私の名前は非常に簡単な文字だけで構成されていて、小学一年生でも習った漢字でかける。
しかも名前は平仮名だから、色んな人に覚えてもらいやすいし、テストもタイムロスにならないから助かっていた。でも、私もたまに考えるんだけど、私の名前の由来ってなんだろう。
私の下の名前は「ゆう」響もなかなか良いし、困ってない。
そして私は昨日聞いてみた。晩御飯の私が作った麻婆豆腐を食べながら、私の名前の由来はなに?と聞いてみた。平仮名だから分かりにくい。勇とも優ともかんじる。
お母さんは答えた。夕方に生まれたからゆう。そのまま過ぎて泣いた。前授業で由来を聞いてくるようにと言われた時、聞きそびれて一人だけ由来言えなかったけど、それでよかった。こんなんじゃ馬鹿にされる。
私はひどいと思いながらも、お姉ちゃんの名前の由来を聞いてみた。お姉ちゃんは極極普通の由来だった。
私は辛くなった。私は末っ子だからお母さんも名前つけるのがめんどくさくなって、適当につけたんだ。
私が生まれて良いことってなかったんだ。
そう思った時だった。お母さんは私を見て察したように言った。
「ただの夕方じゃなくてね、あなたが生まれた時、私が人生で見た夕日の中で、断トツで綺麗だったのよ。夕陽にさらされた貴方は薄い皮膚が透けて、小さい血管が巡っていて、とても感動したわ。その時私とお父さんは貴方を絶対に幸せにするって決めたのよ。」
「だから「ゆう」あの夕日のような世界一綺麗で、静かなのに存在感のある光った子になって欲しいっていう想いが込められているのよ。でも、もし貴方がこの名前が嫌だって思ったなら、ごめんなさい。貴方がどう思うのかもしっかり考えた方がよかったかもしれないね。」
私はそれを聞いて危うく泣きそうになった。目尻が熱くなってあと何秒かその場にいたら声をあげて泣き出してしまったと思う。
それから私は自分の名前に誇りを持つようになった。
変なやつに揶揄われても気にしなかった。ゆうと呼ばれるたび自信をもって手を挙げた。
お題「私の名前」
A「ねぇねぇ、人間失格の序盤ら辺にある、「例えば私が10の不幸の悪球を持っていたとして、隣人にひとつあげると隣人耐えがたくなるのではないか」
みたいな文あるでしょ?」
「あー、なんかあるね」
A「あれってマジで凄い文だと思わない?」
「え?どこが?全然分からない」
A「だって人が思ってる事を最も簡単に文章にしてるんだよ?しかも、めっちゃ昔の人だし私そこで感動しちゃったよー」
「そう?共感できんな」
A「もっかい読んでみ?」
「うーんまた今度ねー」
「人間失格といえば最後あれどうなったの?」
A「多分いっさいの事は過ぎていきます、みたいなこと書いてたから、だいぶ時間経ってるんじゃない?最後精神病院に入院させられた主人公はそこで初めて気づくんでしょ。自分は世間からすると人間失格の廃人なんだって。クズみたいなヒラメや行商人よりも、ずっと人の機嫌を伺って自分を捨てて戯けてた人間がいちばんの廃人だって」
「あー、人間らしさと人間失格とかそう言う事?」
A「多分ね。知らんけど」
「合ってるも合ってないもないでしょ」
A「アンタはなんか好きな場面とかないの?」
「堀木と罪のアントを考えていた部分で「悪と罪は違うのかい?」って堀木が主人公に尋ねるシーンがあったでしょ?それに主人公はこう答えた。」
A「違うと思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ。」
「知ってんじゃん」
A「ここも好き」
「私もこれ読んだ瞬間折って印つけちゃったもん」
A「ふふっ。本当凄いよね〜。私竹一好きだな」
「え、私も、ヨシ子だっけ?めっちゃ素直なタバコ屋さんの」
A「多分そう。その子もいいよね」
「それなー」
A「ずっと残り続けるんだろうね。」
人間失格について話しても共感するとは言ってなかった。
私は人間失格を読んだ後凄い感動したけど、なんでした感動したのが分からなかった。
でも大体の人は感動してるのだって割り切って寝た。
でも何年か経った後、授業で人間失格をやっても皆んな感動するどころかしっかり読んでもいなかった。
これをみて感動するひとは殆どなのに皆んなダルそうにしてた。
もしかして、皆んな本当は感動し共感していて、
でもそんなのみんなに見せたら変なやつだと思われる。 だから葉蔵に言わせれば皆んな戯けているのでは?
