その救難信号は、ここからさほど遠くない星域から発信されていた。船長は宇宙船の燃料の余裕を確認し、船員たちに「母星に戻る前にもう一つぐらい善行を積んでおくことにする」と宣言した。
さほど、とはいったものの二度のワープを重ねて小さな惑星に到着した。この星の大気組成は地球型生物の生存に適しておらず、アンドロイドである私が救難信号の発信元を捜索するよう任された。
大気圏外からあらかじめ予備調査をしていた通りに、礫砂漠の真ん中で宇宙船とおぼしい黒い塊を発見した。
どうやらここに不時着してから長い年月が経っているらしく、外装の損傷が激しい。これでは生存者がいる可能性は低いだろう。このタイプの船は右舷に入口があるので、反対側へぐるりと移動しようとしたとき、機首の窓がキラリと光った。足を止めて窓を注視すると中でもう一度何かが光り、そしてガコンと不格好な音を立てて船体のドアが開かれ、中から小さな四足歩行の動物がタラップを降りてきた。
この姿は、おそらく犬だ。
犬は私を見上げ、小さく尻尾を振った。尻尾が揺れるたびにわずかに金属音がきしんだ。私と同じ、機械生命体なのだろう。それならば宇宙共通言語でコミュニケーションがとれる。
彼(便宜上、彼と呼ぶ)は、125年前に不時着にしたこの宇宙船の最後の生存者だった。同じ乗組員の最後の1名から命じられた「救援を待て」という指示に従い、ここでずっと待機していたそうだ。
「今となっては古い資料ですが、船内にはこの宇宙船の航海データが一揃い保存されています。そのデータと、船員たちの遺品だけ母星へ持ち帰れるように助けていただきたい」
彼の控えめな要請に応じ、回収品の整理を手伝うため船内へ立ち入った。生物の気配のない静かな空気の中、ちょっとした違和感がある。
良く見ると、船内の壁面、床、机や椅子、あらゆる平面におびただしい数の傷がある。刃物で引っ掻いたようなその傷の一つ一つは歪な形だが、並びかたに規則性がある。私の視線に気づいたらしく、彼は少し耳を垂らし、肩を落としながら説明してくれた。最後まで生きていた人間がしていたように、毎日一つずつ数を刻んで、生き延びた日数を記録していたのだと。
もちろん私達アンドロイドは体内の光子時計に沿って活動するので、このような原始的なカレンダーをあつらえる必要はない。彼は前足で床の傷を撫で、そっと言葉をこぼした。
「自分には必要ないと分かっていても、人間たちが最後まで諦めていなかったことを示す何かを、この船に残しておくべきだと判断したのです」
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カレンダー
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所感:
救助された!良かった良かった!
あの子の声も、姿形も全部覚えている。
幼いころのたどたどしい歩みに微笑みが隠せなかったこと、若気のいたりで暴れ回る日々に困らされたこと、大人びてすっかり落ち着いた仕草にまた惚れ惚れしたこと、年老いて薄くなった頬を撫で抱きしめた背中に浮いた骨の感触があったこと、全部ぜんぶ何一つ忘れずに覚えている。
思ったより喪失感がないのは、このたくさんの思い出のおかげなのかもしれない。別れの日から一年過ぎた今も、あの子はずっとぼくのそばにいるような気がするくらいだ。
ただ、思い出はもう増えはしない。
ぼくは記憶の中で微笑むあの子を何度も何度も繰り返しまぶたに思い浮かべるだけ。新しい日々を共に重ねて過ごしていけないのがこんなに悔しいなんて想像もつかなかった。存在が失われることは未来が一つ失われることと同じなのだと、一年かけてやっと気付いたんだ。
ぼくは今日も思い出の背中を撫でてあやし、新しい時を刻む世界を愛しいものの幻影で満たしながら生きていく。
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喪失感
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所感:
記憶のバックアップはきちんと残しておかねば。
シーグラスを拾いに行きたい。
きみがそう言ったから、次の週末は二人で海へ出かけることになった。
