作家志望の高校生

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10/15/2025, 8:07:06 AM

人間は、他人のことを声から忘れ、最後に残るのは匂いの記憶だという。きっと、これは本当なのだろう。だって、俺の鼻腔に染み付いたあの洋梨の香水の匂いは、一生離れてはくれなさそうだから。
アイツとは、最低の出会いから始まった。血と吐瀉物が飛び散った校舎裏、日もすっかり沈みきったような時間だった。いつものように喧嘩に明け暮れ、数十人の不良とやり合って伸した後。不意に、ぱちぱちと間の抜けた拍手の音がした。見ると、飴玉を咥えた金髪の男がいる。細身な体躯にバランスのいい長身は、いかにもなモテ男といった様相だ。
「音がしたから来てみたけど……正解だったな。」
そう言うや否や、男は急に俺に飛び蹴りを入れてくる。咄嗟に腕で受けたが、中々重たい。喧嘩後のアドレナリンが抜けきっていなかった脳は、瞬く間に疲れを吹き飛ばして体を戦闘態勢に持っていった。
それから小一時間殴り合った。日が沈んでも僅かに差していた陽光さえ完全に潰え、辺りが薄暗くなり始めてからようやく、俺達はその場に倒れ伏す。勝負はどこまでも平行線で、体力が尽きた。
それから俺は、やけに彼に気に入られたらしい。後で分かったが、彼は俺の先輩で、そこそこ有名な男だったらしい。初めは付きまとってくる先輩がウザったらしくて仕方なかったが、慣れると逆に、傍にあの香水の匂いが無いことに落ち着かなくなっていた。無骨な石鹸の匂いしかしなかった俺にも匂いが移るくらい、一緒にいた。
けれどある日、先輩が捕まった。大きめの喧嘩の後だったらしい。少年院にこそ送られなかったが、保護観察処分になった先輩は学校を退学になった。最も、元々俺達みたいなのはギリギリ退学を回避しているだけで、いつなってもおかしくなかったのだが。
結局俺は、先輩の顔を再び見ることなく学校を卒業した。学生時代を喧嘩に明け暮れて過ごしたような奴にまともな職が務まるわけもなく、俺はそこそこ良かった顔面を生かして歌舞伎町で女を転がして金を稼いだ。
女からする花の噎せ返るような香水の匂いを嗅ぐ度に、先輩のあの、甘く爽やかで、けれどどこか燻る空気を感じるような香水を思い出す。先輩の声は、もう思い出せない。
物思いに耽りながら、今日の客を引くために夜の街を歩き回る。男も女も等しくゴミのように暮らす街の雑踏の中、似合わない、硬質な革靴の音がやけに耳に響いた。
俺の鼻があの洋梨の匂いを拾ったのは、それから数秒後のことだった。

テーマ:梨

10/14/2025, 8:07:46 AM

高校卒業のすぐ直前。クラスで描いたカウントダウンカレンダーはもう片手で数えられる。そんな時、俺と彼はかつての部室を2人で訪れていた。
俺が所属していた、至って普通の声楽部。一クラス20人いるかどうか、それが三学年分6クラスだけの小さな学校だ。部活もそんなに多くなく、声楽部とは言うものの、吹奏楽部と合同だった。たまに大会なんかに出られた時には、付け焼き刃としてお互いの人員を充てがったりする。
吹奏楽部からの補充員の中。歌うことはそこまで好きでもなさそうな彼らの中で、一人だけ俺の目に真っすぐ飛び込んできた者がいた。周りと同じように気怠げで、けれど誰より伸びやかで甘い低音が耳に心地良い。合唱の中、たくさんの声が重なって響いているのに、大きくもない彼の声だけは確実に聞き取れた。
それから、どうやって仲良くなったかは覚えていない。俺から声をかけたのだけが確かな事実だ。部活も終わった今では、放課後に2人で駄弁って寄り道する程度の仲にはなった。
「俺さぁ、今だから言うんだけど。」
「うん?」
ある日の夕方。いつものように、俺らが別れる道のそばの土手で彼が言う。速度を出しすぎる自転車を止めるためのフェンスに寄りかかって、紙パックのコーヒー牛乳を啜りながら横目で彼を見やった。
「たまにお前、吹奏楽部にヘルプ来てたじゃん。」
「うん。」
俺はピアノが弾けたので、補充として吹奏楽部に入ることみ多かった。歌うことがもちろん一番好きだが、ピアノを弾くのも悪くない。
「俺、お前の弾くピアノが一番好きだったんだよね。」
そんな告白をされ、俺も勢いで彼の声が好きなことを告げた。お互い、自分の本領ではないところを褒められたのがおかしくて小さく笑い合う。
その翌日。かつての部室、音楽室へやってきた俺達は、どちらともなくグランドピアノの傍に寄る。ピアノは俺、歌うのは彼だ。適当に、なんとなく覚えていた流行りのポップスを弾き始める。彼も知っている曲のようで、イントロの部分から鼻歌を歌っている。別れにしては明るすぎる気もしたが、二度と会えないような悲しい別れにはしたくなかった。
俺達の進路はバラバラ、大人になれば会う機会もほとんど無いだろう。それでも、後生の別れにするつもりは微塵も無い。
誰もいない音楽室、鴉の鳴き声と夕日の茜色が満ちる中 、うろ覚えの伴奏と歌詞が飛びがちな歌声が響いた。