感動して真摯に作品についての感想を共有する事はいい事だと思っていたけど、皆んなは違うのかな。
私だけなのかな?
思春期特有の感情なのかな。でも私はその感情がない。
高校生だけど一回も経験した覚えはない。私が異常に思えてきた。
でも、葉蔵に比べれば可愛いものか。
「お題.私だけ」
今まで何故かモヤが掛かっていて、急にそれが晴れる事ってあるよね。
私はそういう事だと思うな。
何で今まで思い出せなかったんだろうって思う反面、この今思い浮かんだ事は夢なのか白昼夢ってやつなのか
でも実際に体験して遊んだんだよ。
確かあれはまだ5歳だった時、私にはいつでも一緒の友達が居た。
見た目は髪が長くて虹色で、肌は真っ青。
爪は長い時と長くない時があって、鼻は豚みたいだった。
角があって、それに捕まってぶんぶん振って貰ってその遊びが何より好きだった。
その子は私に尽くしてくれて、いつでも私の意見を尊重してくれた。
彼女か彼かはわからなかったけど、私はその子がお母さんよりも好きだった。
というのも、その頃はちょうどお父さんが死んだ時だったから私に無関心で、いわゆる鬱状態だったんだろう
別に恨んではないけど。
ただ私はその間退屈しなかったってだけで
でも何故そんなに楽しかった事を今まで忘れていたんだろう。一度忘れてもう一度フッと思い出すことなどあるのだろうか。
誰に言っても信じてもらえない。
イマジナリーフレンドってやつで片付ける人が大半だ。
でも私はしっかりみた。さっき言った通り私はツノに捕まって遊ぶのが好きだった。
その角が存在していないと、私はこの横にある壁に穴を開けずに済んだはずだ。
これを作り話か本当の話か、私が嘘つきの泥棒か正直はな人かは貴方が決めたらいい。
響き渡るチャイムの音。私の学校は家から遠い。
だからこれは私が、私の学校にいるから聞こえるチャイムの音だ。
久しぶりだ。
この音を聞くと冷や汗が止まらない。
わすれていたこの感覚。一人になりたい。
誰も居ない廊下に一人で言って自由に呼吸して一息吐こうと思った。
顔も知らない同級生の制服を掻き分け
やっと出てきた廊下は一年生が屯していた。
同学年ですら顔が分からないけど初めて見た色の名札で後輩なんだと知った。
私は2年生だから、先輩。
普通ならここで注意しても怒鳴っても良いはず。
でも私にはそんな権言ない。
多分無視されて後で陰口を言われてしまう。私はそう言う物なのだ。
後輩とか先輩とか関係ない人生の負け組....
誰でもどう言う立場でも無視していいと決められた存在
やっと落ち着く場所に来れると思ったのに、
一年生が居たらどうしようもない。
態々ここまで来たのに、急に振り返って元の道に戻って行くと
一年生達に
「アイツ先輩のくせにココ通るのもビビってんのな」
って噂されるかもしれない。そう思うと足がすくむ。
でももしこの廊下を通るなら後輩に何か一言かけないといけない。
「ちょっとどいて」とか
無視される気がしかしてこない。どうしよう。
私は結局通るよりはマシだと思って来た道を歩き始めた。
心臓がドキドキして鼓動が早い。何で私こんなことしてるんだろう。
あっ..休み時間がもう直ぐで終わる。
もしもう皆んな席についてて、私が静寂な中一人歩いて席に座って、注目を浴びたらどうしよう。
歩いてら席についてもみんな私を待ってるかもしれないし、強がって歩いてるようにも見られてしまうかもしれない。
でも走ったら、なにこのキモいオタク走り方変だな
とか思われるかもしれない。不登校だし矢ッ張り変な奴なのかと思われるかもしれない....失望さえもされない。期待されてないから...
