どんな技術を使えば、私の夢は叶うのか。幼い頃からずっと夢見てきた海の中を走る列車を開発するために私は必死だった。大学在学中も研究を続けていたが、その一端すら掴めなかった。だから、私は理論的には可能であるということを証明して、学会で発表した。そのおかげで、少額ながらも支援してもらうことができた。同じ景色を夢見る同士を集めて、日々研究に明け暮れた。進展しているのか、していないのか。なにもわからないまま進めていく研究は海の底に潜っていくような苦しさがあった。
だが、ある日。転機が訪れた。思い立って、協力者を募るCMを全国放送で流したのだ。そこにはダイバーに撮ってもらった海の中の景色と、CGで合成した列車が地上から海に潜って走り続ける映像を作った。一般人からもたくさん反響はあった。
「日本の技術はここまで来ているのか」
「早く実現してほしい」
「こんな景色見てみたい」
それだけでは終わらなかった。研究室の電話が鳴り止まなかったのだ。全国の町工場から「協力させてください」「こんな技術を提供できます」と心強い声をたくさんいただいた。すぐに私は人を集めた。私たちで進めていた研究と合わせて日本中に散らばった技術を集めた。実現できる未来が見えた瞬間だった。
その十五年後。
初めての試運転で、私と開発に関わった代表者たちを集めて乗った。順調に進んでいく。線路が、海の中へ差し込んだところで私は立ち上がった。潜っていく。列車が、海の中を走っている。列車に乗って、その景色に圧倒された私たちは声すら出なかった。
そして、列車が地上へ出た瞬間、歓声が響いた。ようやくここまで辿り着けたのだという感動に包まれていた。諦めないというのは口でいうほど簡単なことではない。それでも、幼い頃から描き続けた景色を実現できた私は、改めて諦めないという言葉の強さを知った。
ここではないどこかを求めて、私は初めてパスポートを作った。有効期限は十年間。その間に見て回れる世界を歩こうと決めていた。そして、その終わりも。
まず初めに私は台湾へ行った。意外と日本語がわかる現地の人もいたりしてびっくりした。目がチカチカしそうなほど眩しい照明が並ぶ街の中でご飯を食べた。
次はマレーシア、シンガポール、フィリピンと東南アジアを回った。そこからユーラシア大陸に戻って、インド、ロシア、モンゴル。もちろん、ヨーロッパにも足を運んだ。アメリカやカナダ、そこから南下してブラジルやチリ。アフリカ大陸にも行った。
十年で全てを見て回れるとは思っていなかったが、それでも十分すぎる旅だった。最後に私は、フィリピンの海を選んだ。そこで、パスポートが切れるまでの間住み続けた。現地の言葉はわからなかったが、最後までみんな明るく受け入れてくれて、本当に嬉しかった。こんな自分でも生きていいのだと思わせてくれた。
そして、遠くの街へと逃げ続けた終わりの日がやってきた。
日本を出てからちょうど十年。帰りの航空チケットは取っていない。片道切符で出かけた私は、元より戻るつもりなんてなかった。
海底まで見える透き通った青が広がる海に私は飛び込んだ。どこまでも泳いでいける気がした。これでも、学生の頃は水泳の大会に出ることもあったぐらいだ。体力には自信があった。限界が来るまで、全身を動かし続ける。後ろから聞こえていた人々の声も聞こえなくなって、泳ぐのをやめる。深く、深く、深く潜っていく。これが一番苦しいやり方だとはわかっていた。だから、これを選んだ。息の限界がきて、思わず口を開けてしまった。一気に体内へ海水が入り込む。苦しい、逃げたい、まだ、死にたくない。それでも、海底から見上げる光が差し込み、ゆらゆらと揺れるその景色はとても美しかった。
点数と順位が書かれた紙を母に渡した途端、ため息をつかれた。あまりに予想通りの反応だった。
「また、お父さんに殴られるわよ。どうして、もっと勉強できないの」
「ごめんなさい」
口癖のように漏れたその言葉には感情がこもってなかった。成績が落ちるたびに勉強時間を増やしてきた。それでも、一向に成績は伸びなかった。だから、私はすべてが嫌になって今回のテスト勉強は何もしていなかった。
それでも、授業だけは真面目に聞いていたおかげか、いつもより少し下がった程度で済んでしまった。母が言った通り、父が帰ってくるとすぐに殴られた。
「俺の家族は代々東大を卒業しているんだ! 浪人なんて絶対にさせないからな。現役合格して、留年することなく卒業しろ」
自分の娘が不出来なのが気に食わないらしい。繰り返したごめんなさいに疲労が溜まっていく。父の勝手な理想のせいで私は苦しかった。
