池上さゆり

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2/20/2024, 1:45:23 PM

 その日の朝。友達の父親の顔がテレビに流れていた。娘に性的虐待をしたという疑いで逮捕されたとのことだった。
 学校に行くと、案の定その事件について学校中がもちきりになっていた。
 私は泣きたい気持ちを必死に堪えながら、教室で友達が登校してくるのをじっと待った。一体どんな思いで毎日あんな被害に耐えていたのだろうか。毎日どんな思いで笑顔で学校生活を過ごしていたのだろうか。考えれば考えるほど、友達としてなにもできなかった自分を恥じた。何度だって助けてのサインはあった。でも、私はそれに気が付かなかった。どんな言葉が最適なのだろうかと悩んでいると、突然教室の音が無くなった。パッと顔を上げると、友達が教室のドアをあけて立っていた。その表情にいつものような笑顔はなく、すべての光を閉ざすように髪が下ろされている。いつもの揺れるポニーテールが幻だったのかと思うほど、面影がなく疲れ切った顔をしている。でも、これが本心だったのだ。今まで必死に偽って隠して生きていたのだろう。だから、事件が大っぴらになって、隠す必要がなくなって、今、素の自分でいるのかもしれない。立ち上がって駆けつけようとする頃には、教室に音が戻っていた。
「ねぇ、大丈夫……?」
 声をかけたが、無視された。私の横を通り過ぎて自分の席に座る。
「よく学校来れるよね」
「あれってどこまでヤったんだろうな」
「父親に犯されるとかエグすぎ」
 みんなが面白おかしく、本人に聞こえる声で話す。近づいて、今度は正面に向かい合った。
「つらかったよね。何にもできなくてごめん」
「なんで謝るの? 私助けてなんて言ってないでしょ」
 それでも、と言葉を続けようとしたところで彼女は爆発した。
「テメェら全員面白がってんじゃねぇよ! いいよなぁ。まともな親のもとで生まれて、ちゃんと愛されて育った奴らは。全員、死んでこいよ」
 以前の彼女からの口からは出てこなかったであろう鋭い刃のような言葉に手を差し伸べた。落ち着いてほしいと、その一心で。だが、すぐに払い除けられる。
「お前も、同情してんじゃねぇよ」
 荷物を席に置いたままにして、教室を飛び出した彼女を追うことはできなかった。再び、教室から音が消える。
 それから、彼女は一度も学校に来なくなった。いつの間にか行方不明との噂が広がった。彼女が生きているかどうかを知る者は誰一人としていなかった。

2/16/2024, 2:15:27 PM

 その場にいた誰よりも私は絶望していた。高校最後の絵画のコンテストで私は最優秀賞を取れなかった。現地で、どんな作品が選ばれたのかを見に行こうと足を運んだのが間違いだった。
 私は今まで使ってきたキャンバスの中でも一番大きなものを使って、海に映る宇宙を描いた。キャンバスが大きい分、どこから見ても完璧になるように、どこから見ても美しいと思ってもらえるように、どこから見ても粗がないように。そう意識して完成させた作品は最後の作品としては文句のつけどころがないほど、美しく仕上がった。自分でも、こんなふうに描くことができたのだと感動するぐらい、私は過大評価をしていた。だが、当然完成させた時はそれが過大評価だなんて思っていなかった。妥当な評価だと。これで最優秀賞とって、美大に進学する許可をもらおうと思っていた。
 それなのに、最優秀賞という札の上に飾られていた絵は、私のキャンバスの半分もないサイズで、美しい花を食べる死体のような女の人が描かれていた。人間をモノクロで描いて、花には対照的な鮮やかな色が使われていた。技術も感性もすべて負けたのだと感じてしまった。
 泣きながら美術館をあとにした。なんの札ももらえなかった私の自信作は展示が終われば、家に送られてくる。
 だが、そんなものを飾る場所はない。学校でしか絵を描くことを許されていなかった私にとって最後のチャンスだった。最後にSNSで自分の絵を載せた。次々といいねが押されていく。ネットではこんなに評価してもらえるのにと、悔しくなった。帰宅して、一番に今までの画材をすべて捨てようと思った。光続けているスマホの電源を消そうとしたところでDMが届いていることに気づいた。
「今日、その展示会に行ってきました。誰よりも輝いてみえてとても綺麗でした。今日初めて知りましたが、今後の活動を応援させてください」
 その名前に私は見覚えがあった。間違いなく、最優秀賞を獲っていたあの人の名前だ。嫌味かと思ったが、それ以上にこんなふうに言葉にして私の絵を褒めてくれたのが嬉しくて泣いてしまった。
 私も、一番になれるような感性が欲しかったよ。