何でこんな被害妄想しか思いつかないんだ....
これは矢張りあの出来事があったのだろうか。
14歳で夏だった。
一年生の頃から仲のいいナツちゃんはとってもお人好しの可愛い完璧な女の子だった。
とっても仲良しな私たち。いつも二人で遊んでいた。
いつも陽気で明るい女の子達と話してても、
私を見ると話を割り切ってこっちに走って来て、
私を優先してくれていた。
私はそれが勿論嬉しくもあったけど、
その陽気な女の子、その子を仮にEさんとすると、
そのEさん達グループは私をよく思って居ないんじゃないかと不安にだった。
それでもそのナツちゃんは私をいちばんの友達として、それだけで、私と行動を共にしてくれて居た。嬉しかった。
そんなある日、
夏休みに入ると言う事で課題がたくさん出た。中学に入って二回目の夏休みだけど、
中1の頃の夏休みは何をしたか全く覚えて居ない。
たしかその頃にナツちゃんと会ったんだよね。
でも夏休みになっても部活も一緒。家も近所。私達の仲に関しての不満は一切なかった。
むしろ、皆んなは気軽に遊べないかもしれないけど、私たちは、その気になればいつでも会える。その事で少し鼻が高かった。もっとも、勿論表には出して居ないけれど。
夏休みになってナツちゃんと沢山遊んで、更に仲が深まるような気がした。
でも実際は、夏休みに入ると暑くてそれどころじゃなかった。ナツちゃんも部活休んでいたし、私も最初の二、三日でサボった。
ナツちゃんからの遊びの誘いも無かったし、
その年の夏は尋常じゃない程暑く感じたからナツちゃんも同じ状況なんだと思った。
お互い直ぐ会えるけど必要以上に会おうとしないと言うのが何だか仲のいい親友みたいで、気持ちが良かった。
だけどそう思ってたのは私だけだったんだよね。
夏休みの登校日。久しぶりの学校に、久しぶりの先生やクラスメイト。それからいちばん楽しみにしてたナツちゃん。
挨拶してお互い夏休みにあった事を報告し合って居た時。
Eちゃんが前の扉からドーンと現れた。
別にデブとかじゃなくて、あの感じや表情に効果音をつけるとするとこれがピッタリだったのだ。
すると、
ナツちゃんは私に、「またあとでね」って言ってEちゃんの所に行ったんだ。
その時はショックを受けたけれど、前まで少し話してたし、久しぶりだからキット、色んな人と話してみたいんだろうと思って私はその日、一人でトイレに行った。
放課後、ナツちゃんを久しぶりに遊びに誘おうかなとか、今日の担任めっちゃ焼けてて面白かったなとか思っていた。
個室で、ほんとうは駄目な事だけど、私はお菓子を食べていた。久しぶりの登校日だし、午前中に終わると言う事で心が弛んでいたのだろう。
すると急に大きな笑い声が聞こえてきた。
私は凄くビックリして声のする方向を見た。
その方向は真逆の上だった。隣の個室から便座に立ち、上から私を誰かが覗いていたのだ。
確かにこの個室は、中学校では頑張れば覗けるで有名だった。だけど実際にそんな馬鹿をする人は居ないし、
先ず私がトイレに来た時は人が来る気配なんか無かったから、何も考えずにその個室に入っていた。
その笑い声は続けた。
「トイレでお菓子食べてるの〜!?汚ったなぁ〜!wそれに、皆んなで食べるとかデブじゃん!w」
笑った顔の正体はEちゃんだった。
それと同時に個室の外から大量の笑い声が聞こえた。
一人や二人じゃない。何人もいる。
Eちゃんは笑いながら便座から下りて何も言わない私の個室をドンドン叩いた。
