ogata

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11/10/2023, 4:04:21 PM

ススキ

 草原に広がるススキが風に揺れる様は、まるで穏やかに波立つ金色の海のようだった。
 からりと晴れ、突き抜けるような青い空を飛ぶ鳥が大きく羽を広げて、ゆっくりと旋回する。長閑な秋の風景。
「こんなところで戦闘なんて、無粋とは思わないか」
「逆に秋の出陣らしくて風流なんじゃねぇか?」
「なるほど、そういう見方もある」
 頷いて力強く踏み込み、敵を斬り払う。遠征先で起こった予定外の戦闘は、編成されたのが練度の高い二人だったこともあり問題なく終わりを迎えようとしていた。
 だからと言って決して油断をしていたわけではないのだが。ふわふわと揺れるススキに紛れて見落としていた敵が、真横から飛び出してきたのを何とか避ける。避けきれたと思ったのだが、胸元を飾っていた牡丹の花は散り落ちてしまった。
「貴様……万死に値するぞ!」
 一撃。そして、それが最後の敵だったようだ。
 残党がいないか確認してくると、尾花の原に分け入って行く相手の背を見送りながら小さくため息を溢す。
 花は帰ってまた飾れば良い。帰るまで胸元が少し寂しいだけのこと。だがそれは、不名誉を飾ったまま帰るようなものだ。風流とは程遠く、何より己が情けなく思えてしまう。
 たかが花、されど花。しかし変わりになりそうな花も見つからず、仕方ないと諦めたところで相手が戻って来た。
「残党はいなかったようだね。帰ろうか」
「その前に、ちょっとじっとしてろ」
 何だろうか、と言われたとおりじっと立っていると、相手は胸元の花を飾っていた金具に何かを取り付け始めた。
 ススキの穂先をくるりとまとめて、器用に葉で結んだもの。ふわりと丸い黄金色のブローチ。
「ないよりはマシだろ」
「君という男は本当に……!」
 悲鳴のように声を上げて、思わず両手で顔を覆ってしまう。
「なんで俺に対してだけそうなるんだ」
「普段そういうことをしそうにないから……」
「ギャップってやつ?」
「ううう……」
 否定も肯定も言葉にならず、唸ることしかできなかった。
 風流とも雅とも遠い目の前の男は、戦さ場でわざわざ花を飾る気持ちなど少しも理解はしていない。けれども付き合いが長いから、戦衣装に花を添える心を、戦いでそれを落としてしまうことの不本意さを知っている。
 知っているからこそ、不名誉を飾って帰るよりはマシだろうと秋の一部を切り取って胸元に添えてくれた。
「……ありがとう」
「あんたも素直に礼が言えるようになったんだな」
「ここは君も素直に受け取ったらどうだい」
 軽口の叩き合いも、相容れずに反目していた昔に比べれば秋風に揺れるススキのように和やかなものだ。

 それからしばらく、文机の小皿の上に飾られていたススキのブローチは、秋の歌をしたためた短冊とともに文箱へと丁寧に収められた。

11/9/2023, 1:14:12 PM

脳裏

 その金色の髪は晩夏の空の下で光を弾き、チカチカと跳ねるような輝きを脳裏に焼きつけた。

「もう金髪にはせんのですか、上官」
 会議室からの帰り、西陽が差し込む休憩所で缶コーヒーを受け取りながら尋ねれば、相手は一瞬不思議そうな表情を浮かべたあと、いつものように苦笑した。
「さすがにねぇ。怒られちゃうから」
 誰に、とは言わないが一人しか思い当たらない。いや、嫌味を言うであろう人物を含めれば二、三人は増えそうだ。
 けれどもそれが金髪にしない理由ではないだろう。怒られようが嫌味を言われようが、彼は一度こうと決めたらそのままとりあえず突っ走る男だ。あとのことは走ってから考える。今も昔も、その点は変わらない。
 だから亜麻色に染められている彼の髪が金髪にも元の黒髪にも戻らないのは、その必要がないからだ。
「金髪の方が良かった?」
「いや、驚くほど似合ってなかったなと思い出しまして」
「ええー……」
 情けない声を上げながら反論はしない。それなりに自覚はあったのだろう。
「じゃあさ、黒髪のオレと、金髪のオレと、今のオレと。どれが一番好き?」
「黒髪時代は生意気だと思いましたし金髪時代は馬鹿やってんなと思いましたし今は面倒クセェなこいつって思ってますよ。なんですかその面倒くさい彼女みたいな質問」
「ひどい!」
「まあ、一番長く見てて見慣れてるのは今の状態ですかね」
 その髪も、制服も。もはや好きとか嫌いとかの話ではない。
 その言葉を聞いて指を折り、年数をちまちまと計算していた相手が「本当だ!」と今更驚いたように顔を上げた。
「いや、数えるまでもないでしょ」
「そうなんだけど、なんか改めて年数として認識したらびっくりしちゃって」
「そういうところですよ」
 思いついたらそのまま、勢いで走り始めてしまう。まっすぐに前だけを見て走り続けているから、こうして昔話をしないとうっかり意識の外に放ってしまう。
 もちろん、忘れることは決してないのだけれど。
 少しも似合っていなかった金髪が脳裏に焼きついているのは、足を止めかけていた彼が再び走り出す決意を込めた、晴れやかな顔を覚えているからだ。
 その瞬間を自分だけはきっと、いつまでも鮮明に覚えているのだろう。

