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柔らかい雨

 昼から降り出した弱い雨は、色付き始めた山の木々をしっとりと濡らし続けている。
 すぐに止むだろうと店の軒先を借りて雨宿りをしていたが、一向に止む気配がない。諦めてこのまま帰ろうとため息を吐いて、既にだいぶ濡れてしまっている足を踏み出そうとしたところで声をかけられた。
「待たせたなぁ。迎えに来たぜ」
「頼んだ覚えはないが」
「俺が勝手に来ただけさ」
 そう言って笑いながら黒い蛇目傘を傾けた相手の手にあるのは、使い込まれた赤い傘。本当に傘だけを届けに来たらしい。
「こんな柔らかい雨なら濡れて帰るのも風流だろうが、冬はもう目の前だ。身体を冷やすのは良くないぞ」
「お前ほど冷えてはいない」
 差し出された傘を受け取りながら言い返す。わずかに触れた指先の冷たさを指摘するまでもなく、自覚があるのだろう相手は「それもそうだなぁ」と笑うだけだった。
 受け取った傘をゆっくりと開く。張られた油紙が霧のような雨を集めて弾き、ころころと水滴を流してゆく。
「しかし今年もずいぶんと暑かったから、苛烈に照らされた木々にはこれくらいの雨がちょうど良いのだろうな」
 柔らかな雨のおかけで相手の声が雨音にかき消されることなく、むしろじんわりと溶け込むようにして聞こえてくる。
 風流かどうかは知らないが悪くはない。そう思いながら、傘を並べて歩いた。

11/6/2023, 4:38:35 PM