「おーい!出てこーい!花子さぁん」
そう言うと更に仲間が笑った。
私はトイレの中を見られたのがショックだったし、
状況が飲み込めずに居た。
今までお互い、存在だけ知ってるだけだったし、知り合いかどうかも怪しかった。
だから私は何も考えられなかった。
仲間も加担してドンドンドアを強くたたいてくる。
先生は何故かこない。
私の息はだんだん性能が衰えていって、胃の中きら摩擦か何かで口から火が吹き出しそうな程だった。
私は確かに、不衛生な方だと思う。
普通はみんな個室でお菓子なんて食べないことも知ってる。
でも個室を覗かれて皆んなに笑われるなんてあんまりだ。
私は息をのんでから
「何でこんなことくるの?」
と怒りもノリも含めた声で言って鍵を開けて、たたいている手が止むと扉を開けて笑って見せた。
「バレちゃったじゃん。ふふ、まぁいいやこれグミだけど、いる?」
と出来るだけいつも通り接した。
するとEちゃんは、真面目な透き通った声でしっかりと言った。
「は?汚ったな。そんなの食べるはずないでしょ。アンタが触った奴だよ?ねぇ?」
と。
私はわざとEちゃんがこう言う反応をとっていると
言う事を知っているのに
七人程いる全員が全肯定しているのを見て
私はどう足掻いても一人な存在なのだと初めて自覚したのだった。
これだけじゃない。
これがただ始まりだったってだけで、これより酷いのも有れば、優しいのもあった。
地獄の一年半だった。今までで最悪の夏休みだった。
そのことだけを覚えている。
私はクラスで無視されて当たり前の存在になり、空気の様な私は完全先生の前ではグレーだった。
黒と白の間。黒が偶にあるニュースに出ているようないじめで、白が何ともないクラスメイトだとしたら、グレーだったのだ。だから先生は口出ししないし、相談もあまり乗ってくれる様子は無かった。
だからかもしれないが地獄だった。
私は中学2年生の冬休みから不登校になった。
学校から家は遠いが、外にでると、Eちゃん達がいて私をまた虐めてきたらどうしようと不安になって外にも出られなかった。
声も出せなかった。
ひたすらゲームしかできなかったのだ。
ゲーム以外のことをしていると直ぐに泣いてしまう。
例えば勉強だと、全然分からないと不安になった。
だってどんなに頑張ったって所詮不登校だし、
親に迷惑かけるし、どれだけ学校に通えたら良いものかとひたすら考えた。
学校に毎日通う様だったら、私は確実に死を選んだ。
それ程学校とは憂いを与え、私をいい燃料として使うような圧迫感を背負わす存在だった。
だけど中3のちょっと前、急に火がついて前の様に振る舞えらようになった。少しずつ外に出られる様になった。
こう言う時間経過で治りますっていう記事は全く信じず、自分だけは例外だと思っていた。
だけど、全く進まなかった勉強はあり得ないほど捗った。
少し自信がついた。私は偏差値39から一年で偏差値55の高校に受験し受かった。入試一週間前なんて心臓がはち切れそうな程不安だった。明るい未来が見えた。世界が輝いて見えた。高校生になってこの高校に入れば何故だかEちゃんも居ないし、よくやっていけると思ってた。
なんでそう思ってたんだろうなー
私はチャイムのなった静かな校舎をゆっくり見渡し、親の顔も思い浮かべず鞄も置いて、手元にあるスマホだけ持って学校を出た。
私が教室にいなかったら気づくだろうか。
最初から休んでたと思われるのだろうか。
先ず、私の存在を認識しているだろうか?
