池上さゆり

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7/15/2023, 3:26:24 PM

 また、電話が繋がらない。何度かけても繋がらない。何度もメッセージも送っているのに、返信もない。脳内がなんでという言葉で埋め尽くされる。耐えきれなくなって爪をかじる。せっかく綺麗にマニキュアを塗ったばかりなのに、台無しだ。でも、そんなことどうでもいい。今。この瞬間。彼氏がなにをしているのかわからないのが耐えられなかった。
 スマホを持ったまま部屋の中をウロウロしているうちに彼氏から返事がきた。
「ごめん。風呂入ってた」
 すぐに電話をかける。三コール以内に出る約束なのに出てくれない。最後のコールが鳴ったところでやっと彼氏の声がした。
「ねぇ! お風呂行く時は教えてって言ってるじゃん! お風呂なんて十分で上がれるでしょ!? なんで三十分も連絡なかったのよ!」
「それはごめんって。俺だって仕事もあるし、疲れてるからそんな毎回は連絡できないよ。わかってくれないと困る」
 疲れ切った声でそう言われても、私の怒りは収まらなかった。
「私だって仕事してる! それでも毎日ちゃんと連絡してるじゃん。同じ熱量で返してほしいだけなの」
 もとは不安の形をしていた怒りが、どんどん悲しみに変わっていく。わかってほしい。安心させてほしい。不安にさせないでほしい。たったそれだけなのに、どうしていつもこんな言い方しかできないのだろう。
「ごめ……」
「ごめん。もう俺無理だよ。耐えられない」
 終わりにしようと言われ、通話を切られた。なにを終わりにするのかわからなかった。もう一度電話をかけるが出てくれない。何度かけても出てくれない。メッセージを送っても既読にならない。すると、メンバーがいませんの文字が表示された。ブロックして消されたのだとわかった。ありえない。今までこんなに尽くしてきたのに。同じ温度で接してほしかっただけなのに。
 私のことを忘れて生きると言うのなら、一生忘れられないトラウマを植え付けてやる。包丁をカバンに忍ばせて、彼氏の家に向かった真夜中一時の出来事。

7/10/2023, 11:31:16 AM

 ふわふわと宙に浮いている感覚。ただ安らかな空間だけが広がっていて、優しい光に包み込まれている。ずっとこのままがいいと淡い期待を抱いていると、突然誰かに名前を呼ばれた。
「起きなさい」
 優しい声なのに、口調が怒っている。うっすらと目を開けると目の前に大きな人の顔があった。近づいているわけでもなく、本当に大きな人の顔。髪も肌も真っ白で神々しかった。
「死んだ気分はどうかしら」
 その言葉で自分が死んだことを自覚する。だが、どうやって死んだのか。生前、どんな生活を送っていたのか全く思い出せない。
「なんだか、夢を見ているみたいで気持ちがいいです」
「そう。でもあなたは大罪を犯したの。だから、こんな天国になんていさせない。地獄へ堕ちなさい」
 その人が人差し指をすっと下へ下ろした瞬間、落下する感覚に襲われた。私が彷徨っていたふわふわとした世界がどんどん遠ざかって、暗く燃えるように熱い場所に落とされた。背中から激痛が走り動けそうになかったが、近くにいた人になにやら怒鳴られる。すると、すぐに別の人がやってきて無理矢理立ち上がらされた。
「なにぼけっとしているんだ! 今すぐあの針山を登れ! 頂上まで行ったら次の場所だ!」
 そう言われて指差された方を見てみると、三角錐の形をした山に大量の針が刺さっていた。どうやってあんな山を登るのか。他の人を見ていると、飛び出している針に捕まって、足場にして登っていた。だが、失敗して落ちた人は地面からも生えている針に刺さっていった。恐怖のあまり動けなかったが、早く行けという言葉と同時に背中を押され目の前まで近づいた。これを登るしかないのだと、針を掴んだ。
 だが、何度登っても落ちて、身体を貫かれて、また登っては落ちてを繰り返した。痛みはあるのに、血は流れない。幾度と繰り返した身体を貫かれる痛みに心が限界を迎えたころ、私をここに堕とした人の声がした。
「これを永遠と繰り返すのが、自殺した人間の罰よ。気持ちはどうかしら」
「もう限界です。どうか、どうか助けてください」
 その瞬間、痛みが全身から消えた。目が覚めると、再び全身に痛みが走ったが先ほどの比ではない。
 自分が生きていた世界に戻ったのだと自覚した。すぐに医者や家族が駆けつけてきた。
「こんなことしてごめんなさい。私、ちゃんと生きるから」
 きっと、人生を歩む中ではあれ以上の痛みも苦しみも恐怖もないのだろう。それだったら、こんな理不尽で生きにくい世の中でも私は耐えられるかもしれない。