テーマ:LaLaLa GoodBye

10/13/2025, 7:51:12 AM

ずっと昔から見る夢がある。コンパスだけを手に、何も無い平原をひたすらに歩き回る夢。動物も人も出てこなくて、ずっと一人で歩く。それだけの、つまらない夢だ。
窓の外から差す陽光と、小鳥が鳴き交わす甲高い鳴き声で目が覚めた。いつも通りの夢を見て、いつも通り起きる。至って普通の朝食を摂り、まだ眠気の残る目を擦って制服を着る。ありふれた日常だ。
右耳にイヤホンを装着してお気に入りのプレイリストを再生しながら、通学路を歩く。わざわざ選んだ人通りの少ない道は、穏やかな風が吹き込んで学校への憂鬱さを少しだけさらっていってくれる。
そんな程よい静けさが、突然乱された。日常に無かった、イレギュラー。
「うわヤバっ……止まれない……!ごめんなさーい!!」
そんな声に振り向こうとした直後、背中に伝わる衝撃。危うく前に転ぶところだったが、間一髪で誰かの腕に抱きとめられた。
「っぶな……大丈夫ですか!?」
へたり込んだまま声の主を見上げる。どうやら同じ学校の生徒らしい。いかにも明朗快活といった好青年だ。
「あ……はい……大丈夫……です……」
自分とは正反対の男と、あまりにも距離が近い。俺はボソボソと答えるので精一杯だった。
彼は自然に俺を立たせ、そして自然に俺の横を歩く。当然のように一緒に登校するつもりらしい。
「やー、さっきはごめんね!背高いから先輩かと思って超焦っちゃった。同い年なんだぁ。」
眩しい。笑顔の後ろにキラキラしたエフェクトが見える気がする。なぜ俺と登校しようしているんだ。ぐるぐると思考が絡まって、ろくな返事もできない。なのに、隣の彼は心底楽しそうに話続けた。
それから、彼はやたら俺に絡んでくるようになった。見たところ友達も多そうなのに、わざわざこんな陰キャの元に甲斐甲斐しく通っている。初対面からうっすら思ってはいたが、彼のパーソナルスペースはかなり狭いらしい。至る所でベタベタとくっついてくるので、俺もそのうち絆されてしまった。
彼と出会ってからの生活はそれなりに楽しい。一人で食べていた昼食も、右側ばかりが酷使されていたイヤホンも、彼と出会ってから変わった。非常階段で2人並んで弁当を食べるようになったし、イヤホンの左側が彼の左耳に嵌るようになった。そして、何より。
あの夢が、変わった。コンパスを持った俺の隣に、色とりどりの地図を持った彼がいる。だだっ広いだけだった草原も、様々な建造物が立ち並ぶ賑やかな道になった。
どこまでも続くその道は、きっとまだこれから、彼と歩んでいくのだろう。

