ホシツキ@フィクション

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1/4/2023, 3:31:04 PM

俺にとっての幸せってなんなのか。

話す内容は愚痴ばかりの同僚飲みの帰り道、ふと考える。


ぱっと思いついたのは――お金持ち。
俺の実家は大家族で貧乏だった。自分の部屋など無く、
思春期には無計画に産んだ両親を心底恨んだこともある。

『ウチが金持ちだったら』と何度思ったか―――。

『そういえば』
はたと気づき立ち止まる。

恨みはすれど『不幸だ』『何で俺ばっかり』と悲観したことは1度もない…。


何だかんだ、楽しかったのだ。
取っ組み合いの大喧嘩も、末っ子の沐浴や夜泣き対応、妹や弟の勉強を見ることも、一緒にお風呂に入ることも、おかずの取り合いも――。
家のどこにいても、誰かの声が常に聞こえていた。

そしてその真ん中にいつも両親がいた。
大雑把で豪快な父親。いつも真正面から見てくれる肝っ玉の母親。



――ほわん、と心が温かくなって、ぷかぷかと浮かんでいく感覚が私を包み込む。



家族は見えるもの、過ごした日々も見てきたもの。

《幸せ》とは目ではっきりと見える大切な存在。
それを思う気持ちの名称、ということか!?

――という当たり前のことにたどり着くまで、酔った頭では相当な時間がかかったが、たどり着いた瞬間は天啓を得たような衝撃で思わず
「うおおおおぉ!」
と叫んだ。

そして俺はさらに気づいた。
『つまりこの世は幸せだらけでは!?』と。

あったかい布団!気持ちいい!幸せ!
こってりラーメン!美味しい!幸せ!
猫!可愛い!幸せ!


こうして俺は酔っ払いながら、幸せを思い出したり道端で発見したりと、1人はしゃぎながら家路に着いた。


【幸せとは 〜完〜】



あけましておめでとうございますm(_ _)m
♡︎ありがとうございます!

11/28/2022, 1:01:50 PM

最初は同情からだった。
バイト先に新しく入ってきた新人の彼は小説でしか見たことがないくらいの波乱万丈な人生を送ってきていて、孤独だった。

本人は孤独だと卑屈になる訳でもなく、初対面で話した時には壮絶な人生を送ってきたと感じさせないくらい明るく、あっけらかんとしていた。

彼から過去のことを聞いてから、彼の周りには誰もいないことに私は気がついた。

ただその話を聞いた時には率直に『すごい人生だな、私なら途中で投げ出してしまうかもしれない。』と思った。


ある日彼から告白をされて、過去のことを聞いてから抱いていた感情――私が味方になってあげたい―――により、私は彼と付き合うようになった。



彼にとって私は何だったのか分からない。

正直、半年一緒にいてお互い幸せだっただろう。

それはエゴなんじゃないか、感情や価値観を押し付けただけなのだろうか?

それが彼の負担だったのだろうか?

何故何故何故?


その答えが聞きたい。


幸せの絶頂で、自身で幕を降ろそうとして失敗した彼に。

まだこれからもっと幸せにするよ。
世界はこんなにも素敵なんだと教えたい。

だから、神様どうか、彼の人生を終わらせないで――


【終わらせないで】〜完〜



久しぶりの投稿です(((o(*゚▽゚*)o)))
寒くなってきましたね。皆様お身体ご自愛くださいませ。

11/1/2022, 12:35:59 PM

午前7時30分、アラームがなる。
俺は寝ぼけながらアラームを止めると重たい体を
むくりと起き上がらせる。

カレンダーを見ると7月15日月曜日。

『あぁ、今週もまた始まった…。』

土曜日に同僚と飲みに行き、日曜日は見事に二日酔い。
結局ずっと寝て過ごしたからか逆に体がキツい。

洗面所へ行き顔を洗う。朝なのに少し暑く、火照った顔に
冷たい水が気持ちがいい。

俺はいつも通りの支度をし、家を出る。
会社までは自転車で約15分。
少しアスファルトの匂いがする風を感じながら
いつも通りの道を自転車で駆け抜ける。

少し遠くの信号が点滅しだしたのが見えたから
俺はペダルを漕ぐスピードをあげた。
『ギリ間に合うか…?』
交差点に入るや否やすぐにこちらの信号が赤に変わった。
『間に合わなかった』
といっても急には止まれない。このまま突っ切っていくしか
ないと思っていたその時。