2/15/2024, 11:50:12 AM

 それは幸せそうな一文から始まっていた。
「元気にしていますか。十年前の私がどれだけ不幸の最中に陥っていたのか、今思い出すだけでも辛くなります。それでも、十年後のあなたは幸せになっていると伝えたい」
 信じられなかった。家のポストの中に入っていた十年後の私から届いた手紙が本物だとは受け入れられなかった。だが、そこには誰にも話していない苦しみが書かれていた。義父からの性虐待。情緒不安定な母のパニック。バイト先でのパワハラ。学校でのいじめ。どこに行っても地獄だってことをこの手紙を書いた人は知っている。
「高校卒業後、社会人として働き始めたあなたは仕事で大きな成果を上げます。本社への転勤が決まって、確かなキャリアを若きながらも築き上げていきます。あんまり話すと未来が変わっちゃったりするかな」
 とても、自分にそんな力があるとは思えなかった。どんな会社で働くのか、どんな仕事をするのか。そこまでは書いてなかった。
「そして、好きな人と結ばれて幸せな結婚生活を送ります。きっと十年前の私からは想像のつかない生活をしています。まだ私も三十路手前で人生もこれからだというときですが、それでもあの苦しさが嘘だったかのように思える日がやってきます。自暴自棄にならないで、今を必死に生きていれば、いつか報われる日が来るから。十年後の私より」
 本当だろうか。本当に、こんな未来が待っているのだろうか。そこに書かれた便箋一枚の明るい未来に私は縋りたくなった。こんな未来を手に入れるために私はどんな行動を取ったのだろう。
 突然、一階から母の泣き叫ぶ声がした。そうだ。私の人生を一番狂わせてきた足枷は母だ。死んでしまえばいい。手に取った包丁で私はリビングに静かに向かった。まずは、この人を消して私は自由になる一歩を踏み出そうか。

10/18/2023, 8:20:32 AM

 それは忘れたくても忘れらない光景だった。
 家中に響いた両親の悲鳴で目が覚めた。まだ五歳だった私はなにも考えず、両親の部屋へ向かっていた。走り回る音や、物が落ちる音などが響いていたのに、突然音が止んだ。両親の部屋のドアをノックしても反応はない。恐る恐る開けてみると、部屋中に血が飛び散っていて、両親は床に倒れていた。父が母を庇うようにして死んでいた。
 そして、窓際にはレインコートを着た高校生ぐらいの男の人が今にも飛び降りようと構えていた。
「なんだよ、終わったと思ったのに。てか、ガキがいるなら先に言えよな」
 直感で自分も両親みたいに殺されるのだと思った。だが、彼は「まぁいいや」とだけ言って出て行った。
 そこからどうなったのかはあまり覚えていない。気づけば、あの顔を忘れらないまま、あの時の男と同じくらいの年齢になっていた。
 そして、高校の帰り道。二十代半ばぐらいの男に声をかけられた。俺を覚えているか、と。当然、記憶になく否定すると彼は笑った。
「じゃあ、これでも見れば思い出すか?」
 そう言って取り出したのは、亡き両親の死体の写真だった。暗いせいもあり、鮮明には映っていないが、それでもあの時の光景だとわかる。激昂してその首を捕えようとしたが、すぐさまかわされて後ろから締め上げるように両腕を掴まれた。
「なにがしたいの! 今度は私を殺しにでも来たわけ!?」
「そうじゃねぇよ。お前を誘いに来たんだ」
 そう言って、私の腕を離すと今度は耳元に近づいてきた。
「俺を殺してくれよ」
 状況が理解できないまま黙る。
「俺の代わりになる人材を探しているんだ。お前は俺に恨みがある。俺が特訓してやるから、強くなって俺を殺してくれよ」

 この日から私は殺し屋として生まれ変わった。

10/4/2023, 12:26:35 PM

 それはずっと昔の記憶。生まれる何百年も前の記憶。
 僕が生まれた国の王女の生誕祭で行われたパレードで見かけた王女が忘れられなかった。まだ幼い顔をしていたが、凛としていて力強さの感じる美しい顔をしていた。
 だが、当然一般市民であった僕は二度と彼女の顔を拝めないまま生涯を終えた。
 そして、生まれ変わった僕は彼女のことが忘れられずに、面影を探していた。だから、クラスで好きな人のタイプを訊かれるといつも「プライドが高くて、強い人」と答えていた。誰からも共感は得られなかったが、それでも諦められなかった。
 面影を探し続けてさらに数年。僕は大学に進学した。その時は突然訪れた。
 入学式が終わり、各学部の講義室へ移動しようとしたところでその面影を見つけた。衝動に駆られるまま、彼女の腕を掴んでしまった。
「触んな!」
 素早く振り払われたが、怒りに満ちたその表情がこの上なく僕を興奮させた。彼女があの王女なのかはわからない。
 だが、その顔はどこからどう見てもあの時の王女そのものだった。
 やっと巡り会えたのだ。何度、巡り会えたらと考えてきたのだろう。同じ立場で生まれたこの時代を逃すわけにはいかない。なんと声をかけようか。
「ごめんね。タイプだったからつい声を掛けようとしたんだけど、初めてのことだったから焦りが出ちゃった」
「なにそれ、気持ち悪い」
 口から出たのはナンパのようなセリフだった。

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