奇跡は何度も起こらない。それでもつい、祈ってしまう。奇跡をもう一度だけと。
恋人が自殺未遂をしたのは今回で二回目だ。一回目はOD。夜中に起きて、水を飲もうとキッチンに行ったところ、彼女がぐったりとして倒れていた。嘔吐した形跡もあって、顔も真っ白だった。幸い、すぐに救急車を呼び、胃洗浄と薬の投与、しばらくの入院で無事退院してきた。
二度と同じことをしないと誓ったその一年後、約束を破られた。今度は近くの高層マンションに忍び込んで、屋上から飛び降りた。落ちた場所には植木があり、土の上だったこともあり即死とはならなかった。
だが、首や背骨、足の骨折や内臓破裂もあり重症だった。すぐに手術が行われたが、意識は戻らないままだった。
家の中で遺書も見つかった。内容は毎日死ななければならないという強迫みたいなものがずっと脳内にあって、なにをしていても生きていることそのものが大罪であるかのような気がして生きているのがつらいと。だから、解放させてくださいと。
ショックだった。生きて欲しいと言った自分の言葉が余計に彼女を苦しめていたのかもしれないと思った。だが、命を粗末にする彼女が許せないもの本音で、どうするのが正解だったのかはわからない。
だが、もし彼女が意識を取り戻したのなら。その時は嘘をつこうと思う。
いつ死んでもいいから、次死ぬときは見届けさせてくれと。
そう言うことで、好きな人の前では死ねないという気持ちが芽生えれば良いと考えた。そして、これからは死ぬことを考える暇もないくらいに毎月、毎週、毎日、なにか約束をしよう。予定を入れよう。
あなたのために、あなたのことを想って動いてくれる人間がたくさんいることを伝えていこうと思う。
だから、最後の奇跡をもう一度だけお願いします。
いつもの帰り道。音楽を脳内に流し込みながらぼんやりと歩いていた。
すると、途中でなにかコロコロとしたものを踏んだ感触があって下を見る。転がっていたのはたくさんの銀杏だった。意識すると、この辺りだけ銀杏くさい。そっと踏まないように、避けながら歩いた。
そうか、もう銀杏が落ちる季節なのだ。まだ、夏のような暑さが残っているのに、順番に季節は巡ってくる。秋の訪れも早いものだ。
そういえば学校の課題に俳句を一句書いてくるというものがあったなと思い出す。せっかくだからモチーフを銀杏にしようと決めたが、続きが思い浮かばない。
コロコロ、オレンジ、匂い、いろんなものを連想していく。
通り抜けた道を振り返る。そこでなんとなくイメージが固まった。
「オレンジの 斑点模様 銀杏降る」
学校での評価関係なく、今の俳句を気に入った。踏み潰されて、歩道にできたオレンジ色の斑点模様。それでも降り続ける銀杏に秋が始まったのだと感じさせるような一句にしたつもりだ。
明日、提出するのが楽しみだ。誰かに聞いてほしいと思うほど、自信に満ちていた。
いつだって私たちは海を走っていた。季節も、時間も関係なく。会うたびに車で海を走る。夜中のときは、どこまでも深く吸い込まれそうなほど恐ろしく感じる海も、彼となら楽しく過ごせた。
砂浜に寝転がって、服の隙間に入った砂もおもしろく感じるほど、彼と過ごす時間は特別なのだ。
それなのに、突然終わった。
LINEの返事が来なくなって、電話も繋がらなくなって、家に行ってもいなくて。意味がわからなかった私は、ただひたすらに連絡を待ち続けた。
だが、その答えを突然知ることになった。ニュース番組でいつも走っていた海沿いの道路からガードレールを突き抜けて、車が海に落ちたのだ。なんとなく近場だなと感じただけで、テレビから目を逸らそうとした瞬間、彼の愛車が映った。信じられなくて、テレビに飛びつく。続けて映されたのは、その事故で亡くなった彼の顔写真と名前だった。
あまりのショックに視界がくらみそうになった。私は夢を見ているのだと思おうとした。
そして、私のほうに彼の訃報が届かなかった理由にも気づいた。