俺と同じくギリギリ間に合わなかった車が勢いよく曲がってきた。
『あ』
と思うと同時に、俺は轢かれた。


ピピピピ、ピピピピ


耳から入ってきた音はサイレンでも救急隊員の声でも無く、
毎朝聞き慣れていたアラームの音だ。

俺はガバッと起き上がり、アラームを止めて時間を見る。

午前7時30分、日付は7月15日の月曜日。

『夢だったのか?』

あまりにも生々しく、リアリティだ。
寝汗をびっしょりかいていたので、急いでシャワーを浴びて仕事へ行く支度を済まして家を出る。
あんな夢を見たからか、時間的にはギリギリだが慎重に会社へと向かう。
夢の中で轢かれた交差点ではちょうど信号が点滅しているが
急がず、ちゃんと止まった。

そして俺は無事に会社へ到着した。

仕事内容は営業で、朝礼後は社用車に乗り営業先へと向かう。
営業先に着いて駐車場に車を止めて歩き出した瞬間、こちらへ勢いよく車が向かってくる。
『あ』
と思うと同時に、俺は轢かれた。







―――――ピピピピ、ピピピピ




何度目のアラームだろうか。
俺はアラームが鳴る前から起きていた。

7時30分、7月15日、月曜日。


この確認も何度目だろう?

何故俺は毎回死ぬのだろう?

どんな行動を取っても、必ず車で死ぬのだ。

試しにずっと家にいたら、何故かクレーン車が倒れてきて潰された。
部屋のどこにいても、だ。
ピンポイントで俺を目がけて潰される。

そしてまた“ 今日 ”が始まるのだ。
どうすればこのループから抜けられるのだろうか?

しばらくベッドの上でぼーっと考える。

ふと、カーテンを開けて窓の外を見ると、ちょうどクレーン車が倒れてきた。スローモーションのように、ゆっくりと。


『あぁ、やっぱりね。』


ピピピピ、ピピピピ




【永遠に】~完~



ちょっと忙しいのでなかなか書けず:( ;´꒳`;)
マイペースに続けていきます!
そしていつも♡︎ありがとうございます!

10/30/2022, 5:22:29 PM

昭和の○○特集、といった番組を両親が観ていた。
「ああ!これあったあった!」
という父親に対して母親は
「そうなんだ!」というふうに相槌を打つ。

私の両親は仲がいい、というのもまだ新婚なのだ。

私は父親の連れ子であり、母親は平成初期生まれの29歳。
私は20歳なので彼女のことは母親と言うよりお姉ちゃんのようだった。
なので私は再婚してから新しい母親のことを「マリちゃん」
と呼んでいる。

歳が離れていて若いからか、父親は母親にべったりだ。
同じ家の中にいても自分の視界に母親がいないと
どこにいるのか気になってるようでソワソワしている。

娘的には両親の仲がいいことは良い事なのだが、父親の“男”
という姿を見るのは何だか気持ちが悪い。

『お母さんの時はそんなことなかったな。』

私は“産んでくれた”母親のことを思い出す。

お母さんは保育園のお迎えや保育参観などはいつも見に来てくれた。
仕事人間の父親は1度も来たことは無い。
保育園の運動会などもお母さんが一人で来て、ビデオを回しながら私に声援を送っていた。
私はそれが嬉しくて嬉しくて、一生懸命走っていた。

お母さんが作ってくれたお弁当を食べて、帰りは一緒に歌を歌いながら手を繋いで帰った。

お母さんはとても聡明で優しく、料理上手でいつも笑顔だった。

―――他に好きな人が出来るまでは――。

お母さんは職場の上司のことを好きになってしまったのか、
家庭のことを疎かにし始めていた。綺麗だった部屋は少しずつゴミが溜まり、料理もインスタントが増えた。
父親との会話も激減し、いつしか寝室も別の部屋になった。
私に対してもそっけなく、保育園のお迎えは夜まで来なくて
いつのまにか父親が毎日来るようになった。

