作家志望の高校生

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8/17/2025, 11:38:23 AM

ざばり、ざばりと波が砂をさらっていく。白波がいくつもいくつも浜辺に打ち寄せては引いていく。そんな規則的な海のルーティンを、俺が蹴り上げる海水が乱していた。かき消されたそばから増える足跡に、向かってくる波を打ち消すように広がる水の波紋。俺の痕跡は、確かに波に逆らっていた。世界に取り残されたような異物感にため息を吐く。白い息は、潮風に混じって溶けていった。突き刺さるような冷たい海水で、足の感覚が奪われていく。爪先が痺れるように痛かったが、冷たさで麻痺してしまって今ではもうわからない。あの時は、ここはこんな風に寂しくて暗くて色の無い世界ではなかったはずなのに。
見渡す限りの青。ギラギラと照り付ける太陽を海が反射して散乱させる。水平線の向こうで育っていく入道雲に向かって飛んでいく海鳥たちは、鳴き声を残して空の彼方へ消えていった。クリーム色の砂浜に残るのは、2人分の足跡。瞬きをして目を開く。顔を上げた目の前に居たのは、間違い無く彼だった。記憶も残っていないような頃からずっと隣に居た俺の片割れ。人と話すのが苦手な俺と違って、彼は明るくて真っ直ぐで、誰にでも懐く犬のようだった。目の前の彼が、そのヒマワリのような笑みをこちらへ向けて手を差し出してくる。俺はその手を取ろうとして手を伸ばした。
その手が空を切って、俺は現実に戻ってきた。目の前に広がるのは、灰色の空とそれを映した白い海だけ。色の無いこの世界に、戻ってきてしまった。海から引き上がると、足は霜焼けで真っ赤になってしまっていた。このモノクロの世界にぽつんと広がった色は、異物のようにしか思えなかった。彼が居た海は、あんなにも色とりどりで眩しかったのに。俺の頬を伝う涙が、波の届かない砂浜に雫の跡を残していく。この跡を波がさらってくれれば、あの夏に囚われたまま止まってしまったお前の時が、動きそうな気がした。お前が居ないまま進んでしまった季節は、はらりと雪を舞わせてくる。世界は確実に進んでいるのに、あの夏死んだお前だけが、お前に照らされていた俺だけが、網膜の裏に焼き付いた青に囚われていた。

テーマ:終わらない夏

8/16/2025, 10:34:54 AM

「俺さ、死んだら鳥になりたいな。」
ジワジワと蝉が鳴きわめく真夏、扇風機の風に吹かれたお前はそう言った。帰省した実家の縁側は、沈みゆく西陽に照らされて、茜色に染まっていた。居間に座る俺を振り向いて言ったお前の顔は、逆光になっていてよく見えない。笑っていたような気もするし、真剣な顔だった気もする。今となってはもう、確認のしようも無いが。
目の前で行われる読経が遠く聞こえる。俺は間違いなくここに居るのに、どこか他人事のように感じられる。飽きるほど見たお前の笑顔が、今はもう写真でしか見られないという事実が、信じられなかった。周りからは、見覚えのある大人達のすすり泣く声が聞こえる。普段は明朗快活なお前の父さんが泣いている姿を、俺は初めて見た。焼香の列に並び、自分の番が来る。手は機械のように焼香を挙げるのに、俺の意識は煙に燻されるお前の遺影を、ただ呆然と眺めていた。実感が湧かない。今だって、お前が俺の後ろに並んでいて、似合いもしないかしこまった喪服を着て俺に囁きかけてくる気がしてしまう。今後ろを向いたって、ハンカチを片手に添えた近所のおばさんしか居ないのは分かりきっているのに。
俺よりずっと身長が高かったお前が、今は俺の胸に収まってしまいそうな壺一つになってしまった。お前を見送り終わっても、横に居るお前の陽炎が俺の心を弄ぶ。街の至る所に残ったお前との時間の残影が、お前がもう居ない事実をかき消してしまいそうだ。お前の痕跡を辿って、意味も無く歩き続けて、やがて着いたのは海だった。夏になると、いつもここへ2人で来た。いつまでも子供っぽいお前は、来る度に靴と靴下を脱ぎ捨てて海に浸かり、俺目掛けて水を蹴り飛ばしてきた。今はもう、あの水しぶきは飛んでこない。あの時はあんなにうざったらしかったのに、飛んでこなくなると寂しくてたまらない。海水と同じ味をしたそれが頬を伝った時、カモメが鳴いた。初めは無視していたが、あまりに鳴くので音の根源を見上げる。見上げたカモメは、俺の真上をぐるぐると旋回しながら飛んでいた。珍しい光景に思わず涙が収まる。そうしたら、そいつは満足したように一声鳴いて海の向こうへ飛び去って行った。水平線に吸い込まれるように飛んでいく姿はどこか楽しそうで、お前のいつかのセリフが俺の脳裏を掠めていった。