7/10/2023, 7:58:05 AM

 毎日、お母さんにお弁当を作ってもらうこと。それを学校に持っていって完食すること。ちゃんと、ありがとうとお礼を伝えること。それが私の当たり前だった。
 これが当たり前じゃないと知ったのは高校二年生になってクラス替えが行われたときだ。一年生の時に仲良くしていた人たちとクラスが離れて、私は新しく一緒に昼ごはんを食べる人を探していた。その中、偶然仲良くなったのが後ろの席に座っていた女の子だった。私のほうから一緒にお昼食べようと誘うと少しめんどくさそうな顔をして、いいよと言ってくれた。
 私はお弁当を広げて食べ始めたが、彼女は購買で買ってきたパンを食べていた。
「お弁当じゃないの?」
 あからさまに嫌な顔をしているが、気になって仕方なかった。
「うち、お父さんと二人で住んでるんだけど、料理なんて作れないから」
「自分で作ればいいんじゃないの? お母さんから教わらなかったの?」
 すると、彼女は怒った顔をして立ち上がった。
「やめて、そういう話嫌いだから」
 そのまま彼女は教室を出て行った。そんなに怒るほどの質問をしてしまったのだろうか。どこか納得できないまま不思議に思っていたが、その後話しかけようとすると逃げられるようになってしまった。
 その話を一年生の時の友達に話すと全員に怒られてしまった。無神経すぎる。初対面で言うことじゃない。自分の当たり前を押し付けちゃいけない。
 どれもピンと来なかったが、みんながこう言うのであれば私に非があるのだろう。謝ろうと、次の日のお昼の時間に話しかけようとした。すぐに逃げようとしたので反射的に腕を掴んでしまった。
「この間は無神経なこと言ってごめんね。悪気はなかったの」
 彼女は力強く腕を振り払った。嫌悪をむき出しにされた目がこわい。
「あんたみたいな無神経なやつは簡単に治らないことぐらい知ってる。あんたとそっくりな人間も大量に見てきた。どうせ、誰かに怒られたから謝りに来たんでしょ」
「そうだけど、でも、言われないとわからないこともあるから……」
「じゃあ私が不快に思うたびに注意してくれってこと? そんなやつと仲良くするなんて私には無理。もう話しかけないで」
 そう言うと彼女はまた教室から出て行ってしまった。私が悪いのだろうか。私のどこに非があったのだろうか。答えがわからないまま、嫌われてしまった事実を忘れようとした。

