「……お前、やっぱ肌白いよな。」
「急に何?」
体育の直前、男子更衣室。時間が少し遅いせいか、中には俺と、俺の友人の二人きり。どうせ男同士、気まずくなるような仲でもないので、もはや何も隠さず着替えていく。ストーブもついていない更衣室は極寒で、寒い寒いと騒ぎながら脱いではジャージに着替えていった。
「いや、白いなって。」
目の前で上着を羽織る彼は、男にしては随分小柄で色白。髪質もさらさらとしているのにふわふわで、黙っていれば女子に見えなくもない。
「まぁ……年中引きこもってるし……」
「たしかに。」
自分で言った癖に癪だったのか、無言で数発、横腹を殴られた。けれど、美術部の幽霊部員である彼と陸上部で長距離走をしている俺とでは圧倒的な体格差なのでほとんどダメージにはならない。
「お前のへなちょこパンチなんて効かねぇよ。」
鼻で笑いながら言うと、硬い上履きの爪先で思いっきり脛を蹴られた。弁慶の泣き所に見事入った蹴りは、俺を蹲らせる程度の威力はあった。
「い゙って!?」
「ばーか!人のことバカにするからそうなんの〜。」
今度は俺が鼻で笑われ、癪ではあったが先にやったのは俺なので何も言えず口をつぐんだ。
「でもまぁ……確かに白すぎかな〜……見るからに外出てないですーって感じ。」
自分の腕をまじまじと眺めていた彼が、突然蹲っていた俺の腕を掴んだ。
「お前は結構焼けてるよな……やっぱ陸上部だから?」
無遠慮にぺたぺたと腕を触ってくる手は華奢で、同い年の同性だとは到底思えない。
「うるせー。当たり前だろ、外で走ってんだから。」
「だよね〜……」
目の前の彼を、少し見上げる。普段は見下ろしてばかりなので、この視点は何だか新鮮だ。
「……あ、雪。」
ふと窓を見ると、外では雪が舞っていた。
「え、うそ。……うわ、マジだ!ちょ、触ってこ!」
寒いと喚いていたのはなんだったのか、彼ははしゃいで窓を開けた。寒気が急になだれ込んで、寒さに身を震わせて薄く目を開いた。
真っ白な肌の彼の手に、ふわりひらりと雪が落ちてくる。彼の手に触れた瞬間にじゅわりと溶けて水になって、その白い手を露で濡らしていった。
子供のようにはしゃぐ彼があまりに子供っぽくて、そして雪が似合いすぎて。俺はまた小さく笑って、不思議そうに、かつ何か不満げにしている彼の元に近付いていった。
テーマ:雪
「ね、海行こ。」
放課後、夕暮れの教室で、目の前に立つ彼がそう言ったから、僕は思わず唖然として、鞄に中途半端に教科書を詰め込んだまま、しばらく硬直してしまった。
彼はにこりと笑うと、僕の教科書を鞄に無理矢理突っ込んで、そのまま呆然としている僕の手を引いてさっさと教室から出ていく。
「ちょ、ちょっと待ってっ……え、う、海?なんで?今日平日だよ?」
「知ってるよ、今学校にいるんだから。」
混乱している僕を置き去りにして、彼はどんどん進んでいく。手を引かれている僕も、心は置き去りのままなのに、体はどんどん駅に近付いていく。
ここは、海沿いと言うには少し海から離れているのだ。電車で1時間、そこからさらに歩いて40分。それで、ようやく砂浜を踏むことができる。
わけもわからぬまま、駅に着いてしまった。彼は上機嫌に鼻歌まで歌って、さらりと僕の分の切符まで買ってしまう。2枚の切符を改札に通して、また僕の手を引いてそこを抜けた。慌てて財布を取り出そうとしても、片手が塞がれている状況では、リュックから上手く財布を取り出すことができない。
「いいって。ほら、早く行こ。」
引っ張られ、電車に乗り、暖かな車内で揺られているうちに、段々心も静まってきた。海に行く。ただそれだけのことではないか。僕らだってもう高校生だし、男子ともあればそれなりの力もある。携帯もきちんと持っているし、今から連絡をすれば十分だろう。そう思っても、彼は連絡をさせてくれなかった。スマホを取り出そうとすると、さらりと手を掴まれてしまうのだ。