テーマ:どこまでも

10/12/2025, 6:15:52 AM

「暇だし暑いし肝試し行かね?」
相変わらず唐突な友人の発言に、俺達は皆呆れたように顔を見合わせた。確かに、文化祭もテストも一段落して暇、その上秋なのにまだ蒸し暑い。それはそうだが、なぜ肝試し。俺達の心情はぴったりリンクしていた。
俺達4人は所謂イツメンで、暇さえあれば4人のうち誰かしらと一緒だ。小学校からの仲なので、それなりに何でも知っている。コイツの発言が唐突なのも、それに1人が困ったように笑うのも、興味なさげに呆れているのも、俺が思わずツッコむのも。全部、俺達のいつも通りだった。
*
「……で、ここが例の交差点?」
結局押し切られて肝試しをすることになり、訪れたのはとある交差点。小さな公園と団地のすぐそばにある、どこにでもありそうな交差点だ。
「そーそー。なんか、事故で亡くなった女の子の霊が出るんだって!5歳くらいで、赤いワンピース着てるって。」
いかにもな噂話だ。ひかし、ちらりと視界の端に、電柱の根元に手向けられた花束が映った。きっと、事故で誰かが亡くなったのは事実なのだろう。俺は一瞬だけ友人達から離れ、花束のある方へそっと手を合わせた。
噂では、ここで何か起きるのは事故が起こった時間、午前3時半らしい。事故が本当だとして、5歳かそこらの女児が、午前3時に出歩いていたのならそっちの方が怖い気がする。
どうでもいい話をして眠気と戦いつつ、遂にやってきた3時半。俺達は噂通り、交差点のカーブミラーを覗き込んだ。
全員絶句した。確かに、赤いワンピースの女の子はいた。いたのだが、そんなことはもう些細なことに感じられた。カーブミラーに映っていたのは、古めかしい街並みだった。茅葺き屋根の家に、舗装もされていない道、鏡の中を行き交う人々の服装は着物で、刀を佩いている人もいる。当然、今俺達がいる場所は再開発が進んだ地域なのでそんなものは無いはずだ。こんな時間に人通りがあるはずもない。鏡の中の人々の視線が、皆揃って俺達の方に向いた。
恐ろしくなった俺達は、その場から逃げ出した。こんな肝試しを提案しやがったアイツも、大人びたヤツも、普段気怠げなのも、この時ばかりは本気で走った。もちろん、俺も。
しかし、誰かに袖を引かれて立ち止まる。俺が急に止まったので、3人も怖がりながら足を止めてくれた。
『あぶないよ。』
可愛らしい女の子の声が聞こえた直後、目の前の道、丁字路から猛スピードで車が突っ込んできた。ここで止まっていなければ全員即死だっただろう。
そんな出来事に怯えた俺達に更に追い討ちをかけるように、恐ろしい事実が露見していく。車の運転席には、誰も居なかった。
俺達は速攻逃げ帰り、週末にお祓いに行った。あの交差点には近づきたくもなかったが、俺達を助けてくれたあの子へのお参りだけしに行った。
それ以来、あの過去と繋がったような恐ろしく未知の出来事が多すぎる交差点には近付いていない。

テーマ:未知の交差点

10/11/2025, 7:22:59 AM

「今日もやってんの?マジメだねぇ。」
背後から突然、首に腕が回される。若干間延びしたような声で語りかけてくるのは、同じ緑化委員の先輩だ。
「……先輩が不真面目すぎるんです。昨日また水やりサボったでしょう。」
じとりと睨むように見上げると、彼はいたずらっぽい笑みを浮かべた。不真面目で見るからに軽薄そうな彼は、堅物と言われがちな自分とは確実に合わないタイプの人類だろう。それでもこうして話してしまうのは、コロコロ変わる表情が案外嫌いじゃないからだろうか。
「耳が痛いねぇ。……ん〜……じゃあ、委員の仕事頑張ってるマジメな後輩くんに、先輩がご褒美あげよっか。」
その言葉に、少しだけ興味を引かれた。草抜きの手を止め、軍手を外して立ち上がる。
「……何くれるんですか。」
先輩はまた猫のように目を細めて笑った。俺はこの表情を知っている。何かしらを企んでいるような顔だ。
「んふ、まだ秘密ー。もうちょっとしたらね。」
俺は釈然としないまま、やたら楽しそうに歩いていった先輩を見送った。
それから1週間後。そんな会話も脳の隅に追いやられて忘れかけた頃。先輩が久しぶりに俺の前に姿を現した。相変わらず猫のような笑みを湛え、後ろ手に何かを隠すようにして。
「おひさ〜。前言ったご褒美、用意してきたよ。」
そう言って彼が俺の眼前に突き付けたのは、一輪のコスモスだった。花自体も大輪で、花弁もよく揃っている。大切に育てられたのが分かる一輪だ。
「……どうしたんですか、これ?」
思わず俺が尋ねると、先輩はなぜか得意げに言った。
「それねぇ、僕が育てたんだよ。」
ぽかんとしてしまった。先輩が、この花を?あまりに似合わないような気がして、花と先輩の顔の間を俺の視線が何度も行き来する。
「あ、信じてないでしょ〜!?もー、酷いなぁ。ほら、ついてきてよ。こっち。」
先輩に手を引かれるまま歩いて辿り着いたのは、学校の裏の花壇。そこには、俺の手にあるものと変わらない、丁寧に育てられただろうコスモスが狂い咲きだった。
「先輩、これ……」
俺はどうやら、先輩のことを少し誤解していたらしい。委員の活動に対して不真面目そうな態度をしながら、その実誰より花に熱心だったのだ。
そのことを伝えるきっかけになった一輪のコスモスは、俺の手の中で誇らしげに日光を受けていた。

テーマ:一輪のコスモス

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