池上さゆり

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3/13/2024, 9:31:16 AM

 思い返せば、興味が湧いたのは中学生ぐらいの時だったかもしれない。始めは、クラスで心理テストが流行っていたことがきっかけだった。なぜ、その質問で相手の性格を当てることができるのかが不思議だった。詳しく調べてみると、そのほとんどはバーナム効果によるものだと知った。
 だが、その先に心理学という研究分野があることを知った。心理テストのように適当なものではなく、一つの研究として結果が保証されているものがあった。調べれば調べるほど、それは興味深かった。人間の行動ひとつで、嘘をついているかどうか。過去を思い出しているのか、未来を想像しているのか。そこにどんな感情があるのか。目線だけでわかったりするという。
 すっかりそれにハマった私は、クラスの人たちや親の行動を観察するようになった。
 だが、そんなことしなければ良かったとすぐ後悔することになる。
 楽しそうに夏休みの思い出を話していた友達も、私の成績を褒めるお母さんも、噂話に勤しむ近所の人たちも、みんな嘘をついていた。身近に嘘が溢れていることを思い知って、私はショックを受けた。
 嘘を嘘だと暴く気にもならず、ただ、嘘をつかれたという現実がひどく刺さった。
 だけど、私の探究心はそこで止まらなかった。もっと知りたいと追求すればするほど、人間の行動は面白かった。
 そうした先で、私は犯罪心理学を大学で学んだ。今や、犯罪者と会話をして、相手の本音を引き出したり、性格を感じ取ったりしている。これが天職だとは思えなかったが、中学生の頃から変わらず面白いと思うことはできた。
 だからこそだろうか。私は嘘をつく人間を好むようになった本音を見抜くのが楽しいのだ。
 今日も、自分のアリバイを証明しようと必死になる人たちを相手に本音を吐かせようとしている。

3/11/2024, 12:22:48 PM

 数年前。憲法が書き換えられたところで、実生活にはなんの影響も変化もないと思っていた。
 だが、それはゆっくりと日常を蝕むように平穏な日常を壊していった。今まで、戦争に参加しなかった日本が戦争に参加するようになった。国民に徴兵義務が課せられ、一定の年齢になった男性は全員自衛隊のような訓練を受ける。
 そして、その訓練の先。聞いたこともないような国との戦争に派遣される。
 誰もが、死なないでと祈りながら家族を見送った。だが、どこの家庭からも聞こえるのは泣き声ばかりだった。骨すら帰ってこない。名前だけが書かれて、ボロボロになった薄っぺらい認識票だけが渡される。
 私も、泣きながら兄を見送った。死なないでと祈った。
 でも、私の家族だけに奇跡が起こるなんてはずもなくて。
 帰ってきた認識票になって帰ってきた兄を泣きながら抱きかかえた。国に恨み言のひとつでも言えたら、どんなに楽か。元の憲法に戻せって叫べたら。戦争反対って叫べたら。今、この国には基本的人権もなければ、表現の自由もない。
 だから私は、東京まで新幹線に乗って行った。少し前に行った東京はどこもかしこも人で賑わっていて、誰もが楽しそうに過ごしていた。それなのに、今は国のお偉いさんの顔が映されたスクリーンがいくつも並んでいるだけで、楽しそうな気配はどこにもなかった。
 私は防衛省まで歩いた。そこから出てくる大臣を殺せたら満足だった。だが、そんなに上手くいくはずもなく、警察官に声をかけられた私は手荷物検査されてしまった。そこで、中に隠していた包丁に気づかれて手錠をかけられた。パトカーに乗る瞬間まで、私は叫び続けた。
「お兄ちゃんを返せ! 戦争なんかやらない方がこの国は平和だった! お前たちみんな目先のものに目が眩んでいるんだよ! 絶対に帰ってこない家族を見送る国民の気持ちになってみろ、安全圏で笑ってんじゃねぇよ!」
 お前らが戦って死んでこい。
 最後の一言だけが言葉にならなかった。もう喉はつぶれて、私の未来も閉ざされた。

3/9/2024, 5:08:31 PM

 過去に執着するのが嫌で、昔から日記を書くのは苦手だった。読み返すと、そのときの感情や情景が思い浮かべることができるのが嫌だった。過ぎ去った日々に思いを馳せる時間ほど、無駄でいらない時間だと感じていた。
 だから私は未来日記をつけることにした。
 この日までにこれを叶えたい。こうなりたい。こうしたい。自分への期待と未来への希望が詰まったその日記は生きる糧になった。
 私はそこに書いた未来が叶うように常に考えながら行動した。それは難しいことではあったが、同時に楽しくもあった。ひとつ、またひとつと未来が叶うたびに私はずっとその先にある幸せに辿り着けるのだと信じてやまなかった。
 だが、ある日突然それは終わった。
 痛みから目を覚まして、真っ白な空間の中で私は現状を理解しようとした。身体を起こしてみると、腕にはたくさんの管が繋がれていて、口元には酸素マスクのようなものがはめられていた。なにを思ったのか、私は酸素マスクを外してその場から逃げようとした。
 だけど、どれだけ頑張っても足が動かない。動かせない。どれだけ力を入れても感覚がなかった。不安になり、かけられた布団を捲るとちゃんと、両足は存在していた。だが、足首はだらんとしており、麻酔でもかかっているようだった。
 状況を理解できずに固まっていると、看護師が部屋を覗きにきた。そこで意識が覚醒したことに感動して、すぐに担当医が呼ばれた。そこでされた説明は、交通事故により骨折をして、それが原因で下半身不随になったということだった。
 絶望感しかなかった。ずっと先にあるはずの幸せな未来を見失って、今すぐにでも死にたかった。リハビリもサボってばかりで、私は自分の人生を諦めていた。
 そんなとき、見舞いに来た母が二冊のノートを持ってきた。一冊は新品のノートで、もう一冊は私が書いていた未来日記だった。泣きながら、まだ未来はあるよ。新しい未来をここに書こうと手渡された。
 叶えたい未来はもうなかった。それでも、これから生きていかなければならない。
 新しいノートの一ページ目に私は「生きる」とだけ書いた。その先はこれから考えていこうと思う。

