪は束になってぺったりと潰れていた。
そんなだから、彼はよく虐められる。それは大抵僕の見ていない時で、殴られて、蹴られて、物を捨てられて、よく泣いていた。
そんな彼を、僕はいつも慰める。傷を丁寧に手当てして、捨てられた教科書の皺を一緒に、丁寧に伸ばした。時には、僕の服をお下がりとして彼にあげたり、一緒にお風呂に入ったりもした。
彼も、きっと僕を特別に思っていた。だって、貧乏で、汚くて、勉強も運動もダメ、話すのも下手。そんな彼とずっと一緒に居てあげたのなんて、僕くらいなんだから。
彼を見ていると、僕は酷く安心できた。最低なことかもしれない。けれど、彼の周りにいる、綺麗事ばっかりで彼の側に居ない偽善者達より、僕の方がずっと上だと、そう思うのだ。
僕は最底辺じゃない。彼よりはマシだ、彼よりはできるんだ。
そんな最低な考えが、僕が彼と過ごす理由だった。上を見てしまったら、首が絞まって息もできなくなってしまうから。だから、下を見て、まだ大丈夫だと、そう思っていたかった。
だけど、僕は失念していた。彼は勉強こそできなかったけれど、バカではなかったことを。彼が、僕のこの愚かな考えに気付かないはずがなかったと。
僕らは結局、どっちもどっちで、お互い様だった。彼を下に見て安堵している僕と、上に居たはずの僕が、彼を見続けたことで堕落してダメになっていくのを静かに見守った彼。歪んで、汚れた、醜い共依存だ。
それでもやっぱり、彼は僕の希望だった。どれだけ塾に連れて行かれたって、ママに私物を捨てられたって、彼がいれば平気だった。
彼は僕より下なのだ。そして、勉強を押し付けられて泣いている僕を塾から連れ出して、公園でサボらせたのも、捨てられた私物をゴミ捨て場まで探しに行ってくれたのも、彼だった。
互いを唯一の希望とした僕らは、お互い様の最底辺。彼を上に上らせない僕と、僕を下に引きずり落とす彼。
歪に光る希望は、それでも僕らにとっての唯一無二だった。

テーマ:たった一つの希望

3/2/2026, 8:55:43 AM

夜の街。そこは、毒を持った美しい蝶たちが飛び交い、萎びた花から蜜を吸い尽くして枯らしてしまう。そんな場所。
ギラギラと喧しい光を放つネオンの看板の間を抜けて、薄汚い落書き塗れの路地を進む。目的の店は、男女の醜い欲で汚れた街の中心部、足下に埋もれた地下にあった。
生ゴミと吐瀉物の混じった臭気をくぐり抜けて階段を下りきると、街の雰囲気にそぐわない、清廉潔白とした、趣味のいいアンティーク調の扉がそびえている。中から、微かな甘い匂いが漂っていた。
店の中は死屍累々としていて、深く深く眠っているのか、或いは気絶しているのかいまいち区別のつかない老若男女が無造作に転がっている。その中心で、一人佇む男。この店のオーナーであり、俺の旧友だ。
「相変わらず陰気臭ぇ趣味しやがって。」
「はいはい、いらっしゃい。」
パイプの吸い口を丁寧に磨いていた奴が、顔を上げた。生っ白い肌に、透けるような血色、柔和そうな垂れた目元にぽつりと置かれた涙ぼくろが、得も言えぬ色気を醸し出す。俗に言う優男だ。
「で、今日は何しに来たの?まさか、冷やかしに来たんじゃないでしょ。」
俺が無言でカウンターの奥をしゃくると、彼は一拍置いて小さく笑い、にまりと笑ってゆったりと歩いていった。
カウンターの奥の倉庫に戻って、手にしてきたのは如何にもなビニール袋。子供っぽい、ビビッドカラーの錠剤が包まれた、違法のヤツ。
「ん……サンキュ。」
「ほんとだよ。昔馴染みじゃなきゃタダでなんてあげないからね?」
店の中に転がったクズ共を、睨めつけるように言った彼の口元は、しかし確かに笑っていた。
「よく言うぜ……シャブ漬けにして常連にしたのお前のクセに。」
薄汚れた欲望に狂い、この先の未来の全てを捧げて一時の快楽を得る馬鹿共。俺も含めて、この街の連中は皆、欲望に呑まれて狂った人の形をした化け物なのである。
見かけだけを取り繕った夜の蝶は、今宵もふらりと飛んでいく。その下に何輪の花が枯れ落ちようと、この街で気に留める者はない。甘い蜜に狂わされた者がマトモに生きていられないのは自明の理。それを食い物にしたって、誰も文句は言わない。
「やだなぁ……僕はおすすめしただけだよ。皆、自分の意思で吸ったんだ。」
目の前で笑う彼も、この街に舞う欲望で汚れた蝶の一匹に過ぎない。

