この国は年中曇っている。晴れ間が出るのは稀の稀、雨が降らないだけで上等なくらい、この国で青空を拝むのは難しい。
昔見た古い絵本の中に、こんな話があった。大昔に人間たちは酷い争いを巻き起こして、多くの者が死んだという。それに悲しんだ神が三日三晩泣き続けたせいで、この国は分厚い雲に覆われて、からりと晴れた青空は見られないといった御伽噺。
そんな話を思い出すような、いつも通りに陰鬱とした、湿っぽい天気だった。石畳の街道は水を吸いきってその身を濡らし、街の植物の葉には蛞蝓やら蝸牛が這っている。この国では必需品となった傘を片手に、買い溜めの食料を買いに珍しく街へ下りていた。
街はどこも湿っぽくて、雨のせいで露店なんか出せるはずも無いためしんと静まり返っている。子供の遊ぶ声さえひびかず、聞こえるのは雨音と僅かな足音ばかりである。長靴の中は蒸れて不快感を増していく。早く乾いた空気が欲しくて、俺は少し道を急いだ。
馴染みの店に辿り着いてすぐ、聞き馴染みの深い声がする。振り向けば、案の定、この雨の街に降り立った唯一の太陽のような笑顔がそこにあった。
「よ。相変わらず陰気臭い顔してんなぁ。また買い溜めか?定期的に買いに来りゃいいのに。」
軽口を叩きながら、俺がいつも買う品物を、もはや注文さえ取らずテキパキと鞄に詰めていく。缶詰め、瓶詰め、保存用の不味いレーション。みっちりと鞄に詰まったものは、間違いなく今日の目当ての品だった。
「……うるせぇ。毎日こんなうるさくて眩しいとこ来れっかよ。」
悪態をついて、さっさと背を向ける。雨の街に相応しい薄暗い屋敷に住む俺にとって、この狭くも明るく、温かい店は、眩しすぎて怖いのだ。初めから暗ければ、ずっとそのまま。いつか来る終わりに怯えなくて住む。しかし、明るいのはどうだ。この明るさに慣れてしまえば、いつか終わりが来たときに、その光が無くなった時に、どう生きたらいいか分からなくなってしまいそうではないか。
俺はそれが怖くて、今日も、昔馴染みの声を無視してさっさと店を出ようとした。
「あ、ちょっと待て。」
ぐい、と深く被ったフードを引っ張られ、その拍子にそれがするりと外れる。
「おまけ。お前の家、暗すぎんだよ。もうちょっと明るくしねぇとお前転びそうでヒヤヒヤする。」
ぐい、とランプを押し付けられて、ついでに燃料の油も添えられる。そのまま押し出されるように店を出れば、外は珍しく晴れていた。
「……余計な世話焼くんじゃねぇよ……」
ぼそりと呟いた声は、もう彼には届いていなかった。
いつも俺を落ち着かせてくれる物憂げな空は、今日に限って憎らしいほどよく晴れている。手に持ったランプの火が消えないのがどうにもくすぐったくて、物憂げだった空から雲が消えたように、俺の心も少しだけ、あの明かりに毒されてしまったようだ。
テーマ:物憂げな空
ある日。俺の家に、自称天使だという小さな生き物が現れた。
サイズは大体手のひらくらい、見た目はほとんど人間と一緒。絹のような白髪と、桜桃のような真っ赤な瞳。真っ白な羽根、ほんのり光る頭の輪。天使らしい要素はあるが、羽根は小さすぎて飛べないし、輪はうっすら光るだけで何もない。ドジだし、バカだし、なんというか、期待していた天使とはかけ離れている。
さて、そんな自称天使と過ごし始めてから、早一ヶ月が経過しようとしていた。奴は小さいくせに無駄にエネルギッシュで、飛ぶ練習だとか言って机から飛び降りては、結局飛べずに床で泣きわめいている。正直、喧しくてかなわない。
しかしここ最近、奴の姿が見当たらない。元々小さいし、よくどこかに出かけては、犬に吠えられただとか、鳥につつかれただとかで泣きながら帰ってくる。今回も、どうせそうなのだろうと思っていたのに。奴の大好物になった苺を用意しても、名前を呼んでみても、一向に戻ってこない。
別に、構わないと思った。勝手に上がり込んで来て、我が物顔で飯を食うし、部屋は汚すし、煩いし。けれど、いざいなくなってみると、何故かこの部屋が広くて堪らないのだ。元々一人で住んでいたはずなのに、無性に寂しくて、この部屋が酷く味気ないものに感じてしまう。そこらに散っている白い羽根の残滓が、余計に寂寥を増幅させていた。
なんて、人が感傷に浸っていたある日。アイツが訪れた日と同じように、奴は突然帰ってきた。何故か、俺を超すほどの長身で、手には謎の手土産らしき何かを持って。
「やっと戻って来れた!」
第一声にそう言って、やたら整った顔面がすぐ眼前まで迫る。ミニサイズだった時はそこまで気にしなかったが、大きくなると、その美丈夫さに圧倒される。