そしてある日、離婚届と手紙と通帳を置いて急にいなくなった。

今思うと遠い過去のことだが、私にとっては優しかったお母さんがとても懐かしく、恋しく思う時がある。

でもお母さんにとって私は過去の人であり、他人である。
それは私にとってもそうで、お母さんの姿は若くて綺麗なお母さんのままで止まっている。

『お母さんは私のことを、私と過ごした日々を懐かしく思うことはあるのかな。』

私は少し切なくなった。

――新しい母親はそんな私に気づいたのか、こっちを見ると
おいでおいで、というふうに手招きしてきた。

私はされるがままに母親の元へ行くと、ソファーから母親が立って私を抱きしめた。

「マリちゃん…?」
戸惑いながらそう言うと、母親はさらに力を強める。そして
「だーいじょうぶ!」
と明るく言ってきた。
きっと私の表情を見て何かを察したのだろう。
私は嬉しくて恥ずかしくて戸惑って、感情がふわふわした。
思わずぽろり、と涙が頬を伝う。


このことを私はこの先いつか思い出すのだろうか。

血が繋がっていなくとも通じた心。

久しぶりに感じた母親の温かさ。

今より未来に、今日という日を温かい気持ちで懐かしむ日が来るという確信。

「マリちゃ……お母さんっ!」
母親もそうであったらいいな、と思いながら、私は母親の腕の中で笑顔になった。

「ほら!一緒に見よ!」
母親は私をソファーに座らせてテレビを指さす。
何が起こったのかイマイチよく分かっていない父親はポカンと一瞬したが、私が母親のことを「お母さん」と呼んだのが
よほど嬉しかったのか、涙目になっていた。

父親も今日をきっと懐かしいと思う日が来るだろう。

父親、母親、私の3人並んでソファーに座り、皆で手を握って
テレビを観る。

『あぁ、幸せだ。』


【懐かしく思うこと】~完~

昨日から今日にかけてめちゃくちゃ忙しかったです…
いつも♡︎ありがとうございます!いつの間にか600超えてました!めちゃくちゃ嬉しいです!ありがとうございます(_ _)

10/28/2022, 5:43:54 PM

うずくまって考えていた。
『私何か悪いことしたのかな。』

父親の機嫌が悪い時、私がちょっとした粗相をするだけで
叩かれ、押し入れに入れられた。

まだ押し入れはいい方で、もっと機嫌が悪い時はベランダに
何時間も追い出されて鍵をかけられる。
冬でも関係なしだ。

それは小学6年生まで続いた。

終わったきっかけはプールの授業で先生が私の体についていたアザに気がついて、
児童相談所等と連携して、私の知らない間に色んなことがあり
結局父親は居なくなった。

正直この時の記憶はあまり無い。

ただいわゆる虐待を受けていた時のトラウマは大きく、
私の心にはずっと黒い、ベタついた、モヤのようなものが
常にあった。

母親はと言うと、父親が居なくなったことで寂しそうな顔を
することはあったが私に対して虐待をすることは無かった。
むしろ泣きながらゴメンね、と言う事がたまにあった。

私は暗闇が怖くなり、寝る時も電気をつけて寝ている。

暗い部屋だと『自分が何か悪い事をしたんだ』と責められて
いる気がして、心の中の黒いモヤがさらに大きくなる。



ある日私は昼寝をした。それはたまにすることだが、その時は
相当疲れていたのか爆睡をしてしまった。

気づいた時には日も暮れていて外は真っ暗だった。
もちろん、部屋も。

父親が居なくなったことで、母親は昼夜問わず働いていたから
誰も電気を付けれなかった。

一気に私の心臓の音が大きくなり、呼吸音が頭に響く。
クラクラしてきて、手も震えている。
気が狂ってしまいそうだ。

「お父さんごめんなさい、ごめんなさい!ごめんなさい!!ごめんなさい!!!」

―――私はそのまま意識が遠のいた。

暗がりの中で、うなされて、たまにぽつりぽつりと
「ごめんなさい…」
という消え入るような声が響いていた。


【暗がりの中で】~完~


私は父親の怒号を聞くといつもこうなっていました。
殴られ、外にほおり出され、泣いていた記憶が鮮明に残っています。
私が成人してから父親にそのことを話すと「俺はそんなことしてない!」と、しらばっくれやがりました笑
した方は都合よく忘れるのか。それとも覚えていて悪いことだったと自覚しながらも「そんなことしてない」と自分自身に言い聞かせているのか。絶縁した今となってはもう聞く気にもなりませんが

私のような経験をした方もたくさんいるかと思います。
成人して家に置き手紙すれば“ただの家出だ”と警察は特に動きません。
一応保険として友人知人にも話したり文面に残してください。
無理やり家に連れ戻される心配は無いです。
いつか終わります。逃げれます。
頑張ってとは言いませんが、希望を捨てないでください。

いつも♡︎ありがとうございます(_ _)

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