池上さゆり

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 唯一無二のものを見つけたとき、人はそれを「お金より大切なものだ」と言えるのだろうか。
 少なくとも私にはできない。そんな気がする。
 いつだって私のすべてを支えてくれたのはお金だった。裕福な家庭で生まれ育った自覚がなかった頃の私は実にひどい人間だったと思う。
 同じクラスの女の子が三日続けて同じシャツを着ていたものだから「どうして洗わないの? 汚いよ」と言ったことがある。それをきっかけにその子はいじめられるようになってしまった。攻撃するようなことこそしなかったものの、傍観者でいることも罪であることを後々知った。
 高校生になってからはブランド物のポーチを持っているだけで羨ましがられた。母からもらったものだったから、私にはその価値がわからなかった。
 それでも、小学校から大学に至るまで奨学金を借りることなく卒業できて、就職してからも両親からの援助もあったおかげで少ない給料でも、欲しいものは迷わず購入することができた。
 だから、お金がないと嘆く同僚の気持ちが理解できなかった。
 そして、社会人も三年目を迎えた頃。先輩から結婚を前提に付き合って欲しいと告白された。両親が幸せな結婚生活を送っていたから、私も幸せになれるものだと思った。相手のことをよく知りもしないで私は結婚を受け入れた。
 だが、結婚した途端、両親はお金を送ってくれなくなった。夫婦二人だけのお金で生活していたが、二人とも低賃金の会社で働いていたので生活は苦しかった。始めこそは、お金より愛だと我慢できていたものの、時間が経つごとにお金のない不自由さに苦しくなった。
 それは夫を捨てる決定打にもなった。
 私は正直にそれを伝えることはできなかった。自然と夫婦仲が悪くなるように行動して、夫から離婚を申し出てくれるのを待った。だが、いつまで経ってもその気配がなく、待ちきれなかった私は嘘泣きで離婚届を渡した。
 夫は泣きながらそれを受け入れてくれた。
 離婚後、実家に戻った私は再び、裕福な暮らしに戻った。それが、いかに心を楽にしてくれるものだったのかを思い知った。
 あの結婚生活の末、私が得ることができたのは、すべてお金が解決してくれるということだけで、愛がいかに無力なものなのかを知っただけだった。

3/9/2024, 8:02:05 AM