結局、連絡もできないまま海に着いて、紺碧に染まった空を、もう諦めの境地で見つめていた。
「いこうよ。」
彼がまた、手を差し伸べる。もう、海には着いたのに。頭が何か激しく警鐘を鳴らしている。あの手を取ってはいけない。彼を引き留めなくてはならない。
なのに、体は上手く動かなくて、彼の手を取って、一歩、また一歩と海に足を沈めていく。ローファーが濡れ、水を吸った制服が重くのしかかってきた。真冬の海は冷たくて、足の先が触れただけでも背筋を寒気が駆け登る。
けれど、今は不思議と、何も感じなかった。
「ごめんね。どうしても、君と一緒がよかった。」
泣きそうな笑顔でそう言った彼は、僕の手を引いたまま、急に深くなった海の沖合に身を投げた。
修学旅行、お揃いの色違いで買ったキーホルダーは、冬の夜、痛いほどの静寂に包まれた海に呑まれて、もう同じ紺碧に染まりきっていた。
テーマ:君と一緒に
冬の朝。空は晴れ渡って、雲一つ見当たらない。朝焼け色に染まった空は、眩しいくらいにきらきらと煌めいている。
「…………さむい……」
そんな中、僕は布団の温もりと格闘していた。目覚まし時計を止めるために伸ばした腕は、ものの数秒で温もりを奪われて、代わりと言わんばかりに突き刺すような冷たさが肌に触れる。よく晴れた冬の朝は、いつもこうだ。寒くて起きられない。
「ぅ゙〜……」
意味もなく呻き声を上げてみるが、やはり起き上がる気力は湧いてこない。いっそもう諦めて寝てしまおうかと、とろとろ瞼を下ろしだした時だった。
「なに二度寝しようとしてんだバカ。」
ばさ、と布団が奪われ、代わりに冷たい布が降ってくる。
「早く学校行くぞ。遅刻する。」
顔の上に乗ってきた布を退けて見ると、制服だった。わざわざ取ってきてくれたらしい。
「…………ありがと……」
そういえば、兄にも目覚ましを頼んでいたのを今思い出した。どうせ目覚まし時計だけでは起きられないから、と。普段なら少しくらい二度寝したって平気なのだが、今日は委員会の活動のせいで早起きしなくてはならなかったのだ。
「せっかく晴れてんだからついでに布団干してけ。もう俺の掛けてあるから。」
リビングに行くと、窓際に置かれた物干しには兄の布団が掛けられていた。言われた通り隣に布団を干し、朝食のパンを齧り、寒さに凍えながら着替えて準備が整った。
「ほら、行くぞ。」
呆れたように僕を見て、ガチャリとドアを開ける兄。朝日が逆光になって、兄がドアを開けてくれるだけのことが、とてつもなく幸せなことのように感じられた。
外は冬晴れらしい寒さだ。息を吐けば、当然のように白さを帯びて辺りを漂う。
「……うん。」
少し急いでローファーを履いて、兄の横に並び立った。寒いけれど、澄んだ空はどこまでも晴れ渡っていて綺麗だ。
「……今日、一緒に帰ろ。」
気がつけば、そう言っていた。この冬晴れの日の夕焼けを、わざわざペースを落としてまで隣を歩くなんだかんだで優しい兄と、見たくなってしまったから。
テーマ:冬晴れ
ああ、幸せだ。
俺は腕の中にある頭の、ふわふわとした髪を撫でながら、そう思った。栗色の髪はさらさらなのに猫の毛のように細く柔く、手櫛を通せばさらりと指の間を抜けていく。
「明日、行かなきゃだな……」
野暮用を思い出して少し憂鬱になるが、今はそんなことを気にしている暇があるのなら、この柔らかな質感を感じていたかった。
一通り髪の感触を楽しんで、俺は彼をまた寝かせた。目を瞑った彼の顔は、普段の少しきりりとした顔と違ってあどけなく見える。
ぷに。と手持ち無沙汰故に彼の頬をつつく。眠っている彼は反応も返してくれないので、余計静けさが目立って感じた。
「……はぁ……この生活も終わりだな……」