11/8/2023, 12:25:30 PM

意味がないこと

「はいこれ、お土産」
 部屋の前の廊下で、海の匂いがする男から手渡されたのは薄紅色の美しい貝殻だった。
「赤い珊瑚はなかなか見つからなくてさ」
「本来は深海にあるものだからな」
 浜辺では見つからないだろう。以前渡された赤珊瑚の小さなかけらも、どれだけ長い時間をかけて探したのか。気になって聞いた時には話を逸らされ、はぐらかされてしまった。
 彼は夏の任務で海辺に行くたびに、何かしらの土産を持って帰ってくる。店に行けば珊瑚細工の商品はいくらでもあるし、買えない値段でもない。もちろん相手も承知の上で、それでもなんとなく探してしまうのだろう。
 そんなことを考えながら小さなお土産をしばらく眺める。そのまま部屋に入れば、暇なのか相手もついてきた。茶箪笥の引き出しを開けて、これもまた小さな木箱を取り出す。
「その箱、前からあったっけ?」
「貰い物だ。宝箱に良いですよ、だそうだ」
 蓋を開けて薄紅色の貝殻を納める。変わった模様の丸い小石、様々な形の貝殻、色とりどりのシーグラス。
「宝箱、ねぇ……」
 どれも見覚えのあるものであるはずだ。彼が見つけて持ってきたのだから当たり前のことなのに、改めてまとめて目にすることで少し気恥ずかしくなったのだろうか。
「お土産って言いながら意味もなく持ってきちゃったけど、大事にしてくれてるんだね」
「意味がないことなど無いだろう」
「言い切るねぇ」
「これは貴様の、我への好意の証だ。違うか?」
 小さな箱の中でキラキラと輝く海のかけらたち。それを改めて見せつけてやれば、相手は負けましたと言わんばかりにため息を吐いた。そこまで堂々と言い切られてしまっては反論の余地も照れている暇もない、と。開き直って笑う。
「オレの気持ち、大事にしてくれてありがとね」

11/7/2023, 1:03:58 PM

あなたとわたし

「だって似た者同士だろう、彼ら」
 そう言って野菜を洗う手を止めた男が示したのは厨の窓の外、鍬を担ぎ、木桶を手にして裏の畑に向かう二人組だった。
「それ、本人たちに言うと『全然似てない』って声を揃えて答えてくれるよ」
「自覚がないのかい」
「認識したくない、の方じゃないかな」
 大根の皮をするすると剥きながら答えて、それから首を傾げる。
「二人のどこが似てると思ったの?」
「どちらも自己と他者の境界線を明確に決めている」
 誰とでも笑顔で親しく接する男と、誰が相手であっても馴れ合いを拒絶する男。真逆のようでいて、誰に対しても態度を変えないと言う点においては同じだった。
 あなたとわたしは違うモノ。だからこそ、自ら定めた自他の境界線の先へは踏み込まないし、踏み込ませることもない。
「まあ、そうやって境界線をはっきり定めている割にずるずると引っ張られてしまうところまで含めて、だろうね」
「容赦がないなぁ」
 付き合いが長い分、まったく否定できずに苦笑してしまう。それが彼らの良いところだとフォローすれば、それはよく分かっているよと相手も眉尻を下げて笑った。
「そうやって引っ張られてしまう、相手の心に寄り添ってしまう自身の性質を──己の情の深さをわかっているからこそ、明確な境界線が必要なのだろう?」
「そっくりだよね」
「ああ、よく似ている」
 あなたとわたしは違うモノ。だからこそ相手の中に踏み込むのではなく、境界線上で相手に向かって手を差し出す。差し出された手を掴み取る。
 その距離感がよく似ている、互いの隣はきっと心地のよい場所なのだろうと思われた。

11/6/2023, 4:38:35 PM

柔らかい雨

 昼から降り出した弱い雨は、色付き始めた山の木々をしっとりと濡らし続けている。
 すぐに止むだろうと店の軒先を借りて雨宿りをしていたが、一向に止む気配がない。諦めてこのまま帰ろうとため息を吐いて、既にだいぶ濡れてしまっている足を踏み出そうとしたところで声をかけられた。
「待たせたなぁ。迎えに来たぜ」
「頼んだ覚えはないが」
「俺が勝手に来ただけさ」
 そう言って笑いながら黒い蛇目傘を傾けた相手の手にあるのは、使い込まれた赤い傘。本当に傘だけを届けに来たらしい。
「こんな柔らかい雨なら濡れて帰るのも風流だろうが、冬はもう目の前だ。身体を冷やすのは良くないぞ」
「お前ほど冷えてはいない」
 差し出された傘を受け取りながら言い返す。わずかに触れた指先の冷たさを指摘するまでもなく、自覚があるのだろう相手は「それもそうだなぁ」と笑うだけだった。
 受け取った傘をゆっくりと開く。張られた油紙が霧のような雨を集めて弾き、ころころと水滴を流してゆく。
「しかし今年もずいぶんと暑かったから、苛烈に照らされた木々にはこれくらいの雨がちょうど良いのだろうな」
 柔らかな雨のおかけで相手の声が雨音にかき消されることなく、むしろじんわりと溶け込むようにして聞こえてくる。
 風流かどうかは知らないが悪くはない。そう思いながら、傘を並べて歩いた。

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