池上さゆり

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 数年前。憲法が書き換えられたところで、実生活にはなんの影響も変化もないと思っていた。
 だが、それはゆっくりと日常を蝕むように平穏な日常を壊していった。今まで、戦争に参加しなかった日本が戦争に参加するようになった。国民に徴兵義務が課せられ、一定の年齢になった男性は全員自衛隊のような訓練を受ける。
 そして、その訓練の先。聞いたこともないような国との戦争に派遣される。
 誰もが、死なないでと祈りながら家族を見送った。だが、どこの家庭からも聞こえるのは泣き声ばかりだった。骨すら帰ってこない。名前だけが書かれて、ボロボロになった薄っぺらい認識票だけが渡される。
 私も、泣きながら兄を見送った。死なないでと祈った。
 でも、私の家族だけに奇跡が起こるなんてはずもなくて。
 帰ってきた認識票になって帰ってきた兄を泣きながら抱きかかえた。国に恨み言のひとつでも言えたら、どんなに楽か。元の憲法に戻せって叫べたら。戦争反対って叫べたら。今、この国には基本的人権もなければ、表現の自由もない。
 だから私は、東京まで新幹線に乗って行った。少し前に行った東京はどこもかしこも人で賑わっていて、誰もが楽しそうに過ごしていた。それなのに、今は国のお偉いさんの顔が映されたスクリーンがいくつも並んでいるだけで、楽しそうな気配はどこにもなかった。
 私は防衛省まで歩いた。そこから出てくる大臣を殺せたら満足だった。だが、そんなに上手くいくはずもなく、警察官に声をかけられた私は手荷物検査されてしまった。そこで、中に隠していた包丁に気づかれて手錠をかけられた。パトカーに乗る瞬間まで、私は叫び続けた。
「お兄ちゃんを返せ! 戦争なんかやらない方がこの国は平和だった! お前たちみんな目先のものに目が眩んでいるんだよ! 絶対に帰ってこない家族を見送る国民の気持ちになってみろ、安全圏で笑ってんじゃねぇよ!」
 お前らが戦って死んでこい。
 最後の一言だけが言葉にならなかった。もう喉はつぶれて、私の未来も閉ざされた。

3/11/2024, 12:22:48 PM