3/9/2024, 8:02:05 AM

 唯一無二のものを見つけたとき、人はそれを「お金より大切なものだ」と言えるのだろうか。
 少なくとも私にはできない。そんな気がする。
 いつだって私のすべてを支えてくれたのはお金だった。裕福な家庭で生まれ育った自覚がなかった頃の私は実にひどい人間だったと思う。
 同じクラスの女の子が三日続けて同じシャツを着ていたものだから「どうして洗わないの? 汚いよ」と言ったことがある。それをきっかけにその子はいじめられるようになってしまった。攻撃するようなことこそしなかったものの、傍観者でいることも罪であることを後々知った。
 高校生になってからはブランド物のポーチを持っているだけで羨ましがられた。母からもらったものだったから、私にはその価値がわからなかった。
 それでも、小学校から大学に至るまで奨学金を借りることなく卒業できて、就職してからも両親からの援助もあったおかげで少ない給料でも、欲しいものは迷わず購入することができた。
 だから、お金がないと嘆く同僚の気持ちが理解できなかった。
 そして、社会人も三年目を迎えた頃。先輩から結婚を前提に付き合って欲しいと告白された。両親が幸せな結婚生活を送っていたから、私も幸せになれるものだと思った。相手のことをよく知りもしないで私は結婚を受け入れた。
 だが、結婚した途端、両親はお金を送ってくれなくなった。夫婦二人だけのお金で生活していたが、二人とも低賃金の会社で働いていたので生活は苦しかった。始めこそは、お金より愛だと我慢できていたものの、時間が経つごとにお金のない不自由さに苦しくなった。
 それは夫を捨てる決定打にもなった。
 私は正直にそれを伝えることはできなかった。自然と夫婦仲が悪くなるように行動して、夫から離婚を申し出てくれるのを待った。だが、いつまで経ってもその気配がなく、待ちきれなかった私は嘘泣きで離婚届を渡した。
 夫は泣きながらそれを受け入れてくれた。
 離婚後、実家に戻った私は再び、裕福な暮らしに戻った。それが、いかに心を楽にしてくれるものだったのかを思い知った。
 あの結婚生活の末、私が得ることができたのは、すべてお金が解決してくれるということだけで、愛がいかに無力なものなのかを知っただけだった。

3/7/2024, 11:42:39 AM

 夏の匂いが広がる月夜を眺めていた。雲ひとつない空を眺めては、彼氏の帰りを待った。
 月が明るい夜、私の彼氏は森に帰る。
 なにをしているのか、なぜ帰るのか。なにも知らないけど、きっとそこに愛する家族がいるのだろうと思う。その証に彼はいつも嬉しそうな、幸せそうな顔をしてこの家を出ていく。今日も、月が沈む頃に帰ってくるのだと思って、月が見える窓際で読書をしていた。
 だが、この日は違った。途中で雨が降り出した。始めは小ぶりだったが、だんだんと雨足は強くなっていって風も強く吹き荒れた。大丈夫だろうかと心配していると、玄関のドアが開く音がした。風呂場からバスタオルを持って走った。玄関にいたは、熊と人間が混ざったような彼氏だった。顔の半分が人間で、もう半分は歯を剥き出しにした熊。身体も胴体は人間で家を出る時に着ていた服はそのままだったが、手足が毛だらけの太い動物の形になっていた。
「どうしたの、大丈夫? これで身体を拭いて」
 なぜか、驚きはなかった。この辺りは熊が出没することが多い。森に帰る意味を私はどこかでわかっていたのかもしれない。
「家族が、撃たれたんだ。殺された、猟師に殺されたんだよ!」
 感情が荒ぶると、人間の部分が少なくなっていく。
「落ち着いて、大丈夫だよ。ここだったら誰も追ってこない。誰も撃たないから。私も通報しない。落ち着いて、ゆっくり深呼吸して」
 彼は膝から崩れ落ちた。動物の毛が体内に吸収されていく。守れなかった。そう言って泣く彼を抱きしめることしかできなかった。
 その日から、彼は森に帰らなくなった。理由は明白だった。地元のニュース番組で「森の熊を三体仕留めることに成功した」と流れていたからだ。おそらく、全員彼の家族だったのだろう。
 屍のようになった彼にできることはなにもなかった。愛しているのに、彼の本当の家族になれない苦しさを噛み締めていた。

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