奴の話はこうだった。小さい姿だったのはエネルギー切れを起こしていたからで、一時的にエネルギー補給をするため俺の家に上がり込んだ。が、想像以上に俺との生活が気に入ったので、元の姿に戻るがてら、地上への移住を伝えるため天上に戻った、と。
正直訳が分からなかったが、あの喧しい同居人が帰ってきたのが、嬉しくて。でも、それを表に出すのも癪で、上がりそうになる口角を必死に抑えつけていた。
なんだかんだ、俺もコイツのことを好いていたらしい。その日の晩、俺の家の食卓に苺が乗ったのは言うまでもない。
投稿忘れにより2日分複合テーマでの執筆。
テーマ:Love you/小さな命
傷付いた空想上の生き物の巣のような子供部屋。僕らにとって、唯一の安息地。外は、僕らを引き離そうと画策する恐ろしい大人たちがそこら中にいる怖い場所だ。この、痛いくらいに温もりに満ちた子供部屋でだけ、僕らは息ができる。
塗料で造られた偽物の青空と、そこに漂う綿でできた偽物の雲。部屋の床は柔らかな毛布やクッション、ぬいぐるみに覆われて、怪我をしそうな硬質な物はほとんど見えない。天井から、蜘蛛の糸のようにたっぷり垂らされたベロアのリボンは、僕たちの楽園に入り込もうとする邪魔な大人たちの首を引っ掛けて、そこからどかしてくれる。
ただ、唯一問題があるとするならば。ここは、光源がない。本来、作りものの青空の中央で輝いていたはずの電灯は、通電を止められたここではもう意味を成していない。せっかくの青空なのに、ずっとずっと夜空のように暗いままなのだ。
まぁでも、そんなのは大した問題ではない。僕がここにいて、そして彼がその隣にいればいい。ここは、そういう場所だ。僕と彼のためだけの、絶対に安全な子供部屋。社会に呑まれて汚れた大人たちは入れない、綺麗な空間。光源なんてなくたって、隣の彼の、眩い程の笑顔があれば十分だ。
ある朝のことだった。彼が、外を見に行くと言い出した。僕は何度も引き止めたけれど、彼の決意はあまりに固くて、ぬるま湯の中にずっと居た僕の言葉では、届かなかった。
彼は少しの食料と、1日分の着替えを持って、ここから出ていった。あまりに少ないその荷物に、彼はきっとすぐ帰ってくるのだと、そう僕は安心した。
実際、彼はすぐに帰ってきた。いつも通り、眩い程の笑顔でドアを開けて、そして。
これまで僕らを守ってきた、世間に汚れた大人を絞め殺すトラップのリボン。そう、世間に汚れたら、この狭い巣の中で、捕らえる対処である僕らだけを見るようになったら、眼中にも入らなくなるリボン。
それに、彼の首は捕まった。僕らはとっくに、大人だった。子供部屋が狭いのも、周りの目が痛いのも、全部、全部そのせいだった。
子供はいつまでも子供ではないし、無垢のままではいられない。いつか大きくなった時、汚れて、痛くて、壊れていく。
宙吊りになった彼の身体を、僕はぼんやり見つめていた。明かりのない天井は、彼には不釣り合いな暗さだ。けれど、彼がいるとなんとなく、明るく見える。
太陽は温かな光を放つけれど、近付きすぎると燃え尽きて死んでしまう。そのことをすっかり忘れた愚かな僕は、彼の隣へ、温もりを求めて、ふらり、ふらりと歩いていた。
その首をリボンが捉えるまで、そう時間は掛からないだろう。
テーマ:太陽のような
ガヤガヤと騒がしい野次馬の声も、近付いてくる救急車とパトカーのサイレンも、全てが遠のいているようで、僕の耳には上手く入ってこない。耳鳴りが酷くて、何故か目の前が霞んで見える。不思議に思って、どうしてこんなことになっているのか君に聞こうとしたのに、声が出なかった。ぷつん、と意識が途切れて、次に目が覚めた時にはもう、無機質で真っ白な天井だけがそこにあった。
がら、と間の抜けた音がして、看護師の人が病室に入ってきた。
「あ、目が覚めたんですか!せ、先生を呼んできます!」
パタパタと駆けていく足音が遠ざかっていくのを、僕はどこか他人事のように聞いていた。どうやら僕は、大学内に侵入した通り魔に刺された、らしい。
その後、何かたくさん質問をされて、診査をして、またたくさんの検査をして、僕は病室に戻ってきた。何かと騒がしい1日だったが、幸い僕の怪我は大したこともなかったようだ。これなら入院もそこまで長引かないと、診査してくれた先生が言っていた。
「あの……ところで、アイツは?僕と一緒にいたはずなんですけど……」
そういえば、と思い出して、ふと目の前の医師に聞いた。医師は気まずそうな顔をして口を開いたが、その声はノイズがかかったように荒れていて、上手く内容を聞き取れない。何度か聞き返したが、結局聞こえなかったのでもう諦めた。
その日の夕方。ドアの開く音がして目を向けると、彼が立っていた。医師の声は聞こえなかったが、どうやら怪我もせず、無事だったらしい。