私はため息を吐いてから冷たい壁の校舎をゆっくり触りながら外に出た。外は急に大きな雨が降ってきた所だった。
何も考えたく無かった。
限界だった。
そう。ただもう何も、考えたく無かったんだ。
思い出したくなかった。
こんなありきたりな言葉を使ってて思う。
言葉って、物凄くしっかり出ているんだなーって。
私はスマホを投げて雨にあたり乍ら外にある錆びた非常階段を登った。あまり時間をかからないで屋上に着いた。
曇っていて街は見えにくい。私は屋上から灰色の雲を眺めた。
自分の体が何で支えられているのか分からなくなるほど力が抜けた。私は実は頭だけでこの体は違う誰かが動かしている様に感じた。
自分とは違う意志で体は動く。本当は出入り禁止の屋上。フェンスはボロかった。直ぐ乗り越えられた。
その時、私の世界はスローモーションになった。私は誰かに背中を押された。私は空中で彼女を見た。
それは、私だった。間違えなく、私の顔。
考えるまもなく私は意識を失う。雨の音のなか鈍い音は殆ど踏み潰され、血は雨で増えたように見えた。
雨は静かに止んで虹が浮かんでいた。
私はこのお題を見た時、正直、「後悔か」...ループにするか、後悔している事を語る切ない感じにするか、死別か、なにか深めの設定......と一瞬考えたものの、一瞬でありきたり過ぎるに落ち着いた。
罪の後悔だとか、勉強しなかった後悔だとか身内の話でも正直結構どうでも良いのに、作り話ときたらたくさん投稿されている中で読んでもらえる筈がない。
お題だされて、納得するストーリーも思いつかないで止まって居るなんて、自分が更に嫌いになる。
やはり向いて無い。小説家にでは無い。悪魔でも小説を書く趣味だ。どちらかと言うとストーリーか、、とにかく何も考えずに書いていってみる。
そして最終的にこうすれば良いとなったら伏線というか、辻褄が合うよう所々変えていき、誤字脱字がないか確認できれば完成、投稿、と毎度ながらお好きにやらせていただいている。
投稿頻度は殆ど無いが私のアプリの中ではかなり、長続きして居る。正直Instagramとこのアプリどちらか選べと言われたらこちらだ。
後悔と言えばそうだな、私がまだ幼稚な小学一年生の時の話だ。水位の浅いどう頑張っても潜れないような見渡しの良い、それこそどんな親でも遊ぶのを許しそうな川で、小さい魚を捕まえようと、遊んでいた。
各々バケツやら網やら自転車やら餌やら魚を捕えられそうなものを持参し、水遊びを楽しんでいた。
もちろん浸かってはいない。
水位は数センチと言ってもその水までが1メートルくらいある為、小1の私達にはは少し深めで、網は必須だった。
特に魚を捕まえてどうこうしようとは何も考えず、トーク六割で時間は過ぎていった。
そんな中、小1の私達にはしては、かなり大きなアクシデントが発生した。バケツが川の勢いで流されたのだった。
その時は自ら持参の網を持ち入り、何とかバケツを取り戻す事ができた。バケツの持ち主である、男の子は安心してホッと大きく息を吐いた。
でも、小1の私にはそのアクシデントが少し楽しく感じてしまったのだ。悪気は一切ない。バケツが戻ってきた事に私はとても達成感を感じた。
今思えばスリルがあって楽しかったのだ。それに、網もある為、取れないということは絶対に無い。
私はそのバケツをもう一度流したくなる衝動に駆られた。
言ってしまえば当初、バケツの持ち主は仲間から除かれ気味だった。当時も今も、それに加担する心持ちはなく、気づいたらそんな雰囲気無くなって居たのだが、相当悲しかっただろう。今で言うイジられキャラという奴だ。私は何故かそのイジリの頂点の奴から気に入られてた。それで何ヶ月も過ぎた時だったのだ。
バケツの持ち主を少し揶揄いたくなったと言おうか。
私は屹度、その時気が動転して居たんだ。そうに違いない。
バケツを川に流そうとした。ほんの冗談のつもりだったのだ。もしも本当に流してしまったとしても網で掬うつもりだった。
川の可愛い水位にバケツを付けて、手を伸ばしながら声を出した。
「あと10秒でこの手離しまーす笑」
カウントダウンを始めると皆んな私に注目した。