7/9/2023, 7:34:20 AM

 その日は十年に一度の大型台風が来ていた。父と喧嘩した衝動で外に飛び出した私は少しだけ後悔していた。
 街のほうへ歩いていくと、今から帰るのであろう人々が駅から出てくる。中には傘を持っておらず、雨宿りしている人もいた。財布もスマホも持ってこなかった私はできることが何もなくて、ただ強風と大雨の中を立ち尽くしていた。メガネが仕事をしなくなって、外してみると街の明かりが綺麗なイルミネーションに見える。
 すると突然、全身に降りかかっていた雨が止まった。空を見上げると大きな真っ黒の傘が目に映った。隣に立った人をみると、ストライプ柄のスーツを着た女の人がいた。
「子どもがこんな日になにしてるの」
 警察官かもしれないと思って逃げようとしたが、すぐに腕を掴まれた。
「きみ、訳ありだろう。良かったら私の家に来ない?」
 知らない人に付いて行ってはいけないことぐらいわかってはいたが、家に帰りたくない気持ちの方が多かった。こくりと頷いて、女性と同じ傘の下を歩いた。
 暗いほうへ暗いほうへと歩いていくと廃墟のような立派な豪邸が現れた。門扉から玄関までの道は綺麗にされているのに対して、そこ以外は雑草でいっぱいだ。中に入ってみるが、暗くてなにも見えなかった。それなのに、女性は暗い中迷うことなく歩いていく。見失わないように付いていくと、一つの部屋に通された。
「ここで待っていて」
 案内されるまま、ソファに座った。薄暗い明かりから見えたのは壁一面に並ぶ人間と同じ大きさぐらいの人形だった。背中側の壁にも並んでいて、冷たいものが背中を伝う。しばらくして、女性がトレイに紅茶を乗せて部屋に入ってきた。
「あの、この人形たちはなんなんですか」
「あら、怖いの? これからあなたの友達になるのよ」
 やっぱり帰ろう。そう思ってドアまで走ったが、開けられない。固く、閉ざされている。
「大丈夫よ。痛くしないから」
 背中から回された手からは、人肌のような温かさは感じられなかった。振り返ろうとすると、女性の手、というよりは異様に長く伸びた爪が私の目を撫でてぷつりと何かを刺した。叫び声を上げるまもなく、同じ爪で鼓膜も破られた。
 お父さん、家を飛び出してしまってごめんなさい。もう、帰れないと思うから。
 

7/7/2023, 9:41:04 AM

 葬式から一週間経った日。一つの郵便物が届いた。送り主は先週の葬式で弔われた友達だった。普段は本人しか読めないような汚い字を書くのに、可愛い便箋に書かれている文字は今までに見たことがないぐらい丁寧で、少し歪んだ文字だった。
 私はすぐにそれを読むことができなかった。それでも、部屋に持ち帰ってどうするか考えていると、捨てることはできなかった。
 恐る恐る、中を開けた。便箋が三枚入っていた。ゆっくりと読み進めていく。その中には友達として過ごした日々の思い出が書き連ねられていた。一緒に祭りに行ったことや、お揃いのノートを買ったこと。席替えで隣になるように他の人とくじを交換したこと。体育の授業で常にペアを組んだこと。一緒に勉強会をしたはずなのに二人とも赤点をとったこと。
 たくさん書かれている友達との思い出。どれも色鮮やかに思い出すことができる。涙なんて出なかった。まだ、彼女がどこかで生きているかのような気がするのだ。いじめごときで自殺するような人なんかじゃない。そう言い聞かせるも、現実は変わらない。それは先週の葬式で火葬場まで付いて行った私が一番よくわかっている。
 だからこそ、笑いが込み上げた。彼女がいじめられるきっかけを生み出したのは私だ。一緒に買い物しに行ったときに偶然撮った写真が万引きしているかのように写ったのだ。私はそれをクラスメイトに見せた。すると、簡単にそれを信じた人たちが彼女をいじめ始めた。ざまぁみろとしか思わなかった。美人で性格も良くて、金持ちの家に生まれて、それでも少しバカな彼女をみんなが好いていた。だからこそ、いじめが始まった時も、みるみるやつれていく姿を見ながら心配するふりをして心の中では笑っていた。自殺した時なんてなにか大きなことをやり遂げたかのような達成感があった。
 便箋を封筒の中に戻して、お父さんのライターを借りた。火をつけて燃やす。一人のリビングで、最後まで私のことを友達だと信じていた彼女のことを嘲笑っていた。
 なんとなく、庭に繋がっているリビングの窓から視線を感じてカーテンを閉めた。

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