「……大丈夫だったか?まぁ、起きていられるのなら大丈夫だとは思うが……」
彼らしい、堅苦しいような口調が、無性に僕を安心させる。その日は夜まで話し込んで、とっぷり日も暮れたところで彼は帰った。
次の日も、その次の日も、彼は僕を見舞いに来た。よほど心配してくれていたのか、朝から晩までずっと付きっきりなのだ。学校は大丈夫なのかと聞きもしたが、あの通り魔事件から、一時休校中らしい。
けれど、不思議なこともあった。僕を見る周りの目が、少し変わった気がする。特に、彼といる時は。彼の名前がいつも呼び間違えられていて、その度彼は相手の耳元で、訂正しているのか何かを囁く。そういった違和感の後、彼は決まって、困ったようにはにかむ。そして、いつも言うのだ。
「まぁ……仕方ないことだ。周りも分かってくれるだろう。」
よく分からないが、彼と過ごす日々が続くことに僕は酷く安堵している。あの日、彼が死んでしまうのでは、なんてあり得ない考えをしてしまったから。
「そうかなぁ……まぁいいや。……これからも、ずっと一緒にいてね。」
「……ああ、勿論だ。……やっと、ここに立てたからな。代替品としてだって構わない。俺も、お前と居たいんだ。」
彼の笑顔に、また少しの違和感が積もった。けれど、もう気にしないで、僕は病室に戻ることにしよう。彼がいるのなら、僕は何だっていい。
たとえ、彼が虚構に過ぎなくたって、偽物だったって、なんでも。
テーマ:0からの
手が震える。その手にきつく握った、滑らないよう念入り、きつくきつく縛り付けた刃が、ぬるりとした液体に塗れて鈍く光った。
これで、いい。これで、彼の罪は、全部……
目の前に転がる、魂を失ってただの肉塊と化した男と、目が合う。白く濁った水晶体が、情けなく震える俺の顔を反射して無機質で場違いな輝きを放っている。
数ヶ月前のことだ。夜も更け、草木も眠る丑三つ時。そんな時間に、家のインターホンが鳴った。引きこもりで昼夜逆転した社会不適合者である俺は、当然のように起きていて、中断させられたゲームに苛立ちながらそれに応えた。
無防備にも、ドアスコープを覗くことさえせず扉を開いたのだ。
そこに居たのは、俺の唯一の社会との繋がりにして、たった一人の幼馴染だった。株主だとかでやたら金持ち、そのクセ、社会的に何の価値もない俺をわざわざ養うような変わり者だ。その幼馴染が、ドアの前に立っていた。重そうな何かを引きずって、澱んだ光をその目に宿して。俺は、下を向くことができなかった。にこにこと屈託なく笑う彼の頬に跳ねた、鮮烈な深紅を見てしまったから。
彼は、人一人の命を奪った。しかも、猫が捕らえた獲物を飼い主に見せに来るように、わざわざ俺の元へソレを引きずってきた。道中には血痕がべったり残って、インターホンにもきっと彼の指紋と、彼の引きずる肉塊の血液が付着している。俺の関係を疑われるのは確実だろう。
「ねぇ。一緒に死体、埋めに行こ。」
遥か昔、学生だった、俺がまだ世界に受け入れられていた頃、よく彼からゲーセンに誘われた。その頃と変わらないトーンで、表情で、悍ましいことを言い放つ。結局、俺は彼と一緒に死体を埋めた。遠く離れた県の、地名も知らない山奥だ。
それから、俺は毎日怯えて過ごした。血痕は全て水で流したし、インターホンの血も拭ってある。けれど、いつここに捜査線がたどり着く、今の警察の技術は相当高いのだ。
そして、俺はそんな日々に耐えられなかった。全部全部、嫌になった。どうせ、社会から見たらゴミも同然な存在なのだ、俺は。それなら、いっそ。あの、クラス中から無視される、地獄のような学生時代から俺を救った幼馴染のために、この人生をめちゃくちゃにしてしまおうと、ふと思った。俺と同じような、社会にとってのゴミを一人殺して、自供する。それで、幼馴染の殺した、もう一人の人間も俺の罪にする。簡単な話だ。
でも、俺はやっぱりダメなやつだった。このお粗末な計画は、社会にすぐにバレた。幼馴染は捕まって、社会から批判の雨を浴びた。俺は幼馴染に罪を被るよう強制された、哀れな被害者だと。社会に馴染めなかった俺が、ただ彼に甘えていただけなのに、彼が俺を監禁していた、なんて根も葉もない噂すら流れた。彼は世間にとっての絶対悪になって、俺はその餌食になった哀れな被害者となった。
やめろ、やめろ!俺をそんな目で見るな!お前らが俺をこうした!俺の救いはアイツだけで――
社会の、同情を隠しもしない視線に耐えきれなかった俺はその日、この世界を後にした。奇しくも、俺の救いだった彼が拘留所で自死したのと、同じ日だったらしい。
テーマ:同情