ぼんやりと、天井を見上げながら呟いた。彼は、相変わらず眠っている。冬休みに入っていた俺らは、そろそろ休みも明けてまた学校が始まる。未完成の課題に、埋まる気配のない日記。高校生にもなって日記を書かされる意味も分からず、書くこともないので埋まらない。
「……お前、課題終わってんの。」
寝そべったままの彼に問うが、返事は無い。まぁ、いつも提出物は休みの前半に終わらせる彼のことだ、どうせもう終わっているだろう。
「な〜……写させてって……」
無意味に頬をつつき続けながら、かわいこぶってねだってみる。反応も無いが、自己満足なので大した問題ではない。
「……もう、限界なんだって。」
ふわふわとしていた高揚感が不意に薄れ、現実が俺に突き刺さる。目の前の彼の顔は、酷く青褪めたままだ。
「……だってさ、許せねぇもん、俺。」
目の前の彼は、間違いなく俺が殺した。殺して、丁寧に内臓を抜いて肉を削いで。当然、抜いた内臓と血は全て俺が食べた。全部、血の一滴さえ残さずに。そうしてできた抜け殻を乾かして、剥製にした。もう、二度と彼が他の者に奪われないように。
「……お前が他の奴にベタベタ触られてんの、すげぇやだった。」
彼は、あろうことが恋人を作ったのだ。俺がいながら。
だから、俺は彼を俺だけのものにするために殺した。明日、俺たちはこの街を去る。もう、全てのしがらみから解放されたかった。
課題なんて、本当はやらなくてもいい。もう、退学届は出してある。鞄に詰めた2人分のロープを一瞥して、俺はまた彼の柔らかな髪に指を通した。
彼と2人で、永遠にいられる。それは、俺にとって至上の幸せだった。
テーマ:幸せとは
「来たぞ〜……って、寝てんのか……」
無遠慮にズカズカと上がり込んだ家の襖を、勝手知った顔で開く。自分の家のように肌に馴染む空気は、もう出会ってから数十年になる幼馴染の家のものだった。
「ったく……人に準備任せといて寝てんなよな……」
ぶつぶつと文句を垂れ流しながら、机の上に買ってきたものを並べた。
正月三が日も過ぎる頃に会うのが、もう習慣になっているのだ。売れ残りの正月商品を山程買って、男二人だけでギャーギャー騒ぎながら駄弁る。それだけの日が、毎年なんだかんだで待ち遠しくて堪らない。
「……よしっ。」
かまぼこやなますを並べ終え、何か飲もうとグラスを手に取って準備の終わった部屋を満足げに見回した。
「……まだ起こすには早いか。」
家主を置いて一人で飲んでいるわけにもいかないだろうと、飲むのは冷たい麦茶で我慢する。夕飯時には少し早い時間だからと、まだ彼を起こすのはやめておいた。
彼の寝顔を眺めながら、ちびちびと麦茶で口を湿らせる。普段はうるさいくらい賑やかで、子供のようにコロコロ変わる表情も、眠っているとあどけなく見える。こたつに入っているせいか、少しだけ赤らんで汗で湿った肌は、まだ幼い頃の彼の面影を残していた。
それを見ていると、気が早いのは分かっていても、来年もこうして過ごすのが楽しみになってくる。
「やっぱ早めに起こしちまうか。」
俺は麦茶を一気に飲み干し、若干痛んだ頭に顔を顰めてから彼の体を揺すった。
「ほら、起きろ。人に準備させといて寝てんじゃねぇ。」
少しずつ乱雑になっていく動きに、彼の瞼が震える。ゆっくり開いたそこから覗く瞳と、目が合った。
「……ん、起きたか。」
その瞳が、沈んでいく夕日をキラキラと反射していて。瞼の間から段々姿を現すその輝きは、もう夕方なのに、まるで朝日のようだった。
「んぇ……もうそんな時間……?」
寝惚けた瞳を擦る彼を見て、また思わず頬が緩んでしまった。
幼い頃、泣き虫だった俺の手を引いて笑っていた彼は、昔も、今も、ずっとずっと俺の太陽だった。
「ほら、目ぇ覚めたなら早く始めんぞ。飲むの我慢したんだからな。」
冷えた缶ビールで乾杯して、俺たちの、俺たちだけの正月が幕を開けた。
テーマ:日の出