テーマ:遠くの空へ

8/15/2025, 2:13:25 PM

ここは、どこだろう。
見慣れた通学路、曇ってろくに見えもしないカーブミラー。確かに毎日見ていた景色のはずなのに、何かがおかしい。
肉屋の横の路地裏。あったはずの鉢植えが無い。
八百屋の飼い猫。あいつは黒猫じゃなかったか?
小さな疑念が積み重なって、それは確かな確信に変わっていく。
俺の今居るこの世界は、俺が居るべき世界ではない。俺が今見ている街は、家は、部屋は、俺の物ではない。今まで信じていた世界に裏切られた俺の頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。意味がわからない。どうして?元の世界は?感情の濁流に飲まれ、俺は押し潰されそうになる。俺はいつからここに居た?いつ紛れ込んだ?ここでの生活は嘘だったのか?今の俺の正体は、何なんだ?疑心暗鬼になって、自分の存在の輪郭がぼやけていく。何もかもが信じられなくなって、もう何も見たくなくて、目を瞑った。
それから、どうやって家に帰ったのか、覚えていない。気が付いたら布団の中に居て、気絶するように眠っていた。目が覚めたら、俺の覚えている世界に戻っているだろうか。僅かな期待を抱いて眠ったことだけを、明確に覚えていた。そんな期待は、朝起こしに来た母の顔の黒子に気付いた瞬間本当の意味で夢になってしまったが。
もう、感情がめちゃくちゃで収拾がつかない。今すぐにでも叫び出したいが、感嘆符程度ではこの感情をまとめられない。
脳内を満たしていく諦観と、ごく僅かな絶望が、俺をこの世界に縛り付けていることを、俺は知らなかった。

テーマ:!マークじゃ足りない感情

8/14/2025, 2:08:51 PM

ぺらり、とページをめくる。僕の知らない君がまた増える。また1枚めくる。僕が見たことのない、幼い君が笑っている。背景に写る海も山も、学校も。僕は、見たこともない。僕が知っているのは、所詮高校生からの君だけだ。中学生の君も、小学生の君も、保育園児の君も、僕は知らない。今生きている君を作り上げた景色を知らない僕が腹立たしくて、アルバムを乱雑に閉じて君に返した。
「ん?ああ、見終わった?」
へらりと笑うその顔は、さっき見た写真のものと大差ない。きっと、君の本質は変わっていないのだろう。
「……うん。ありがと。」
笑って返事を返す。笑顔は引きつっていなかっただろうか。幼い君も、今の君も。なんなら、未来の君さえも、僕のものにしてしまいたい。思考に暗雲が立ち込め始めた辺りで、僕は無理矢理考えるのをやめた。ベッドの上で、上機嫌に鼻歌を歌いながら漫画を読んでいる君を見上げる。雲の絶え間から差す日光が眩しくて、目を細めた。
過去の君は、もう絶対に手に入ることはない。でも、今の君は、未来の君は、手に入れることができる。君が見てきた景色をなぞりたい。君の横で同じ景色が見たい。君が見る景色を作りたい。欲深い僕は、僕の知らない過去の分、君の未来を欲しがってしまう。高校を卒業しても、大学生になっても、社会に出ても。僕は、眩しい君の影として、ずっと横で見ていたい。
雲はやがて厚くなり、絶え間から差していた陽光も潰えてしまった。

テーマ:君が見た景色

8/13/2025, 12:28:31 PM

息が詰まる。
頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱されて、思考回路が焼き切れていく。思い出の断片だったものが、刃となって心のやわらかい部分に突き刺さっていく。お前と笑い合ったこの口で、お前の顔を曇らせた。お前と肩を組み合った腕で、お前の体に傷を残した。俺とお前がした、初めての大喧嘩。お前の発言がどうしようもなく俺の癪に障って、強い言葉で言い返した。お互い、頭に来ていたんだと思う。一度溢れた怒りは、堰を切ったように止まらなくなってしまった。言い争いと呼ぶこともできないような、汚い言葉同士での罵り合い。散々言い合って、顔も見たくなくなって飛び出るようにお前の家を飛び出した。
家に着いて、しばらくは腸が煮えくり返るような怒りが俺を支配していた。親にお前のことを聞かれただけで腹が立って、つい怒鳴ってしまうくらいには。でも、夜になって一人暗闇に身を浸してしまうと、とてつもない後悔が俺を襲った。もう二度とお前は俺の名前を呼んでくれないのではないかと、怖くなった。物心ついた時から、気付いたら横にいたお前。そんな奴が、急にふと見えなくなったような不安感が高まって、体の芯から勝手に冷えていく。謝りたい、とも思ったが、謝った程度で許してもらえるのだろうか。もう、どうしてあんな喧嘩をしたのかも覚えていない。そんな状態で謝ったって、到底許されるとは思えない。俺はどうしても眠れなくて、呻き声をあげながら布団に包まった。ああ、この頭の中を、絡まった思考を、全て言葉にできたらどれだけ楽だっただろうか。「ごめん」の一言にこの思考の全てを詰められる気はしなくて、喉に透明な塊が詰まったように息ができなかった。

テーマ:言葉にできないもの

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