池上さゆり

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3/7/2024, 10:12:50 AM

 最後の小学校生活の年のスローガンは「絆」となった。少年漫画の主人公が掲げそうな言葉に、テンションが上がっていたのを覚えている。
 でも、その一年は最悪のものになった。
 絆なんて微塵も感じさせないまま、トラブルが多発した。
 窓ガラスを割ったり、いじめがあったり、授業の邪魔をしたりと散々だった。幸い、私は巻き込まれることはなかったが、それでも苦痛の一年だった。学校生活すらまともに送れない人たちと、どうやって卒業式を行うのだろうと、早い時期から心配していた。小学校で終わりなら、気にしなかったのかもしれない。でも、このメンバーと同じ中学校に進学するのだと考えると、こわいのは卒業式だけじゃなかった。
 私は両親に私立の中学校に進学したいと話した。だけど、お金がかかるからという理由で断られてしまった。裕福な家庭ではないのだから、仕方がないと思ってしまった。
 時間は経って、三学期になり、いよいよ卒業式の練習が始まった。真面目にやっている人の方が少なくて、卒業証書を受け取るだけなのにふざける人が多かった。そのほとんどは、一年の最初に掲げた「絆」というスローガンに感動していた人たちだった。
 結果、最後の予行練習まで悪ふざけは続いた。先生たちもいよいよ注意しなくなった。私は卒業式を休みたかったが、小学校最後の晴れ舞台を期待してくれている両親を裏切れなかった。ため息ばかりもれる最後の登校に悲しくなっていた。もっと楽しい気持ちで、卒業式を迎えられるものだと思っていた。友達と楽しかったねって言い合えるような時間があると思っていた。教室に着くと、真面目に練習をしてきた人ほど、お通夜のような顔をしていた。
 そして、迎えた本番。今までふざけた練習しか行われなかったのが、嘘かのように順調に進んでいった。国歌や校歌を歌うときは誰も替え歌なんてせず、卒業証書を受け取るときもみんなちゃんと礼をして受け取っていた。最後の退場まで、誰もふざけなかった。
 やっと行われた理想の卒業式に私は安堵して、泣いてしまった。まともな形で小学校を終えることができて良かったと、心の底から思った。
 結局、最後の最後まで「絆」を感じる瞬間はなかったが、それでもふざけてばかりだった人たちを成長させるためには大切な言葉だったのかもしれないと思った。

3/4/2024, 10:54:03 AM

 彼はいつだって夢追い人だった。高校生の頃からアコースティックギターを持って、中庭で弾き語りをしていた。毎日違う曲が中庭から響いていた。大きな声で悲壮を叫んでいる日もあれば、切ない声で愛の歌を歌っていたこともあった。
 ある日、私は彼が歌っていた歌詞の一言に救われた。今じゃ、どんな言葉だったのかも思い出せないけど、苦しさを和らげてくれる優しい言葉だったのだけは覚えている。それから仲良くなろうと声をかけて初めて、彼が先輩なのだと知った。
 卒業の日まで毎日そばに駆け寄っては曲の感想を言っていた。最後の日になっても、私は告白する勇気が出せず最後の演奏を聴いていた。愛の歌だった。
「君が去っていく影すら愛おしい もう会えなくなるのなら僕が続く道を作らなきゃ」
 そんな感じの歌だった。それが私に向けられたものだとは気づかなかった。
「きっと僕は君の理想の彼氏にはなれない。それでも、退屈だけは絶対にさせないから付き合ってほしい」
 詩的な告白に私は頷いた。
 それから十年以上経って、私たちは三十歳を過ぎてしまった。彼はまだ夢追い人だった。結婚に憧れていた時期もあったが、とうに過ぎてしまった。私は家族がほしい。好きな人との子どもがほしい。でも、それが今の好きな人と叶わないのなら諦めるしかない。
 だから私は、音楽を愛する彼に向けて詩を書き残した。
「私が去っていく影を君はいつまで見ているのだろう もう続きのない道だって気づいたから 大好きな君にさよならを告げようか」
 それだけ残して私は家を出て行った。連絡先も消した。音楽だけで過ごしてきた私たちの間に、生身の言葉はいらなかった。

3/3/2024, 11:37:24 AM

 女の子だけのお祝いの日に僕は生まれた。小さい頃はひな祭りになると、家に雛人形が飾られるのは僕の誕生日だからだと勘違いしていた。雛壇に並んだ人形をとっては一人で人形遊びをしていた。ひな祭りというぐらいなのだから、楽しい日なのだと思っていた。
 だが、僕の六歳の誕生日からは飾られなくなった。
「ねぇママ。今年は雛人形飾らないの?」
 純粋な気持ちでそう聞いてみると、ママは泣いて暴れた。
「お前なんか欲しくなかった! 私は女の子が欲しかったのに!」
 幼いながらに、その言葉の意味を理解して家を飛び出したのを覚えている。誰に助けられて、どうやって家に帰って、お母さんとなにを話したのか、なにも覚えていなかった。
 そして、高校生になって恋人ができたとき。隠していたはずなのに、すぐにお母さんに気づかれた。そして、なにを言われたのかって。
「早く結婚して、女の子を生みなさい。絶対よ、絶対に女の子よ」
 まだ結婚なんて考えてもいない時にそんなことを言われたものだから、こわくなってしまった。だから、お母さんにどれだけ彼女を紹介しろと言われても、絶対に家に連れて行かなかった。
 だが、それも長くは続かなかった。ある日、お母さんは彼女とのデートを尾行してきたのだ。そして、レストランに入って昼食にしようとしたタイミングで偶然を装って合流してきた。
 彼女は気まずそうにしていながらも、しばらくは楽しそうに会話をしていた。だが、僕は嫌な予感しかしなかった。そして、その通りになった。お母さんは彼女にも、女の子を生めと言い出した。それを聞いた彼女は申し訳なさそうにした。
「ごめんなさい。結婚するつもりはなかったから言わなかったんですけど、私、病気があって子どもは生めないんです」
 言いにくいことだっただろうに、勇気を出してはっきりと言ってくれたことが僕は嬉しかった。だが、母はそうじゃなかったらしくそれを聞いて発狂した。どうして私の元には女の子が来てくれないのと。
 それから程なくして、僕と彼女は別れることになった。そして、その恨みを晴らすかのように僕は、母が眠っている寝室に火をつけた。そこにあの日の雛人形が片付けてあることも知っていた。
 そして、後々知ったことだが、雛人形が飾られなくなったあの日。母は女の子を流産したのだという。少しばかり可哀想だとは思ったが、これで天国にいる自分の娘とやっと会えるのだから、きっと感謝してくれるに違いない。