でも、思いとどまった。やはりこんな事してはダメだ。何してるんだ。と短い腕を戻そうとした瞬間、2歳ほど上の男の子達が私の持って居るバケツと手に水を大量にかけた。多分、バケツを流して欲しかったんだろうな。
そして私は手を離してしまった。川に沿ってゆっくり流れて行く。
私はなんて事をしたんだと自分を責めるより先に行動に出た。もう少しその方向に進んでゆくとトンネルがあり、到底大人でも入れないし、かなりの距離延びているのだ。
そこに入ってしまったら、と想像する前に私は走った。
みんな着いてきた。中には上に登って自転車を取ってきた子も居た。
私は走りながら思った。さっきみたいに網があるんだから大丈夫。と謎の自信があった。
だがその自信は悉く非道なのであった。いち早く駆け出した私は網なんて持って居なかった。
だから後ろに着いてきている子に網は?!と聞き回った。だが網に関して知る者は一切居なかった。
トンネルの前まできて着いてきている人達を確認すると何人か居ない。不安感が押し寄せた。
一応私の網だったのだが、まだ小学一年生だ。
バケツが流されたことにも気付かず、網で魚を待って居るんだろう。
訳もわからず着いてきた数人き私は色々尋ねられるが、
私には雑音にしか聞こえなかった。どうしよう。顔がみるみる青ざめて行く。これは私の責任だ、、と自負しながらも打開策を練り始めた。
思いっきり走ってトンネルの出口で待機!小さい私にはそれしか思いつかなかった。不安を埋めるように走り始めながらバケツが流れちゃったから、あっちまでいってみよう。多分間に合う。
と説明してまた走った。川に沿ってトンネルの上を走って居ると出口に出た。バケツは先を行っていないか辺りを見渡しながら、網は!?とまた尋ねた。網はまだ到着しないと言われて私は、網を連れてくるべきだった。と考えなしの私への後悔の感情と不安感と責任感とで、暑いのに背筋が凍り、冷や汗が出た。
結局、バケツはいってしまった。網が到着する前に。行ってしまった。子供が決して踏み出せないような所に流れて行った。
私は何もできずバケツを眺めて居た。バケツの速度は飛躍なって居て、人間で言う駆け足でギリギリ追いつくようなスペースだった。
周りの子は、何でバケツが流れたの?と口々に疑問を発したが、私は、自分が態と流したのだ。と説明するのがとても困難であった。私は男の子が親に怒られて居るのを見て、私もその場に居ましたと言い説教をくらいにいった。説教されている男の子を見て、私は罪悪感を胸が張り裂けんばかり感じて居た。
説教が終わった時、今日はごめん、と勇気を振り絞って謝った。泣きそうだった。でもこっちは加害者なのだ。涙は必死に堪えて、振り絞った言葉が、
「バケツ、、ごめん」だった。
男の子は「いいよ」と下を向いて傷付いたように言った。それを見て私は謝る前より申し訳無さを感じた。
「ごめん、弁償するから」と言うと、「あれは転校してしまった大事なお友達に貰った物なんだ。」と無くなった両親を語るように言われ私は、罪悪感を胸し、帰宅した。帰宅して早々に今日の事を話した。
「今日、〇〇くんのバケツが川で流れてしまって、」と説明してもあらー!そうなの?残念ねぇ、と言われまた、不安感が強くなった。小1の頃は親が全て。
親のいうことは全て聞き、親の機嫌が悪くば、その日の全てが決まった。
そんな親にも、叱られなく、私は逆にドンドン不安感が溜まっていった。
休みが明け、久しぶりの登校日、私は田んぼを眺めて居た彼に向かって渾身の勇気を振り絞ってもう一度自分の罪悪感の為、謝った。周りから見れば告白する雰囲気だったろう。
彼はあの日と全く同じように、「いいよ」と言ってじゃあ、と先に行ってしまった。
それから華奢なプラスチックのバケツを見る度、通学路にあるあの川を見る度、思い出す。
特に小学3年生まではヤバかった。本気で過去に戻る装置がないか探した。四次元ポケットがあったら何が欲しいと言わられば必ず、過去に戻る装置。と答えて居た。
タイムマシンでいいのに、、笑
とにかく、振り絞って出た後悔がこれだ。ひとの後悔なんてすごく詰まらないですよね、分かります。