池上さゆり

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 その日は十年に一度の大型台風が来ていた。父と喧嘩した衝動で外に飛び出した私は少しだけ後悔していた。
 街のほうへ歩いていくと、今から帰るのであろう人々が駅から出てくる。中には傘を持っておらず、雨宿りしている人もいた。財布もスマホも持ってこなかった私はできることが何もなくて、ただ強風と大雨の中を立ち尽くしていた。メガネが仕事をしなくなって、外してみると街の明かりが綺麗なイルミネーションに見える。
 すると突然、全身に降りかかっていた雨が止まった。空を見上げると大きな真っ黒の傘が目に映った。隣に立った人をみると、ストライプ柄のスーツを着た女の人がいた。
「子どもがこんな日になにしてるの」
 警察官かもしれないと思って逃げようとしたが、すぐに腕を掴まれた。
「きみ、訳ありだろう。良かったら私の家に来ない?」
 知らない人に付いて行ってはいけないことぐらいわかってはいたが、家に帰りたくない気持ちの方が多かった。こくりと頷いて、女性と同じ傘の下を歩いた。
 暗いほうへ暗いほうへと歩いていくと廃墟のような立派な豪邸が現れた。門扉から玄関までの道は綺麗にされているのに対して、そこ以外は雑草でいっぱいだ。中に入ってみるが、暗くてなにも見えなかった。それなのに、女性は暗い中迷うことなく歩いていく。見失わないように付いていくと、一つの部屋に通された。
「ここで待っていて」
 案内されるまま、ソファに座った。薄暗い明かりから見えたのは壁一面に並ぶ人間と同じ大きさぐらいの人形だった。背中側の壁にも並んでいて、冷たいものが背中を伝う。しばらくして、女性がトレイに紅茶を乗せて部屋に入ってきた。
「あの、この人形たちはなんなんですか」
「あら、怖いの? これからあなたの友達になるのよ」
 やっぱり帰ろう。そう思ってドアまで走ったが、開けられない。固く、閉ざされている。
「大丈夫よ。痛くしないから」
 背中から回された手からは、人肌のような温かさは感じられなかった。振り返ろうとすると、女性の手、というよりは異様に長く伸びた爪が私の目を撫でてぷつりと何かを刺した。叫び声を上げるまもなく、同じ爪で鼓膜も破られた。
 お父さん、家を飛び出してしまってごめんなさい。もう、帰れないと思うから。
 

7/9/2023, 7:34:20 AM