元々、遠距離恋愛で彼が地元を飛び出して私が住んでいるところまで来た。その時に笑顔で、親とも縁切ったなんてことを言っていたのを思い出した。私は彼の両親を知らないが、きっといい思いはしなかっただだろうし、私のことも嫌っていたのかもしれない。
線香だけでもあげに行きたいと思ったが、あいにく彼の実家の住所は知らない。
毎日飽きずに見続けた窓から見える景色と彼の車で流した音楽、くだらない会話もすべてを抱きしめながら。
彼が事故を起こした場所で、最後の愛してるだけ残して私は立ち去った。
この恋が終わった理由を探していた。まだ、悲しみの余韻が残っている中、私は家族に手伝ってもらいながら荷物を車に積んでいた。このボロいアパートに何年住んだのだろう。ここで笑い合った日常があった。ここで命を助けてもらった。ここで結婚を誓い合った。
それでも、気づけば私だけが感じる息苦しさだけが部屋に充満していった。徐々に酸素は無くなっていって、耐えられなくなった。きっと私が愛していた人はえら呼吸でもしていたのかもしれない。少ない酸素であの家の中を生きていたのかもしれない。
それでも、もう終わったのだ。二人の間には変わらないものがあると思っていた。形のないものや、目に見えないものだけで心の底から繋がり合えてると思っていた。でも。それもやっぱり私だけだった。
だから、別れ話をしたときもあっさりと終わったのだ。もし、彼が泣いたら。別れたくないと言ったら。理由を聞いてきたら。なんてことを考えたが、どれも現実にはならなかった。いつから冷めていたのかもわからない。でも、そんなもの知らなくていいのだ。知ってしまえば、きっと二度と立ち直れない。その期間が長くても短くても耐えられない。愛していれば、お前呼ばわりなんてしないと言われたのも確信をつかれていた。
名前で呼ばれなくなったのはいつからだっけ。考えなくてもいいことばかりが頭を埋め尽くす。
どうか、私以外の人と幸せになってくださいなんて思えるほど心は広くなくて。私をこれだけ悲しませて苦しませた時間を返せ。二度と私以上に幸せになんかなるなと願いながら、最後の荷物を積んでトランクの扉を閉めた。
胸の鼓動の数というのは決まっていて、それがゼロになると人は死ぬらしい。
それが本当ならば、運動している人ほど寿命は短くなるし、緊張しやすい人の寿命だって短くなるはず。長生きしたければ、穏やかに生活をしなければいけなくなる。元々、私に長生きの願望はないが、学校の先生がそんなことを話していたせいでふと気になったのだ。
だが、今の私は心穏やかに生活するなんて到底できそうにない。原因はサッカー部の幼馴染だ。今まで意識してこなかったのに、先日急に告白してきた。
「部活の大会でレギュラーに選ばれたら、付き合ってくれ」と。
一年生なのに、レギュラーに選ばれるわけなんてないと言い聞かせていた。だが、実力は誰よりもずば抜けていることもわかっていた。マネージャーを務めている私でも、彼が先輩を差し置いてレギュラーに選ばれる可能性があることは十分にわかっていた。そのせいで、メンバー発表の日までずっと意識してしまっているのだ。
目が合っただけで笑いかけてくる。点数を決めると真っ先に私に手を振ってくる。他の人たちにからかわれても堂々と振り向かせたいんだと言っている。寿命が短くなっているのを感じながら、日々を過ごしていた。
そして、試合メンバー発表の日。背番号順に発表されていき、ついに最後の番号が言われる時。幼馴染の名前が呼ばれた。彼は小さくガッツポーズをして、私に向けて小さくピースしてきた。
帰り道、幼馴染と会う前に早く帰ってしまおうと急いだが、待ち伏せされていた。
「付き合ってくれるよな?」
あんなに幼くて可愛らしい顔をしていた幼馴染はどこにもいなくて。しっかりと男の顔になっていた。凛々しくて、力強い目に、この人になら寿命を短くされてもいいかもしれないと思った。