テーマ:欲望

3/1/2026, 8:15:04 AM

「……やっちゃったの。」
目の前が霞んで、上手く前が見られない。白昼夢のようにぼやけた世界は、どこか浮世離れしていて、現実味に欠けていた。
手にべっとりと残った血潮も、足元に転がる何かの肉片も、何が起きたか分からない。記憶にノイズが走って、今日丸一日の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまったようだ。
「……隠さなきゃ、だよね……」
ぽつりと目の前の彼が零した言葉だけが、白けた世界の中ではっきりと響いた。
彼は、最近免許を取ったのだと自慢していた。大きめの新車は、きっと僕らで出掛けるためにわざわざ選んだものなのだろう。
その広いトランクに、ブルーシートでぐるぐる巻きにして包んだ肉塊を積み込む。実家が近いのは幸いだった。田舎にある僕の実家は、広々とした畑を有していた。その倉庫から、ブルーシートを拝借して来ることができたのだ。
「……行こ。……なるべく、遠いところ……」
誰も彼もが寝静まった深夜に僕らの街を出て、2人とも無言でひたすら車を走らせた。真新しい車内には、心なしか鉄錆のような匂いが漂っている。せっかく新しいんだから、この匂いが染み付かなければいいね、なんて、頭に少しだけ残った冷静な部分が囁いていた。
4、5時間車で走り続けて、辿り着いたのは海のある街だった。まだ朝焼けには程遠く、大きく虚のような口を開いた海が静かに唸っている。
ブルーシートを縛っていた紐を解いて、詰め込めるだけ砂と石を詰めて、近くの駐車場にあった鎖まで盗んできて、それでぐるぐる巻きにした。
随分重たくなったそれを、2人がかりで海に運ぶ。いくら春になったって、まだ3月頭の海は冷たかった。
冷えた手足がじんと痺れるのも無視して、2人でブルーシートをできる限り沖に持っていった。海が急に深くなる沖まで辿り着いたら、最後にそれを力いっぱい放り捨てて、それで僕らの業は終わった。
黒々としていた海が、一瞬だけ赤茶けた色になって、それからすぐに黒がまた赤を飲み込んだ。
濡れた服を絞って、寒いくらい薄着になって、僕らはまた車で元の街に戻る。
帰りの車の中は静かで、微かな鉄臭い匂いも、潮の匂いに綺麗さっぱり塗り替わっていた。
静かに静かに手を重ねて、海水で冷え切った指先を温め合うように、指を絡めて、夜間ラジオの静かなクラシックを聞いていた。

テーマ:遠くの街へ

2/28/2026, 8:17:07 AM

「おはよ!」
目が覚めて早々、喧しい声が響いた。隣に眠っていた弟が、どうやら先に起きていたらしい。
「……うるせぇな…………はよ。」
体を起こして伸びをすれば、背骨がボキボキと軽快な音を鳴らした。
今日は何も予定は無かったはずだ。まだ冷蔵庫に食料も残っていたし、買い出しにも行かなくていい。合法的な引きこもりが可能な素晴らしい1日である。
「あー……映画でも見るか。」
立つのも面倒で、ベッドの上から上半身を乗り出してリモコンを手に取る。テレビをつけると、神妙な顔をしたニュースキャスターが、気の滅入るような事件の話ばかりを連ねている。
さっさとサブスクの配信アプリに入って、受動的に、おすすめ欄の映画を再生し始めた。陳腐なホラー映画は、安っぽい血糊と作りものの悲鳴がうるさくてかなわない。
「ねー、兄ちゃーん……これ変えよ?違うのがいい。」
弟までそう言い出す始末。結局冒頭5分で視聴を諦めて、弟の好きなアニメの映画を見ることにした。
上がる血飛沫も、悲鳴も、三次元のものでないだけで急にあの安っぽさが薄れる。耳を裂くような甲高い声も、可愛い女キャラの顔に合わせれば心地よいものだった。
「……兄ちゃん。」
ふと弟が呼んでくるので、ベッドに寝転んだまま顔だけを向ける。弟は何かをずっと口籠っていて、一向に口を開く気配が無かった。
「……なんだよ。言いたいことあんなら早く言え。」
弟はまた気まずそうにこちらを見上げて、視線を下に俯かせる。映画はそれなりのクライマックスシーンに突入し、壮大なBGMと共に平面的な死闘が繰り広げられている。金属同士の触れ合う音が、やけに大きく、リアルに響いた。
「……外、どうなってるの。」
俺は思わず顔を顰めた。せっかく忘れられていたのに。
外からは、アニメに負けないくらい、赤と黒ずんだ茶色に汚れてぐちゃぐちゃだった。3歩歩けば死体に当たって、はみ出した内臓を踏み潰す感触が靴裏越しの爪先に触れる。あの妙な光が空から差した日から、この街は変わってしまった。おかしな化け物が街を闊歩し、人を見つけては遊び殺して去っていく。誰も彼も、外に出なくなった。店も何もがひっそりと忍ぶようになって、買い出しの時は皆まとめ買い。貨幣より、物資の方が価値の上回った街だ。買い物というより物々交換に近い。
せっかくいい休日になりそうだったのに、と内心若干萎えながら、分厚い遮光カーテンを締め切った窓を少しだけ覗いた。
「……いつも通り。四脚型が1体と水母型が2体だって。」
弟は平然を装って無関心そうに生返事を返したけれど、その体が僅かに強張っていた。
静かに狂ったこの街からの脱出は、まだまだ叶いそうにない。