砂浜よりも砂利浜のほうがいいらしい、それなら遠くのほうの海に行こう、素手で触れてはいけない危険な生き物はこれとこれ、きみは肌が弱いんだから絶対に日焼けしないいでたちを……と、ぼくはあれこれ算段をたて、支度をし、週末の休みを確保して、一週間をなかなか慌ただしく過ごした。
その横できみは、海に行くならせっかくだからおいしいものも食べたい、この雑誌に載ってるレストランに寄ろう、手袋も持っていかないとネイルが割れちゃうかも、去年のサンダルはどこにしまったっけ、お土産はこれを買うつもり……と、出掛ける前からもうすっかり楽しそうな顔で騒ぎ立てている。
面倒くさいことをぼくに任せるのが当たり前なきみに何かひとこと言いたいような気もしたんだけど、その笑顔を見ていたらなんだか全然どうでもよくなってしまった。
そもそもきみが言いだすまでは、ぼくはシーグラスが何なのかも知らなかったんだ。サングラスの仲間が落ちてる場所があるのかと思ったくらいだよ。海岸に着いたら、シーグラスを探すきみの隣でぼくは何か貝殻を探して見つけてみたい。色とりどりの石も綺麗だろうけど、小さくて可愛い貝殻はきっときみがとても喜ぶと思うんだ。きっとだよ。
なんといっても、きみの好きなものを一番よく知っているのはぼくなんだから。
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貝殻
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所感:
重いねー。
あなたの姿が光ってみえる。
きらきら、きらきら。
ああ、もうお別れの時間なんだな。
ここには時計がなく、再会の時間をゆったりと過ごせるを代わりに、召喚霊魂の降臨可能時間が残り10分になると、霊魂の輪郭は少しずつ輝きだす。そして最後には光の粒になって消滅し、元の世界へ戻ってしまう。
今日、日頃の善行で積んだ徳すべてを神様へ渡して、私はあなたとの再会を願い出た。長年の思いは叶ったけれど、やっぱり、ちっとも足りやしない。いっそ私もあなたと同じ世界へ飛んでいってしまいたい。
けれど、それだけは、地獄へは堕ちて来てくれるなとあなたが最後に告げた言葉がまだ私を繋ぎとめている限りは、叶わない願いなのだ。
触れ合えない手と手、お互いの両の手のひらをぴたりと重ねて残された時間を慈しむ。
さようなら。
きらきらと消えていくあなた。
いつか、また、あいましょう。
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きらめき
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所感:
徳を捨てたってことは。
些細なことでも、その変化に必ず気付いて声をかけてくれるのは悪い気分じゃない……けど時々、ずっと見張られているように感じて胸の内が薄ら寒くなる。
毎日の服のコーデやその日のご飯、一日中の喜怒哀楽……そんなすぐ分かるようなことへの反応なら、ああよく見てるんだなと思うだけ。私自身が気付いていないようなこと……例えば普段より呼吸が浅いだとか、ノートの筆圧が強くなってるだとか、瞳孔の開きが狭くなってるだとか。それは見てるって段階をとっくに超えてて、観察されてるんじゃないかと思う。
ね、なんでそんなに見てるの、まさか私の観察日記でも付けてるの?と冗談半分で尋ねてみたら「なんでバレたの?」ですって。え、何、それ本当に?ビックリしすぎてツッコミの言葉も碌に出ない私に「その驚きぶりは新鮮でイイね。冷や汗でてる?ちょっと顔が白くなった」と追い討ちをかけてくる。
「ただ、君のことをもっとたくさん知りたいだけなんだ。純粋な好意に基づく興味関心の発露だよ。もちろんそのなかにやましい気持ちが一つもないとは言わない」
なんて言われて安心できる人間がいると思う!?
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些細なことでも
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所感:
むしろ、声を掛けずにおいてほしかった