勉強してこいと言われて、自室に入った。デスクに並ぶのはこれまで勉強してきた使い切ったノート。参考書。過去問。一番新しい過去問を手に取って開ける。一番苦手な数学は飛ばして、得意な世界史のページを開ける。何度も反復したせいで、考えなくても頭の中には世界の歴史が刻まれていた。
世界史を勉強すればするほど、人類ほど成長も進化もしないものはないと知った。動物は賢く、時代の気候や地形に合わせて進化を繰り返してきているというのに、人間はどうだ。戦争で多くの人が死ぬことを知っていながら、それが正義だと言い聞かせている。
もちろん、私もその一人だ。父が掲げる目標から現実逃避してばかりいる。いつになったらA判定もらえるのだろうと心配が募っては焦るばかり。
自分の意思で入学する大学すら決められない私は人類として退化しているのかもしれない。
教室の隅っこ。みんながそれぞれ机を囲んで談笑している中、私たちはノートに絵を描いていた。可愛い女の子とかっこいい女の子の描きわけ方を模索したり、自分の好みがたくさん詰まった世界一の美男美女を生み出したりしていた。ノートの世界は無限に広がっていて、自分たちの描くイラストこそ至高だと想っていた。
高校生になり、世にスマホが普及しだした頃。私たちもバイトの少ない給料の中からなんとか自分用に買った。そして、すぐにSNSを始めた。そこに自分たちの描いたイラストを載せて反応や感想をもらおうとした。
だけど、自分たちがいかに井戸の中の蛙だったのかを思い知らされただけだった。いいねが数個しかつかず、フォロワー数も全く増えなかった。二人して私たちって下手くそなんだと思い知らされた。それでも、上手に描けた落書きを載せては満足していた。
高校を卒業して、私たちは別々の大学に進学した。お互い、連絡を取ることもなくなった。SNSを見ては生存確認を時々していた。大学生になった私はいつの間にかイラストを描かなくなっていた。それでも、友達は毎日かのようにイラストを載せていた。それを見て、私は意味もなく苦しくなった。だから、SNSを消した。
そして、大学を卒業した君は今。三万人を超えるフォロワーがいる絵師になっていた。いつの間にか、イラストレーターとして仕事もしているみたいで、プロフィールには仕事依頼の連絡先まで書かれていた。久々にSNSで連絡を取ろうと開いたタイミングで知った。
その連絡先に私は匿名でメールを送った。
「金髪碧眼でセーラー服を着た女の子が、切なそうにうにしながらも笑って泣いているイラストを描いて欲しいです。予算はありません。掲示された金額でお支払いします」
あの頃の私の好きを詰め込んだ女の子。今の君はどんなふうに描いてくれるのかな。
今にも雨が降りそうな重苦しい空を見上げる。少し、悲しいことがあったせいか物憂げな空にも見える。
恋人と別れてからも、私たちは友達として新しい関係を再構築していた。それでも、時折蘇る恋心に苦しくなったりもした。かっこいいなとか、この表情好きだなとか、楽しそうでよかったとか。
それでも、付き合っていた頃とは違う距離感で接せなければならないことがつらかった。
今日、珍しく彼はおしゃれな髪型をしていた。セットをしたのではない。いつも通っていた千円カットではしてもらえないような、今時の男性といった感じで後ろを刈り上げて、前髪をセンター分けにしていた。どうしたのかと聞くと、今は美容院に通っているのだという。別れてからの変化が私はこわかった。
新しく好きな人ができたのではないかと、気が気じゃなかった。自分から別れを告げておきながらも、彼に新しい恋人ができるのはどうしようもなく嫌だったのだ。
だから、冗談めかして「恋人とか好きな人でもできたの?」と聞いてしまう。私の影響で変わることなんて、一切なかった彼が、誰かの影響で、誰かのために変わろうとしていることを知りたくなかった。
違うよと否定されても、安心できない。どんな心境の変化で変わろうとしているのかを知りたくてたまらない。でも、そこまで踏み込める距離感じゃないこともわかっている。もどかしくなりながら、会うたびにおしゃれになっていく彼を見つめていくのが苦しかった。
別れ際、いつものようにハグをしてバイバイしようとすると、断られた。
「そろそろ、俺から離れないとな。じゃあ、バイバイ」
そのバイバイに、次がないような気がした。なにそれと笑いながら、私もバイバイと言った。姿が見えなくなった瞬間に溢れた涙を止められなかった。こんなにも好きなのに、ただ苦しいだけ。
それでも、付き合っていた日々に戻りたいと思えないのは、もう人を愛する勇気を失ったからだろうか。