テーマ:現実逃避

2/27/2026, 8:29:31 AM

さて、死んでしまったわけだが。
突然こんなことを言われても困るだろう。だが、事実は事実なのだ。俺は死んだ、らしい。自覚は薄いが、自分の葬式に立ち会ったのだから間違いはないだろう。
どうしたものか、と考えて、早一週間である。現実を生きる肉体はもう無いし、かといってこの霊魂だけの身でしたいことも思いつかない。ものにも触れられないし、誰からも見られないのだ。邪な考えを持てば多少の暇つぶしにはなるかもしれないが、生憎、俺にそんな趣味は無かった。
そこで、はたと一つ思いついた。俺の葬式に参列して、下手したら俺の親よりも泣いていたアイツ。奴に憑いてみれば、多少は面白いものが見られるのでは。俺は邪な考えこそ持つ趣味は無かったが、その分性格がひねくれていた。
そうと決まれば俺の行動は早かった。歩き慣れた道を漂って、俺の家の斜向かい、アイツの家の壁をするりとすり抜けて侵入する。何十回、下手すれば何百回も見た家の中のはずなのに、玄関を通さないだけで、アイツに迎えられないだけで、何だか悪いことをしている気分になった。
ふよふよと家中を彷徨ってアイツを探す。奴の家で飼っている犬と猫に、頗る威嚇された後、見覚えがあるとでも言わんばかりに首を傾げられた。動物は視えるというのは本当だったのだろうか。
しばらくして、アイツの部屋にそっと入り込んだ。部屋の中は真っ暗で、俺が死んでからの一週間程は窓も開けていないのか、空気は淀んで、湿っぽく、埃っぽい空気になっていた。
几帳面な彼らしくない荒れた部屋に、こんもりと膨らんだ布団。鼻を啜る音が微かに聞こえるので、きっとこの仲にいるのだろう。
俺は何だか居た堪れなくなって、そっと、優しく、彼の蹲っているだろう布団を撫ぜた。そもそも物に触れられないのだから、真似事に過ぎないのだ。それでも、この泣いている幼馴染を放ってはおけなかった。
ぐす、ぐず、と僅かに震える息遣いが指先から伝わってくる。触れられないのに触覚はあるんだな、と場違いながら感心した。
「……どうして死んだ……僕を置いていくなっ……」
震えて上擦った恨み言が、幽かに俺の鼓膜を揺らす。死んだはずの心臓が、どくりと音を立てた気がした。
『……悪かったって。』
どうせもう聞こえない声。それでも、慰めたかった。
「……お前は今頃、アッチでまた能天気にやっているのか?」
彼の声が、どこか遠く、悲痛な響きでもって聞こえる。彼には見えないのだ。俺が、彼のことが心残り故に彼の世にも行けずに、死んだはずの生き地獄を味わっていることなど。
彼にとって、俺は今、もうこの世界のどこにもいない存在だ。それが酷く寂しいような、筆舌に尽くし難い衝動を俺の肺に押し上げていた。
幽霊が流す涙は冷たいことを、俺はこの晩知った。

テーマ:君は今

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