3/3/2024, 7:19:57 AM

 私は常に、寂しかったのかもしれない。
 だから、いつも誰かに甘える日々を繰り返していた。その相手はお母さんだったり、友達だったり、彼氏だったり、セフレだったり。
 とにかく、誰でも良かった。すごいね、頑張ったね、もう頑張らなくていいよってそんな言葉がほしかった。みんなに、私だけを見ていてほしかった。
 それなのに、ある日家に帰ると、お母さんは紹介したい人がいると言い出した。出番を待っていたかのように現れたその人はお母さんより一回りほど年上の男性だった。その瞬間、私は怒りを通り越して、泣きたくなった。
 どうして、私だけを見てくれないのと。二人だけの生活じゃ不満だった? 私だけじゃ足りなかったの? なにがいけなかったの?
 問いたい言葉はたくさんあるのに、なにも言葉にならない。苦しくなって私は家を飛び出した。
 スマホを開けて、彼氏に電話してみる。
 今日は予備校があるから会えない。
 友達に電話してみる。
 もう寝るから明日でもいい?
 セフレに電話してみる。
 応答すらしてくれなかった。
 お母さんのことを誰よりも愛していたのは、私のはずなのにお母さんはそうじゃなかった。寂しい、寂しいよ。ネオンが光る街の中を歩いていると、平成のギャルのような服装をした男の人に声をかけられた。なんで泣いてるのと。私は縋るように心の内を話した。この人が、今日の寂しさを埋めてくれたらいいのにとすら願った。それなのに、その人が言ったのは。
「あんたも、お母さんと同じことしてんじゃん。お母さんが一番なのに、寂しくなったら彼氏、友達、セフレに連絡するってどうなのよ。ドン引きだわ」
 たった一つの希望も打ち砕かれた。私に飽きたのか、その男は手を振ってその場を去った。違うのに。私はお母さんだけに甘えていたら負担になるからと思って、その発散先を増やしていただけなのに。
 それでも、もう元には戻らない。雨でも降ればいいのに、空には満月が輝いている。ネオンが光る街の中で私は独りだった。

3/2/2024, 10:11:24 AM

 ぐるぐると渦巻く汚い欲望に男は気が狂いそうになっていた。
 五年前、作家として順調な滑り出しでデビューした彼の元にはたくさんの執筆依頼が来ていた。ほとんどは彼の得意とする、恋愛や人間関係を描いたものが題材となっていた。だが、その中に一つ。どうしても書き進めることができずに悩んでいるものがあった。
 それはミステリー小説だ。人間関係をこんなリアルに書けるのなら、もっとその先にある人を殺したい願望も書けるのではないと期待されていた。
 だが、男は書けなかった。今まで書いてきた物語は自分や知人の人生の一部を借りて、膨らませてきた物語に過ぎない。自分の経験したことを基にした物語しか書けない男にとって、殺人という行為は一番遠くにあるものだった。
 それでも、物語のプロットは書けてしまう。障害を持つ親の元で生まれた子どもが、親の障害を理由に自由に生きられない話だ。最終的には親を手にかけてしまうが、どうしてそのシーンが書けない。どんな思いで、親を殺すのか。手にはどんな感触が伝わるのだろうか。身体はどんな反応をするのだろうか。殺した後はどんな気分になるのだろうか。解放されるのか。罪悪感に呑まれるのか。
 考えれば考えるほど、書けなくなっていく。
 そんな中、両親から久々に家に顔を出してほしいという連絡があった。このタイミングしかない。男はそう確信した。
 翌週、実家に帰り、楽しく過ごしていた。頭の中はプロットの中で練った通りに殺人を犯すことでいっぱいだった。
 ついに訪れたその夜。寝息が聞こえる寝室に忍び込んで、親に跨った。破裂しそうな心臓を抑え込んで、その首に力を入れていく。
 苦しさで目を覚ました親と目が合った瞬間、我にかえってしまい手を離した。自分はなにをしようとしていたのだろう。あの仕事を引き受けて以来、ずっと自分がおかしくなっていることにも気がついていた。もう、やめよう。物語を紡ぐのは趣味でいい。
 男は残っていた執筆依頼だけを終わらせると、そのまま作家を引退した。ミステリー小説が完成することは永遠になかった。

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