「ね、海行こ。」
放課後、夕暮れの教室で、目の前に立つ彼がそう言ったから、僕は思わず唖然として、鞄に中途半端に教科書を詰め込んだまま、しばらく硬直してしまった。
彼はにこりと笑うと、僕の教科書を鞄に無理矢理突っ込んで、そのまま呆然としている僕の手を引いてさっさと教室から出ていく。
「ちょ、ちょっと待ってっ……え、う、海?なんで?今日平日だよ?」
「知ってるよ、今学校にいるんだから。」
混乱している僕を置き去りにして、彼はどんどん進んでいく。手を引かれている僕も、心は置き去りのままなのに、体はどんどん駅に近付いていく。
ここは、海沿いと言うには少し海から離れているのだ。電車で1時間、そこからさらに歩いて40分。それで、ようやく砂浜を踏むことができる。
わけもわからぬまま、駅に着いてしまった。彼は上機嫌に鼻歌まで歌って、さらりと僕の分の切符まで買ってしまう。2枚の切符を改札に通して、また僕の手を引いてそこを抜けた。慌てて財布を取り出そうとしても、片手が塞がれている状況では、リュックから上手く財布を取り出すことができない。
「いいって。ほら、早く行こ。」
引っ張られ、電車に乗り、暖かな車内で揺られているうちに、段々心も静まってきた。海に行く。ただそれだけのことではないか。僕らだってもう高校生だし、男子ともあればそれなりの力もある。携帯もきちんと持っているし、今から連絡をすれば十分だろう。そう思っても、彼は連絡をさせてくれなかった。スマホを取り出そうとすると、さらりと手を掴まれてしまうのだ。
結局、連絡もできないまま海に着いて、紺碧に染まった空を、もう諦めの境地で見つめていた。
「いこうよ。」
彼がまた、手を差し伸べる。もう、海には着いたのに。頭が何か激しく警鐘を鳴らしている。あの手を取ってはいけない。彼を引き留めなくてはならない。
なのに、体は上手く動かなくて、彼の手を取って、一歩、また一歩と海に足を沈めていく。ローファーが濡れ、水を吸った制服が重くのしかかってきた。真冬の海は冷たくて、足の先が触れただけでも背筋を寒気が駆け登る。
けれど、今は不思議と、何も感じなかった。
「ごめんね。どうしても、君と一緒がよかった。」
泣きそうな笑顔でそう言った彼は、僕の手を引いたまま、急に深くなった海の沖合に身を投げた。
修学旅行、お揃いの色違いで買ったキーホルダーは、冬の夜、痛いほどの静寂に包まれた海に呑まれて、もう同じ紺碧に染まりきっていた。
テーマ:君と一緒に
1/7/2026, 7:39:18 AM