14歳になった底辺

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私はこのお題を見た時、正直、「後悔か」...ループにするか、後悔している事を語る切ない感じにするか、死別か、なにか深めの設定......と一瞬考えたものの、一瞬でありきたり過ぎるに落ち着いた。
罪の後悔だとか、勉強しなかった後悔だとか身内の話でも正直結構どうでも良いのに、作り話ときたらたくさん投稿されている中で読んでもらえる筈がない。
お題だされて、納得するストーリーも思いつかないで止まって居るなんて、自分が更に嫌いになる。
やはり向いて無い。小説家にでは無い。悪魔でも小説を書く趣味だ。どちらかと言うとストーリーか、、とにかく何も考えずに書いていってみる。
そして最終的にこうすれば良いとなったら伏線というか、辻褄が合うよう所々変えていき、誤字脱字がないか確認できれば完成、投稿、と毎度ながらお好きにやらせていただいている。
投稿頻度は殆ど無いが私のアプリの中ではかなり、長続きして居る。正直Instagramとこのアプリどちらか選べと言われたらこちらだ。

後悔と言えばそうだな、私がまだ幼稚な小学一年生の時の話だ。水位の浅いどう頑張っても潜れないような見渡しの良い、それこそどんな親でも遊ぶのを許しそうな川で、小さい魚を捕まえようと、遊んでいた。
各々バケツやら網やら自転車やら餌やら魚を捕えられそうなものを持参し、水遊びを楽しんでいた。
もちろん浸かってはいない。
水位は数センチと言ってもその水までが1メートルくらいある為、小1の私達にはは少し深めで、網は必須だった。
特に魚を捕まえてどうこうしようとは何も考えず、トーク六割で時間は過ぎていった。

そんな中、小1の私達にはしては、かなり大きなアクシデントが発生した。バケツが川の勢いで流されたのだった。
その時は自ら持参の網を持ち入り、何とかバケツを取り戻す事ができた。バケツの持ち主である、男の子は安心してホッと大きく息を吐いた。
でも、小1の私にはそのアクシデントが少し楽しく感じてしまったのだ。悪気は一切ない。バケツが戻ってきた事に私はとても達成感を感じた。
今思えばスリルがあって楽しかったのだ。それに、網もある為、取れないということは絶対に無い。
私はそのバケツをもう一度流したくなる衝動に駆られた。
言ってしまえば当初、バケツの持ち主は仲間から除かれ気味だった。当時も今も、それに加担する心持ちはなく、気づいたらそんな雰囲気無くなって居たのだが、相当悲しかっただろう。今で言うイジられキャラという奴だ。私は何故かそのイジリの頂点の奴から気に入られてた。それで何ヶ月も過ぎた時だったのだ。
バケツの持ち主を少し揶揄いたくなったと言おうか。
私は屹度、その時気が動転して居たんだ。そうに違いない。
バケツを川に流そうとした。ほんの冗談のつもりだったのだ。もしも本当に流してしまったとしても網で掬うつもりだった。
川の可愛い水位にバケツを付けて、手を伸ばしながら声を出した。
「あと10秒でこの手離しまーす笑」
カウントダウンを始めると皆んな私に注目した。
でも、思いとどまった。やはりこんな事してはダメだ。何してるんだ。と短い腕を戻そうとした瞬間、2歳ほど上の男の子達が私の持って居るバケツと手に水を大量にかけた。多分、バケツを流して欲しかったんだろうな。
そして私は手を離してしまった。川に沿ってゆっくり流れて行く。
私はなんて事をしたんだと自分を責めるより先に行動に出た。もう少しその方向に進んでゆくとトンネルがあり、到底大人でも入れないし、かなりの距離延びているのだ。
そこに入ってしまったら、と想像する前に私は走った。
みんな着いてきた。中には上に登って自転車を取ってきた子も居た。
私は走りながら思った。さっきみたいに網があるんだから大丈夫。と謎の自信があった。

だがその自信は悉く非道なのであった。いち早く駆け出した私は網なんて持って居なかった。
だから後ろに着いてきている子に網は?!と聞き回った。だが網に関して知る者は一切居なかった。
トンネルの前まできて着いてきている人達を確認すると何人か居ない。不安感が押し寄せた。
一応私の網だったのだが、まだ小学一年生だ。
バケツが流されたことにも気付かず、網で魚を待って居るんだろう。
訳もわからず着いてきた数人き私は色々尋ねられるが、
私には雑音にしか聞こえなかった。どうしよう。顔がみるみる青ざめて行く。これは私の責任だ、、と自負しながらも打開策を練り始めた。
思いっきり走ってトンネルの出口で待機!小さい私にはそれしか思いつかなかった。不安を埋めるように走り始めながらバケツが流れちゃったから、あっちまでいってみよう。多分間に合う。
と説明してまた走った。川に沿ってトンネルの上を走って居ると出口に出た。バケツは先を行っていないか辺りを見渡しながら、網は!?とまた尋ねた。網はまだ到着しないと言われて私は、網を連れてくるべきだった。と考えなしの私への後悔の感情と不安感と責任感とで、暑いのに背筋が凍り、冷や汗が出た。

結局、バケツはいってしまった。網が到着する前に。行ってしまった。子供が決して踏み出せないような所に流れて行った。
私は何もできずバケツを眺めて居た。バケツの速度は飛躍なって居て、人間で言う駆け足でギリギリ追いつくようなスペースだった。
周りの子は、何でバケツが流れたの?と口々に疑問を発したが、私は、自分が態と流したのだ。と説明するのがとても困難であった。私は男の子が親に怒られて居るのを見て、私もその場に居ましたと言い説教をくらいにいった。説教されている男の子を見て、私は罪悪感を胸が張り裂けんばかり感じて居た。
説教が終わった時、今日はごめん、と勇気を振り絞って謝った。泣きそうだった。でもこっちは加害者なのだ。涙は必死に堪えて、振り絞った言葉が、
「バケツ、、ごめん」だった。
男の子は「いいよ」と下を向いて傷付いたように言った。それを見て私は謝る前より申し訳無さを感じた。
「ごめん、弁償するから」と言うと、「あれは転校してしまった大事なお友達に貰った物なんだ。」と無くなった両親を語るように言われ私は、罪悪感を胸し、帰宅した。帰宅して早々に今日の事を話した。
「今日、〇〇くんのバケツが川で流れてしまって、」と説明してもあらー!そうなの?残念ねぇ、と言われまた、不安感が強くなった。小1の頃は親が全て。
親のいうことは全て聞き、親の機嫌が悪くば、その日の全てが決まった。
そんな親にも、叱られなく、私は逆にドンドン不安感が溜まっていった。
休みが明け、久しぶりの登校日、私は田んぼを眺めて居た彼に向かって渾身の勇気を振り絞ってもう一度自分の罪悪感の為、謝った。周りから見れば告白する雰囲気だったろう。
彼はあの日と全く同じように、「いいよ」と言ってじゃあ、と先に行ってしまった。

それから華奢なプラスチックのバケツを見る度、通学路にあるあの川を見る度、思い出す。
特に小学3年生まではヤバかった。本気で過去に戻る装置がないか探した。四次元ポケットがあったら何が欲しいと言わられば必ず、過去に戻る装置。と答えて居た。
タイムマシンでいいのに、、笑

とにかく、振り絞って出た後悔がこれだ。ひとの後悔なんてすごく詰まらないですよね、分かります。


5/15/2024, 1:25:15 PM